今回は米沢市の直江兼続屋敷跡のご紹介です。
<直江兼続屋敷跡>
こちらが米沢市の直江兼続屋敷跡
<通り沿い>
といってもご覧の通りです。当時を偲ばせるものは何もなく、駐車場隅の説明板が目印です。これがなければ、直江兼続の屋敷跡と気付く人はいないでしょう。
<上杉博物館>
場所は米沢市上杉博物館(左手の建物が上杉博物館)の南側の通り沿いです。
関ケ原の戦いの後、領地を大幅に減らされた上杉家にとって、米沢での城下町整備や新田開墾は急務でした。その舵取りを任されていたのが重臣の直江兼続。米沢はそれ以前から兼続の所領でしたが、そこへ主君である上杉景勝を筆頭に、約6千人ともいわれる家臣、そしてその家族を受け入れることになりました。小さな町だった米沢は人であふれ、住まいの確保も困難だったようです。そんな難題に立ち向かっていた頃の兼続の屋敷が、今回訪問の場所ということになります。
<松岬神社>
こちらは米沢城の本丸近くの松岬神社。兼続が米沢城主だった頃は、この地に屋敷があったそうです。上杉家が会津120万石から米沢30万石に減封されると、兼続は屋敷を景勝に譲って転居したそうです。
ということで
直江兼続屋敷跡のご紹介でした。上杉ファンで米沢好きの男が当ブログを運営しております。よって米沢に関することはこれまでもたくさん投稿してきました。ただ、兼続の屋敷跡は本当に何もないのでないないご紹介しにくく、画像を放置していました。
本日は兼続の西暦での命日(1620年1月23日没)です。ふと屋敷跡のことを思い出し、取り上げさせて頂きました。このためだけにわざわざ訪問する場所とは思えないものの、観光スポットが集中しているエリアですので、ついでに足を運んでくれる人がいれば嬉しいです。
■訪問:直江兼続屋敷跡
[山形県米沢市城南1丁目]
■参考
・現地説明板(米沢市)
・Wikipedia:2021/1/23
-----------(追 記)-----------
■当ブログの過去記事ご紹介
<謙信の旗印>
120万石から30万石へ減封となりながら、苦楽を共にしてきた者たちを一人も解雇しなかった上杉家。普通なら破たんする状況に立ち向かい、藩政の指揮をとった兼続の活躍をまとめた内容です。
■投稿:2017年10月31日
■タイトル:米沢藩の礎 景勝と兼続
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2021年01月23日
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