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第147回『三太郎の日記』 [2016/05/07 19:44]
文●ツルシカズヒコ
『青鞜』一九一五(大正四)年三月号「編輯室より」が、野枝の『青鞜』二代目編集長としての孤軍奮闘、いや悪戦苦闘を伝えている。
●毎月校正を済ますとほつとしますけれども直ぐ後からいら/\して来ます。何故こう引きしまつたものが出来ないのだらうと情なくなつてしまひます。自分の無能が悲しくなります。でも兎(と)に角(かく)出来る丈よくしたいと努力はしてゐます。二カ月三カ月と進んでゆくにしたがつてだん/\苦しくなつて来ます..
第81回 第二の手紙 [2016/04/14 12:55]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年六月二十四日の朝、辻が出かけるとすぐに「京橋釆女町(うねめちょう)にて」と裏書きされた、荘太からの手紙が届いた。
それは荘太が前日の夕方に書いた手紙だった。
野枝は前夜、荘太への手紙を書こうとしたが疲れていたので書かなかったので、書き遅れてしまったと思った。
そして、何かしらその手紙を開けたくないような気もしたが、開封して読んでみた。
野枝は昨日、話すべきことを話さなかった..
第68回 枇杷の實 [2016/04/03 11:08]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年四月初旬、辻潤と野枝は芝区芝片門前町の間借り住まいをやめ、染井の家での生活に戻った(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』_p190)。
上山草人(かみやま・そうじん)の家を訪れた興奮の夜の後も、野枝は紅吉に三回ばかり会った。
紅吉はあいかわらずらいてうの悪口を言ったが、あの夜ほど興奮してはいなかった。
巽画会展覧会に出す下描きができたなどの話をした。
このころ紅吉は根津神..
第62回 女子英学塾 [2016/03/31 22:06]
文●ツルシカズヒコ
「青鞜社第一回公開講演会」の翌日、『東京朝日新聞』は「新しき女の会 所謂(いはゆる)醒めたる女連が演壇上で吐いた気焔」という見出しで、こう報じた。
当代の新婦人を以て自任する青鞜社の才媛連は五色の酒を飲んだり雑誌を発行する位では未だ未だ醒め方が足りぬと云ふので……神田の青年会館で公開演説を遣(や)ることになつた
▲定刻以前から変な服装(なり)をして態(わざ)と新しがつた女学生や
之から醒めに掛つ..
第61回 青鞜社講演会 [2016/03/31 19:56]
文●ツルシカズヒコ
「玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて政敵を倒さんとするものではないか」
立憲政友会党員の尾崎行雄が、桂太郎首相弾劾演説を行なったのは、一九一三(大正二)年二月五日だった。
前年暮れに成立した第三次桂内閣への批判は「閥族打破・憲政擁護」のスローガンの下、一大国民運動として盛り上がり、二月十日には数万人の民衆が帝国議会議事堂を包囲して野党を激励した。
議会停会に憤激した民衆は警察署や交番、御用..
第43回 南郷の朝 [2016/03/23 18:59]
文●ツルシカズヒコ
青鞜社内からも非難され追いつめられた紅吉は、らいてうの短刀で自分の腕を傷つけた。
いったいどういう激情に動かされたものか、自分を責めようとする激動の発作からか、紅吉は自分の左腕に刃物をあてたのでした。
厚く巻いた繃帯をほどいて、その傷を眺めたとき、それはわたくしに対して示された、紅吉のいじらしい愛の証しを語るもののようでありました。
(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下..