■豪徳寺の概要■ごうとくじ
曹洞宗の寺院です。当地は戦国時代には吉良家の居城・世田谷城でした。城主の吉良政忠が、亡くなった伯母の菩提のために創建した臨済宗弘徳院が豪徳寺の前身と言われています。江戸時代に井伊家菩提寺となり、豪徳寺と改号されました。
<井伊家菩提寺>
<井伊家墓所>
この先が彦根藩主井伊家墓所です。なかの撮影は遠慮させて頂きました。13 代藩主・井伊直弼のお墓もこちらです。
<鐘楼>
<三重塔>
そして人気のスポット
<松福庵(招福庵)>
はい
詳細は省略しますが境内はだいたいこんな感じです。
■城跡として訪ねる豪徳寺■
では
ここからは城跡目線で
まず参道です。世田谷城は丘の上に築かれたほぼ単郭(主郭のみ)の城です。現在の豪徳寺の境内がほぼそのまま主郭と思って間違いないです。ここは曲輪の南側の虎口(入口)です。両脇の黒松も見事ですが、土が盛ってあることを意識すると、いかにも城への侵入口であること感じることができます。ちょっと思い込みも必要ですが
塀でわかりにくいですが、土塁のなごり
塀の向こう側はもっと分かりやすい。主郭の虎口(入口)へ向かう道の両側に土塁があり、たぶんその途中に門が設けられていたのでしょう。
境内ギリギリまで土塁
次に境内
境内の起伏ですが『首塚碑』がありましてので参考程度に
では
城の外周も見て回りますかね
豪徳寺東門です。正確にこの位置かどうか分かりませんが、この付近にも城への侵入口があったと思われます。
東門を入った左手。整備されて境内に溶け込んでいますが、石は別として、これがかつての土塁のラインであろうと受け止めました。つまりここより右手(北側)が主郭であろうと。あくまで個人的見解です。
次に北側へ
豪徳寺裏門です。南側・東側に続き、この付近にも城への侵入口があったと思われます。しかも主郭に直結する虎口だったと思います。また個人的に
ではちょっと豪徳寺を離れて
南側へもう一度戻って坂を下ります。繰り返しますが世田谷城の主郭(豪徳寺)は丘の上ですので、谷へ移動することになります。そんなことも実感しながら移動すると
世田谷城阯公園です。
二重堀の跡でしょうか。いわゆる城の遺構です。ここだけが城跡と思っている方も多いようですね。主郭は丘の上の豪徳寺として、ここは麓の出城のような存在だったのでしょう。
説明板に地図があります。ちょっと拡大してみてみますかね
北側の高台が豪徳寺。現在位置の世田谷城阯公園は南側の麓。こういう構造です。
地図をよく見ると、世田谷城阯公園より更に南側に緑色の線が入っていますね。これはかつての川で、現在は緑道となっています。この川(緑道)が、ここで一旦ゆるやかに南側へ蛇行しているのは、豪徳寺がある高台が南側の低地へ向かって突き出ているから。いわゆる舌状台地ということですね。
城にとっての川
天然堀ということです
どうせここまで来たのですから、この城にとっての『地の利』までも味わうことをお勧めします!
ということで川跡へ
烏山川の跡です。緑道となっていますが、かつての川です。ここには『城下橋』と名付けられた橋が架かっていたようです。
ここには『城向橋』という橋が架かっていたようです。川がないので橋もなくなりましたが、こうやって記してくれることが嬉しいですね。
正確に言うと、烏山川はなくなったのではなく、地下に埋設されただけ。地上からは姿を消しましたが、見方を変えると現役の川なのです。蓋をされた川。いわゆる暗渠ですね。
以上です
こんな風な目線で豪徳寺を訪ねる人もいる。城好きの人と、それが共有できれば幸いです。
■世田谷城について■
世田谷城の築城については詳細不明ながら、吉良治家が1366年に築城したと考えられています。足利一門の名族だけに、周囲からは一目置かれる存在だったそうです。15世紀後半には、あの太田道灌と同盟関係を結び、武蔵国の中心勢力として繁栄しました。やがて小田原の北条氏が関東の覇者として君臨しますが、吉良頼康の代に北条氏と縁戚関係をもち、実質は配下でありながら、他とは異なる待遇だったようです。
1590年の秀吉による北条征伐後、吉良氏は上総国生実(現在の千葉市)に逃れ、世田谷城は廃城となりました。
つわものどもが夢の跡
---------■ 世田谷城 ■---------
築城主:不明(吉良治家)
築城年:不明(1366年)
城 主:吉良氏
廃城年:1590年頃
現 況:豪徳寺
世田谷城址公園
[ 東京都世田谷区豪徳寺 ]
-----------(追 記)-----------
<豪徳寺駅>
豪徳寺駅からは徒歩で10分程度です。世田谷線の宮の坂駅が最寄り駅で徒歩5分程度。今回は城の北側の地形も見たかったので豪徳寺駅を利用しました。
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コメントありがとうございます。ブログには書きませんでしたが、世田谷城が廃城となり、やや荒れてしまった寺の飼い猫が、近くを通りかかった井伊直孝に門前で手招きして、雷雨から救ったというお話があります。ひこにゃんにも繋がるお話。そんなことも思い出しながら訪問して下さい!烏山川の暗渠も待っています(笑)