立派な城跡ではなくても、土塁跡や堀跡の痕跡が少しでもあれば充分。いつもそう思っています。
しかし、本当に何もない。石碑すらない。そういう場合もあります。今回の訪問は事前にそのことを分かっていました。しかし、もしかしたら何かあるかも知れない。地形だけでも納得できるかも知れない。そんな期待を込めての訪問です。成人式を含む三連休。寒いながら晴れの日。埼京線南与野駅で下車しました。
■鈴谷の交差点■ すずや
<今宮館跡>
[さいたま市中央区鈴谷]
Nothing・・・
<別角度>
Nothing・・・
はい。以上です。ここは城郭の中心部分と推定されているだけなので、一応周辺を歩きました。しかし劇的な高低差とか川跡も付近にはありません。予想通りでした。
ここは旧与野市。私は埼玉県民なので、中央区とか言われるより「与野」のほうがピンときます。その与野市史によれば、昭和の教育委員会による発掘調査で、本町通り南に二重堀を検出という実績があります。ただちょっとどこだか分からず・・・。付近には、たぶん昔から住んでいらっしゃると思われる敷地の広いお宅(私から見れば大邸宅)もちらほら・・・。私有地にあったりして?などと思いながら、諦めて北へ向かいました(ここから歩ける距離にさいたま市保健所があり、その周辺に2つの館跡があるため)。
→結論
分類すると平城。これだけ。詳細不明ながら、岩槻城を拠点とする勢力の傘下だったと思われます。
これで終り?
はい。ただ、どんなところに位置する館跡なのか・・・つまり地の利に関わることなんですが、ご興味を持って頂ける方は次もお付き合い願いますでしょうか。
■ 沼地に面した高台 ■
館跡推定地付近は平らな地形。しかし東へ向かって歩くと、行った先は低地となります。つまり、鈴谷の交差点は台地にあるということですね。実は南与野駅で下車した時点で、そのことを意識しながらここへ来ました。
(この日のスタート地点)
<南与野駅西口>
新幹線と高架を共有している埼京線ならではの光景。
<公園と高架の間>
西口駅前は公園等も含めて綺麗に整備されていますが、敢えてこんな場所を撮影。右側が東側、左が館跡のあった西側です。既に高低差が始まっているのが伝わりますでしょうか?西に向かって高くなっています。
<鴻沼のなごり>こうぬま
高架の下を通って東側へ進むとこの状態。「鴻沼川」です。今でこそ川ですが、ここはかつては沼。南北に細長い(4qにも及ぶ)巨大沼でした。
<鴻沼川>南方面
江戸時代の治水事業により沼は姿を消しました。しかし今宮館があった頃は沼地。沼に隣接した館という訳ではないようですが、沼に面した台地の端にあった。そんな感じでしょう。
ということで
詳細不明の今宮館、大きな意味での「地の利」でした。
会社員の拙ブログ
最後までお読み頂きありがとうございます。
<南与野駅ホーム>おまけ
新幹線も通ります。止まりませんが…
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