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第341回 赤瀾会(二) [2016/09/03 14:32]
文●ツルシカズヒコ
『改造』一九二一年六月号に「赤瀾会の真相」が掲載されたが、山川菊栄「社会主義婦人運動と赤瀾会」とともに、野枝も「赤瀾会について」を寄稿している。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、『改造』同号には「赤瀾会の人々」という紹介記事も掲載されたが、五月一日のメーデーに初めて婦人団体として参加した赤瀾会が一躍注目を浴びたからである。
三千字ぐらいの原稿のうち、三分の二ぐらいが当局の検閲によって削除され伏せ字にさ..
第314回 航海記 [2016/08/04 17:54]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年六月十五日に開かれた労働運動同盟会の例会で、岩佐作太郎が尼港事件のパルチザンを話題にした。
大杉はパルチザンについてこう書いている。
パルチザンの首領が何んとか云ふ無清酒主義者で、其の秘書官がやはり何んとか云ふヒステリイ性の食人鬼、女無政府主義者だ、と事ふ(ママ/※「云ふ」であろう)やうな事も、誰も問題にはしなかつた。
厄介な手に負へない奴は、何処ででも皆な無政府主義者にし..
第261回 MAKO [2016/06/27 10:12]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正七)年三月六日の夕方、野枝は牛込区市谷富久町の東京監獄から、南葛飾郡亀戸町の家に帰宅した。
野枝は大杉に宛てて手紙を書いた。
今日は、あの寒い控所に小半日待たされました。
そして碌そつぽ話も出来ないんですもの、あれではあんまり呆気なさすぎますわ。
本当に、文字どほりに『面会』と云ふだけなんですね。
話くらい、もう少し自由にさしてもよささうなものですのにね。..
第255回 東京監獄・面会人控所(一) [2016/06/21 21:11]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正七)年三月六日。
橋浦時雄のところに魔子を預けた野枝は、大杉に面会するために牛込区市谷富久町にある東京監獄に行った。
朝は煙るような雨であった。
伊藤野枝女史がマ子ちゃんを連れて来て、まだ床を離れぬ僕の側に寝かせて帰る。
今日は東京監獄に面会に行くという。
(『橋浦時雄日記 第一巻』)
「監獄挿話 面会人控所」(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』)によれ..
第254回 カムレエドシップ [2016/06/19 13:57]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正七)年三月四日、牛込区市谷富久町にある東京監獄に面会に行った野枝は、そこで堺利彦と遭遇した。
堺は大杉グループとは無関係の大須賀を巻き込んだ大杉の無謀を、非難がましく野枝に当てつけた。
堺の腹の中を見せつけられた野枝は、軽蔑こそすれ腹立しいとは思わなかったが、憎悪と憤りを感じずにはいられなかった。
野枝は今回のようなことはいずれ起こるだろうという覚悟があったので、大げさな心配や興奮は一切..
第253回 日本堤 [2016/06/19 12:07]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正七)年三月一日、下谷区上野桜木町の 有吉三吉宅で開かれた労働運動研究会例会に参加した、大杉、和田、久板、大須賀健治の四人は、池之端のレストランで食事をしながら直接行動と政治運動との是非を議論した。
大須賀は山川均の死別した妻、大須賀里子の甥である(『橋浦時雄日記 第一巻』)。
山川を頼ってこの年の一月に愛知県から上京し、二月に堺利彦が経営する売文社に受付係として入社したばかりだった(堀切..