北条氏が小田原城の西端に築いた土塁跡を訪ねました。
<新堀土塁>しんぼり
■三の丸外郭新堀土塁■
堀切が見事な小峯御鐘ノ台大堀切跡を訪問後、すぐ近くの三の丸外郭新堀土塁へ向かいました。
奥が大堀切跡の散策路入口です。矢印が示すとおり、逆方向へ(南へ)向うと見事な土塁跡と会うことができます。
土塁の前に
まずこんな景色が目にとびこんできます
相模湾か…
海を見慣れた人は素通りかもしれませんが、埼玉県民の私はしばし足を止めました。敵は海からもやってくるわけですよね。そんなことを考えながら、しばらくボーっと。
さて
こちらが三の丸外郭新堀土塁への入口となります。
説明板の写真で、相模湾だけではなく、石垣山も景色に含まれていることに気付きました。言うまでもなく、豊臣秀吉が一夜城を築いた山ですね。そう思うと、かなり近く感じました。
説明文を途中まで以下に転記させて頂きます。『』内は原文そのままです。
『ここは文献史料の記載から、天正15年(1587)には存在していたことが知られる「三の丸新堀」に伴う土塁を中心とした場所です。「三の丸新堀」は小田原北条氏の時代の堀の名称として、唯一確認出来るものです。総構が出来るまでは小田原の外郭線でしたが、総構が構築されたことで、一つ内側の堀となりました。
この場所は、総構構築後も総構との結節点にあたる重要な場所であり、小田原北条時代の三の丸土塁の形状がよく残されています。』
総構は「そうがまえ」と読みます。城そのものだけでなく、城下の町全体を堀や土塁で囲む構造のことです。この地点はそのもっとも外側の防衛ラインと重なる部分らしく、いかに重要だったかが伝わってきますね。
説明文の最後には、この地点が眺望に優れ、相模湾や伊豆大島を望み、豊臣秀吉が築いた石垣山城をも目の前に見ることができると記されています。立て籠る北条方の城兵は、どんな思いで眺めたのでしょうね。
公園として管理されていて、入って良い時間が決まっています。右手に進めば土塁に出られます。
急に現れる遺構
凄い…迫力の土塁
綺麗に整備されています
左手の四角い窪みは遺構ではなく、撤去された建物の跡だそうです。
土塁のなごり
周囲は宅地化が進んでいます。しかし、ここだけは濃厚な城のなごりが漂っていました。
来てよかった。
そんな思いで現地をあとにしました。
ということで
三の丸外郭新堀土塁のご紹介でした。整備された小田原城址公園も魅力的ですが、少し離れたところに、こんな凄い場所があることを共有できれば幸いです。復元も含まれますが、魅力的な場所でした。
つわものどもが夢の跡
■訪問:三の丸外郭新堀土塁
[神奈川県小田原市城山]4-13
■参考及び出典
現地説明板
(小田原市教育委員会)
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