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第283回 正力松太郎 [2016/07/09 12:38]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年七月十八日、昼近くになっても大杉たちは築地署から帰ってこなかった。
昼ごろ、野枝は日比谷の警視庁に行き特別高等課長に面会し、大杉たちがまもなく帰されることを確認した。
午後二時すぎころ、大杉たちはみんな元気な顔をして服部浜次の家に引き上げて来た。
野枝と大杉は疲れ切って本郷区駒込曙町の家に帰宅した。
玄関を入るとハガキが一枚落ちていた。
「茂木久平の件につき…..
第282回 築地署(二) [2016/07/08 13:31]
文●ツルシカズヒコ
野枝は魔子をしっかりと背負い、服部浜次の次男・麦生と、うまく逃れて来た若い同志の寺田鼎(かなえ)を連れて服部浜次の家を出た。
野枝たちは途中、おおぜいの検束者への食べ物の差し入れを調達し、走るように築地署に向かった。
面会を求めた署長はなかなか出て来なかった。
検束された人々の中には、夕食をすましていない者がかなりいた。
野枝が時計を見ると、夜の九時をとうに過ぎている。
野枝は..
第281回 築地署(一) [2016/07/07 16:26]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年七月十七日、午後五時から京橋区南河岸(現・中央区八丁堀四丁目)の寄席・川崎家で「労働問題演説会」が開催された。
この会は大杉ら北風会が企画し、各派に呼びかけた公開演説会だった。
……チラシには、「弁士、服部浜次、荒畑勝三、吉川守邦、岡千代彦、山川均、堺利彦、外数名」とあったが(大杉栄の名は警察に遠慮したのである)、これは旧社会主義団体の、大逆事件後最初の演説会ではなかっただろうか。..
第280回 森戸辰男 [2016/07/07 16:16]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年五月二十三日、大杉が尾行巡査を殴打した。
新聞はこう報じている。
……大杉栄(三五)が去る五月二十三日 千葉県東葛飾郡葛飾村字小栗原七 藤山山三郎方にて 船橋署の尾行巡査安藤清に退去を迫り応ぜずとて 同巡査を殴打し左唇内面口角下(さしんないめんこうかくか)に負傷せしめたる事件……
(「東京朝日新聞」1919年8月5日)
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、 尾行は長..
第279回 トスキナ(二) [2016/07/06 13:26]
文●ツルシカズヒコ
ピアノ独奏の沢田柳吉はベートーヴェンの「ムーンライト・ソナタ」(月光曲)を弾いた。
沢田は天才と称され、当時ショパンを弾くピアニストは楽壇では彼一人だと言われていた。
清水金太郎、山田耕筰、竹内平吉は東京音楽学校の同期生である。
天才だったが、酒好きでズボラで酔っぱらいのピアニストでもあった。
『高田保著作集 第二巻』によれば、問題が起きたのは、沢田のピアノ独奏「ムーンライト・ソ..
第278回 トスキナ(一) [2016/07/06 12:55]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年は浅草オペラ、オペレッタの全盛期であった。
観音劇場でオペレッタ『トスキナア』が上演されたのは、この年の五月だった。
「トスキナア」とは「アナキスト」の逆さ読みであるが、プログラムや台本には検閲に引っかからないように「トスキナ」と刷った。
作は獏与太平(ばく-よたへい)、作曲は竹内平吉、装置は小生夢坊(こいけ-むぼう)。
浅草の伝法院の裏にあったカフェー・パウリスタ、その二番..
第277回 演説もらい [2016/07/05 14:23]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年初頭のころから、北風会のメンバーは「演説もらい」を精力的にやり始めた。
翌年に北風会に参加する詩人・岡本潤が「演説もらい」に言及している。
そのころ、いわゆる大杉一派のアナーキストたちは「演説会乗っ取り」という戦法をよくつかっていた。
他で主催する演説会へ押しかけていって、聴衆のなかへもぐりこみ、反動的な演説に対して猛烈な弥次をとばしたり、機をみて演壇へ駆けあがって反対..
第276回 おうら山吹 [2016/07/04 20:28]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年三月五日、久板が満期出獄し、大杉&野枝の家に帰って来た。
このころ、大杉は黒瀬春吉が設けた「労働問題引受所」の顧問を引き受けるが、結局、大杉はその顧問を辞退した。
しかし、大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、このころ大杉は黒瀬などとの関係を通じて、浅草オペラの楽屋に出入りするようになったという。
浅草十二階下にあった黒瀬の店「グリル茶目」は、伊庭孝、沢田柳吉、石井漠などオペラ関係者..
第275回 婦人参政権 [2016/07/04 20:21]
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年当時の日本の衆議院議員選挙は制限選挙であった。
一八八九(明治二十二)年の衆議院議員選挙法では、満二十五歳以上の男子で直接国税15円以上を納めている者に選挙権の資格が与えられ、満三十歳以上の男子で直接国税15円以上を納めている者に被選挙権の資格が与えられていた。
一九〇〇(明治三十三)年になり、選挙権、被選挙権ともに他の条件は変わらず、直接国税納入額が十円以上に改められた。
..
第274回 スペイン風邪 [2016/07/04 10:45]
文●ツルシカズヒコ
大杉豊『日録・大杉栄伝』によれば、一九一九(大正八)年一月二十六日、大杉は売文社で群馬県からこの日上京した蟻川直枝と会い、気が合ったふたりは浅草十二階下にある黒瀬春吉の店「グリル茶目」で食事をした。
このときの話を、安成二郎が大杉からおもしろおかしく語って聞かされた。
大杉と蟻川は「グリル茶目」での食事を終えると、吉原に行くことにした。
売文社に行くとき、大杉は尾行をまいていたので、黒瀬の尾行..
第273回 尾行 [2016/07/03 16:56]
文●ツルシカズヒコ
一九一八(大正七)年十二月のある夜のことだった。
野枝は所用で日比谷に出かけた。
例によって尾行がひとり尾(つ)いている。
その尾き方が下手で露骨でみっともないので、野枝は癇癪を起こし、電車の中でその尾行に怒りをぶつけた。
電車を降りると、野枝はその尾行にこう言った。
「今夜は用がすんだら、お前の後を尾けてやるから」
ある家に入って用をすました野枝は、その家の..
第272回 山羊乳 [2016/07/03 12:38]
文●ツルシカズヒコ
大杉の末妹、橘あやめは一九〇〇(明治三十三)年生まれである。
「あやめ」という命名は、六月二十五日生まれだからであろう。
大杉は十五も歳下のあやめを可愛がっていた。
『日録・大杉栄伝』によれば、あやめは一九一六年にアメリカのポートランドのレストラン料理人・橘惣三郎と結婚して渡米した。
一九一八年十二月、病を得て帰国したあやめは、北豊島郡滝野川町大字田端二三七番地の兄・栄の家で養生することになっ..