2022年02月24日

授業中断

中1の授業でFがどうも落ち着きがない。
すぐに思ったことを口にし、授業を中断させる。
先日も、後ろの席の生徒が、「うるさくて授業に集中できません」と訴えてきたので、その生徒の座席を変えた。

昨今の中学生は概して幼い。
まだ小学生の思考と行動とおぼしきこともしばしばである。

今日の授業では、さすがに私も堪忍袋の緒が切れた。

考査前の最後の例題で、大切な話をしているときに、落ち着きがなかったのだ。

私はそこで授業を中断。
もう何も語ることはなかった…。

以前の私なら、そのまま職員室に戻ってしまうというパフォーマンスをしたが、最近はそうしたことはしない。

職員室に戻ってきて、当のFやその他生徒たちが何かしら反省すればいいのだが、昨今の中学生にはその感覚が薄い。

幼いと言えばその通りなのだが、なかなか私のもくろみ通りにはいかない。

「授業放棄だ」などとも言われかねないし、職員室内でも「冷たい視線」を感じるだろうし、教頭にも叱られるのだろう。

それでも私は精一杯の抵抗をしてみた。

「授業を聞き、宿題をこなせば、必ず理解できる」授業をしているつもりだ。

だからそれを妨げる者には、きちんとさせなくてはならない。
それが教員としての務めだ。

私は終業のチャイムがなると、挨拶もせずに職員室に引き上げた。

ほどなく数学係の女子生徒が来た。
「私たちが注意できなくてすいません。だから私たちに続きを教えてください。」

と言う。

私は何も答えなかった…。

2022年02月23日

天皇誕生日に思う

昨日は「猫の日」だと、テレビはニャンニャン一色だったが、「竹島の日」としての報道はほとんどなかった。これが日本の報道機関の現実である。

変わって今日は、通常授業だった。
先日の建国記念の日と同様、天皇誕生日も授業日になった。
この休日は、学校歴では7月に移されるらしい…。

今日は、天皇陛下の誕生日、天長節である。

報道では、天皇陛下のお言葉が伝えられたが、何だか、眞子元内親王の話題ばかりで、これまた、日本のマスコミらしい報道姿勢だった。

秋篠宮悠仁親王の筑波大付属高校への入学の報道についても「お祝い」というよりもむしろ、粗探しのようにも見える。

何だか、積極的に秋篠宮家を叩き、「皇位継承させないぞ」という世論を作り、愛子内親王の女性天皇待望論をさらに大きく広めようとする、恣意的なものを感じる。

かつての女性天皇は独身であったという。
女性天皇の子どもは、男系ではない。
その時点で、これまで万世一系が崩れ、皇室の存在意義も揺らいでしまう。

戦後、GHQは皇室の廃止を目論んで、11宮家51名を臣籍降下させた。
いずれは、皇位継承者がいなくなり消えていくだろうと考えたのだろう。

現在の皇室を見るに、皇室を伝統文化としてのみ残していくには無理がある。
神道の祭司長としての、宗教指導者の側面があってこそ、その生き方に徳が生まれ、国民の信頼を得るはずだ。

「今日は何の日だか知っている?」
と授業で問えば、当然の如く「天皇誕生日」と返ってくる。

だからと言って、彼等が皇室に敬意を持っているとも思えない。
学校でも国旗は掲揚されない。

やはり私は少し違和感を抱く…。




2022年02月22日

思春期の病

昔なら怒鳴って、恐怖で言いくるめていただろう。

昨今は、たいてい静かに話す。
だが、その言葉には、恐らくはまだトゲがあるだろう。
私は、この歳になっていも未だ人間ができていないのだ。

今日の野球部の練習で、キャプテンが外野ノックを打っていた。
普段なら、キャッチャーには中1の生徒が入るが、今日は柔道で指を痛めたという中2が入った。せめてバックホームの球くらいは何とか捕れると見込んだようである。

