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第296回 豊多摩監獄(一) [2016/07/17 15:40]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年十一月八日と九日の午後、野枝は神田区錦町の貸席、松本亭を訪れた。
貸席は今で言えば、イベント会場などに使用される貸しホールである。
日本印刷工組合信友会を中心とする活版工諸組合が、労働八時間制を要求して同盟罷工をしている渦中だった。
罷工の中心となっている三秀舎は、信友会の組合員である婦人活版工たちの組織だったが、松本亭にその事務所を置いていた。
十一月八日は信友会が「..
第295回 婦人労働者の覚醒 [2016/07/15 13:34]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年十一月十三日、『労働運動』(第一次)第二号が発行された。
この号から野枝は「婦人欄」を担当し、婦人労働問題に関わっていく。
「婦人欄」を担当するにあたっての「御挨拶」で、野枝は田中孝子、与謝野晶子、平塚らいてうについて触れている。
過日友愛会婦人部の演説会に臨まれた田中孝子女史が、自分もアメリカで多少の苦学らしい事をしたから、労働の生活は知つてゐるつもりだと云つて、男子側..
第294回 労働運動の精神 [2016/07/13 22:27]
文●ツルシカズヒコ
月刊『労働運動』(第一次)第一号が発行されたのは、一九一九(大正八)年十月六日だった。
タブロイド版十二頁、定価は二十銭。
大杉が創刊趣旨を書いている。
労働者の解放は労働者自らが成就しなければならない。
これが僕らの標語だ。
日本の労働運動は今、その勃興初期の当然の結果として、実に紛糾錯雑を極めてゐる。
頻々として簇出する各労働運動者及び各労働運動団体の、各々の運動の..
第293回 婦人労働者大会 [2016/07/13 13:03]
文●ツルシカズヒコ
第一次世界大戦の講和会議によって創設されたのが国際労働機関(ILO)だったが、その第一回国際労働会議が一九一九(大正八)年十月二十九日、ワシントンで開催されることになった。
その日本代表団の労働者代表が、政府の選出によって鳥羽造船所工場長・桝本卯平に決まったことから、友愛会をはじめとする労働団体の一大反対運動が起きていた。
第一回国際労働会議では、婦人の深夜業禁止や産前産後の休暇など、婦人関係の議題が含ま..
第292回 東京監獄八王子分監 [2016/07/13 11:17]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年十月三日、懲役二年の刑を終えた神近市子が東京監獄八王子分監から出所した。
『読売新聞』が「淋しい笑顔を見せつゝ 神近市子出獄す」「好物のバナナを携へて露国の盲目文学者などが出迎へ」という見出しで報じている。
風呂敷き包みを抱えた彼女の写真も掲載されている。
「露国の盲目文学者」とはワシリー・エロシェンコで、秋田雨雀らとともに自動車で迎えに行ったのである。
市子は朝五時五十分に起..
第291回 ソシアルルーム [2016/07/13 10:34]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年九月二十四日、延島英一が巣鴨監獄から出獄、大杉の家に同居して労働運動社社員になった。
延島は五月に吉田一と銭湯に行く途中、小石川署巡査を尾行と見て暴行し、懲役三ヶ月を科せられて服役していた。
野枝は『新小説』十月号に「台所雑感」を書いた。
「新思想と教養を背景に立てる婦人の台所感」欄への寄稿で、山田わか、遠藤清子、田中孝子も執筆している。
野枝はまず当時の物価騰貴に触..
第290回 出獄の日のO氏(二) [2016/07/11 22:51]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年、第六回二科展は上野公園の竹の台陳列館(現在の上野公園噴水付近)で開催された。九月二日から一般公開だったが、林倭衛が出品した「出獄の日のO氏」が問題となった。
八月三十日に警視庁の事前検閲があり、検事告訴され保釈中の刑事被告人の肖像が公衆の前に展示されるのを不快に感じた警視庁が、撤回命令を出した。
二科会が抗議すると、八月三十一日、岡警視総監が来場し、撤回は命令ではないとしたが、二科会幹部..
第289回 出獄の日のO氏(一) [2016/07/11 22:38]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年八月八日、大杉は東京監獄から野枝に第二信を書いた。
シイツがはいつてから何にもかもよくなつた。
あれを広くひろげて寝てゐると、今まで姿の見えなかつた敵が、残らず皆んな眼にはいる。
大きなのそ/\匐つてゐる奴は訳もなくつかまる。
小さなぴよん/\跳ねてゐる奴も、獲物で腹をふくらして大きくなつてゐるやうなのは、直ぐにつかまる。
斯んな風で毎晩々々幾つぴち/\とやつつける..
第288回 外濠 [2016/07/10 17:28]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年八月四日、東京区裁判所で大杉の巡査殴打事件の初公判が行なわれた。
『日録・大杉栄伝』によれば、野枝や荒畑ら同志三十余名が押しかけたが、傍聴席には付き添い(尾行)の刑事たちが詰めて席につけなかったので、ひと悶着が起きた。
法廷はスパイで満員だ、猛者連は承知せず、怒叫(※叫怒の誤記か?)する、遂に裁判は一時中止になつて、全部を法廷から出し、改めて公判を開いた、今度は吾々同志で大部分を、占てし..
第287回 柿色 [2016/07/10 12:02]
文●ツルシカズヒコ
野枝が大杉に面会したのは一九一九(大正八)年七月二十二日だったが、彼女は七月十九日か七月二十日にも警視庁に来て吉田一(はじめ)に面会している(「或る男の堕落」)。
吉田は電気料不払いのために切られた電線を接続して電気を窃盗、七月十九日に警視庁(刑事課)に召喚され、七月二十一日から東京監獄の未決監に収監された(『日録・大杉栄伝』)。
そのころのことを野枝はこう書いている。
Yは吉田、Oは大杉。
..
第286回 警視庁(三) [2016/07/10 11:35]
文●ツルシカズヒコ
「だからさーー」
大杉は少しでも呑気に刑事部屋にいられるのを楽しむように、意地の悪い微笑を含みながら、ゆっくりと話し出した。
「つまり、君の言う主義というのは、四、五年前に僕のところで話したのと違ったわけじゃないんだろう。ね、君の主義は人民がみんな君を安んじて国を想いめいめいに国家や政府に世話を焼かせたり迷惑をかけたりしないようにならなくちゃならん、ということなんだろう?」
「そうです、そうです。その通..
第284回 警視庁(一) [2016/07/09 15:24]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年七月二十一日、大杉は警視庁に傷害罪の容疑で拘留された。
二ヶ月前の船橋署の尾行刑事殴打の一件を蒸し返されたのである。
警視庁の警務部刑事課長・正力松太郎の執念である。
大杉は警視庁に二晩泊められ、七月二十三日に東京監獄の未決監に収監された。
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、野枝が村木と警視庁に行き刑事部屋で大杉と面会したのは七月二十二日だった。
野枝がこのときのエ..