つわものどもが夢の跡
晩秋の米沢市で、鷹山ゆかりの地を訪問しました。
<籍田の碑>
[米沢市御廟]3丁目
ここは上杉鷹山が「籍田の礼」を行った場所です。
■籍田の礼■せきでんのれい
鷹山は中国の例にならい、「籍田の礼」をとり行いました。苦難続きの農民たちを励まし、更には土にまみれる下級武士たちを蔑む風潮を一掃するため、身をもって田畑と向き合いました。
籍田とは中国の農耕儀礼。周の君主が、農民を励ますため自ら田を耕し、収穫物を祖先に備えたことが起源とされています。鷹山はこれを手本としました。
■率先垂範■
ここでちょっと鷹山を題材とした童門冬二さんの小説から引用させて頂きます。
『改革には城と地域と個人の三つの努力が必要』
なるほど。
伝統と慣習により硬直化した家臣団を束ねる鷹山。これはもう「城」の改革だけでも大変なことです。城、すなわち藩主と家臣団。その暮らしを下支えしているのは領民。そして、国は本来領民のためのもの。城も努力し、村も領民も努力して変わることが必要。そうでなければ、国そのものは良くならない。そういうことですね。会社で言えば幹部と現場、そして何より社員ひとりひとりが変わらなければ、全体は生まれ変われないということでしょう。
当時の米沢では重い年貢、洪水や干ばつにより、農民は苦しい生活を強いられていました。耕地を放棄して逃げ出す農夫も珍しくなかったようです。鷹山は「籍田の礼」を行うことで、まず疲れ果てた農民を励ましました。
■小説内の籍田の礼■神の地
童門冬二さんの小説にも、籍田の礼が登場します。
鷹山の方針を指示する者が増える反面、いやがらせで田畑を荒らす輩が現れます。読者の大半が腹を立てるシーンですが、鷹山の対応は冷静。荒らされた田へ出向き、「籍田の礼」を行います。
(鷹山の台詞)
「この米沢の地も天から賜ったものである。この土地でできる稲や野菜は、藩祖上杉謙信公を祀る春日社と、上杉家が長く崇拝している白子社の明神に捧げられる。この土地は春日・白子両社の神地であって、何人といえども手を出すことはできぬ。もし、この土地に理不尽な挙を加える者があらば、謙信公と白子明神の神罰が下るであろう。」
田畑を荒らしたのは盗賊でも野武士でもなく、同じ米沢藩の武士。れっきとした上杉家の家臣です。よそから来た若き当主は憎くても、謙信公や米沢の鎮守には背けません。鷹山が行った「籍田の礼」は、土にまみれる者たちを励ますとともに、良からぬ者たちの企てを田畑から遠ざけました。
■つわものどもが夢の跡■
格式高い上杉家の当主が、自らが鍬を取る。農民や半士半農の者たちだけでなく、城の武士たちもこれを見習い、田畑の開墾に協力するようになりました。
財政難だった米沢藩は、いつしか他藩からお手本とされるようになります。ただし、それはそうとう後の話です。
■参考にした文献■
小説 上杉鷹山(集英社文庫)
著者:童門冬二
お城巡りランキング
2017年12月20日
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