ノックは順番に行われ、徐々に盛り上がるも、中1のYの動きが緩慢だ。
中継に入るときも、歩いて入り、逸れたボールも手を伸ばすだけで採ろうとする。

「なんで動かないんだ!」と言われれば、「捕れると思ったからです」と応える。

先輩たちの怒りは徐々に蓄積されていく。
そんな中でも、ずっと冷静でいたのがキャプテン。
「中継は動いて捕るんだ!」
とフォロー。

ほどなくYがノッカーを受ける番になった。
声が出ないので、キャッチャーをしていた中2が「声を出せ」と叫ぶ。
しかしYは小さい声なので、さらに「声を出せ」と叫ぶ。
それでも、Yが大きな声を出さないので、さらに奇声を発するかのように「声を出せ」と叫んだ。

すると、Yはその姿を見て笑った。
先輩たちには、バカにしたようにみえたのである。

これにはキャプテンも激怒した。
「出ろ!」
と、ノックから外したのだ。

Yは広場から去り、外の草むらでふてくされて仰向けに寝ていた。

私は、Yが勝手にいなくなり、どこかへ行ってしまうことのないように、遠くから彼を見守る…。

結局、自己中で、自己卑下で、言い訳、我が儘ばかりの繰り返し、なのだ。
思春期特有の病だ。

私はあまり自己中は好きではない。
自立を待つしかないか…。




2022年02月21日

雪、降り続く…

朝から埃のような雪が舞っている。
通常ならば、日中は雲が晴れ、雪も止んでいくものだが、今日は、晴れ間がさすことはなかった。
極めて強い冬型で、北の地方では大きな被害も出ている。

このあたりの積雪は大したことはないが、山では吹雪、大雪になっているようである。
山間部では連日除雪が大変らしい。

月曜日の朝のどんよりと曇った空には気持ちも萎える。
晴れやかは気持ちにはなりにくいのだ。
「今週も頑張るぞ!」という思いが湧いてこない。

ほんの少しの心の状態の影響なのかも知れないが、今朝は少しブルーな気分だった。

日中は少し休んだ。
放課後の部活は、グランド状況が悪かったので、自主練にした。
そして夜の補講。

先週は中止になったものだが、今日は高1、高2が十名ほど集まった。
彼等に授業をするのは、もはや一年ぶり、二年ぶりなのだ。

懐かしい顔ぶれに、私も顔がほころぶ。
しばらく教えていなかったので、レベルが分からなかったが、少し高度な話もした。

微積分の特別授業は一時間強で終わった。

初めは気が進まなかったが終わってみれば楽しかった。

いつしか雪は止んだが、恐らく今夜もちらつくのだろう。

いろいろな思いが巡る週初め。

彼等は、私の授業が受けたくて来てくれたようだ。
ありがたい…。

その思いが、雪の冷たさを溶かしていく…。




2022年02月20日

公民館清掃

久しぶりに地元の公民館清掃があった。
半年ぶりくらいであるが、前回は失念してさぼってしまったので、今回は必ず行かねばならないと、何年かぶりに目覚ましをかけた。

厳寒期に入り、早朝の犬の散歩を控えているので、朝、隠れ家に行っていないのだ。
それでも、4時台には目が覚めるが、そのまま二度寝してしまうと寝過ごしてしまうので、保険としてセットしたのだ。

