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2016年03月23日

第43回 南郷の朝






文●ツルシカズヒコ






 青鞜社内からも非難され追いつめられた紅吉は、らいてうの短刀で自分の腕を傷つけた。


 いったいどういう激情に動かされたものか、自分を責めようとする激動の発作からか、紅吉は自分の左腕に刃物をあてたのでした。

 厚く巻いた繃帯をほどいて、その傷を眺めたとき、それはわたくしに対して示された、紅吉のいじらしい愛の証しを語るもののようでありました。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p379)


 と、らいてうは後に淡々と語っているが、らいてうが紅吉に繃帯を取って傷を見せてもらう場面をリアルタイムで書いた文章には、らいてうの紅吉への強い「愛情」が表れている。


「見せて、見せて、ね、見たい。見たい。」

 私の心は震えた。

 ……紅吉は只一人を守らうとする恋の為に私の短刀で……柔らかな肉を裂き、細い血管を破ったのだ。

 私は何でもそれを見なければならない。

 長い繃帯が一巻/\と解けて行く。

 二寸ばかりの真一文字に透明な皮膚の切れ目からピンク色の肉が覗いている。

 もう血は全く出ない。

 私は膓(はらわた)の動くのを努めて抑へた。

 そしてぢつと傷口を見詰めながら、真直に燃える蝋燭の焔と、その薄暗い光を冷たく反射する鋭利な刀身と熱い血の色とを目に浮べた。

「血はどうしたの? すすつて仕舞つた?」

「とつてあります。」

 傷口は石灰酸で消毒された。

 私は又もとのように心を入れて繃帯した。

 私は自分の身体の震へるのに注意した。


(らいてう「円窓より」/『青鞜』1912年8月号・第2巻8号_p80~81)

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 そんな折りも折り、結核を発病した紅吉は、茅ヶ崎の南湖院に入院した。

 一九一二(大正元)年七月十四日のことである。
 
 南湖院は日本女子大の校医である高田畊安(こうあん)が経営するサナトリウム(結核療養所)で、らいてうの姉である孝や保持も入院したことがあった。

 地名の南湖は「なんご」と読むが、高田が濁音を嫌い「なんこいん」と命名した。

 保持は青鞜社の仕事をやりながら、南湖院の事務の手伝いなどをしていたので、紅吉の入院中の面倒をみることになった。

 らいてうも茅ヶ崎に来た。

 当時、南湖院の付近には旅館がなかったので、見舞う人や予後を養う人のための貸間があり、らいてうは南湖下町の「良助」という漁師の家に一間を借り、九月発行の『青鞜』一周年記念号を編集することになった。

 そこへ荒木郁が訪れ、『青鞜』創刊の肝いりと言われる生田長江が妻を伴い避暑にやって来た。

 さらに、らいてうの日本女子大・家政科時代からの親友で、尼崎で教師をしていた木村政子も学校の夏休みを利用してやって来た。

 入院中の紅吉も、らいてうが借りている部屋に押しかけてきたので、あたかもその部屋は『青鞜』編集部が移ってきたような賑わいになった。

 紅吉はらいてうのそばにいられる幸福にひたっていた。


 毎日五時頃から紅吉は遊びに行きます。

 食事と診察と深夜(よなか)だけ病院にゐて、あとは、みんならいてうの家で邪魔ばかりしてゐる。

 毎日海岸に寝ころむでゐるものですから真黒になつて丁度「ぐるみ」の様になつてゐます。

 らいてうも紅吉のおかげで大変に日に焼けました、東京に帰つたらきつとみんなが驚くでしよう。

 今こんな暑ついのに毎日一生懸命に一葉全集を読むでゐます。

 その内になにか書くつもりなんでしょう。


(紅吉「南湖便り」/『青鞜』1912年9月号・第2巻9号_p223)


