<三日月堀>
諏訪原城跡で撮影した三日月堀です。その名の通り、三日月のような形をした堀です!構造そのものは絵図の方が説明しやすいので、下の画像をご覧ください。
<絵図>
[撮影:諏訪原城ビジターセンター]
こんな感じです。複数の三日月堀が配置されていますね。
■半円状の区画とセット■
三日月型の堀は、全て半円状の区画とセットになっています。この半円の区画と外部を隔てるため、堀は結果として三日月状になります。更に注目すべきは、これらが城のどこに配置されているかです。絵図を良く見て下さい。城の出入り口に配置されていますね。
出入り口のことを、城用語では虎口(こぐち)といいます。この虎口のすぐ外側に設ける区画のことを城用語では馬出しといいます。まぁ名の通り、馬を待機させておく場としても機能しますが、それだけではなく、戦闘用の曲輪の一つと捉えた方がいいかもしれません。実際に、馬出曲輪と呼ばれることもあります。大きな意味では城の出入り口の防御のためですが、攻め手を迎撃する時に効果を発揮するので、極めて攻撃的な施設といえます。
この馬出しが半円になっている。これを「丸馬出」といい、武田氏がよく用いたとされています。そして丸馬出しとセットなのが三日月堀。この構造が全て武田氏によるものとは限りませんが、まぁ私個人のイメージでも、丸馬出し・三日月堀と聞けば武田流の築城術です。
■馬出しの効果■うまだし
まず馬出しと堀があることで、攻め手は虎口に直進することができません。更に、馬出しそのものに土塁が設けられているので、中の様子をうかがい知ることもできません。敵は堀を迂回しようとして分散された上に、土塁の内側に潜む城兵の力量も見積もれないまま戦うことになります。また、城内からもよく見える場所でありながら、虎口を目指す攻め手の行動範囲が限定されるため、狙い撃ちしやすくなります。つまり、馬出しと城内の双方から攻撃することができます。また、左右にある馬出しの出入り口のうち、どちらか片方に敵が押し寄せてた場合は、逆側から馬出しの外へ飛び出して背後を狙うことも可能です。
繰り返しになりますが、馬出しは防御施設でありながら、極めて攻撃的なのです。
<諏訪原城の三日月堀>
駿河・遠江はもともと今川氏が拠点とした場所ですが、甲斐の武田氏が侵攻した結果、多くの城跡に武田流の築城術が取り入れられています。ここ諏訪原城の三日月堀も武田氏によるもの?と思いきや、最近の調査で、武田滅亡後に徳川家康が改修した時のものと結論づけられたそうです。ただ、優れた技術は継承されていくもの。当時として最高レベルの武田流築城術を、家康も真似たのでしょう。そう考えると、やはり武田流と言っても良いのかもしれませんね。
以上、三日月堀と丸馬出のご紹介でした。
■訪問:諏訪原城
[静岡県島田市金谷]
■絵図の引用:
諏訪原城ビジターセンター
[静岡県島田市菊川]1174
説明に使用した絵図はこちらの施設で撮影しました。入場無料でトイレも完備。諏訪原城の説明は勿論、城の楽しみ方などがパネルで分かりやすく紹介されています。
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タグ:城用語