案の定、アラームで起きた。
5時20分のアラームで起き、そのまま公民館へ。
自動車で十分ほどの距離。

回覧板では6時から、となっているが、皆集まりが早く、6時には完全に終わっている。
だから私は、15分前には到着するように行く。

コロナ禍でほとんど使っていないので、館内も綺麗だ。
聞けば10日前に別の部落の人が掃除したのだという。

今朝は、雪の予報だったが、雨になった。
この先、風が強まり、山は吹雪になるだろう。

「よかったね。雪にならなくて…。今年は雪が多いね。」
地元の人が言う。

ここ数年暖冬だったので、この冬の寒さはこたえるようだ。

「学校も休校になっちゃったしね…。」
そんな声も聞こえてくる。

学校現場ではかなりの勢いでコロナが広がっているらしい。

先日LINEで連絡が来た。
「自主練期間、皆様はどのように部活運営をしていますか?」
というものだった。

私は「通常通り」だとはこたえられず、よその学校の先生たちのメッセージを見る。

すると、何と、体育の授業も中止にしている学校もあるようだ。

「うちはすべて保健にきりかえています。」

部活のみならず、体育もか…。

公民館清掃に来た地元の人たちは、相変わらずの元気いっぱいだったが。

2022年02月18日

PC延命化

以前、『私のパソコンたち その2』でも述べたが、職員室のノートパソコンが不調である。

熱暴走気味なのだ。

CPUの温度を測るソフトを入れてモニターしているが、時に100℃近くになる。
今は監視ソフトで高温になると、自動的にスリープ状態になるようにしているが、これでは恐ろしくてパソコンが使えない。
以前は。一台のノートパソコンだけだったが、作業が偏り、負荷がかかったのか、もう一台のノートパソコンも同じような症状になった。

そこで、何とか延命措置をはかろうと、ノートパソコンを浮かせ、その下にそれぞれ8cmものファンを置いた。

原始的な空冷である。

いまのところ、この強制冷却で、なんとか60℃台をキープしているようだ。

何かの不具合で負荷がかかり、急速に温度が上がり気味のときは、手動でスリープにすればいい。

二台同時に高温になることはないだろう。

どちらも古いパソコンだが、まだまだ現役で動いてくれないと困る。

それほど重たい処理をさせているわけではないので、まだまだ使えるだろう。

しかし、まさかノートパソコンを強制的に空冷するとは思わなかった。
少し持ち上げられたノートは、キーボードも打ちにくい。

それでも、使えるうちは使い続けようと、愛着を感じている二台のパソコンたちに、日々向かい合う。

デスクトップのように、すぐにケースを開け、ファンの掃除ができればいいのだが、ノートではそうもいかない。

「まだまだ長く動いてくれよ」と、祈るばかりである。




2022年02月17日

保健所対応

このところの感染増加で、いよいよ地方の保健所もキャパオーバーになったようだ。
以前は、一人PCR検査で陽性者が出ると、一時間以上のヒアリングがあり、濃厚接触者を特定し、日々の健康チェックも保健所管理だった。

ところが最近変わった。

まず、ヒアリングがなくなった。
陽性者本人に直接電話があり、「10日間隔離」が伝えられるだけ。
それ以外の濃厚接触者に関しても、学校長裁量に変わった。

重要かリスクも低く、発熱も一時的な症状の若者が多いということ。
合わせて、保健所業務の限界ということだろう。

この二年間、行政のコロナ対応は混迷を極めている。

以前の常識は常識ではなくなり、次々と濃厚接触者の定義も変わっていく。

「昨日までの生徒は一週間の隔離だが、今日からの生徒は三日で終わり」、と言う具合に、なかなか納得しがたい状況になった。

誰かが決めた基準が一人歩きする。
水際対策としての入国制限も、どれだけ科学的根拠があるかどうか分からない。

留学生受け入れの緩和を叫んでいる公明党は、中国人を意識してのことだろう。

「2類」として新型コロナを扱っているから、なおさらその混乱ぶりが目立つ。

どの国もコロナで経済は低迷し、国民も疲弊し、国力も低下している。

いい加減、中国に賠償責任請求をしたらどうか。

恐らくは、そうした国には、徹底的に新しいコロナ株をまかれ、多くの人類が危機を迎えるのだろう。

最後に、あれほど高圧的だった保健所対応が、昨今穏やかになったことを銘記しておく。

2022年02月16日

スノームーン

このところずいぶん日が長くなった。
日没時間およそ夕方の5時半。日の出は6時半だが、春分に向けて、どんどん昼の長さが長くなっていく。

今日は、日没後東の空から、煌々と月が昇ってきた。
満月である。

聞くところによると、「スノームーン」というらしい。
昨今は、満月にいろいろな名前がついて、訳が分からなくなった。

月を見ても何も感じないよりは、何かしら思う方がいいので、古来より日本の伝統として、何らかのアクセントとしての命名は面白いのかも知れない。

こんな月夜の晩は、夜が明るい。
絵本の字くらいは月明かりで読める。

近くの山並みも、その雪が月明かりに照らされて、山が浮き出て見える。
お山も晴れているのだ。

久しぶりの穏やかな夜。  

程なく月は雲に隠れたが、恐らくは夜半には晴れ、また天高く満月が輝いたに違いない。

いろいろな露出で満月を撮る。
試してみなくては、適正露出が分からないのが月の写真だ。
同じ満月でも、地球との距離が変わるから、明るさも変わる。
空気の澄み具合でも違うだろう。

