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第307回 トルコ帽 [2016/07/27 11:53]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九二〇(大正九)年四月一日、大杉の出獄歓迎会兼荒畑の大阪行き送別会が神田区錦町の松本亭で開かれた。
百人余が出席したこの会で、大杉はトルコ帽姿で演壇に立ち獄中生活を語った。
荒畑の大阪行きは、大阪で岩出金次郎が出している『日本労働新聞』の編集をするためだった。
四月二日、改造社が銀座のカフェ・パウリスタで賀川豊彦歓迎会を開催した(『日録・大杉栄伝』)..
第274回 スペイン風邪 [2016/07/04 10:45]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九一九(大正八)年一月二十六日、大杉は売文社で群馬県からこの日上京した蟻川直枝と会い、気が合ったふたりは浅草十二階下にある黒瀬春吉の店「グリル茶目」で食事をした。
このときの話を、安成二郎が大杉からおもしろおかしく語って聞かされた。
大杉と蟻川は「グリル茶目」での食事を終えると、吉原に行くことにした。
売文社に行くとき、大杉は尾行をまいていたので、黒瀬の尾行..
第252回 僕の見た野枝さん [2016/06/17 14:00]
文●ツルシカズヒコ
野枝が『文明批評』一九一八年二月号に書いた「階級的反感」は、同志たちの間で反感を買ったようである。
『橋浦時雄日記 第一巻』によれば、二月十四日、橋浦が大久保百人町の荒畑寒村の家を訪れた際も、その話題になり橋浦と荒畑は笑談したという。
そこに大杉も現われ、大杉と橋浦は荒畑からお汁粉を振るまわれた。
大杉は橋浦と荒畑に「階級的反感」について、どんな見解を示したのであろうか。
橋浦は翌日の日記に..
第247回 築地の親爺 [2016/06/11 09:28]
文●ツルシカズヒコ
一九一七(大正六)年の秋も深まったころ。
米が買えず大杉と村木は五銭の芋をフカシして腹を満たし、野枝と魔子が横たわる布団の裾に潜り込んで暖を取り、しかも眼の前には収入のなんの希望もないそのころ。
大杉は平気で雑誌発行の計画を立てていた。
その日も、村木は大杉とふたりで野枝が寝ている布団の裾に潜り込み、大杉の自信たっぷりの雑誌発行計画を笑いながら聞いていた。
すると、来訪者があった。
..
第226回 オースギカミチカニキラレタ [2016/05/30 16:41]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)年十一月九日未明、神近に左頸部を短刀で刺された大杉は、神奈川県三浦郡田越村(たごえむら)逗子の千葉病院に入院した。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、大杉の傷は「右下顎骨下一寸の個所に長さ一・八センチ、深さ二・五センチの創傷」だった。
大杉の容態は一時思わしくなかったが、夕刻にはだいぶ回復して、話ができるようになったので、医師は一命に別状はないだろう、と診断する。
病院に..
第197回 カンシヤク玉 [2016/05/20 14:24]
文●ツルシカズヒコ
五月八日の夕方、読売新聞社を訪れた大杉だったが、荒川義英も同社に来ていたので、大杉、土岐、安成、荒川の四人は一緒に社を出た。
すると一行は道で荒畑寒村に遭遇した。
ともかくみんなでカフェ・ヴィアナに入った。
いろんな話のついでに、野依秀一の話になり、彼を呼ぼうということになった。
当時の野依は二年前に起こした愛国生命保険恐喝事件の保釈(仮出獄)中の身だったが、不謹慎活動により禁固4年の実刑が確..