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2016年05月09日

第157回 マックス・シュティルナー






文●ツルシカズヒコ




 大杉は野枝からの手紙に返事を書かねばならぬという、義務感に責められていた。

 しかし、どうしても書けない。

 書くならば、野枝への沸騰した情熱をストレートに表明した文面にならざるを得ないが、それもできない。

 大杉は野枝とふたりだけで会いたいと思ったが、会ったときの自分の情熱も恐かった。

 辻がいてもよし悪し、いなくてもよし悪しーーとにかく、彼女の家で会おうと大杉は思った。

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 月に一回ぐらいの二度めか三度めの訪問のときだった。

「いつかの谷中村のことね、その後どうして?」

 とうとう、大杉は思い切って、しかしごく臆病に、何かの話の隙を狙って言った。

「え?」

 大杉はびっくりしたらしい辻の短い叫び声に驚いた。

「いつかあなたが話したでしょう。あの谷中村のことさ」

 大杉は辻の方は見ないで再び野枝に話しかけた。

「ええ、あれっきりよ」

 野枝はにこにこしながら、そう言ったきりだった。

 辻は黙っていた。

 大杉はもうそれ以上、話を進めることができなくなった。





 大杉は話題をマックス・シュティルナーの名著『唯一者とその所有』に戻した。

 辻はこの本を自分のバイブルだと言い、尊崇し愛読していた。

 大杉もシュティルナーが好きだった、少なくとも、その徹底さが大好きだった。


 「私は唯一者だ。私の外には何者もない。

 「私は私以外の何者の為めにも尽くさない。

 「私は人を愛する。けれどもそれは利己心からの自覚があつて愛するのだ。それが私に気持ちがいいからだ。それが私を仕合にするからだ。私は人の犠牲になろうなどとは少しも思はない。ただ冷酷な事をするよりも、温情を以てする方が、人の心を得易いからだ。

 「私も亦私の恋人を愛する。そして其の眼差しの甘い命令に服従することがある。しかしそれとても矢張り私の利己心からである。

 「私は又、感覚のある一切のものに同情する。其の苦痛は等しく又私をも痛ましめる。其の快楽は等しく又私をも喜ばしめる。私は一と思ひにそれ等のものを殺す事は出来るが、しかしぢりぢりと虐め抜くと云ふやうな事は出来ない。それは私自身の良心の平静、私自身の完徳の感じを失ひたくないからでだ。

 「私は花と同じやうに天命とか天職とか云ふものを持たない。私は私以外の何者にも属するものでない。ただ私は、私の為めにのみ生きて、世界を享楽して、そして仕合せに生活する権利を要求するに過ぎない。

 「斯くして私が取る事の出来る、そして私が維持してゐる事の出来るものは、総て私のものだ。私の所有だ。

 「そして、それが為めには、すべての手段は私にとつて正当なものとなる。しかし私の権利を創つてくれるものはただ私の力あるばかりである。

 「ここに、一匹の犬が他の犬の持つてゐる骨片を見て、もし黙つて控へてゐるとすれば、それは自分があまりに弱いと感じたからである。人は他の持つてゐる骨片の権利を尊重する。それが人道だとして通つてゐる。そしてこれに反すれば、野蛮な行為、利己主義の行為だと云はれる。

 「利己主義者団体を組織せよ。何んの、財産は臓品なりなどと、愁訴するの要があらう。


(「死灰の中から」/『新小説』1919年9月号/伊藤野枝との共著『乞食の名誉』/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第三巻』_p598~599/日本図書センター『大杉栄全集 第12巻』_p283~284)


