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第300回 教誨師 [2016/07/21 10:05]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年一月二十二日、前年夏に豊多摩監獄に下獄した吉田一が出獄した。
行く先のない吉田は労働運動社に寄食することになった。
おしゃべりな吉田が獄中で唯一おしゃべりができるのが、教誨師の訪問を受けるときだった。
「だけんど、俺がたったひとつ困ったことがあったんだ」
吉田は博学な教誨師を無学な自分が論破した話を野枝にした。
あるとき教誨師が吉田に言ったという。
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第297回 スパイ [2016/07/17 16:21]
文●ツルシカズヒコ
荒木郁子と野枝は『青鞜』時代の仲間だったが、郁子の姉・滋子によると、荒木一家が営んでいた神田区三崎町の旅館、玉名館に野枝は大杉と魔子を連れて時々遊びに来ていたという。
魔子が三つか四つのころだというから、魔子が数え年で三つとは一九一九(大正八)年のころだろうか。
失(な)くなった岩野泡鳴さんとも、よく私のうちで、落合ふこともありました。
あんなにお互いの主義の違つた方々でしたのに、いつ..
第296回 豊多摩監獄(一) [2016/07/17 15:40]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年十一月八日と九日の午後、野枝は神田区錦町の貸席、松本亭を訪れた。
貸席は今で言えば、イベント会場などに使用される貸しホールである。
日本印刷工組合信友会を中心とする活版工諸組合が、労働八時間制を要求して同盟罷工をしている渦中だった。
罷工の中心となっている三秀舎は、信友会の組合員である婦人活版工たちの組織だったが、松本亭にその事務所を置いていた。
十一月八日は信友会が「..
第295回 婦人労働者の覚醒 [2016/07/15 13:34]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年十一月十三日、『労働運動』(第一次)第二号が発行された。
この号から野枝は「婦人欄」を担当し、婦人労働問題に関わっていく。
「婦人欄」を担当するにあたっての「御挨拶」で、野枝は田中孝子、与謝野晶子、平塚らいてうについて触れている。
過日友愛会婦人部の演説会に臨まれた田中孝子女史が、自分もアメリカで多少の苦学らしい事をしたから、労働の生活は知つてゐるつもりだと云つて、男子側..
第294回 労働運動の精神 [2016/07/13 22:27]
文●ツルシカズヒコ
月刊『労働運動』(第一次)第一号が発行されたのは、一九一九(大正八)年十月六日だった。
タブロイド版十二頁、定価は二十銭。
大杉が創刊趣旨を書いている。
労働者の解放は労働者自らが成就しなければならない。
これが僕らの標語だ。
日本の労働運動は今、その勃興初期の当然の結果として、実に紛糾錯雑を極めてゐる。
頻々として簇出する各労働運動者及び各労働運動団体の、各々の運動の..
第289回 出獄の日のO氏(一) [2016/07/11 22:38]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年八月八日、大杉は東京監獄から野枝に第二信を書いた。
シイツがはいつてから何にもかもよくなつた。
あれを広くひろげて寝てゐると、今まで姿の見えなかつた敵が、残らず皆んな眼にはいる。
大きなのそ/\匐つてゐる奴は訳もなくつかまる。
小さなぴよん/\跳ねてゐる奴も、獲物で腹をふくらして大きくなつてゐるやうなのは、直ぐにつかまる。
斯んな風で毎晩々々幾つぴち/\とやつつける..