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第311回 堺利彦論 [2016/07/31 10:12]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『労働運動』第一次第五号に「堺利彦論(五〜九)」を書いている。
『労働運動』第一次第四号に掲載した「堺利彦論(一〜四)」(「堺利彦論」/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』/大杉栄全集刊行会『大杉栄全集別冊 伊藤野枝全集』)の続編である。
「労働運動理論家」という人物評論欄に掲載されたものだが、大杉の「加賀豊彦論」(第一次第一号)、「鈴木文治論」(第一次第二号)、「加賀豊彦論(続)」(第一次第三号)に続く人..
第309回 大谷嘉兵衛 [2016/07/29 18:58]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年四月三十日、大杉一家は神奈川県三浦郡鎌倉町字小町二八五番地(瀬戸小路)に引っ越した。
谷ナオ所有の貸家を月六十円で借り、大杉一家四人と村木が住むことになった。
「鎌倉から」(『労働運動』1920年6月1日・1次6号/『大杉栄全集 第四巻』/『大杉栄全集 第14巻』)によれば、四月中旬、村木が知人の鎌倉の刺繍屋さんを仲介し、決めてきた家だった。
野枝は「引越し騒ぎ」(『定本..
第307回 トルコ帽 [2016/07/27 11:53]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九二〇(大正九)年四月一日、大杉の出獄歓迎会兼荒畑の大阪行き送別会が神田区錦町の松本亭で開かれた。
百人余が出席したこの会で、大杉はトルコ帽姿で演壇に立ち獄中生活を語った。
荒畑の大阪行きは、大阪で岩出金次郎が出している『日本労働新聞』の編集をするためだった。
四月二日、改造社が銀座のカフェ・パウリスタで賀川豊彦歓迎会を開催した(『日録・大杉栄伝』)..
第306回 自由母権 [2016/07/26 19:49]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『解放』一九二〇(大正九)年四月号に「自由母権の方へ」を寄稿した。
「新しい時代において両性問題はどう変化していくのか?」というテーマで原稿を依頼されたようだ。
野枝は冒頭で両性問題、つまり男女の問題について考えることに興味が持てなくなったと書いている。
そしてこう言う。
親密な男女間をつなぐ第一のものが、決して『性の差別』でなくて、人と人の間に生ずる最も深い感激をもつた『フレンド..
第305回 出獄 [2016/07/25 11:03]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年三月十五日、日本では株価が三分の一に大暴落し、欧州大戦後の戦後恐慌が始まった。
三月二十三日、大杉が三ヶ月の刑期を終えて豊多摩監獄から出獄した。
『読売新聞』は「昨朝 大杉栄氏 出獄す」という見出しで、こう報じている。
……昨日朝七時、伊藤野枝氏を始め同士廿数名に迎へられ革命歌に擁せられて出獄せり。
同氏は頤髭(あごひげ)蓬々(ぼうぼう)たれども極めて元気なりしと。
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第304回 ロシアの婦人運動 [2016/07/25 10:49]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『改造』一九二〇(大正九)年三月号に「クロポトキンの自叙伝に現はれたるロシアの婦人運動」を書いた。
「クロポトキン思想批判」特集の中の一文であり、同特集には他に昇曙夢、片上伸、室伏高信、井箆節三が執筆している。
クロポトキン著、大杉栄訳『一革命家の思出』(春陽堂書店/一九二〇年五月)の第六節を中心にした紹介である。
クロポトキンの回想記『一革命家の思出』は、野枝に深い感激を与えたが、特に一八六..
第303回 豊多摩監獄(四) [2016/07/23 15:17]
文●ツルシカズヒコ
豊多摩監獄に入獄中の大杉が野枝に手紙を書いたこの日、一九二〇(大正九)年二月二十九日、野枝も大杉に手紙を書いた。
このころ野枝はツルゲーネフの『その前夜』『父と子』『ルージン』を読んでいた。
『その前夜』『ルージン』は田中潤訳、『父と子』は谷崎精二訳で新潮社から出ていた(いずれも重訳)。
ロープシン の『蒼ざめたる馬』(青野季吉訳/冬夏社)も読んだ。
先達(せんだつて)はツルゲネ..
第302回 豊多摩監獄(三) [2016/07/23 15:16]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年二月八日、野枝は大杉に手紙を書いた。
いやなものが降り出して来ました。
監獄はさぞ冷えるでせう。
和田さんは先月末大阪に帰りましたが、どうも例の病気がよくないので弱つてゐます。
あの飛びまわりやさんが、歩く事がまるで出来ないのですから。
久板さんは相変らずコツ/\歩いてゐます。
皆んなまだウチにゐます。
もう半分すみましたね。
ずいぶ..
第301回 下婢 [2016/07/21 11:55]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『労働運動』一九二〇年二月号(一次四号)に、「堺利彦論」の前編、および八面(婦人欄)に「争議二件」「閑却されたる下婢(かひ)」「友愛会婦人部独立」「消息其他」を書いた。
「争議二件」は富士瓦斯(がす)紡績押上工場の争議、相州平塚町の相模紡績の争議の短信である。
相模紡績について野枝は「女工虐待では有名な」と書いている。
「閑却されたる下婢(かひ)」の冒頭で、野枝はこう書いている。
婦人の労働..
第300回 教誨師 [2016/07/21 10:05]
文●ツルシカズヒコ
一九二〇(大正九)年一月二十二日、前年夏に豊多摩監獄に下獄した吉田一が出獄した。
行く先のない吉田は労働運動社に寄食することになった。
おしゃべりな吉田が獄中で唯一おしゃべりができるのが、教誨師の訪問を受けるときだった。
「だけんど、俺がたったひとつ困ったことがあったんだ」
吉田は博学な教誨師を無学な自分が論破した話を野枝にした。
あるとき教誨師が吉田に言ったという。
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第299回 山川菊栄論 [2016/07/19 17:50]
文●ツルシカズヒコ
野枝は『解放』一月号(一九二〇年一月号・第二巻第一号)に「山川菊栄論」を書いた。
「新時代の新人物月旦」欄の一文で、他に黒田礼二「森戸辰男論」、新明正道「島田清次郎論」が掲載された。
野枝は前振りとしてこんなことを書いている。以下、『定本 伊藤野枝全集 第三巻』の要約。
●社会問題がやかましく議論される昨今だが、社会問題に関する婦人界の知識が隔絶されている中で、山川菊栄氏のような評論家を得たことは一般..
第297回 スパイ [2016/07/17 16:21]
文●ツルシカズヒコ
荒木郁子と野枝は『青鞜』時代の仲間だったが、郁子の姉・滋子によると、荒木一家が営んでいた神田区三崎町の旅館、玉名館に野枝は大杉と魔子を連れて時々遊びに来ていたという。
魔子が三つか四つのころだというから、魔子が数え年で三つとは一九一九(大正八)年のころだろうか。
失(な)くなった岩野泡鳴さんとも、よく私のうちで、落合ふこともありました。
あんなにお互いの主義の違つた方々でしたのに、いつ..