<小田原城模型>
ちょっと原始的な方法ですみません。赤い丸の部分です。平らに造成された区画。つまり曲輪(くるわ)です。
■御用米曲輪■ ごようまいくるわ
江戸時代、この区画は御用米曲輪と呼ばれ、幕府の米蔵が存在していました。藩の蔵ではなく、江戸幕府直轄の蔵です。御用米の曲輪、まぁ、名前の通りですね。厳密には、米以外にも武具や馬具なども保管されていたようです。
徳川幕府にとって、小田原城いかに重要拠点だったか、そして身内の城であったかが伝わってきます。
■戦国期庭園跡■
最近の発掘調査により、この御用米曲輪から、北条氏時代の庭園跡が確認されました。それ以前に「礎石建物跡」が確認されていて、新たに庭園跡が見つかったことから、この区画は戦国期において城の重要な区画の一つだったと推定されています。
庭園跡から出土したのは、池に水を引き入れるための石組水路や築山、庭石など。他の方のブログで発掘調査の画像を見ましたが、画期的な発見でわくわくしました。他人の画像を拝借することは控えていますので、私が同じく北条氏の城跡で見たものを改めて紹介します。
<鉢形城の庭園跡>
<鉢形城の石組水路>
北条氏政の弟・氏邦の居城跡です。発掘調査の結果をもとに復元・整備した状態です。小田原城の庭園もこんなイメージだったのでしょうか。
この時の記事は↓こちらです
「北条氏の城と庭園(鉢形城)」
投稿:2017年05月16日
この投稿と同じようなコメントになりますが、庭園は文化であり、戦闘そのものと直接の関係はありません。川や池といった自然を模した空間で、時を楽しむ。臨戦態勢だけを想定した中世初期の城に、そんな余分なスペースはあり得ません。時代とともに戦そのものが変化し、城のあり方も変わりますが、関東覇者の北条氏の城は、同時代の東日本の城とは一味違う気がします。戦いに備えて「ひたすら合理的」という世界に加えて、人らしさが漂います。
政治と経済だけでなく、小田原北条氏は文化においても関東の中心だった。別な見かたをすると、秩序と資金が担保されて、ようやく文化が成り立つのかも知れませんね。
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