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2022年02月24日
授業中断
中1の授業でFがどうも落ち着きがない。
すぐに思ったことを口にし、授業を中断させる。
先日も、後ろの席の生徒が、「うるさくて授業に集中できません」と訴えてきたので、その生徒の座席を変えた。
昨今の中学生は概して幼い。
まだ小学生の思考と行動とおぼしきこともしばしばである。
今日の授業では、さすがに私も堪忍袋の緒が切れた。
考査前の最後の例題で、大切な話をしているときに、落ち着きがなかったのだ。
私はそこで授業を中断。
もう何も語ることはなかった…。
以前の私なら、そのまま職員室に戻ってしまうというパフォーマンスをしたが、最近はそうしたことはしない。
職員室に戻ってきて、当のFやその他生徒たちが何かしら反省すればいいのだが、昨今の中学生にはその感覚が薄い。
幼いと言えばその通りなのだが、なかなか私のもくろみ通りにはいかない。
「授業放棄だ」などとも言われかねないし、職員室内でも「冷たい視線」を感じるだろうし、教頭にも叱られるのだろう。
それでも私は精一杯の抵抗をしてみた。
「授業を聞き、宿題をこなせば、必ず理解できる」授業をしているつもりだ。
だからそれを妨げる者には、きちんとさせなくてはならない。
それが教員としての務めだ。
私は終業のチャイムがなると、挨拶もせずに職員室に引き上げた。
ほどなく数学係の女子生徒が来た。
「私たちが注意できなくてすいません。だから私たちに続きを教えてください。」
と言う。
私は何も答えなかった…。
すぐに思ったことを口にし、授業を中断させる。
先日も、後ろの席の生徒が、「うるさくて授業に集中できません」と訴えてきたので、その生徒の座席を変えた。
昨今の中学生は概して幼い。
まだ小学生の思考と行動とおぼしきこともしばしばである。
今日の授業では、さすがに私も堪忍袋の緒が切れた。
考査前の最後の例題で、大切な話をしているときに、落ち着きがなかったのだ。
私はそこで授業を中断。
もう何も語ることはなかった…。
以前の私なら、そのまま職員室に戻ってしまうというパフォーマンスをしたが、最近はそうしたことはしない。
職員室に戻ってきて、当のFやその他生徒たちが何かしら反省すればいいのだが、昨今の中学生にはその感覚が薄い。
幼いと言えばその通りなのだが、なかなか私のもくろみ通りにはいかない。
「授業放棄だ」などとも言われかねないし、職員室内でも「冷たい視線」を感じるだろうし、教頭にも叱られるのだろう。
それでも私は精一杯の抵抗をしてみた。
「授業を聞き、宿題をこなせば、必ず理解できる」授業をしているつもりだ。
だからそれを妨げる者には、きちんとさせなくてはならない。
それが教員としての務めだ。
私は終業のチャイムがなると、挨拶もせずに職員室に引き上げた。
ほどなく数学係の女子生徒が来た。
「私たちが注意できなくてすいません。だから私たちに続きを教えてください。」
と言う。
私は何も答えなかった…。
2022年02月23日
天皇誕生日に思う
昨日は「猫の日」だと、テレビはニャンニャン一色だったが、「竹島の日」としての報道はほとんどなかった。これが日本の報道機関の現実である。
変わって今日は、通常授業だった。
先日の建国記念の日と同様、天皇誕生日も授業日になった。
この休日は、学校歴では7月に移されるらしい…。
今日は、天皇陛下の誕生日、天長節である。
報道では、天皇陛下のお言葉が伝えられたが、何だか、眞子元内親王の話題ばかりで、これまた、日本のマスコミらしい報道姿勢だった。
秋篠宮悠仁親王の筑波大付属高校への入学の報道についても「お祝い」というよりもむしろ、粗探しのようにも見える。
何だか、積極的に秋篠宮家を叩き、「皇位継承させないぞ」という世論を作り、愛子内親王の女性天皇待望論をさらに大きく広めようとする、恣意的なものを感じる。
かつての女性天皇は独身であったという。
