つわものどもが夢の跡
埼京線南与野駅をスタートした「遺構がなさそうな」館跡めぐり。今宮館跡の次は矢垂館跡推定地を訪問しました。以前別な場所の訪問記で指摘を受けてしまったので事前に申し上げますと、探しただけで確証を得た訳ではありません。とりあえず行ってみる。似たようなことをしている人が共感してくれれば幸いです。
■地名・矢垂■
鈴谷(すずや)は耳にしたことがありますが、矢垂とは?恥ずかしながら、まず読めません・・・
<鈴谷天神社>
[中央区鈴谷2-12-1]
与野西中学校脇に鎮座する鈴谷天神社です。この神社の境内(入って右手)に矢垂稲荷という神社がありました。
<矢垂稲荷神社の鳥居>
<鈴谷天神社と矢垂稲荷神社>
手前が矢垂稲荷神社です
鈴谷に名を残す矢垂・・・これは「やたれ」あるいは「やだれ」と読むそうです。現在「鈴谷」と呼ばれるエリア、かつては小字名として矢垂の名があったようです。与野市大字鈴谷字矢垂ということですね。
■矢垂の館■
その「矢垂」にあった館。どこですかね?
<さいたま市保健所>
この保健所の周辺で堀が検出されました。この付近、東側の低地(鴻沼川付近)より高台になっています。保健所のある区画は更に高い場所。どこかに館が築かれていても不思議ではない所ですね。
<裏側の道>
右手の区画には保健所や公民館などの施設があります。左は大きなマンション。遺構と無関係ですが、立派な庭で羨ましいマンション。それは良いとして、とにかく道も真っ平らなので、特に館跡といった雰囲気はありません。
<小さな神社>
丘を北側へ進むと、小さいですがいい雰囲気のいい神社が。ただ特に館と関連づける情報もないので・・・
丘になっている周辺を更に探索(徘徊に近い)しましたが、劇的な何かに出会うこともありませんでした。矢垂館とは別に、この丘には真土(まつち)館跡があったとされています。こちらからは「断面が薬研形をした堀」が確認されたとのこと。どこでしょうね。城ブログご先達の皆さんが紹介している路地に到達したものの、あまりに普通の道であることから断念。発掘調査の時のパネルかなにか展示して頂けると、結構実感が湧くと思うんですがね。
ここ鈴谷には、かつて今宮館、真土館、そして矢垂館の3つの館が在った。それは事実のようです。このうち前回投稿の今宮館については、岩槻城主・太田氏房の家臣の館ではないかという説があります。もしかしたら、ここ矢垂館もその関係なのかも知れませんね。
冒頭にも申し上げましたが、確証を得た訳ではありません。そう推定されている場所へ、城跡好きの会社員が休みを利用してとりあえず行ってみた。そんな感じで受け止めて下さい。
<南与野駅西口>
今回は鈴谷の3館を目指し、西口を出て北へ向かいました。実は南へ数百m行けば、以前訪問した真鳥城跡があります。
<真鳥城址石碑>
あの時は真夏の訪問でした。宜しければ訪問記を覗いてみて下さい。→『記事へ進む』
ということで、今回も最後までお読み頂きありがとうございます。
お城巡りランキング
2018年01月09日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/7178076
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック