2016年07月15日
第295回 婦人労働者の覚醒
文●ツルシカズヒコ
一九一九(大正八)年十一月十三日、『労働運動』(第一次)第二号が発行された。
この号から野枝は「婦人欄」を担当し、婦人労働問題に関わっていく。
「婦人欄」を担当するにあたっての「御挨拶」で、野枝は田中孝子、与謝野晶子、平塚らいてうについて触れている。
過日友愛会婦人部の演説会に臨まれた田中孝子女史が、自分もアメリカで多少の苦学らしい事をしたから、労働の生活は知つてゐるつもりだと云つて、男子側からノオノオを浴びせられた。
これと同じ心理を与謝野晶子氏もまた持つて居られると見えて、九月七日の読売新聞の婦人附録に『山内みな子さんが新聞記者に話された言葉の中に「自分達と一緒に労働した経験を持たない婦人達の抽象的な女子労働問題は無効である。自分達の問題は自分達で決する」と云ふ勇ましい一節がありましたが……山内さんが、文章によつて労働問題を論じる私達もまた労働婦人の仲間である事を忘れて、排他的の態度を採られる事を遺憾に思ひます』と書いてゐられる。
又、演説会当夜、平塚さんも私に『工場労働者以外のものは労働者でないやうに思ふのは間違ひだ』と云ふやうな意味の事を洩された。
私は此の懸隔を面白いと思つて居ります。
出来るなら、私は次号には、これに対しての婦人労働者側の徹底した意見を此の誌上で発表したいと思ひます
(「御挨拶」/『労働運動』1919年11月13日・1次2号/學藝書林『伊藤野枝全集 下巻』に初収録/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p108)
野枝は自分の立場を、こう語っている。
私も与謝野夫人の所謂(いわゆる)婦人労働者ではありますが、極めて怠惰な中産階級の下積になつてゐる一人です。
私はまだ嘗つて一定の給料を貰つて資本家の下で働いた事もありませんし、勿論肉体労働の苦しみと云ふやうな事はお恥しい次第ながらありません。
けれども私は人間が同じ人間に対して特別な圧迫を加へたり不都合をするのを黙つて見てはゐられないのです。
自分でも自分相応に不平もあれば不満もあります。
しかし婦人労働者諸氏の受けてゐる不当以上の不当な待遇はとても私共の比ではありません。
私は現在の婦人労働問題を論じてゐるある種の婦人達のやうに、自分等は先覚婦人で、労働婦人を指導し教導するのが自分等の務めだと云ふやうなエライ考へを持つて、婦人労働者諸氏とおちかづきにならうとするのではありません。
私はたゞ怠惰な自分が、多少とも諸氏の活動の道具ともなつてお手伝ひが出来る事があるならばと思ふだけなのです。
此の婦人欄の為めに来月号からはもう一頁は是非とつて、そして出来る丈け婦人労働者諸氏の気焔を上げる場所にしたいと思ひます。
私の方から種(いろ)んなお話を伺ひにも出ますが、皆さんも、若し少しでもお書き下さる事が出来れば、それのみでも埋める位のおつもりで御寄稿下さる事をお願ひします。
(「御挨拶」/『労働運動』1919年11月13日・1次2号/學藝書林『伊藤野枝全集 下巻』に初収録/『定本 伊藤野枝全集 第三巻』_p108~109)
野枝は「御挨拶」の他、『労働運動』一次二号に「婦人労働者の覚醒」「英国婦人労働組合」「婦人労働者大会」(前出)を寄稿している。
「婦人労働者の覚醒」は山内みな、野村つちの、大森せんらの目覚めた婦人労働者の尽力により、五百に満たなかった友愛会婦人部の会員が最近数ヶ月の間に二千数百の会員に達し、九月の友愛会の大会では婦人部独立の要求が入れられ、山内、野村が同会の理事に連なったと報告している。
さらに七月の博文館印刷所、東京書籍会社、日本書籍会社の職工の同盟罷工に際し、婦人労働者が男子に伍して活動したと報告。
「英国婦人労働組合」は海外の婦人労働者情報である。
●労働婦人として強固な自覚を持ち自主的に訓練されているのはドイツの婦人労働者が第一位だが、労働組合を最も組織的に発達させたのは英国の婦人労働者である。
●「今回の世界大戦」が多くの婦人をまったく思いもしなかった種類の労働に誘い込み、戦争という非常事態が生んだ結果ではあるが、英国の婦人労働者の数は非常な勢いで増加した。
●六年前に三十五万だった英国の婦人労働組合員が、五十万以上になった。
●戦争中、婦人の労働が歓迎され賃金が急に上がって組合員であることの利益が一般に認められたことが、英国の婦人組合員増加の一因でもあるだろう。
大杉が『労働運動』創刊号について言及している。
創刊号が出た。
評判はいろ/\だ。
編集の体裁は申分ないが、印刷のきたないので打ちこはしだ、と黒うとの人は云ふ。
編集のうまいのは近藤のお手柄で、印刷のまづいのは印刷屋のお手柄だ。
近藤はあれ以下にはまづくは出来ず、印刷屋もあれ以上にはうまくは出来ないのだから、仕方がない。
尤も、近藤の編集ぶりは、黒うとには受けがよからうが、白うとにはどうだか、と云ふ評判もある。
しかし、根がおとなしい上品な近藤のことだから、とても大きな活字をばらまいたりする品の悪いまねは出来ない。
(「手前味噌」/『労働運動』1919年11月13日・1次2号/『大杉栄全集 第四巻』・編集室にて・『労働運動』/『大杉栄全集 第14巻』・編集室にて・『労働運動』)
近藤憲二は『労働運動』の発行編集兼印刷人である。
大杉は主幹という立場だったようだ。
印刷のクオリティが低いのは、危険思想雑誌だから大手の印刷所が引き受けてくれないからだろうか。
「手前味噌」によれば、定価二十銭は高すぎるという一般的評価だったが、想定していた実売部数だとこの定価は仕方がなかったという。
しかし、想定していたより実売部数が多かったので、定価を下げる代わりに四頁増にすることにした。
★『定本 伊藤野枝全集 第三巻』(學藝書林・2000年9月30日)
★『大杉栄全集 第四巻』(大杉栄全集刊行会・1926年9月8日)
★『大杉栄全集 第14巻』(日本図書センター・1995年1月25日)
●あきらめない生き方 詳伝・伊藤野枝 index
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