2016年09月13日
第348回 バートランド・ラッセル(二)
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年七月三十日、正午、カナディアン・パシフィック社のエンブレス・オブ・エーシア号が、横浜港からカナダのバンクーバーに向けて出港、同号でバートランド・ラッセルが帰国の途についた。
博士は愛人ブラック嬢…に助けられ徒歩で其疲れた身体を桟橋に現はしたが
見送り人には改造社の山本氏大杉栄氏其他二十余名で殊に大杉氏の無造作な浴衣姿が人目を惹き
大哲人ラツセル博士と東洋の社会主義者との最後の堅い握手が交はされた
「機会があつたら又日本へ」と云ふ名残りの言葉と共に船は奏楽の裡(うち)に徐々(じょじょ)と埠頭を離れた
(『東京朝日新聞』1921年7月31日)
大杉は魔子を連れて一緒に来た野枝をラッセルに紹介し、四人は社会運動や官憲の抑圧についてしばし談議した。
『ラッセル自伝 二巻』(『The Autobiography of Bertrand Russell vol.2』)は、見送りに来た大杉と野枝についてしっかり言及している。
We sailed from Yokohama by the Canadian Pacific, and were seen off by the anarchist, Ozuki, and Miss Ito.
(Portal Site for Russellian in Japan)
「Ozuki」は「Osugi」の誤記である。
一八七二年生まれのラッセルは、一九七〇年に没した。
九十八歳の長寿であった。
『ラッセル自伝 二巻』は死の二年前、一九六八年に出版されたが、ラッセルは野枝のことを「好ましく感じた唯一の日本人」だったと書き、さらに大杉と野枝と橘宗一が憲兵によって虐殺された事件についても、皮肉たっぷりに言及している。
We met only one Japanese whom we really liked, a Miss Ito.
She was young and beautiful, and lived with a well-known anarchist, by whom she had a son.
Dora said to her: 'Are you not afraid that the authorities will do something to you?'
She drew her hand across her throat, and said: 'I know they will do that sooner or later.'
At the time of the earthquake, the police came to the house where she lived with the anarchist, and found him and her and a little nephew whom they believed to be the son, and informed them that they were wanted at the police station.
When they arrived at the police station, the three were put in separate rooms and strangled by the police, who boasted that they had not had much trouble with the child, as they had managed to make friends with him on the way to the police station.
The police in question became national heroes, and school children were set to write essays in their praise.
(Portal Site for Russellian in Japan)
大杉家にはこのとき魔子とエマがいたので、「by whom she had a son」は「by whom she had two daughters」の誤記である。
「the police」も「the military police」であるが、和訳するとこんな感じだろうか。
私たちは滞日中、唯一好ましい日本人に出会った。
伊藤女史である。
彼女は若く美しく、著名なアナキストと同棲していて、一男児の母であった。
ドーラが彼女に問いかけた。
「官憲が恐くはないの?」
彼女は首に手を当てて、切り落とすような仕種をしながらこう答えた。
「早晩、こういう運命になるかもしれません」
関東大震災の際、警官(憲兵)が彼らの家にやって来て、ふたりとまだ幼い彼らの甥を警察署(憲兵隊)に連行した。
警官(憲兵)たちは甥を彼らの息子だと思いこんでいた。
警察署(憲兵隊)に着くと、三人は別々の部屋に監禁され、警官(憲兵)たちによって絞殺された。
警官(憲兵)たちは幼児を虐殺するにも手こずらなかった。
警察署(憲兵隊)に連行する道すがら、警官(憲兵)たちが彼を手なずけておいたからだが、彼らはそれを自慢げに語った。
警官(憲兵)たちは国家の英雄になり、学童たちは彼らを賞賛するエッセイを書かされた。
★『ラッセル自叙伝』2巻(日高一輝訳/理想社/1971年8月1日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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