2016年03月31日
第61回 青鞜社講演会
文●ツルシカズヒコ
「玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代へて政敵を倒さんとするものではないか」
立憲政友会党員の尾崎行雄が、桂太郎首相弾劾演説を行なったのは、一九一三(大正二)年二月五日だった。
前年暮れに成立した第三次桂内閣への批判は「閥族打破・憲政擁護」のスローガンの下、一大国民運動として盛り上がり、二月十日には数万人の民衆が帝国議会議事堂を包囲して野党を激励した。
議会停会に憤激した民衆は警察署や交番、御用新聞の国民新聞社などを襲撃した。
桂内閣が発足からわずか五十三日で総辞職に追いこまれたのは、二月二十日だった。
神田区美土代(みとしろ)町の東京基督教青年会館で「青鞜社第一回公開講演会」が開催されたのは、いわゆる大正政変の渦中、二月十五日、土曜日だった。
午後十二時半〜五時、会費二十銭。
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』によれば、講演会にはらいてうら青鞜社の社員はあまり乗り気ではなく、生田長江が張り切っていたため、らいてうらが動かされた旨の記述がある。
女子の政治結社への加入、および政治演説会に参加しまたは発起人たることを禁止する治安警察法第五条に抵触する可能性があったので、らいてうらがこの講演会を開催するには勇気を要しただろうと、岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』(p122)は指摘している。
荒波力『知の巨人 評伝 生田長江』(p139)によれば、「赤煉瓦のキリスト教青年会館は、神田区美土代町三丁目三番地(現・千代田区神田美土代町七番地)にあり、現在は住友不動産神田ビルが建っている。このビルの正面右側の敷地内に、跡地であることを示す小さな『YMCA会館記念碑』がある」。
さて当日は、千人の聴衆が集まり大盛況だった。
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p443)によれば、野次馬気分の男の聴衆ばかりが集まることを懸念して「男子の方は必ず婦人を同伴せらるる事」と予告で断っておいたが、三分の二は男だった。
聴衆の中には、大杉栄、前年に女子英学塾を卒業した青山菊栄がいた。
大杉豊『日録・大杉栄伝』(p103)によれば、福田英子(ひでこ)、石川三四郎、堺為子、辻潤らもいた。
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p445)によれば、福田英子は石川三四郎、坂本真琴(のちに青鞜社に入社)と一緒に二階の座席にいた。
堀場清子『青鞜の時代』(p159)によれば、女子英学塾の生徒も二十人くらい来ていたが、神近は来ていない。
青山菊栄は当日の様子をこう記している。
私も二、三の友達といっしょにいってみましたが、会場はなかなかの大入りで、六、七分通りは男の学生か文学青年というところ。
女もそうでしたろう。
新聞によく出る「新しい女」への同感と好奇心、当代著名の進歩的な文士の出演、とくに、妻子をすてて新しい愛人と同棲し、ゴシップの筆頭になっていた岩野夫妻への興味も相当あった様子。
(山川菊栄『女二代の記ーーわたしの半自叙伝』/山川菊栄『おんな二代の記』_p197)
『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(p443)、堀場清子『青鞜の時代』(p158)によれば、講演会は保持白雨(研子・よしこ)「本社の精神とその事業及び将来の目的」で始まり、以下のプログラムで進行した。
●伊藤野枝「最近の感想」
●生田長江「新しい女を論ず」
●岩野泡鳴「男のする要求」
ここでひと息入れて澤田柳吉(さわだ・りゅうきち)のピアノ演奏があった。
●馬場孤蝶「婦人のために」
●岩野清子「思想上の独立と経済上の独立」
●平塚らいてう「閉会の辞」
保持が先陣を切って演説したのは「弥次の飛ぶのを覚悟しなければならない、声の出ないらいてうをこんな時起たせてはいけない」と、保持自ら買って出たからである(堀場清子『青鞜の時代』p156)。
『読売新聞』『東京朝日新聞』などマスコミが翌日の紙面で報じた。
『読売新聞』は「丸髷で紅い気焔 新しい女の演説会 予言者と泡鳴の格闘」という見出しで、会場の雰囲気をこんなふうに伝えている。
静かに会場の把手(ハンドル)を押すと、嬌(なま)めかしい匂ひが颯(さつ)と迸(ほとばし)る、生田長江氏が演壇に立って、標題通り「新しい女」を論じてゐる最中であつた。
諸嬢星(しよぢようほし)の如きその後ろには保持白雨嬢が肉つきの好い体格をゆつたり椅子に凭(よ)せかけている。
