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第349回 典獄面会 [2016/09/13 20:29]
文●ツルシカズヒコ
大杉栄「コズロフを送る」によれば、 一九二一(大正十)年七月三十日にラッセルを横浜埠頭で見送った大杉は、そこでイワン・コズロフと遭遇した。
ラッセルが神戸で日刊英字新聞『ジャパン・クロニクル』の主筆ロバート・ヤングを訪れた際、ヤングがラッセルに当時同紙の記者をしていたゴズロフを紹介し、彼がラッセル一行の案内役を務めることになったのである。
ラッセルは「この人のおかげで、私は東京に着く前に、すっかり日本..
第318回 夜逃げ [2016/08/09 13:44]
文●ツルシカズヒコ
葉山に住んでいたコズロフが、鎌倉の大杉宅にふとやって来たのは、十月初旬のころだった。
コズロフはしきりに何かを大杉に訴えていたが要領を得ず、大杉は何を言っているのかわからないまま、大杉がよくやる手でウンウンと頷いてわかったような顔をしていた。
『分りましたか?』
云ふだけの事を云つて了つたあとで、コズロフは日本語で云つた。
僕は顔をあげて彼れの顔を見た。
すると、不思..
第271回 クララ・サゼツキイ [2016/07/02 22:34]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九一八(大正七)年十一月一日に開かれた同志例会で、外国の新聞や雑誌の情報を入手していた大杉は、近くドイツで革命が起きることを予見したという。
ドイツでは十一月三日にキール軍港の水兵の反乱が起き、十一月九日に皇帝が退位、ワイマール共和国が誕生する革命が進行中だった。
ドイツが連合国との休戦協定に調印し、第一次世界大戦が終結したのは十一月十一日だった。
十一月十五日..
第265回 大杉栄と代準介 [2016/06/29 16:47]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正八)年六月、野枝は安谷寛一に葉書を書いた。
宛先は「神戸市外東須磨」(推定)。
発信地は「南葛飾郡亀戸町二四〇〇番地」(推定)。
其後いかゞ。
お子達はお丈夫ですか。
私の処の赤ん坊もやう/\のことでなをりました。
手なしでいろんな仕事がちつとも進行しないので、当分の間仕事を持つて九州に行くことにしました。
此の家は今月一杯です。
秀世さん..