女性天皇の子どもは、男系ではない。
その時点で、これまで万世一系が崩れ、皇室の存在意義も揺らいでしまう。
戦後、GHQは皇室の廃止を目論んで、11宮家51名を臣籍降下させた。
いずれは、皇位継承者がいなくなり消えていくだろうと考えたのだろう。
現在の皇室を見るに、皇室を伝統文化としてのみ残していくには無理がある。
神道の祭司長としての、宗教指導者の側面があってこそ、その生き方に徳が生まれ、国民の信頼を得るはずだ。
「今日は何の日だか知っている?」
と授業で問えば、当然の如く「天皇誕生日」と返ってくる。
だからと言って、彼等が皇室に敬意を持っているとも思えない。
学校でも国旗は掲揚されない。
やはり私は少し違和感を抱く…。


変わって今日は、通常授業だった。
先日の建国記念の日と同様、天皇誕生日も授業日になった。
この休日は、学校歴では7月に移されるらしい…。
今日は、天皇陛下の誕生日、天長節である。
報道では、天皇陛下のお言葉が伝えられたが、何だか、眞子元内親王の話題ばかりで、これまた、日本のマスコミらしい報道姿勢だった。
秋篠宮悠仁親王の筑波大付属高校への入学の報道についても「お祝い」というよりもむしろ、粗探しのようにも見える。
何だか、積極的に秋篠宮家を叩き、「皇位継承させないぞ」という世論を作り、愛子内親王の女性天皇待望論をさらに大きく広めようとする、恣意的なものを感じる。
かつての女性天皇は独身であったという。
女性天皇の子どもは、男系ではない。
その時点で、これまで万世一系が崩れ、皇室の存在意義も揺らいでしまう。
戦後、GHQは皇室の廃止を目論んで、11宮家51名を臣籍降下させた。
いずれは、皇位継承者がいなくなり消えていくだろうと考えたのだろう。
現在の皇室を見るに、皇室を伝統文化としてのみ残していくには無理がある。
神道の祭司長としての、宗教指導者の側面があってこそ、その生き方に徳が生まれ、国民の信頼を得るはずだ。
「今日は何の日だか知っている?」
と授業で問えば、当然の如く「天皇誕生日」と返ってくる。
だからと言って、彼等が皇室に敬意を持っているとも思えない。
学校でも国旗は掲揚されない。
やはり私は少し違和感を抱く…。

2022年02月22日
思春期の病
昔なら怒鳴って、恐怖で言いくるめていただろう。
昨今は、たいてい静かに話す。
だが、その言葉には、恐らくはまだトゲがあるだろう。
私は、この歳になっていも未だ人間ができていないのだ。
今日の野球部の練習で、キャプテンが外野ノックを打っていた。
普段なら、キャッチャーには中1の生徒が入るが、今日は柔道で指を痛めたという中2が入った。せめてバックホームの球くらいは何とか捕れると見込んだようである。
ノックは順番に行われ、徐々に盛り上がるも、中1のYの動きが緩慢だ。
中継に入るときも、歩いて入り、逸れたボールも手を伸ばすだけで採ろうとする。
「なんで動かないんだ!」と言われれば、「捕れると思ったからです」と応える。
先輩たちの怒りは徐々に蓄積されていく。
そんな中でも、ずっと冷静でいたのがキャプテン。
「中継は動いて捕るんだ!」
とフォロー。
ほどなくYがノッカーを受ける番になった。
声が出ないので、キャッチャーをしていた中2が「声を出せ」と叫ぶ。
しかしYは小さい声なので、さらに「声を出せ」と叫ぶ。
それでも、Yが大きな声を出さないので、さらに奇声を発するかのように「声を出せ」と叫んだ。
すると、Yはその姿を見て笑った。
先輩たちには、バカにしたようにみえたのである。
これにはキャプテンも激怒した。
「出ろ!」
と、ノックから外したのだ。
Yは広場から去り、外の草むらでふてくされて仰向けに寝ていた。
私は、Yが勝手にいなくなり、どこかへ行ってしまうことのないように、遠くから彼を見守る…。
結局、自己中で、自己卑下で、言い訳、我が儘ばかりの繰り返し、なのだ。
思春期特有の病だ。
私はあまり自己中は好きではない。
自立を待つしかないか…。


昨今は、たいてい静かに話す。
