2016年07月23日
第303回 豊多摩監獄(四)

文●ツルシカズヒコ
豊多摩監獄に入獄中の大杉が野枝に手紙を書いたこの日、一九二〇(大正九)年二月二十九日、野枝も大杉に手紙を書いた。
このころ野枝はツルゲーネフの『その前夜』『父と子』『ルージン』を読んでいた。
『その前夜』『ルージン』は田中潤訳、『父と子』は谷崎精二訳で新潮社から出ていた(いずれも重訳)。
ロープシン の『蒼ざめたる馬』(青野季吉訳/冬夏社)も読んだ。

先達(せんだつて)はツルゲネエフのオン・ゼ・イヴ(※『その前夜』)を読みました。
あなたはあれを読んだことがありますか。
私はエレーナやインザロフに対して、特別に興味を引かれる何ものも見出しはしませんでしたけれど、ただ、病人のインザロフを守って祖国の難に行く途中のエレーナの気持にはひどく引きつけられました。
そして又、インザロフを失つたエレーナの気持にも引かれました。
続いて私はロオプシンと云ふ人の書いたごくつまらないものですが、その中でもあるテロリストのラヴアツフエアに強くつきあたりました。
私達は生きてゐる間は、どんなに離れてゐても、お互ひの心の中に生きてゐ一つのもので結びつけられてゐますけれど、私達は何時の日死(しに)別れるかしれない、と考へる時に、私は心が冷たく凍るやうな気がします。
私が先きに死ぬのだつたら、私は何んにも思ひません。
きつと幸福に死ねるでせう。
でも、残される事を考へると本当にいやです。
そして私達の生活には何時そんな別離が来るかも知れないなどと考へます。
馬鹿な話ですけど。
小説はこんな妙な事を考へさせますからいけませんね。
オン・ゼ・イヴにつづいてバザロフ(※『父と子』の主人公)やルーデインも読んで見ましたけれど、つまりませんね。
何の感激も起りません。
直ぐ物足りない気持がするだけです。
私の感じは余りプロゼイツクになりすぎたのでせうか、それとも他の理由からでせうか。
先達て春陽堂で今村さんに会ひましたら『先生が出てお出になつたら、ぜひ今度の獄中記を書いて頂くようにお願ひして下さい』なんて云つてゐました。
そして今度それを増補してまた獄中記の版を重ねるのだからなどとも云つてゐました。
今度は中野の巻がはいるのですね。
堺さんも何時行けるのか分りませんね。旅券が下らないし……。
マガラさんを連れて行くのですつて。
(「消息 伊藤」・【大正九年二月二十九日・豊多摩監獄へ】/『大杉栄全集 第四巻』/「書簡 大杉栄宛」一九二〇年二月二十九日)/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p160~161)
「中野の巻」は「新獄中記」(大杉栄全集刊行会『大杉栄全集 第四巻』/日本図書センター『大杉栄全集 第14巻』)として『新小説』(春陽堂書店)十月号に掲載された。
堺は長女・真柄を連れて海外旅行を計画していたが、旅券が下りず中止になった。

一月の末から労働運動社に寄食していた吉田一(はじめ)の無遠慮な振るまいが、家の中いっぱいに広がり、野枝の神経に障るようになるにはさしたる日数を要しなかった。
野枝のこのときのストレスを書いたのが「或る男の堕落」である。
「或る男の堕落」は人名をイニシアルで表記した小説のスタイルで書かれているが、野枝の死後、『女性改造』1923年11月号(第2巻第11号)に)に遺稿として掲載された(『定本 伊藤野枝全集 第一巻』に所収)。
野枝はいつか吉田にリベンジしようと、密かに書き記していたのだろうか。

吉田は何かいい本があったら読んでくれと、よく野枝に頼んだ。
しかし、それは誰にも辛抱ができなかった。
吉田は途中で何か感じたことがあると、書物のことは忘れて、三十分でも一時間でもひとりで、とんでもない感想をしゃべりまくるからだ。
年若い延島英一が相手になったりすると、大激論になった。
ともかく、吉田のおしゃべりが終わるのを待って、本の後を読み続けてやるという辛抱はできるものではなかった。
野枝が体調を壊し、台所に立てないとき、吉田は露骨に野枝が嫌がるような、誰も喜ばないような食べ物を作って押しつけた。
近所の安宿の泊客を連れて来て、ほどこしをしてやったりもした。
汚い乞食のような人たちを狭い台所に集めて、犬にしかやれないようなものを食べさせ、吉田は胡座をかいて貧乏人の味方主義を「説いて」聞かすのだった。
あまりにひどいものを食べさせ、ありがた迷惑なお説教を聞かせることを、野枝や同志たちが非難しても、彼は決して凹みはしなかった。

二、三軒ある安宿に出かけて行っては、みんなにお世辞を言われていい気になっていた。
安宿にいる人たちは、みんなもうよぼよぼの頼るところのない老人ばかりだった。
苦しい経済状態の中、茶の間の茶箪笥の抽き出しに、いつも「あり金」が入れてあった。
みんな必要な小遣いをそこから勝手に取ることにしていた。
労働運動社の社員は、誰も一銭も無駄な金を持ち出す者はいなかった。
何かと入り用な野枝は、小遣いとは別の財布を持っていた。
それも野枝自身が書いた原稿料や印税の一部をあてて、ようやく足りている状態だった。

吉田は野枝の財布から、小遣いを取るようになった。
野枝は黙って渡した。
吉田は原稿料や印税はなんの苦労もしないで得た金だから、強奪してもかまわないのだと言った。
吉田の嫌がらせは、彼が元から持っていた大杉や野枝に対する僻(ひが)みの表れであると、野枝は見ていた。
野枝に対する反感が露骨になってきたころから、吉田は同志にも無遠慮になった。
延島と毎日のように激論をするようになった。
大杉が出獄する日を待たずに、吉田は労働運動社から出て行った。
★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)
★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)
★『定本 伊藤野枝全集 第一巻』(學藝書林・2000年3月15日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index

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