<石碑>
地下鉄御成門駅の近くに設けられた石碑です。あまりにもひっそりとしていて、足を止める人もいません。私も素通りしかけましたが、目に飛び込んできたのは『日本近代初等教育発祥の地』の文字。
<発祥の地>
教育発祥の地?そういわれると、そうとう重みがあるような気がして、説明板を読むことになりました。ちょっと時間もありましたので。
<説明板>
以下抜粋です。後半一部省略
『わが国の近代初等教育は、明治5年(1872)の学制発布に先立ち、同3年に東京府が府内の寺院を仮校舎として、6つの小学校を設立したことに始まり、その第一校は、6月12日に開港した。第一校のおかれた源流院は、江戸時代初期からの増上寺子院で、当時、境内北辺の御成門東側のこの地にあった。大訓導(校長)村上珍体、教師、助教と生徒中の秀才が生徒を教えた。授業は主として句読(音読)・習字・算術で、生徒は8歳から15歳までとし、机・硯箱・弁当は各自持参した。』
[出典:東京都港区教育委員会]
学制とは、日本最初の近代学校制度に関する基本法令。この説明だと、東京府では学制が発令される前に6つ小学校が設置され、最初の一つが芝増上寺に属する源流院に設けられたというわけですね。なるほど。
ここに石碑が設けられているということは、ここが源流院のあった場所ということになりますが、周囲にそれらしい雰囲気は漂いません。あった?か。過去形です。源流院そのものはどこへいってしまったのでしょう。
気になって早速ネット検索しました。その結果、この地にあった源流院は戦火で焼失してしまったそうです。ただ、ちょっと離れた場所になりますが、徒歩圏内に源流院の名を見つけました。
行ってみますかね
<増上寺>
御成門駅付近から増上寺三解脱門付近まで移動。ここからちょっと大門方面へ
<源流院ビル>
[港区芝公園]1-8-13
見つけました。こちらが現在の源流院です。実は寺院と気付かず一度通り過ぎてしまいました。大門駅のすぐそば。立派なビルとなっています。
<門柱>
源流院と刻まれたこの門柱が無ければ、わからなかったと思います。推定ですが、このビルの1階部分が寺院なのかもしれませんね。
<三つ葉葵>
徳川将軍家とのゆかりの深い増上寺の子院ですからね
では
再び御成門駅近くの石碑
<背後から撮影>
向こう側に見えているのは晩秋の芝公園。かつて増上寺の境内だった場所です。現在の増上寺からみて北側、つまり江戸城側です。当時の雰囲気は想像できませんが、最初の小学校はそんな場所に設置されたわけですね。
明治になると、全国には多くの小学校が設立されました。といっても、政府の方針だけでそう簡単にできることではありません。それに相応しい土壌が、既に我が国にはありました。寺子屋の存在です。江戸時代の末期には、既に全国に及んでいたようです。教育を受けるという意識がないと、いくら政府が号令をかけてもなかなか浸透しませんよね。
また、授業ができる具体的な場所が必要になりますが、いきなり全国に校舎を建設するわけにもいきませんよね。ではどうしたのか?寺院や民家がこれに充てられるケースが多かったそうです。
源流院はそんな大きな流れの先駆けとなった寺ということですね。発祥とは事が起こり始まること。石碑に刻まれた『日本近代初等教育発祥の地』の意味、ちょっとは理解できました。
場所は御成門駅の近く
<御成門駅出口>
この出口のすぐそばです
地味な石碑ですが、当ブログがきっかけで足を止めてくれる方がいたら嬉しいです。
■訪問:
日本近代初等教育発祥の地
[東京都港区芝公園]1-1
お城巡りランキング
タグ:23区