 辻と大杉は会うたびに、このシュティルナーの話をした。

 そして、ふたりはだんだん濃い友情に結びつけられていった。





 辻は「ふもれすく」の中で大杉について、こう書いている。


 ……あの大杉君の『死灰の中より(ママ)』はたしかに僕をして大杉君に対するそれ以前の気持ちを変化させたものであつた。

 あの中ではたしかに大杉君は僕を頭から踏みつけてゐる。

 充分な優越的自覚のもとに書いていることは一目瞭然である。

 それにも拘らず僕は兎角、引合に出される時は、大杉君を蔭でホメてゐるように書かれる。

 だが、それは随分とイヤ味な話である。

 僕は別段、改まつて大杉君をホメたことはない、唯だ悪く云はなかった位な程度である。

 僕のやうなダダイストにでも相応のヴァニチイはある。

 それは唯だしかし世間に対するそれではなく、僕自身に対してのみのそれである。

 自分はいつでも自分を凝視(みつ)めて自分を愛している、自分に恥かしいやうなことは出来ないだけの虚栄心を自分に対して持つてゐる。

 唯だそれのみ。

 若し僕にモラルがあるならば又唯だそれのみ。

 世間を審判官にして争う程、未だ僕は自分自身を軽蔑したことは一度もないのである。


(「ふもれすく」/『婦人公論』1924年2月号_p13/『辻潤全集 第一巻』_p395)





 野枝は『青鞜』一九一五(大正四)年五月号に「虚言と云ふことに就いての追想」を書いた。

 例の周船寺高等小学校四年時に体験した、Sという図画の先生の「虚言」を、六年後に活字にしたのである。

『青鞜』同号の「編輯室より」で、野枝は第十二回衆議院議員総選挙について言及している。


 此度の総選挙に婦人の運動者が多かつたと云つて首相や内相が英国の女権運動の如き運動の導火線になると困るとか何とか云つて禁止の意を仄(ほの)めかせられたと……新聞が大変なことのやうに挙(こぞ)つて報道した。

 併し日本の官憲の頑迷は今はじまつた事ではない。

 その彼等の心情は憐憫に価するけれども私は世間の人が気にする程戸別訪問の価値も認めないし、それが禁止されたとても何も大したことはあるまいと思ふ。

 また真にその禁止に向つて抵抗の出来る力をもつた婦人が幾人あるかと考へると私は到底禁止を妨害することなんか思ひもよらないことだと思ふ。

 もし真に必要にせまられた、根底のある、権威のある運動ならばどうしたつて官権の禁止位は何でも抵抗が出来る筈だ。

 併し日本の婦人の社会的な運動がそれ程までの力をもつて現はれる日がそんなに近い日であるとは私には思へない。

 その頃にはもう少し若い人たちの権威の時代であるかもしれない。


(「編輯室より」/『青鞜』1915年5月号・第5巻第5号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』_p213)


 当時の首相は大隈重信、内相は大浦兼武である。





 野枝は一度目の結婚からの出奔により、肉親から非難され、その肉親に反抗して辻との二度目の結婚をしたが、しかし、辻の肉親と自分の関係は他人であり、その点ではやはり今宿の家族には情愛を感じるという。


 ……私は愛する良人(おつと)の肉親に対して他人であつた。

 私は前に私が肉親にそむいた時の苦痛よりも更に幾倍も/\の苦しみをその交渉のうちにしなければならなかつた。

 けれども、私がそれ等の人々に対して不快な感を持つ程自分の肉親の愛を力強く思ひ出すことを私はぢつと眺めてすます訳にはゆかなかつた。

 良人は私が彼を愛してゐるやうに私を愛してくれる。

 さうして私が肉親を愛するやうに彼も肉親を愛するに違いない。


(「感想の断片」/『第三帝国』一九一五年五月五日・第三十九号/『定本 伊藤野枝全集 第二巻』p217~218)



※大杉栄「唯一者 マクス・スティルナー論

 ※辻潤『唯一者とその所有』


★大杉栄・伊藤野枝『乞食の名誉』(聚英閣・1920年5月)

★『大杉栄全集 第三巻』(大杉栄全集刊行会・1925年7月15日)

★『大杉栄全集 第12巻』(日本図書センター・1995年1月25日)

★『辻潤全集 第一巻』(五月書房・1982年4月15日)

★『定本 伊藤野枝全集 第二巻』(學藝書林・2000年5月31日)



●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index



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1955年生まれ。早稲田大学法学部卒業。『週刊SPA!』などの編集をへてフリーランスに。著書は『「週刊SPA!」黄金伝説 1988〜1995 おたくの時代を作った男』(朝日新聞出版)『秩父事件再発見』(新日本出版社)など。
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