多摩丘陵に築かれた中世の館跡を訪ねました
現地に「棚原の館跡」というタイトルのプレート説明板が設置されています。情報が少ないので、貴重な説明文です。冒頭を以下に転記させて頂きます(『』内は原文のままです)。
『ここから左側(東側)に見える操車場付近にはかつて小高い丘がありました。江戸時代の地誌には戦国時代に八王子城で討ち死にした島崎次郎某の館跡があって鎮守の森や馬場跡もあったと記されています。島田氏の先祖は鹿島神社や香取神社に近い常陸国(茨城県)行方郡の島田城付近から来たとも伝えられていますが詳細は不明です。』
名ははっきりしないものの、八王子城で討ち死にした武士の館跡ということのようです。ここでいう島崎次郎が、攻める側だったのか守る側だったのか分かりませんが、この地に拠点を構えていたのであれば、八王子城に味方する側だったのでしょう。
八王子城で戦いと言えば、思い出されるのは秀吉による小田原征伐の際の壮絶な戦い(1590年)。前田利家を総大将とする大軍が八王子城に襲い掛かり、僅かな将兵と領内から動員した領民で守る城は1日で落城しました。秀吉の小田原征伐の中でも、最も悲惨な戦いとして語り継がれている戦いです。悲劇の城のなかに、北条軍として戦った島崎氏もいたのだと受け止めることにしました。
文中にある小田急線の操車場。深い谷になっています。
館跡はこの上か?登ってみることにしました。
「よこやまの道」を登った坂の上。ここから奥へ行けるようです
こんな場所に出ました。この付近が屋敷跡ということになります
遠くまで見渡せます。奥に何やら別のプレートが設置されていました
馬頭観音の道標と古道交差点?ここには鎌倉道と奥州古道の十字路があったとのこと。こんな高台に交差点?と一瞬戸惑いましたが、多摩丘陵の別の城跡を訪問した際に、丘陵地帯を抜けていく古道の話を耳にしたことがあるので、何となく納得しました。実感はなく、あくまで何となくですが…
鎌倉道は鎌倉方面として、奥州古道も名の通りで、むかしの人が奥州方面に向かう時に通った道筋ということでしょう。この地は、それが交わった場所ということですね。
棚原館に話を戻します。
険しい山に築かれた拠点というと、守りの固さばかり気になってしまいますが、二つの道筋が交わるところに設けられていたということは、別な意味もあったのでしょう。
もう少し手がかりが欲しくて館跡周辺を見て回ろうとしましたが、私の訪問時[2023年1月]は工事中で、立ち入れる範囲が限られました。しかし、館があったことだけは確かなようなので、満足な訪問となりました。
ということで
詳細は不明ながら八王子城の北条氏に味方した武士の館跡を訪ねたというお話でした。説明文には『江戸時代の初め(寛永年間)には加右エ門屋敷もあったと伝えられています。』と記されています。険しい丘陵地帯ですが、人が拠点を構えるに相応しい理由があったのでしょう。
■訪問:棚原の館跡
(別称:棚原城 島田屋敷)
[東京都多摩市唐木田]2丁目
■参考及び抜粋
よこやまの道プレート
・棚原の館跡
・馬頭観音の道標と古道交差点
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