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2017年06月17日

梅雨の小田原城址公園

つわものどもが夢の跡
日本100名城のひとつ小田原城を訪問しました。梅雨どきであいにくの雨でしたが、紫陽花が出迎えてくれました。

■ 城址公園 ■
城跡は城址公園として整備されています。春には梅や桜、この時期(6月)は紫陽花を楽しむことができます。
<紫陽花と堀> 
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二の丸付近です。周辺の曲輪も紫陽花がいっぱい

<こちらにも紫陽花>
biogつわものどもが夢の跡odawara (5).jpg
これは南曲輪付近。毎年「小田原城あじさい花菖蒲まつり」が開催され、夜にはライトアップの演出もなされるそうです(私は明るいうちに退散させて頂きました)。


■小田原城の始まり■ 扇谷上杉〜北条
この地に城が築かれたのは15世紀初め頃。駿河の土豪であった大森氏が小田原に進出し、拠点を築いたのが始まりと推定されています。築城者の大森藤頼(ふじより)は、伊豆・相模・武蔵を地盤にする扇谷上杉氏に従っていました。やがて伊勢盛時(いわゆる北条早雲)が関東へ進出し、大森氏を打ち破って小田原城を支配下に(1495年)。これより小田原北条氏五代(早雲⇒氏綱⇒氏康⇒氏政⇒氏直)百年の居城となり、関東支配の本城として少しずつ拡張されました。

■関東覇者の城■ 北条氏の城郭
武田信玄も上杉謙信も落とせなかった難攻不落の名城です。関東に点在する支城も充実。中世最大の規模のここ小田原城を中心に、広範囲のネットワークを築いていました。豊臣秀吉率いる天下軍を迎え撃った時には、総構え※の大外郭を完成させます。

しかし天下軍に長期間包囲されて最後は落城。城の歴史は江戸以降も続きますが、私にとっての小田原城は、やはり中世における北条氏の拠点ですね。本丸の位置こそ江戸時代とは異なるものの、この地が秀吉率いる20万の大軍と戦った関東覇者の本城であることに違いはありません。そこに拘って、訪問を決めました(そのあたりは次の投稿でふれさせて頂きます)。

総構(そうがまえ)
総構とは、城そのものだけではなく、城下町も含めて堀や土塁で囲い込んだ城郭の構造のことです。つまり、街ごと城ということですね。総曲輪(そうぐるわ)などとも呼びます。小田原城の総構は周囲全長9km。北条氏は豊臣秀吉との合戦に備えて、城下を囲う大規模な空堀と土塁を築きました。天下軍に加わっていた徳川家康は、江戸城及び江戸の町を造るときに、ここ小田原の城造りを参考にしたと伝わります。

■北条氏滅亡後■徳川幕府の重要拠点
秀吉から関東を与えられた徳川家康は、古くからの家臣で、徳川十六神将のひとりに数えられる大久保忠世に小田原城を任せます。さすがに大きすぎるので、コンパコトに改修し、本丸も八幡山から現在の小田原城址公園付近に移しました。小田原城は江戸の西の守りとして、重要な役割を担います。稲葉氏により更に大規模な改修が行われた後、再び大久保氏の城となり、明治まで存続しました。

■天守閣のある城■
関東においては、江戸城を除いて天守があった城は沼田城とここ小田原城だけです。のちに沼田城はお家の不祥事で城が破却されてしまい、江戸城の天守は明暦の大火で焼失してしまいます(それ以後は再建されませんでした)。明治を迎えた天守はここ小田原城だけだったことになります。

<小田原城天守>
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立派ですね。明治に廃城となったため、1960年に再建されたものです。最近また大改修がなされ、2016年5月1日に一般公開されました。内部の展示室も充実。リニューアルしたばかりなので、新品同然の状態でした。
※雨天のため、やや暗い画像となっています。

<本丸の堀跡と紫陽花>
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橋を渡って本丸へ向かう途中で撮影

<本丸東堀>
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もともとは水堀でした。現在は降りて散策することができます。堀底は菖蒲園、堀の斜面には紫陽花が植えられています。

■現在の小田原城■ 
明治になって廃城となり、建物の大半は解体。また、遺構として残っていた石垣は関東大震災で崩れてしまいました。しかし長い年月を掛けて城の主要な個所を復元。本丸跡を中心とした美しい城址公園となっています。

[主な復元]
昭和:天守・常盤木門
平成:銅門・馬出門

<銅門>あかがねもん
biogつわものどもが夢の跡odawara (11).jpg
二の丸の表門。天守閣への登城ルートに設けられた立派な門です。扉の飾り金具に銅を使用していることが呼び名の由来だそうです(現地の説明文より抜粋)。堂々とした門です。

<こんな展示も>
biogつわものどもが夢の跡odawara (15).jpg
壁の構造まで良く分かりますね。

ここは深い歴史の刻まれた城跡です。これからも守っていって欲しいですね。博物館に展示されているパネル(1950年代の白黒写真)で知ったのですが、一時は天守台に観覧車が設置されていたこともあったようです。それぞれの時代で事情があるのでモンクは言えませんが、城好きとしてはちょっとショックな写真でした。現在の天守は鉄筋コンクリートですが、外観からそれは分りませんし、堂々たる姿です。そして内部の展示物も甲冑や精巧にできた天守の模型などなど充実。天守の高さ比べというのがありましたが、それによれば小田原城の天守は全国で7位だそうです(1位は大阪城)。

維持・管理にも費用が掛りますから贅沢は望みませんが、気軽に人が訪れて、この地にかつてあった大城郭を想像できるような城址公園であって欲しいです。

<天守からの眺め>
biogつわものどもが夢の跡odawara (28).jpg
晴れの日にまた訪れたいですね・・・

----------■ 小田原城 ■----------
別 名:小峰城 小早川城
築城者:大森頼春
築城年:1417年頃
改修者:北条早雲・氏政
    大久保忠世 稲葉正勝
城 主:北条氏 大久保氏 他 
廃城年:1871年(明治4)
現 況:小田原城址公園
[ 神奈川県 小田原市 城内 ]


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--------------(追 記)--------------
東海道の宿場町
<公園内の歴史見聞館>
biogつわものどもが夢の跡odawara (17).jpg
宿場の雰囲気が再現されていました。小田原は関東の出入り口として重要な場所。江戸時代には東海道の宿場町として栄えました。東海道五十三次の9番目の宿場。日本橋から二十里というから、まぁ約80kmですね。この歴史見聞館は、小田原城の始まりから現在に至るまでの歴史が分かり安く説明されています。銅門を抜けたところにあります。
(一般:300円、小中学生:100円)

--------------(番外編)--------------
早川漁港グルメ
<巨大エビ天丼>
biogつわものどもが夢の跡hayakawa.jpg
城巡りは原則独りで食事も質素。ただ今回また勤務先の仲間にサポート頂き、更にこの二人がグルメであったことから早川漁港の人気店でランチとなりました。美味い!いつもだとおカネが飛んで行く一方ですが、たまにはいいですね。
[小田原市早川] わらべ菜魚洞


posted by Isuke at 11:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[関東]
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