2016年05月14日
第172回 早良(さわら)炭田
文●ツルシカズヒコ
野枝と辻はなぜ今宿に四ヶ月もの長逗留をしたのかーー。
野枝は第二子を出産するころ、ある「決心」をしていたと書いている。
……私はとう/\決心したのです。
……母に一時だけ子供をつれて田舎にひとりで行かして貰ひたいと切り出したのです。
そしてTには自分の生活をもつと正しくするために少し考へたいから、とにかく暫(しばら)く別れてみたいと云つたのでした。
そして双方から承諾を受けたのです。
(「成長が生んだ私の恋愛破綻」/『婦人公論』1921年10月号・第6年第11号/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p302)
野枝は実家で出産するついでに辻との一時的な別居を決行するつもりだったが、なぜか辻も一緒について来てしまった……。
と、推測できるが、なぜそうなったのかは不明。
「成長が生んだ私の恋愛破綻」には、野枝の心が辻から離れていく過程が詳細に記されているが、野枝が別居を決意したのは簡単に言えば、辻と一緒に暮らしていくことに意味を見出せなくなったからである。
谷中村問題について議論した際に、ふたりの「思想」の違いが明確になった。
野枝は当初、辻が唱える個人主義の信奉者であったが、エマ・ゴールドマンの生き方に自分の行き甲斐を見出した。
つまり、野枝はアナキズムにすでに踏み出していた。
一方、辻は個人主義をより掘り下げたダダイズムに自分のスタンスを見出した。
ふたりの「思想」の違いが明確になった時点で、野枝にとって辻との同棲は意味がなくなった。
それなのに、辻と同棲することは、野枝に家事の負担をかける以外のなにものでもなくなった。
二十歳そこそこの野枝は、これから先も成長し続けたいと強く思っていた。
野枝にとって辻は自分の成長を促す存在だったが、ここに至って辻は野枝の成長を妨げる存在になったのである。
辻と同棲を続ければ、主婦で一生が終わってしまうという強い危機感が野枝にはあった。
今宿に帰郷する直前にふたりは入籍しているが、その理由はなんだったのだろうか。
辻と野枝はお互い嫌になったら、離婚をすることを原則として暮らしていたが、近々生じるだろう離婚を前提とした入籍だったのかもしれない。
野枝がなぜ家族連れで郷里に帰り、体が丈夫でお産も軽い彼女がなぜ四ヶ月も長逗留したのか。
らいてうはこう推測している。
二人のこの旅行は、お産のためとはいえ、東京での行き詰つた生活や、忙しい仕事から離れて、傷ついた二人の間の愛を、ふたたびもとにかえしたいふたりの願いがあってのことではなかったでしょうか。
少なくとも辻さんへの執着を恨みながら、ときに憎みながらも絶ちきれずにいた野枝さんの最後の努力ではなかったでしょうか(辻さんの野枝さんへの愛は、ほんとうに初めから終りまで変わらなかったとわたくしは思っています)。
そして野枝さんは、なお「青鞜」を辻さんをたよりにどこまでも続けたく、そのためには、今度の赤ちゃんを郷里の適当な人に預けようと考えてもいたのです(このことは野枝さんから直接きいた覚えがあります)。
(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p604)
野枝は福岡滞在中に『福岡日日新聞』に随筆「代々木へ」を寄稿した。
郷里から山田邦子に宛てた書簡形式の文章である。
野枝の今宿の実家のすぐそばに桟橋があり、そこに大きな帆船がやって来て石炭を積み込む。
石炭は炭坑から貨車でその桟橋まで運ばれ、野枝の実家の横に山のように積まれている。
石炭を貨車から出し、船にかつぎ込む人夫が二十人以上もいて、彼らは毎日、朝から夜半まで、暴風雨の日も休みなく働いている。
そういう肉体労働者を見て、野枝はこんなことを書いている。
……別だんに皆それが苦痛らしい顔もしてはゐません。
『働く』と云ふその事があの人たちにとつては『生きてゐる』と云ふことそのものになつていゐのですね、
何の矛盾も苦悶もなさそうな単純なあの人たちの生活に比較して、
私たちの生活は何といふ惨苦な色彩を帯びてゐることでせう。
一挙手一投足にも何かの理屈なしには動けないやうな私達の苦しい生活はむしろ彼(あ)の人達よりずつと不自然でそして不自由な生活ではないかしらとまで思ふことがあります。
(「代々木へ」/『福岡日日新聞』1915年10月4日/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p272)
野枝が言及している炭坑とは、早良(さわら)炭田のことである。
「大正期『早良炭田』における炭鉱業」には「第一次大戦に伴う好況時代に入ると 本格的な採炭がはじまった」とあり、野枝が帰郷していた時期がまさにその時期だったのだ。
野枝は「代々木へ」の中で宗教への疑問も投げかけている。
一(まこと)を連れて浜に出ていたときに、バイブルウーマンを見かけたことが、野枝にそれを書かせるきっかけになった。
私は神の存在を否定しやうとはしないのです。
けれども私はそれに自分のすべてをあげて信頼しやうとは思ひません。
自分の生活は自分の力でさゝえてゆく。
私は沼波瓊音(ぬなみ・けいおん)氏の『新免武蔵』を読みました時あの武蔵と云ふ人の幾つかの信条の中に『神を信じて頼らず』と云ふ一ケ条には深く敬服しました。
(「代々木へ」/『福岡日日新聞』1915年10月4日/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p273)
「代々木へ」『定本 伊藤野枝全集 第二巻』」解題によれば、『新免武蔵』は単行本『乳のぬくみ』(平和出版/一九一五年五月)の「附録」に収録されている「覚者新免武蔵」のこと。
★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)
★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)
★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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