だが、その言葉には、恐らくはまだトゲがあるだろう。
私は、この歳になっていも未だ人間ができていないのだ。
今日の野球部の練習で、キャプテンが外野ノックを打っていた。
普段なら、キャッチャーには中1の生徒が入るが、今日は柔道で指を痛めたという中2が入った。せめてバックホームの球くらいは何とか捕れると見込んだようである。
ノックは順番に行われ、徐々に盛り上がるも、中1のYの動きが緩慢だ。
中継に入るときも、歩いて入り、逸れたボールも手を伸ばすだけで採ろうとする。
「なんで動かないんだ!」と言われれば、「捕れると思ったからです」と応える。
先輩たちの怒りは徐々に蓄積されていく。
そんな中でも、ずっと冷静でいたのがキャプテン。
「中継は動いて捕るんだ!」
とフォロー。
ほどなくYがノッカーを受ける番になった。
声が出ないので、キャッチャーをしていた中2が「声を出せ」と叫ぶ。
しかしYは小さい声なので、さらに「声を出せ」と叫ぶ。
それでも、Yが大きな声を出さないので、さらに奇声を発するかのように「声を出せ」と叫んだ。
すると、Yはその姿を見て笑った。
先輩たちには、バカにしたようにみえたのである。
これにはキャプテンも激怒した。
「出ろ!」
と、ノックから外したのだ。
Yは広場から去り、外の草むらでふてくされて仰向けに寝ていた。
私は、Yが勝手にいなくなり、どこかへ行ってしまうことのないように、遠くから彼を見守る…。
結局、自己中で、自己卑下で、言い訳、我が儘ばかりの繰り返し、なのだ。
思春期特有の病だ。
私はあまり自己中は好きではない。
自立を待つしかないか…。

2022年02月21日
雪、降り続く…
朝から埃のような雪が舞っている。
通常ならば、日中は雲が晴れ、雪も止んでいくものだが、今日は、晴れ間がさすことはなかった。
極めて強い冬型で、北の地方では大きな被害も出ている。
このあたりの積雪は大したことはないが、山では吹雪、大雪になっているようである。
山間部では連日除雪が大変らしい。
月曜日の朝のどんよりと曇った空には気持ちも萎える。
晴れやかは気持ちにはなりにくいのだ。
「今週も頑張るぞ!」という思いが湧いてこない。
ほんの少しの心の状態の影響なのかも知れないが、今朝は少しブルーな気分だった。
日中は少し休んだ。
放課後の部活は、グランド状況が悪かったので、自主練にした。
そして夜の補講。
先週は中止になったものだが、今日は高1、高2が十名ほど集まった。
彼等に授業をするのは、もはや一年ぶり、二年ぶりなのだ。
懐かしい顔ぶれに、私も顔がほころぶ。
しばらく教えていなかったので、レベルが分からなかったが、少し高度な話もした。
微積分の特別授業は一時間強で終わった。
初めは気が進まなかったが終わってみれば楽しかった。
いつしか雪は止んだが、恐らく今夜もちらつくのだろう。
いろいろな思いが巡る週初め。
彼等は、私の授業が受けたくて来てくれたようだ。
ありがたい…。
その思いが、雪の冷たさを溶かしていく…。


通常ならば、日中は雲が晴れ、雪も止んでいくものだが、今日は、晴れ間がさすことはなかった。
極めて強い冬型で、北の地方では大きな被害も出ている。
このあたりの積雪は大したことはないが、山では吹雪、大雪になっているようである。
山間部では連日除雪が大変らしい。
月曜日の朝のどんよりと曇った空には気持ちも萎える。
晴れやかは気持ちにはなりにくいのだ。
「今週も頑張るぞ!」という思いが湧いてこない。
ほんの少しの心の状態の影響なのかも知れないが、今朝は少しブルーな気分だった。
日中は少し休んだ。
放課後の部活は、グランド状況が悪かったので、自主練にした。
そして夜の補講。
先週は中止になったものだが、今日は高1、高2が十名ほど集まった。
彼等に授業をするのは、もはや一年ぶり、二年ぶりなのだ。
懐かしい顔ぶれに、私も顔がほころぶ。
しばらく教えていなかったので、レベルが分からなかったが、少し高度な話もした。
微積分の特別授業は一時間強で終わった。
