<馬屋曲輪>うまやくるわ
奥の建物の向こう側は二の丸。手前が馬屋曲輪です
<馬屋曲輪説明板>
冒頭『馬屋曲輪はL字型を呈する独立した曲輪である。』と記されています。
<説明板拡大>
確かにL字型の曲輪ですね。周囲には石垣を巡らせ、その上に土塁と塀を備え、上へ登る階段や櫓が設けられていました。説明文をそのまま引用させて頂くと『この曲輪は、三の丸より東側は「馬出門」、南側は「南門」を経て「御茶壺曲輪」から二の丸表玄関である「銅門」へと至る重要な位置にある。』とのこと。馬屋のための曲輪ではなく、馬屋もある防衛上重要な曲輪と受け止めました。
とはいえ
かつての城の痕跡は、馬と関係があるものが多いですかね。
<馬屋跡>
馬屋は言うまでもなく馬小屋のことですが、徳川将軍家用であったとのこと。
<切石敷井戸跡>きりいししきいど
馬屋近くには井戸の跡。外側が円形で内側は六角形の井戸で、大陸から伝わったと説明板には記されていました。この井戸も徳川将軍家用とのこと。将軍家は常駐していませんが、普段から他とは区別しているのですね
<大腰掛跡>おおこしかけ
腰掛とは詰所のことです
説明板ばかりなので少し形のあるものを
<雁木>がんぎ
土塁と階段です。小田原城に限らず、雁木と呼ぶ場合があります。階段が、さながら雁が並んで飛んでいる様子と似ているためです。ここの雁木が他とちょっと異なるのは、階段がまっすくではなく、やや斜めに設置してあることです。なんでですかね?
<櫓台跡>
二重隅櫓の櫓台です。櫓そのものは当時の形がはっきりしないことから、あえて復元していないそうです。形の整った現在の櫓台は復元ですが、石材の一部はかつてのものがそのまま使われています。
つぎに
この馬屋曲輪の一部といってよい枡形門へ。区画を取り囲む城壁と二つの門がしっかり復元されています。
<馬出門>うまだしもん
枡形の内側を撮影しました。左手の高麗門が馬出門ですが、枡形となっている区画そのものの呼び名も馬出門です(分かりにくい?)。違う言い方をすると、左手の門(馬出門)と右手の門(内冠木門:うちかぶきもん)の二つの門、そして石垣と土塀で四角に囲んだ区画の総称も馬出門です(今度は分かった!?)
<馬出門説明板>
説明板の写真の方が枡形の構造がわかりやすいですね。復元はこういった発掘調査の裏付けにもとづいて行われています。
ということで
小田原城の馬屋曲輪、そして隣接する馬出門のご紹介でした。
<馬出門と土橋>
小田原城址公園には、城の正面から4つの城門をくぐって天守を目指す「正規登城ルート」というお勧めコースがあります。馬出門はその入口です。
■訪問:小田原城馬出曲輪
[神奈川県小田原市城内]3
■参考及び出典
・現地説明板
(小田原城総合管理事務所)
お城巡りランキング
タグ:神奈川