2016年05月14日
第171回『門司新報』
文●ツルシカズヒコ
『女の世界』(第一巻第四号・一九一五年八月)に載った「野依社長と伊藤野枝女史との会見傍聴記」について、野枝はしきりに反省している。
……あの野依(のより)と云ふ人を厭な人だとは勿論思ひません。
どちらかと云へば気持のいゝ人の方ですがーーあの人の態度とか思想とかについては私とは何のつながりもないことを知りすぎてゐました。
其処で私の不純な悧巧が頭をもたげたのです。
おまけに向ふの問ひ方が少なからず不真面目でしたから私もその気になつてお相手になつて居りました。
私は何故あの場合あくまで私の信実をもつて、真面目をもつてあの人に当らなかつたらう。
……明日に迫まつた金の為めに困りぬいてあすこに行つたと云ふことが一番の私の弱味でした。
(「九州よりーー生田花世氏に」/『青鞜』1915年9月号・第5巻第8号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p263~264)
しかし、野枝はこのときの失態をカバーすべく、後に野依についてこう書いている。
思つたことを遠慮なく云ふことは気持のいゝ事です。
非常に可愛らしい処のある気持のいゝ人ですが、気の毒な事には、その唯一のおどかしは凡(すべ)ての人に役立つ丈(だ)けの深味も強みも持つてゐません。
随分世間には氏を悪党のやうに云つてゐる人もあるけれども決して悪党でも何でもないと思ひます。
悪党処か善人なのだと思ひます。
善人が頻(しき)りに虚勢を張つてゐると云つた格です。
(「妾の会った男の人々」/『中央公論』1916年3月号・第31年第3号・通巻328号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p337)
八月十八日、野枝は中村狐月に手紙を書いた。
こちらにまゐりましてから……東京からは後から/\いろ/\な面倒なことを言つて来たり……本当によはりきつて居ます。
原稿も是非かゝねば申訳がないと思ひながらそんなこんなで何もかけません。
九月号が出来ねばどうにもおちつくことが出来ないやうな気がします。
海を見ても山を見てもなか/\呑気(のんき)な気持になれません。
久保田氏の小説は大変いゝと思ひました。
こちらもまだなか/\あつうございます。
東京もおあついでせうね。
八月十八日ーー狐月様ーー 野枝
(「消息」/『第三帝国』1915年9月1日・第50号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p270)
『定本 伊藤野枝全集 第二巻』「消息」解題によれば、「久保田氏の小説」とは、『青鞜』(第五巻第八号)に載った久保田富江「姉」のこと。
野枝は福岡滞在中に『門司新報』の記者から取材を受けている。
『青鞜』の販促と世間の「新しい女」に対する誤解を解くために、野枝の方から『門司新報』に売り込んだのである。
記者の取材を受けた場所は西職人町の代準介の家だった。
そのときの野枝の風体はーー。
自筆の英字が書かれた白地の帯。
妊娠九ヶ月の無遠慮に大きなお腹、そのために角立った眦(まなじり)。
取り乱した女優髷。
記者には非美術的に映ったが、「新しい女」らしいとも思った。
野枝はこういうコメントを残している。
「青鞜は一時二千以上も刷ましたが此頃は千位に減ました上に
最初がほんの道楽に初めた仕事で広告など持つて来れば載せて遣るといふ遣方であつたものですから
今になつて欲しいと思つても思ふやうに集まらず経営には可なりの骨が折れます
販売でも集金の面倒や何かで一手に請負はしてあります、
所が請負人が売れ残りは一冊でも引受けないさうで大概な本屋が買取つて呉れず
九州の本屋には一軒も売捌く家がありません、
其れで今度来た序(ついで)に福岡では丸善其の他二三軒に寄つて頼んで来ましたが
門司では然るべく御吹聴を願ひたう存じます、
出方は千位ですが純文芸雑誌で千出るといへば早稲田文学でも千位なものだし
新潮文章世界は行き方が違つてゐて僅かしか出ないからまあ悪い方でもないでせう」
「妾(わたし)等は社会に誤解されました、
思ふて見れば各方面から随分圧迫を蒙りましたが実に馬鹿/\しい話で
紅吉が遊郭に上つたという事でも只遊郭の模様を見に行つたまでゝ上つた上らないといふには訳が違ひます
上つた処で仕様もないではありませんか、
カフエーで酔払つて乱暴するなどゝいふ事も嘘です
尤(もつと)も平塚さんは酒が好きで宅でも晩酌を遣る位だから
カフエーなどでも飲む事がありますが好き丈けに強くて酔払ふやうな事はありません
本当に酔つたのは妾でも一二回しか見た事がない
夫(そ)れをあのやうに言ひ囃されるから困ります」
(「新しい女伊藤野枝子からお話を聴問(ママ)の記」/『門司新報』1915年9月11日/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p425)
★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)
★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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