初めは気が進まなかったが終わってみれば楽しかった。
いつしか雪は止んだが、恐らく今夜もちらつくのだろう。
いろいろな思いが巡る週初め。
彼等は、私の授業が受けたくて来てくれたようだ。
ありがたい…。
その思いが、雪の冷たさを溶かしていく…。

2022年02月20日
公民館清掃
久しぶりに地元の公民館清掃があった。
半年ぶりくらいであるが、前回は失念してさぼってしまったので、今回は必ず行かねばならないと、何年かぶりに目覚ましをかけた。
厳寒期に入り、早朝の犬の散歩を控えているので、朝、隠れ家に行っていないのだ。
それでも、4時台には目が覚めるが、そのまま二度寝してしまうと寝過ごしてしまうので、保険としてセットしたのだ。
案の定、アラームで起きた。
5時20分のアラームで起き、そのまま公民館へ。
自動車で十分ほどの距離。
回覧板では6時から、となっているが、皆集まりが早く、6時には完全に終わっている。
だから私は、15分前には到着するように行く。
コロナ禍でほとんど使っていないので、館内も綺麗だ。
聞けば10日前に別の部落の人が掃除したのだという。
今朝は、雪の予報だったが、雨になった。
この先、風が強まり、山は吹雪になるだろう。
「よかったね。雪にならなくて…。今年は雪が多いね。」
地元の人が言う。
ここ数年暖冬だったので、この冬の寒さはこたえるようだ。
「学校も休校になっちゃったしね…。」
そんな声も聞こえてくる。
学校現場ではかなりの勢いでコロナが広がっているらしい。
先日LINEで連絡が来た。
「自主練期間、皆様はどのように部活運営をしていますか?」
というものだった。
私は「通常通り」だとはこたえられず、よその学校の先生たちのメッセージを見る。
すると、何と、体育の授業も中止にしている学校もあるようだ。
「うちはすべて保健にきりかえています。」
部活のみならず、体育もか…。
公民館清掃に来た地元の人たちは、相変わらずの元気いっぱいだったが。
半年ぶりくらいであるが、前回は失念してさぼってしまったので、今回は必ず行かねばならないと、何年かぶりに目覚ましをかけた。
厳寒期に入り、早朝の犬の散歩を控えているので、朝、隠れ家に行っていないのだ。
それでも、4時台には目が覚めるが、そのまま二度寝してしまうと寝過ごしてしまうので、保険としてセットしたのだ。
案の定、アラームで起きた。
5時20分のアラームで起き、そのまま公民館へ。
自動車で十分ほどの距離。
回覧板では6時から、となっているが、皆集まりが早く、6時には完全に終わっている。
だから私は、15分前には到着するように行く。
コロナ禍でほとんど使っていないので、館内も綺麗だ。
聞けば10日前に別の部落の人が掃除したのだという。
今朝は、雪の予報だったが、雨になった。
この先、風が強まり、山は吹雪になるだろう。
「よかったね。雪にならなくて…。今年は雪が多いね。」
地元の人が言う。
ここ数年暖冬だったので、この冬の寒さはこたえるようだ。
「学校も休校になっちゃったしね…。」
そんな声も聞こえてくる。
学校現場ではかなりの勢いでコロナが広がっているらしい。
先日LINEで連絡が来た。
「自主練期間、皆様はどのように部活運営をしていますか?」
というものだった。
私は「通常通り」だとはこたえられず、よその学校の先生たちのメッセージを見る。
すると、何と、体育の授業も中止にしている学校もあるようだ。
「うちはすべて保健にきりかえています。」
部活のみならず、体育もか…。
公民館清掃に来た地元の人たちは、相変わらずの元気いっぱいだったが。
2022年02月18日
PC延命化
以前、『私のパソコンたち その2』でも述べたが、職員室のノートパソコンが不調である。
熱暴走気味なのだ。
CPUの温度を測るソフトを入れてモニターしているが、時に100℃近くになる。
今は監視ソフトで高温になると、自動的にスリープ状態になるようにしているが、これでは恐ろしくてパソコンが使えない。
