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2019年04月01日

本カテゴリ(番外編)のはじめに

みなさん、こんばんは。訪問して下さる方に
改めて御礼申し上げます。年度も新しくなり
新元号「令和」も公表されました。



時代のシフト感が鮮明になりつつありますが
、デスクトップ版のデザインも数日前に変更
しています。



さて、今日から新たなカテゴリを設けます。
それは「番外編〜僕が警備員をはじめた理由」
です。



ブログタイトルと相反するカテゴリ名ですが、
僕が警備員になる前、上京してIT企業で働いて
いた頃のエピソードを中心に綴ります。



カテゴリ「プロローグ〜交通誘導警備編」以前
の話になり、上記がカテゴリ1とするならば、
時系列的にカテゴリ0という位置づけです。



カテゴリ「警備員から斬る、日本人の労働問題」
に深く関わり、ブログに奥行きを感じてもらう
事を意図した、隠し味的なものなのですが・・・



パワハラを語る部分などエグい表現もあり、
不快感を感じられた場合申し訳ないのですが
、今につながる部分もあります。それ故どうか
ご理解の程宜しくお願い致します。



日本人の労働問題、特にブラック企業問題を
語る手前、警備だけでは物足りないと感じ、
過去を振り返り掲載する運びとなりました。



本カテゴリの掲載ですが、月初めに約一週間分
の記事を、章ごとに分けてUPする予定です。
そこで何か月かにわたり続くことになります。
よろしくどうぞ。

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2019年04月02日

番外編第1章:学生時代の終わりに

時は遡り、僕が大学生をしていた時の話です。
地方の三流大学でしたが、それなりに学生
生活を謳歌していました。



学生時代も終わりに近づき、いよいよ就職と
なったのですが、当時はバブルの末期で
選ばなければ売り手市場でした。



今に始まった事ではないと思いますが、
何がやりたいかわからない人は多いと思います。
それでも就職しなければ。人生の通過儀礼。



ゼミ教授の推薦という形で、求人して来た
企業に学生をはめ込んでいくという作業が
当時の就職活動だったのです。



文系とは違い楽な面もありますが、企業選びが
教授任せのデメリットもありました。とはいえ
企業をイメージでしか選べなかった時代です。



今のように、SNSで生の声を聞ける機会は
皆無に近いものでした。大学を訪問するOB
も、建前しか言えない立場ですから。



そんな中、僕に教授からリクルートの話が
ありました。ビル建設業界の会社でした。



とりあえず受けてみようと、応募する事に
しました。今から比べればとてものんびりした
就職活動だったかもしれません。

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2019年04月03日

番外編第1章:本音と建前

受ける事になった建設会社は、ビルの外装を
手がけていました。本社は東京。



採用は地元ですが、研修で東京に行かなければ
いけません。面接では1年程度と説明があり
ましたが、今思えばアテにならない話です。



僕は高校時代は文系で、三流大学なので理系の
学部に入りましたが、製図で苦労していました。



そのことを面接で言ってしまい、不採用の原因と
なってしまいました。東京に行きたがっていない
事も嫌がられたようです。



ゼミの教授は立腹して、僕に文句を言いました。
当時の就職システムで不採用はレアケースで、
面接で本音を言うな、と釘を刺されました。



不採用上等。面接で僕の成績まで聞いて落とす
とはこちらから願い下げだ。上位2割以内に
入ってたのに。自慢にもなりませんが。



採用を勝ち取るためには建前は必要です。
大人の対応ができるか、見られている訳ですが、
本音と違い過ぎるのも入社後問題となります。



適性について精査するシステムが、当時はプア
でした。会社は入ってしまえばなんとかなる、
という時代でしたから。



しかしこの頃から、ブラック企業問題は存在
していたのです。好景気の陰に隠れて目立たない
だけでした。(詳細は別途、後章の記事で)



同じ科の同級生たちも、バブル末期とはいえ
就職に苦労していたようです。何故に?

