<二の丸隅櫓>
二の丸東堀と隅櫓です。ここは桜の名所ですが、訪問が真冬のためこんな画像となり恐縮です。
<二の丸東堀説明板>
通り沿いに小田原城総合管理事務所さんの説明板が設置してあります。二の丸東堀と関係するところを転記させて頂くと『小田原城は、春日局(江戸幕府の三代将軍徳川家光の乳母)の子、稲葉正勝が寛永9年(1632)城主になると、大規模な工事が行われ、石垣を備える近世城郭として整備されました。二の丸の堀も、この時代に形作られたとみられています』とのこと。江戸時代初期には既にこの堀は完成したわけですね。幅は最大で約40mの規模だったようで『二の丸東堀は、本丸・二の丸を守る堀の中で最も大きなも』だったそうです。埋められていなければ、この説明板の位置も堀の中だったようです。また、堀の石垣は関東大震災で崩れたものを昭和初期に復旧したもので、江戸時代の石垣はもっと高かったとのこと。今の石垣も良いですが、もっと迫力があったのかもしれません。
<説明板拡大>
こちらは江戸時代末期の小田原城の姿です。右側が北です。画像中央上の本丸(常盤木門)からみて東側へ向かって本丸東堀、二の丸、二の丸東堀、そして三の丸と続いています。その三の丸の更に外側にも堀がありますので、三重の堀だったわけですね。
城の本来の役割は敵の侵入を防ぐため。念入りな縄張りだったことが伝わってきます。
<二の丸北堀と学橋>まなびはし
こちらは二の丸北堀に架かる学橋です。この橋は城が現役の時はありませんでしたが、今では城址公園入口のシンボル的な存在となっています。かつては公園内に小学校があったとのこと。通学に利用されたことから学橋と名付けられたそうです。
城への立ち入りを拒む堀、逆に促す橋。小田原城跡は、城のなごりを留めながらも、役割は変わっていることを実感させられる景色です。
■訪問:小田原城二の丸東堀
[神奈川県小田原市本町]
■参考及び出典
・現地説明板
(小田原城総合管理事務所)
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春に再訪した時の画像を貼っておきます
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