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第205回 スリバン [2016/05/22 14:21]
文●ツルシカズヒコ
女の世界もとうたうやられましたか。
すると、もう私達は何も云ふ事が出来なくなつた訳でせうか。
しかし、他の人に云へる事が何故私達が云つてはいけないのでせうね。
着物の心配までして下さつてありがとう。
もうお天気の今日には暑くてセルを着られませんから、直ぐと単衣(ひとえ)でゐられます。
従妹から湯上りに着るのを二反送つてくれました。
それを仕立てて着てゐればよろしうご..
第196回 豆えん筆 [2016/05/20 14:07]
文●ツルシカズヒコ
大杉栄、堀保子、神近市子、伊藤野枝ーー当事者たちに会って、今回の騒動の真相を知りたいと考えたジャーナリストがいた。
『女の世界』編集長の安成二郎である。
安成の視点は新聞記事から一歩踏み込んだ、雑誌ジャーナリズムの視点だった。
安成は大杉が保子という正妻がありながら、神近という愛人を持ったことにはジャーナリストとしての関心はほとんどなかったが、野枝の出現にもかかわらず大杉と神近との関係が途絶えていな..
第193回 パツシヨネエト [2016/05/19 14:26]
文●ツルシカズヒコ
一九一六(大正五)年五月三日、野枝は大杉から三通目の手紙を受け取った。
……三十日と一日の二通のお手紙が来ている。
本当にいい気持になつて了つた。
僕はまだ、あなたに、僕の持つてゐる理窟なり気持なりを、殆ど話した事がない。
それでも、あなたには、それがすつかり分つて了つたのだ。
二ケ月と云ふものは、非常な苦しさを無理に圧へつつ、全く沈黙してあなたの苦悶をよそながら眺めてゐた..
文●ツルシカズヒコ
野枝は『中央公論』三月号と四月号に「妾の会つた男」五人の人物評を書いたわけだが、『中央公論』五月号は「伊藤野枝の批評に対して」と題された欄を設け、中村狐月と西村陽吉の反論を掲載した。
おそらく、狐月と西村が『中央公論』編集部に反論の掲載を要求したのだろう。
ふたりの反論文は小さな六号活字で組まれているので、そのあたりに編集部が仕方なくスペースを割いたふうな状況も感じ取れる。
狐月の文章には「伊藤野..
第182回 福岡の女 [2016/05/16 16:33]
文●ツルシカズヒコ
『中央公論』一九一六年三月号(第三十一年三号)に、野枝は「妾の会つた男の人々(野依秀一、中村狐月印象録)」を書いた。
野依は当時「秀一」であり、後に「秀市」と改名した。
野枝の上野女学校時代の恩師、西原和治が創刊した『地上』第一巻第二号(一九一六年三月二十日)に、野枝は「西原先生と私の学校生活」を寄稿したが、野枝がこの原稿を脱稿したのは二月二十三日だった。
フリーラブ問題が起きたころに執筆し..
第171回『門司新報』 [2016/05/14 13:03]
文●ツルシカズヒコ
『女の世界』(第一巻第四号・一九一五年八月)に載った「野依社長と伊藤野枝女史との会見傍聴記」について、野枝はしきりに反省している。
……あの野依(のより)と云ふ人を厭な人だとは勿論思ひません。
どちらかと云へば気持のいゝ人の方ですがーーあの人の態度とか思想とかについては私とは何のつながりもないことを知りすぎてゐました。
其処で私の不純な悧巧が頭をもたげたのです。
おまけに向ふの問ひ方..