300mmの望遠レンズで撮って、さらに拡大してみる。
僅かに右側か掛けている。

月齢15を過ぎた、ということだ。

事務室に公用車鍵を返したとき、「月が綺麗だよ」と声を掛けた。

果たしてどれだけの人が月を愛でる心をもっているのだろうか。

この月が新月になる頃、高校三年生は卒業し、在校生は学年末考査を迎える…。

2022年02月15日

一行詩

少し前から、一日に一つは句を作ることにしている。
俳句というには稚拙すぎるので、一行詩といったところだろうか。

それでもできるだけ五七五七七に近づけている。
だが、その時の言葉選びが面白い。

思いつきを呟くのではなく、その時の思いを、一行詩に込めるのだ。
そのため、出来上がりまで少し時間がかかる。

さらには、私自身も状況を忘れてしまいそうで、ご丁寧に解説までつけてある。

一日の中で、何か印象的な出来事、その思いすらを見つけられないというのは、人生悲しいものだ。

その意味では、ただただ漫然と一日をすごすまいぞ、という私の決意でもある。

『はらはらと 心揺れて待つ君を 平静装い 置かれた本を読む』

これは放課後の講習を頼まれ、教室で待っていたが、誰も生徒が来なかった時のものである。
何だか恋の歌ようだが、私も心が少し揺れた。

あとから聞けば、私の講習を告知していなかったとのことで、「なーんだ」ということに到るのだが、その時は、教室に置かれた教養書をパラパラめくって、時を待った。
三十分くらい待ち、結局誰も来ないので帰宅した。

少し時が経ってから読み返したら、こんな詩でも面白いのかも知れない。

『昨晩の 雪が朝日に 消えていく 空気に戻り また雪になる』

朝日に、うっすら積もった雪が、じわじわと溶けていく。乾燥しているのか、溶けた水分はすぐに蒸発し、また空気に戻った。この空気が、しばらくするとまた雪になって降ってくるのだろうか。何だか転生輪廻みたいだ。

そう読んだ。

自然の描写は難しい…。




2022年02月14日

バレンタインデー

いつものように出勤し職員室の自分の机の上には、メッセージが書かれたチョコレートが置いてあった。

いつもメッセージは、励まし、褒め称えてくれるような、まさに私にとっては過分なお言葉で、いつも恐縮してしまう。

逆の見方をすれば、その言葉が「まったくの嘘」でないとするならば、褒めてくださるそのようなことが、「少しある」という訳だ。

その意味では、私も少しまだ役に立っている、組織として要らない存在ではない、ということなのだろう。

そう思わなければ、仕事を進めることなどできないし、モチベーションも上がらない。

だんだん朽ちてきて、使い物にならなくなったら、職場から去る、というは嫌だ。

若いときに迷惑をかけ、中年期にも迷惑をかけ、歳をとってからも迷惑をかけ、では情けない。

組織の中で、自分が必要とされる存在である限り、そこで働き続けることができるだろう。
だが、歳を取ることで、おのずとできないことも増えてくる。
理屈ばかりを言い、口だけの存在も嫌われる。

私の人生、「人目をあまり気にせず、わが道を行く」という感じで生きてきた。
親しい友人もいなければ、何でも話せる家族もいない。

教員として人生を捧げ、齢六十を前に、ふと、「これでよかったのか」と思う。
昨今は、その迷いによって、仕事のモチベーションも下がり気味だ。

素敵なメッセージを胸に秘め、チョコレート食べて、もっと元気になろう。

腰痛なんかに負けないぞ。

自分はもっとできるんだ!

自家発電するしかあるまい…。




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