2016年07月04日
第275回 婦人参政権
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年当時の日本の衆議院議員選挙は制限選挙であった。
一八八九(明治二十二)年の衆議院議員選挙法では、満二十五歳以上の男子で直接国税15円以上を納めている者に選挙権の資格が与えられ、満三十歳以上の男子で直接国税15円以上を納めている者に被選挙権の資格が与えられていた。
一九〇〇(明治三十三)年になり、選挙権、被選挙権ともに他の条件は変わらず、直接国税納入額が十円以上に改められた。
普通選挙運動が高揚した一九一九年六月には、直接国税納入額が三円以上に改められたが、女子は依然として対象外だった。
そもそも女子は政治に関与することを禁止されていた。
すなわち、治安警察法五条一項で女性の結社権(政党加入の権利)、二項で集会の自由(政治演説会に参加ないし主催する自由)を禁止していた。
ちなみに諸外国の「女性参政権の獲得年代」を見ると、一九一九年時点で女性参政権があった国は、ソ連、カナダ、ドイツなどである。
そうした時代の趨勢の中で、婦人の参政権を要求したのが与謝野晶子だったが、野枝は『新公論』三月号に「参政権獲得是非ーー与謝野晶子氏に問ふ」を寄稿した。
二三日前の各新聞紙で見ますと、与謝野晶子氏が、真先きに、普通選挙運動と共に婦人参政権を要求されたと云ふ事は報道されてあります。
……至極当然な事だと云へませう。
その点では私はこれに賛成してもいゝと思ひます。
しかし乍(なが)ら……。
……与謝野氏その人さへも、治安警察法の前には半人前しかない女としてその演説会に出席する自由さへ持たないのです。
しかし……その不当と不自由を痛感してゐる婦人が果して幾人ありませうか、私は与謝野氏程の聡明さを持つた婦人が先づ十指にも満たないと等しく、此の不自由と不当を感じてゐる人も恐らくは十指には満つまいと思ふものであります。
(「参政権獲得是非ーー与謝野晶子氏に問ふ」/『新公論』1919年3月号・第34巻第3号/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p71)
以下、野枝が言わんとするポイントを挙げてみた。
●現在の日本婦人たちは、できるだけ非社会的に従属的に教育されて生活しています。
●娘はすべての目的が妻や母親になることと教育されます。
●女学校の教育方法を見れば、すべてのことがわかります。独立した一個の人間としての生活に必要なことは何ひとつ教えられません。男子の庇護を受けるために都合のいいように教育されます。
●こうして女たちは家の中で小さくなって生活しているので、頭脳の働きは遅鈍になり、動作は醜くなり、すべての考えや決断は従属的であり、小さな利己心のみが強くなるのも無理はありません。
●今日、多くの男子がその妻を始末におえない荷厄介として苦しんでいるのは、当然のことだと思います。
●いや、今は独立した生活を営んでいる新時代の女も多くいるではないか、と言う人もあるかもしれません。
●しかし、彼女たちもその最終目的は妻たり母たることであることにおいては、なんのかわりもないものだと思います。
●さらに、今日の職業婦人の賃金が独立して生計を立てるまでにいたっていない、これが独立して生計を立てる収入を得ることができるようになったら、もう少し違う見解を持つかもしれないという意見もあるかもしれない。
●私もそう思うひとりではありますが、悲しいことに、女の最終目的は結婚だと小さいときから叩き込まれている女たちは、現在の職業の待遇改善に骨を折るというような考えよりは、一日も早く相手を見つけて結婚しようと考えることを優先するのです。
●したがって、選挙権の拡張を民主的傾向として、単純に賛同することに疑問を抱いています。
●すべての点で従属的に教育されてきた今日の日本の女子に、参政権が与えられれば、政治家の野心の餌食になるのではないかと危ぶんでいます。
●与謝野氏の意義ある示威は決して無用なことではなく、必要なことです。
●氏の最初にあげた叫び、その勇気に感謝したいと思います。
●ただ、私が与謝野氏に求めたいのは、その叫びを無意味なものに終わらせない用意をしていただきたいということです。
●氏の後ろには、氏の頼みになるような人間はひとりも続いてはいないと思います。
●もし本当に氏が聡明ならば、この機会を利用して、多くの職業婦人をその無智な夢から呼び覚まし本当の利害の観念を注ぎ込まなければならないと思います。
●婦人の職業だからといって、決して内職であってはなりません。女の内職は女自身をいつまでも経済的な弱者の位置から救い出さないばかりではなく、男子の賃金の率までを低くするものです。
●職業婦人が真に社会的地位に経済的生活に目覚めたとき、一般婦人の上にも新しい時代がくるのではないでしょうか。
●そして、そのときこそは参政権必要も真に起こり、その行使も心配なくできるかもしれません。
●その大事な仕事を怠ったならば、ただ虚名を馳せることを喜ぶ人の一手段として、貶められても仕方がありません。
★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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