 らいてうが一葉全集を読んでいたのは、『青鞜』十月号に寄稿した「女としての樋口一葉」の原稿を執筆するためだった。





 そうしたある日、生田先生御夫妻を誘ってみんなで馬入川(ばにゅうがわ)の河口に出かけ、船遊びや釣りをたのしんで半日を賑やかに遊びました。

 その日、南郷(馬入川が海へそそぐ河口あたりの地名)の弁天さまの境内で、記念写真をとったものが、大正元年九月の一周年記念号に載っております。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p380)


 船遊びや釣りに行く前に弁天さまの境内で撮った写真は、「南郷の朝」と題して『青鞜』一周年記念号である九月号に掲載された。

 長江夫妻、らいてう、荒木郁、紅吉、保持、木村政子が写っている。

 青鞜社の伸び伸びとした自由な雰囲気が伝わる写真である。

「醜聞」にも負けず、創刊一周年を前に溌剌としている青鞜社の空気が感じ取れる。

 明治天皇の崩御は七月三十日であるが、それからまだひと月も経っていないころ、『青鞜』は青春の真っ只中にいた。

 らいてうはこう回想している。


「天皇」を意識することも、社会に目を向けることも少ないこのころのわたくしたちでしたから、茅ヶ崎の海べの香にみちた一周年記念号には、世を挙げての諒闇(りょうあん)色といったものは、なにひとつ反影されていないのでした。

(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p390)





 らいてうはこの「南郷の朝」という写真を見ると、思い出すことがあると書いている。

 船遊びや釣りをした後、らいてうたちは長江夫妻と別れて、らいてうが借りている部屋に集まった。


 そのとき荒木さんが「生田先生はどうもわるい病気らしい」といい出しました。

 生田先生が毎月一回くらいお留守になられ、帰ってこられるときっと顔のどこかに小さな、小さな絆創膏の貼られていることや、手先の動きがどこかぎこちなく不自由そうなのを、先生御自身がふだん「リューマチ」というふうに説明されていることは知っていました。

 けれども荒木さんのいう意味の「病気」とは考えおよばなかっただけに、「そんなこと軽率にいうもんじゃない」と、みんなで荒木さんをたしなめました。

「だって、あのマッチをする手つきを見たら分かることでしょう。確かにそうです」と、荒木さんはいつまでも自分のいい出した「病気」説を主張してやまなかったのでした。


(『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』_p390)


 荒波力『知の巨人 評伝 生田長江』(p119)によれば、長江がハンセン病を発病したのは一九一〇(明治四十三)年の夏ごろだった。





 紅吉「南湖便り」によれば、らいてうたちが写真撮影をし、船遊びをしたのは八月二十一日か二十二日ごろだった。


 …生田先生と一所に弁天さまの境内で写真を写つしたのです。

 漁師の子供がうぢやうぢや出て来て、いろんなことをからかふものだから紅吉は本気になつて怒りだしたのです、そんな時パチンとやられたもんだから紅吉は不良少年のようにとれたのです。

 らいてうは、毎日不良少年、不良少年つて呼むでゐます。

 らいてはまるつきりロゼツチの描く女の様です、白雨は一番叔母さんらしくすましこむだのです。

 写真を写すとすぐ馬入川に出かけました。

 あつちこつちの岸に舟をつけて釣りをやつたのです。

 荒木さんは鰻ばかり釣り出すので、その度に紅吉は蛇だ蛇だと云つて真青にになつてゐました。

 いつも釣れそうになつたり、魚が集りそうになつたら紅吉は水を動かしたり場所をがたがた換へて仕様がないことをやり出すのです。

「はぜ」が一匹はねたといつちや、ばたばた動くのでみんなが大弱りしてゐました。

 この日一日で生田先生もらいてうも、叔母さんも荒木さんも真赤に焼けてしまいました。


(紅吉「南湖便り」/『青鞜』1912年9月号・第2巻第9号_p223~224)


南湖院 ※馬入川



★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)

★荒波力『知の巨人 評伝 生田長江』(白水社・2013年2月10日)





●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



posted by kazuhikotsurushi2 at 18:59| 本文
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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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