左側にはストーブを中心にしてらいてう、紅吉、郁子の諸嬢が差し控へてゐる、
会が会だけに聴衆の半ばは女性、ことに廂髪(ひさしがみ)が主で、あとは丸髷(まるまげ)が二つ、島田(しまだ)が二つ、桃割(ももわ)れが一つあるばかり……。
(『読売新聞』1913年2月16日・3面)
以下、『読売新聞』の記事に沿って、生田長江から岩野清子までの講演の進行を追ってみたい。
長江は「新しき女」をこう定義した。
「独断かは知りませんが、新しき女とは古き思想古き生活に満足することのできぬ人、したがって婦人として従来の地位に満足せず、男と同等の、あるいはそれに近い権利を求めてい人」
荒波力『知の巨人 評伝 生田長江』は、こう記している。
長江は、尾崎行雄の不敬問題から入り、社会問題に触れ、言論の自由を束縛するのに暴力をもってする現状を憂いた後、本題に入った。
「独断かは知りませんが、新しき女とは古き思想、古き生活に満足することの出来ぬ人、従って婦人として従来の地位に満足せず、男と同等の、或はそれに近い権利を求めてい人」と定義した後、女性には女性の特色があり、その特色を生かして初めて意味のあるものになるのではないか、という趣旨の演説をしている。
演説の途中、会場から「や、そうだ」の掛け声が上がった。
(荒波力『知の巨人 評伝 生田長江』_p140)
長江に続いて岩野泡鳴が登壇したが、この泡鳴の講演中にハプニングが起きた。
予言者の宮崎虎之助が壇上に跳び上がり、顎髭に満身の激怒を含ませ居丈高に怒鳴った。
「岩野くん、君はたびたび妻を代えたそうだが、その理由を説明してもらいたい」
短気な泡鳴も黙ってはいない。
「黙れ! 馬鹿」
そのままふたりは鶏(にわとり)の蹴合(けあい)のように、むんづと組み合った。
霊を絶叫する予言者と肉を主張する半獣主義者の取っ組み合いは、現今の思想界を象徴しているような奇観を呈した。
聴衆は各自に声援するやら、野次るやら、混乱喧騒を極め、さながら閥族打破の会合のようだった。
宮崎が壇上から突き落とされ、ようやく椅子に復すと、泡鳴はやや声を震わせながら、さらに獣性野蛮性の発揮を説いた。
「無自覚な女を妻として同じ家庭の中に住まっていることができないから離縁した、いわば私はノラを男で行なったのだ」
澤田柳吉のピアノ演奏の後に登壇した馬場孤蝶は、従来の慣習を一掃した自覚を促した。
「現在、女が男に圧倒されているのは組織された力が組織されぬ力に打ち克っているのだ」
そして、
「今の時勢からは言えば、避妊もまたやむを得ぬ」
と孤蝶が言うと、再び宮崎が、
「馬鹿ッ」
と叫び立ち上がろうとしたが、そのまま腰を下ろした。
孤蝶は再三、こう繰り返して降壇した。
「私一個人の考えを述べたばかりで青鞜社には関係がない」
最後に登壇したのは岩野清子だった。
小紋縮緬(こもんちりめん)の着物に繻珍(しゅちん)の丸帯、大きい髷(まげ)を聳立(しょうりつ)させていた。
聴衆から盛んに拍手が起きた。
岩野はまず婦人の思想の変遷を語り、明治三十七、八年ごろに新聞記者をしていたころの体験を述べた。
女が政談演説を聴くことが出来ぬという、保安条例第五条(『読売新聞』では「保安条例第五条」と記されているが「警察保護法第五条」の誤記であろう)の削除を議会に提出したとき、いわゆる貴婦人たちに相談すると「いずれ良人(おっと)と相談しました上で」と答え、さらに「相談しましたが許されませんでした」という例を挙げ、声を大にして訴えた。
「いったい、男に相談しなければ何事もできないとは情けないことです」
最後にこう結んで壇を降りた。
「思想の上で自覚しても経済上の独立がなければ思想の自由を失い、不快な家庭に理解のない夫と住まなければならない。私が今度、女優になったのも、もちろん芸術のためには相違ありませんが、いちは夫の力を借りないでも生活してゆかれるためです」
きわめて理路整然、流暢な講演だった。
らいてうの微かな聲の閉会の辞につれて聴衆の散ずる頃は、もう黄昏になっていた。
※東京基督教青年会館2
★『元始、女性は太陽であった 平塚らいてう自伝(下巻)』(大月書店・1971年9月6日)
★岩崎呉夫『炎の女 伊藤野枝伝』(七曜社・1963年1月5日)
★荒波力『知の巨人 評伝 生田長江』(白水社・2013年2月10日)
★大杉豊『日録・大杉栄伝』(社会評論社・2009年9月16日)
★堀場清子『青鞜の時代ーー平塚らいてうと新しい女たち』(岩波新書・1988年3月22日)
★山川菊栄『女二代の記ーーわたしの半自叙伝』(日本評論新社・1956年5月30日)
★山川菊栄『おんな二代の記』(岩波文庫・2014年7月16日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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