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2017年10月07日

雨の青葉山 仙台城訪問

つわものどもが夢の跡
10月の雨のなか、仙台城を訪問しました。

<伊達政宗騎馬像>
shirononagori sendaijo (4).jpg
こちらは言うまでも無く仙台藩初代藩主・伊達政宗の銅像。久しぶりに実物を見ましたが、大きいですね。立派です。
shirononagori sendaijo (5).jpg
映りが悪いですが、影だけでも威風堂々。

この城を初めて訪問したのは相当前です。まだ「城跡」に大した興味もなく、この銅像の前で会社の先輩と慌ただしく写真を撮った記憶しか残っていません(仕事中?)。

今回の訪問(純粋な旅です)もあまり時間は割けませんでしたが、城跡への思い、そして伊達政宗への思いは以前とは全く異なります。「行ったことがある」ではなく、自分なりに感じるものがあり、有意義な訪問でした。

築城者も城も有名なので、ネット検索すると情報が溢れていますね。まぁ自分なりに感じたこと、拘っているたところだけまとめると以下の通りです。

■ 天然の要害 ■戦国時代?
この言葉は良く使いますが、縄張りも含めて「険しい山城」といった印象を受けました。広瀬川に面した山に築かれ、本丸の東側と南側は断崖となっています。関ヶ原の戦い以後の築城でありながら、伊達政宗は山城を選択。戦国のなごり、周辺との緊張の度合いが伝わってくる城跡です。

<石碑>
shirononagori sendaijo (6).jpg
ちょっとビニールゴミ落ちてましたが・・・柵があって拾えず。そのまま撮影しました。

■ 上杉景勝を意識 ■強すぎるライバル
伊達政宗が徳川家康と「何とか」うまくやっている一方で、隣国の会津上杉は反徳川のまま。関ヶ原の戦いが終わっても、まだ緊張状態が続いていました。政宗が仙台城の建設に着手したのはそんな時期ですので、場合によっては会津120万石の上杉と一戦交える可能性もあったわけですね。和睦が成立して上杉家が米沢30万石へ減封となるのは、仙台城築城開始後です。

■ 千代城跡 ■せんだいじょう
青葉山には、鎌倉時代末期から既に城があり(陸奥守・島津氏の居城)、戦国末期には国分氏が居城していました。ただこの国分氏(国分盛重)は政宗と対立してこの地を去り、古くからあった城(千代城)は一旦廃城となりました。

出奔した国分盛重(こくぶん もりしげ)、実は政宗の叔父です。もともと伊達政重という名で、兄弟は政宗の父・輝宗や政景(後の留守政景)。兄である輝宗が当主の時に国分氏を継ぎました。国分氏はもともとこの地域(現在の仙台市含む)の有力者。仙台城の前身の千代城を居城としていました。当ブログでは天童氏との関係でちょっとだけ登場。やや話が横にズレますが、良かったら読んでみて下さい→『最後の城主・天童頼澄
その国分氏、伊達氏が当主となったところで血筋が途切れました。これは伊達輝宗の圧力によるものですね。しかしその当主も、輝宗の息子の政宗によって追い出されるのですから、なんだかドロドロの人間関係ですね。


■ 広いし不便 ■大規模な連郭式山城
仙台城跡はいわゆる市街地の西方に位置する丘陵地帯。車用の道は整備されていますが、もともと「本気で戦う」ことを想定して場所を選んでいるだけあって、くまなく探索するのは結構大変です。なるべく城跡周辺も含めて探索するようにしてますが、いろんな制約から「バス」を多用し、肌で感じるというより、なんとか目で確かめるという訪問となりました。

まぁ来れただけでも有り難い

縄張り図だと連郭式山城ということになります。しかし本丸だけが特出して高いところにあり、他の曲輪との高低差、そして行き来の悪さに愕然とします(バイクで城巡りする人が羨ましく思えました)。構造も私の目には特殊に見えます。ちょっと極端な言い方ですが、頂上だけが戦闘を意識した城で、他は付属施設。そんな感じです。

<城と城下町>
shirononagori sendaijo (3).jpg
現地の案内板を撮影


■ 城跡のいま ■
山頂(本丸・西ノ丸)はもはや観光地といった感じですかね。眺めが良く、城の復元も進んでいます。そして麓の二の丸。これは二代目藩主・忠宗時代に造成されたもので、現在は東北大学になっています。城跡にして、緑豊かなキャンパス。人生のひと時をこんな環境で過ごせるなんていいなぁ。などと一瞬あたまをよぎりましたが、そもそもこんな難関大学に縁は無いので、ほのぼのとした諦め感で景色だけ眺めました。そして三の丸は仙台市博物館。次の予定もあるので、この付近の遺構はバスの中から眺めるだけでした。本来なら徒歩でゆっくり歩くべき場所。それだけの価値があります。いつになることやら、とにかくまた訪問したいと思いました。

■ 天守閣はなし ■もともと
仙台空襲によって大半の建築物が焼失した仙台城ですが、天守閣はもともとありませんでした。諸説ありますが、徳川家康に対する遠慮(敵意はありませんという意志表示)から建造しなかったとも言われています。ただ、このことは太平の世には都合の良い結果となりました。険しい山の頂上は、戦には向いていても統治には不向き。そんな場所に莫大な費用で天守閣を築いていたら、不便な上に維持費もかかり、きっと藩政の重荷となっていたことでしょうね。


■ つわものどもが夢の跡 ■
<本丸からの眺め>
shirononagori sendaijo (7).jpg
雨の仙台平野を見下ろす

政宗から始まる仙台藩。街づくりを含め、二代目の忠宗に引き継がれます。人の暮らしが豊かになる。街が栄える。若い頃から戦に明け暮れ、ギリギリのところで生き残ってきた伊達政宗ですが、晩年にはそんなことを夢見ていたのではないでしょうか。

-------■ 仙台城 ■-------
別 名:青葉城
築城年:1601年
築城者:伊達政宗
改修者:伊達忠宗
(政宗次男・ 第2代藩主)
城 主:伊達家歴代
廃城年:1871年
[宮城県仙台市青葉区川内]


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ごく普通の会社員が興味の情報を共有できればと思い運営している個人ブログです。素人が楽しんでいるだけですので、掲載されている内容につきましても、その程度であることをご理解願います。



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posted by Isuke at 23:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 城跡[東北]
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