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第334回 聖路加病院(四) [2016/08/27 13:18]
文●ツルシカズヒコ
「ああしてあのベッドの上で死んでいくのだろうか?」
野枝の頭の中は不安でいっぱいになった。
しかし、やがて彼女の気持ちは不思議なほど澄んできた。
二、三日前からいろいろな見舞いの葉書が届いていた。
その中にはまったく見も知らぬ人からの、心からの祈りが記された見舞い状もあった。
そして、野枝の脳裏に今までの大杉の生き様が浮かんできた。
野枝は大杉と暮らすようになって..
第332回 聖路加病院(二) [2016/08/24 19:04]
文●ツルシカズヒコ
「大杉栄の死を救う」によれば、大杉の病名がチブスと決定し、同時に気管支カタルを併発したのは、一九二一(大正十)年二月二十日だった。
「大杉栄の死を救う」には、大杉の容態の推移が詳細に記されている。
聖路加病院の病室で野枝が一番に気にしていたのは、室温だった。
部屋が広いので石炭ストオブに石炭をドンドン入れても、なかなか暖まらなかった。
左には広い部屋があり人気がなく、右は壁で壁の向..
第331回 聖路加病院(一) [2016/08/23 17:22]
文●ツルシカズヒコ
一九二一(大正十)年二月十三日の正午、野枝は福岡から上京した叔父・代準介の乗った列車を横浜駅で迎え、すぐに「病室」に戻った。
村木には魔子を連れて鎌倉に帰ってもらった。
大杉の熱は少しも下がらなかった。
大杉は体が非常にだるいと訴えたが、元気はいつもどおりで、平常どおりに話し、妊娠中の野枝の体の心配までしてくれた。
二月十四日、大杉の入院が決定した。
『労働運動』の仕事、..
第330回 チブス [2016/08/22 14:16]
文●ツルシカズヒコ
伊藤野枝「大杉栄の死を救う」によれば、一九二一(大正十)年二月九日、大杉は有楽町の「病室」から午前中に鎌倉に行き、その晩は自宅に泊まった。
翌二月十日、天気がよかったので野枝、大杉、魔子、そして遊びに来ていた労働運動社の和田久太郎の四人は、馬車で金沢に遊びに出かけた。
金沢は当時、神奈川県久良岐郡(くらきぐん)金沢町、現在の横浜市金沢区である。
その日は馬車の窓を開けていても、ポカポカするような暖..
第324回 露国興信所 [2016/08/16 16:35]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年十二月十二日の夕方、近藤栄蔵が近藤憲二に案内されて鎌倉の大杉宅にやって来た。
近藤栄蔵は日本社会主義同盟の大会に出席するために、神戸から上京していた。
高津正道『旗を守りて』によれば、ロシア共産党の極東責任者のヴォイチンスキーから二千円を受け取っていた大杉は、この金を元にアナ・ボル共同戦線の週刊新聞の発刊を計画していた。
大杉が堺と山川に相談すると、ふたりは承諾しなかったが..
第280回 森戸辰男 [2016/07/07 16:16]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年五月二十三日、大杉が尾行巡査を殴打した。
新聞はこう報じている。
……大杉栄(三五)が去る五月二十三日 千葉県東葛飾郡葛飾村字小栗原七 藤山山三郎方にて 船橋署の尾行巡査安藤清に退去を迫り応ぜずとて 同巡査を殴打し左唇内面口角下(さしんないめんこうかくか)に負傷せしめたる事件……
(「東京朝日新聞」1919年8月5日)
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、 尾行は長..