<御用米曲輪>ごようまいくるわ
こちらです。ただの平らな区画?にも映りますが、重要な役割を担っていた曲輪です。
<説明板>
詳細が記されていますので、前半を下記に転記させて頂きます。『』内は原文そのままです。
『御用米曲輪は、本丸の北側に位置する曲輪です。この曲輪は、外周を土塁と堀で囲われており、出入りは二の丸から相生橋を渡って入るか、本丸側から黒鉄門坂を下って入るしかありません。このような閉ざされた曲輪には、江戸時代の初めより幕府天領などから納められた米を保管する蔵が置かれ、「百間蔵」「城米曲輪」「御用米曲輪」などの名称で呼ばれる小田原城にとって大変重要な場所でした。』
以下省略しますが、2010年から2015年に発掘調査と記されていますので、最近になって分かったこともたくさんあるのでしょう。幕府の米を保管する蔵があったことはよく分かりました。閉ざされた曲輪という点をもうちょっと具体的に確認したいと思います。
<説明板拡大>
説明板の図の拡大です。ああ、なるほど、どこからでも入れる区画ではないようですね。現在位置、つまり私が撮影している場所は、いまでこそ道ですが、水堀だったわけですね。そうすると相生橋を渡って入るか、あるいは本丸側から入るしかありません。
幕府の米蔵
預かる側の責任の重さが伝わってきますね。同時に、小田原城を任される者と将軍家との強い結びつきも伝わってきます。小田原城の初代城主は大久保忠世。古くから徳川家康に仕えた三河武士です。以降稲葉氏を挟んで幕末まで、代々大久保氏が城主を務めました。
小田原城は、東海道の要所で関東防衛の役割を担いながら、食糧の保管までしていたわけですね。それ自体に軍事的な理由もありそうですが、深掘りしないでそのまま受け止めることにします。
ちなみに、今回は江戸時代の曲輪としてご紹介していますが、小田原北条氏の時代、つまり戦国時代においても、ここは建物が立ち並ぶ区画だったようです。本丸そのものの位置は江戸時代と異なりますが、北条氏が居城とした時代から、ここは特別な意味を持った曲輪だったのでしょう。
ということで
本丸に隣接する小田原城の重要な曲輪のご紹介でした。
■訪問:小田原城御用米曲輪
[神奈川県小田原市城内]4
■参考及び出典
現地説明板
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春に再訪した時の画像を貼っておきます
桜と御用米曲輪
御用米曲輪北西土塁
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