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2019年04月04日

番外編第1章:仕事がない

同級生たちも就職に奔走していました。県外
出身者にとっては、厳しい状況でした。



それは県外出身者が就職する場合、彼らの
地元で探すことになり、大学のツテのある
企業が皆無に近い。三流大学の宿命か。



同級生の一人が、ゼミ教授推薦のシステムを
使い一社受けましたが、気に入らなかった
らしく辞退し自分で探す事に。



結局ツテで彼の地元中小企業に就職
しましたが、今ではフリーとなっています。



このようなケースが県外出身者では珍しく
なく、まるで文系のような就職活動となって
いたのです。



それでもこの好景気の時に就職しなければ
という想いはあったので、就職率だけは
ほぼ100%でした。



今の仕事がない、というのとは次元が違う
隔世の感がありますが、正規雇用前提の就職は、
ポシャったら後がないというプレッシャーが。



まだ根強く残っているかもしれませんが、
新卒カードを切って、最初に入った会社が
一番いい会社という「常識」がありました。



ちなみに第二新卒という言葉が出てきた
のは、僕が就職した後すぐの事でした。
いわゆる「ガチャ」の引き直し。



三流大学でしたので、正社員で就職といえど
選べる会社の選択肢は限られていましたが。

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2019年04月05日

番外編第1章:東京からのリクルート

最初に受けた会社が不採用になった僕は
凹んでいました。しかし就職はしなくては。



そんな時、東京から大学を訪問してきた人物
がいました。後に僕の総務部長となる人です。



IT業界(当時そんな名称はありませんが)も、
バブル末期で人手不足。それでこんな田舎の
三流大学までリクルートに来ていたのでした。



某大手電機メーカーの子会社で、プラント制御
システムの設計が主な業務でした。従業員は
200人程。



「いい会社だぞ」と僕に面接を迫る教授。
東京なので気が引けました。



しかし一社落ちた手前「早く就職しろ」
と言わんばかり。



社会経験のない大学教員が言う、いい会社
ほどアテにならないものはありません。
とはいえ、当時選択の余地は皆無に近い
ものでした。



親会社から人を集めてこいとどやされ、
地方までリクルートして来た企業。



推薦する大学教授にとっても、僕はいい
「商品」であったのでしょう。



「迷いを断ち切れ」と煽る教授。僕は渋々
受けることにしました。後で見返りにノート
パソコンでも貰ったのかな。当時はかなり
高価なものでしたが。



不本意ながら面接に行くため東京に行く
アクションを起こした僕に、教授はある
条件を言ってきたのでした。

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2019年04月06日

番外編第1章:担保なき取引

ゼミの教授は僕に「2〜3年経ったら地元
企業を探して呼び戻す」と言ってきたのです。



今からすればこの条件は絶対に飲むべきでは
ありませんでした。バブルがはじけて一気に
景気は悪くなる、先見性がなかったのも原因
でしょう。



結果論ですが、僕が入った会社は数年後、
大学への求人は途絶えています。東京でさえ
そうなのですから、田舎ならましていわんや。



担保なき取引を飲んだ僕が単純でした。
相手の社会人としてのレベルを見れば、
アテにならないと今なら即断するでしょう。



当時一人一社という旧態依然とした制度の
影響もありました。これは、一つの会社に
つき就職できるのは一人まで(同じ科で)。



故に、他の誰かが受けていると受けられません。
多くの企業に学生を送り込むのが目的のよう
ですが、求人のパイが少なくなれば破綻します。



僕らが卒業してバブルがはじけて以後、
上記の制度は廃止された模様。



話は脱線しましたが、弱い立場で飲む取引は
往々にしてロクな結果を生みません。



たとえ地元で就職した企業がブラックで
あっても、何らかの対処は可能だったはず。



東京という「アウェイ」に僕を放逐して後は
フェードアウト、この目論見に当時気づき
ませんでした。



転職活動にしても、東京から行うのはとても
労力やコストがかかり、非効率的です。

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2019年04月07日

番外編第1章:同期の一言

僕は就職し、上京しました。独身寮を新規に
建設する福利厚生ぶり。この辺は大企業の
子会社らしかった。



僕は大学時代の成績を加味されたのか、親会社
の工場駐在となり、エレクトロニクス開発部門
に配属となりました。



僕に開発なんて恐れ多い・・・分不相応な配属
では、なんて思ってしまいましたが会社が決め
た事です。



僕が住んでいたのは23区外のいわゆる東京
都下で、車のナンバーは多摩になります。自然
もかなり残り、近郊農業もやっていました。



都心まで鈍行(普通)なら待合込みで約1時間。
職場も郊外なので、寮から電車を使えばラッシュ
もひどくなく、通勤地獄はありません。



寮の近くにディスカウントストアやコンビニも
あり、生活用品を揃えるのは容易でした。



環境としては恵まれ、僕はアウェイ東京での
一人暮らしを始めました。寮にはランドリー
スペースもあり、コインランドリー通いもなし。



こうして東京での生活が軌道に乗り始めた時、
