2017年07月15日

祇園城 名族小山氏波乱万丈の城跡

つわものどもが夢の跡
名門小山氏の居城『祇園城』を訪問しました。

<祇園城跡>
sirononagori OYAMA (3).jpg
祇園と言っても京都にあるわけではなく、場所は栃木県小山市。下野国小山城です。祇園城の名は、城の守り神として祇園社を祀ったことに由来します。

<城山公園入口付近>
shirononagori gion (3).jpg
かつての城郭の一部が、現在の城山公園。画像は公園の南側の曲輪です。本丸と考えられています。ここから北へ向かって二の丸、三の丸と続きます。

■小山氏の居城■
歴史はそうとう長く、その中身も濃い城跡です。まず始まりは平安時代。この地の豪族、小山氏によって築かれたと推定されています。

小山氏の先祖は、将門討伐の藤原秀郷(ふじわらのひでさと)。俵藤太(たわらのとうた)という呼び名の方が有名でしょうか。平将門が関東地方でおこした反乱を鎮圧し、一躍出世した武将ですね。その子孫は北関東・奥羽の各地に広まりました。〇〇の末裔といった話は、けっこう疑う余地があるケースもありますが、小山氏は初代までの明確な系図が残る名族。藤原秀郷の直系子孫(藤原秀郷流太田氏)の太田政光がこの地に移り住み、小山氏を名乗ったのが始まりです(1150年頃)。その小山政光の後妻は源頼朝の乳母。この関係もあり、息子達と共に頼朝の御家人となり活躍します。

当時においては
下野国最大の武士団

この地はそんな名族の城跡です。


■関東八屋形■(かんとうはちやかた)
宇都宮氏・小田氏・小山氏・佐竹氏・千葉氏・長沼氏・那須氏・結城氏
鎌倉公方に認められた名族の八家です。鎌倉公方を支える一方で、各々の国の守護を出す家柄と定められました。

このうち、長沼氏は小山氏の祖である小山政光の次男結城氏は三男を祖とします
つまり八家のなかでも、小山氏・長沼氏・結城氏は同系。深い関係というわけですね。 

<公園内>
shirononagori gion (4).jpg
良く整備されていて、説明も丁寧です。予習しないで訪問しても充分楽しめます。

<土塁>
shirononagori gion (5).jpg
土塁跡は公園内のあちらこちらで見ることができます。画像は一番目立った(高かった)土塁です。

<祗園橋>
shirononagori gion (8).jpg
橋の下は深い堀切になっています。

<堀切の底から撮影>
nagori oyama (4).jpg
ここは本丸と二の丸の間の堀切り跡です。現在は道となっています。

shirononagori gion (1).jpg
道の行き先は思川(川原に出ます)。そこにはかつては舟付場があったとされています。それはこの地が城として機能していた時からなのか、それとも廃城後の堀切跡が「結城道」と呼ばれて街道として機能していた時からなのか、はっきりしません。

<縄張り図>
nagori oyama (1).jpg
連郭式の縄張りです。これは江戸に入って拡張された状態ですね。説明だと東西約300m、南北約700mに及ぶ城郭。 思川に面した丘に縦長に曲輪が配置されているのが分かります。その思川ですが、水量のある大きな川です。太古の昔には、本流のまま東京湾へ流れ出る川でした。現在では渡良瀬川支流。利根川へと繋がります。祇園城にとって、この川は天然の堀であると同時に、人や物資の輸送手段だったことでしょう。

それにして「おもいがわ」とは何とも素敵な響きですね。「人の思いが川の流れのように・・」などと勝手に想像してしまいました。実際には、漢字で田心川と書かれたのが、田+心=思で思川となったようです(女神の田心姫(たごりひめ)に由来)。


■小山義政の乱■
鎌倉時代から代々下野守護を務めてきた小山氏ですが、下野国は宇都宮氏ほか競合が多く、統治は不安定でした。やがて11代目当主の義政の時に、鎌倉公方と争うことに(小山義政の乱:1386年〜)。結果、鎌倉幕府軍に滅ぼされてしまいます。


■若犬丸の話■わかいぬまる
小山若犬丸は小山義政の息子。なにごと無ければ小山氏12代目当主となっていた男です。義政が戦いに敗れた後、父の遺志を継いで鎌倉公方足利氏満に反抗し、ここ祇園城に立て籠もりました。しかし討伐軍に敗れ逃亡。十年の時を経て再び鎌倉公方を相手に挙兵しますが、やはり大軍を前に敗れました。

若犬丸にはまだ幼い息子が二人(宮犬丸と久犬丸)いましたが、捕えられて鎌倉へ送られたのち、海に沈められました。若犬丸については、逃れた先で自害したとする説、あるいは蝦夷に逃れたという説もありますが、はっきりしていません。いずれにせよ、長く続いた名門小山氏の嫡流はこの時に途絶えました

(ここでちょっと・・・)
小山氏栄枯盛衰の負の部分ばかり説明していますが、栄えて盛んなゆえに11代も続くわけです。滅ぼされた小山義政も、一旦は勢力拡大に成功しています。しかし鎌倉公方に疎まれる結果となりました。城跡ブログなので、城が最後はどうなったか早足で説明すると、どうしても悪い事を説明せざるを得ません。


■小山氏の再興■
氏族の直系の血筋は途切れましたが、小山氏は同系の結城氏より養子を迎えて存続します。ただ戦国時代に突入した関東では争いが絶えず、地理的にいざこざに巻き込まれやすい小山氏は、その後も危機にさらされ続けます。

■小田原北条氏配下の城へ■小山氏支配はここまで
1575年には北条氏照に攻められ、小山秀綱が追放されてしまい、またも滅ぼされてしまいます。この頃には、かつての関東八屋形による支配は既に崩壊しており、小田原北条氏が関東を支配しつつありました。北条氏照は祇園城に手を加えて、北条の城として拡張工事を行います。この支配は、秀吉の小田原征伐(1590年)によって北条氏が滅亡するまで続きます。

■徳川配下から廃城■
江戸幕府成立後は、本多正純が3万石で城主(下野国小山藩主)となります。家康の側近中の側近、あの智将・本多正信の長男ですね。ここでまた城に手が加えられましたが、本多正純は宇都宮に移封となってしまいます。小山藩は廃藩となり、所領は古河藩が吸収。祇園城の役割は終わりました。


■つわものどもが夢の跡■
<堀切りのなごり>
shirononagori gion (6).jpg
長くて深い、そして複雑な歴史が刻まれた城跡には、いつのものか分からない遺構がたくさん残されていました。

------■ 祇園城 ■------
別   名:小山城
築城年:1148年(久安4年)
築城者:小山政光(小山氏初代)
支 配:小山氏・北条氏・本田氏
廃 城 :1619年(元和5年)

[栃木県小山市城山町]


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------ 追 記 ------
別な日に再訪したので、画像だけ追加しておきます。
<本丸跡の土塁>
shirononagoriADoyama (5).JPG

<祇園橋>
shirononagoriADoyama (3).JPG

<曲輪と堀切り>
shirononagoriADoyama (4).JPG

<思川と祇園城>
shirononagoriADoyama (1).JPG

posted by Isuke at 21:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[関東]
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