<旧森田家邸>
なんと重厚な屋根なんだ
門が閉ざされていたためこれ以上は進めませんでしたが、大きさに驚かされました。特に屋根ですかね。
<現地説明>
約半分は土間なのか
この建物『旧森田家』は清瀬市指定有形文化財。もともと同市内の野塩にあった主屋がここ下宿に移築されたものとのこと。下宿も歴史のあるところなので、その富農の屋敷跡であろうと思いきや、ちょっと違ったようです。
説明によれば、これは江戸時代中期の『本百姓』の典型的な屋敷とのこと。なるほど。えっ、本百姓つまりは年貢を納めるお百姓さんの典型?こんな凄いのが?
私が昔の農村のシステムをあまり理解できていないせいですかね。『これで普通』かのように受け止め、現地でちょっと困惑してしました。
これは『普通』ではないでしょ?
現地で結論は出ませんでしたが、この画像をTwitterで紹介したところ、街探索でご一緒させて頂いている複数のお仲間から情報を頂き、やはり比較的豊かな層の『典型』と受け止めるに至りました。そうですよね。
決定的だったのは清瀬市のホームページです。以下に抜粋すると
『森田家のご先祖は、かつて墓碑銘(現円福寺)から推定して16世紀後半には野塩に定住し、幕末期には名主役をつとめた旧家です。』
とのことです。名主役、まぁいわゆる庄屋のことと受け止めました。それなりの財力がある家が多いですよね。
この日は、かつての村の入り口に設けられている『道切り』の大蛇を見るため、清瀬市下宿に足を運びました。その途中、予想もしていなかった文化遺産と出会うことになりました。管理人さんが常駐しているわけではないので、屋敷の内部の見学には事前の申し込みが必要なようです(詳しくは市のホームページを参照願います)。私はただの通りすがり。外観だけで充分満足しました。
<茅葺屋根>
不勉強なため理解も中途半端ですが、古き武蔵野の農村文化に触れられたような気がしました。
■訪問:旧森田家
[東京都清瀬市下宿]2丁目
■参考及び出典
・清瀬市ホームページ
■当サイト内の参考画像
<清瀬市の道切り>
<円通寺>
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