新人研修で知り合った同期の人間とも遊びに
行ったりしました。



同期の人間(東京出身)の車に同乗させて
もらい、遊びに行く車内で言われた一言。



「お前、大学で成績良かったんだろ。なんで
こんな会社来たんだよ」



当時「えっ」と思いましたが、彼の放った
一言が、徐々に分かってくるのでした。

番外編第1章:完 〜 来月の第2章に続く

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2019年05月01日

番外編第2章:花の都大東京

(第1章から続く)初めて東京で暮らし
始めた僕には、全てが新鮮でした。
寮から30秒の所にコンビニがあり、
当初は冷蔵庫も要りませんでした。



電車を使えば都心へのアクセスも容易です。
住んでいるのが郊外であっても、近隣の
大きな駅に行けば大体の物は揃います。



配属された親会社の工場は地域では最大でした。
プロパー(本社採用社員)以外にも、関連・
協力会社の社員が多く働いてます。



食堂も複数あり、工場規模の大きさを語って
いました。スポーツも盛んで、全国大会で
活躍する実業団チームもあり。



僕が配属されたエレクトロニクス開発部署は、
プラント制御用のコンポーネント(ハード)
及び、ソフトの開発。



コンポーネントは制御盤に収められ、計測制御
を行いプラントを運転します。僕はハード
班という事になりました。



開発というと、IDカードがないと開かない扉で
仕切られたイメージがあったのですが、普通の
オフィスと変わらないオープンスペース。



新人として迎えられた僕はチヤホヤされ、同じ
開発部門の主査にコーヒーをおごってもらったり
しました。



入口で浮かれていた僕ですが、新人研修で同期
の中での会話が気になっていました。僕の入った
年は過去最高に新人採用が多かった。



「今年はこんなに同期(ライバル)がいる」
という発言に「3年で半分になるさ」という
返事。IT業界の現実をこれから味わいます。

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2019年05月02日

番外編第2章:誠意

配属前の新人研修がひとまず終わり、締めとして
管理部長が僕らに訓示を行いました。



事務方であった部長は、社会人、そして技術者と
しての心構えを説いたのです。



その中で強調したのは「誠意」というワード。
何も知らなかった僕は、支給された黒手帳の
表紙の裏に大きく書きました。



今思えば無知で恥ずかしい事ですが、部長への
忠誠心アピールという意味では、悪くなかった
のかもしれません。



この「誠意」というワードですが、ヤ〇ザな
文言だなぁ、と思います。技術者にとって
納期は絶対、何よりも重いもの。



納期を守るためには、全てを犠牲にせよという
文言が「誠意」というワードの意味だったの
です。



さらに「弊社と親会社はイコールパートナー」
と部長は言いました。これは建前と直ぐに判り
ましたが・・・



納期や予算の厳しい仕事(ジョブといってました)
は関連会社に回ってきます。条件のいいジョブは
親会社が先にいただく、社会のヒエラルキーです。



だからこそ、上記の「誠意」が重要であると部長
は強調したかったのでしょう。



この精神論丸出しの発言の裏には、会社と
しての方針がない、関連会社の宿命みたいな
ものがありました。



100%出資の親会社の意向には絶対服従です。
僕ら新卒の大量採用も、親会社から何人
集めてこいとノルマを課せられたのでしょう。

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2019年05月03日

番外編第2章:リスクヘッジ

試用期間中でしたが、管理部長から要請が。
「母校にリクルートに行ってこい」



故郷に戻り、母校を訪問しゼミの教授に面会。
上記の理由を告げると、学生を探すと返事。



バブルの余韻残る時期、親会社は未だに
多くの新卒学生を欲していたようで、関連
会社にノルマを言い渡していたのでしょう。



バブリーな事業拡張計画で希望的観測ながら
、全国各地にシステムセンターを開設する。



そのシステムセンター要員として、一人の
後輩が選ばれました。最初は東京配属で
いずれは地元に戻ってもらう。



バブルの時期は、この手の採用パターンが
多かったと思います。とにかく人が欲しい。
採用した後の事はなんとかなるだろう。



しかし、バブル弾けて景気が冷え込み当初
の計画は次々頓挫。転勤先がなくなり地元
に戻れなくなった地方出身者が急増。



数年後、同僚が部長にやんわりとツッコミ
ました。「女の子たちが騒ぎ始めてますよ」
女性社員も多く採用されていたのです。



部長は、不服なら辞めてもらって結構という
コメントを返したのです。



そんなやり取りが出るようになった時期には、
僕の母校には求人を出さなくなっていました。



好景気に踊らされ、使う側も使われる側も
リスクヘッジをしなかった故の結果なのか。



逆に言えば、バブル後も失速せず伸びている
企業や個人はリスクヘッジをやってきたという
事なのでしょう。

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かつて10年ほど警備業界で従事してきましたが 限界を感じ、同業界を去りました。 今は港湾施設保安職員として、港湾管理業務に従事しています。
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