以前は。一台のノートパソコンだけだったが、作業が偏り、負荷がかかったのか、もう一台のノートパソコンも同じような症状になった。
そこで、何とか延命措置をはかろうと、ノートパソコンを浮かせ、その下にそれぞれ8cmものファンを置いた。
原始的な空冷である。
いまのところ、この強制冷却で、なんとか60℃台をキープしているようだ。
何かの不具合で負荷がかかり、急速に温度が上がり気味のときは、手動でスリープにすればいい。
二台同時に高温になることはないだろう。
どちらも古いパソコンだが、まだまだ現役で動いてくれないと困る。
それほど重たい処理をさせているわけではないので、まだまだ使えるだろう。
しかし、まさかノートパソコンを強制的に空冷するとは思わなかった。
少し持ち上げられたノートは、キーボードも打ちにくい。
それでも、使えるうちは使い続けようと、愛着を感じている二台のパソコンたちに、日々向かい合う。
デスクトップのように、すぐにケースを開け、ファンの掃除ができればいいのだが、ノートではそうもいかない。
「まだまだ長く動いてくれよ」と、祈るばかりである。


熱暴走気味なのだ。
CPUの温度を測るソフトを入れてモニターしているが、時に100℃近くになる。
今は監視ソフトで高温になると、自動的にスリープ状態になるようにしているが、これでは恐ろしくてパソコンが使えない。
以前は。一台のノートパソコンだけだったが、作業が偏り、負荷がかかったのか、もう一台のノートパソコンも同じような症状になった。
そこで、何とか延命措置をはかろうと、ノートパソコンを浮かせ、その下にそれぞれ8cmものファンを置いた。
原始的な空冷である。
いまのところ、この強制冷却で、なんとか60℃台をキープしているようだ。
何かの不具合で負荷がかかり、急速に温度が上がり気味のときは、手動でスリープにすればいい。
二台同時に高温になることはないだろう。
どちらも古いパソコンだが、まだまだ現役で動いてくれないと困る。
それほど重たい処理をさせているわけではないので、まだまだ使えるだろう。
しかし、まさかノートパソコンを強制的に空冷するとは思わなかった。
少し持ち上げられたノートは、キーボードも打ちにくい。
それでも、使えるうちは使い続けようと、愛着を感じている二台のパソコンたちに、日々向かい合う。
デスクトップのように、すぐにケースを開け、ファンの掃除ができればいいのだが、ノートではそうもいかない。
「まだまだ長く動いてくれよ」と、祈るばかりである。

2022年02月17日
保健所対応
このところの感染増加で、いよいよ地方の保健所もキャパオーバーになったようだ。
以前は、一人PCR検査で陽性者が出ると、一時間以上のヒアリングがあり、濃厚接触者を特定し、日々の健康チェックも保健所管理だった。
ところが最近変わった。
まず、ヒアリングがなくなった。
陽性者本人に直接電話があり、「10日間隔離」が伝えられるだけ。
それ以外の濃厚接触者に関しても、学校長裁量に変わった。
重要かリスクも低く、発熱も一時的な症状の若者が多いということ。
合わせて、保健所業務の限界ということだろう。
この二年間、行政のコロナ対応は混迷を極めている。
以前の常識は常識ではなくなり、次々と濃厚接触者の定義も変わっていく。
「昨日までの生徒は一週間の隔離だが、今日からの生徒は三日で終わり」、と言う具合に、なかなか納得しがたい状況になった。
誰かが決めた基準が一人歩きする。
水際対策としての入国制限も、どれだけ科学的根拠があるかどうか分からない。
留学生受け入れの緩和を叫んでいる公明党は、中国人を意識してのことだろう。
「2類」として新型コロナを扱っているから、なおさらその混乱ぶりが目立つ。
どの国もコロナで経済は低迷し、国民も疲弊し、国力も低下している。
いい加減、中国に賠償責任請求をしたらどうか。
恐らくは、そうした国には、徹底的に新しいコロナ株をまかれ、多くの人類が危機を迎えるのだろう。
最後に、あれほど高圧的だった保健所対応が、昨今穏やかになったことを銘記しておく。
以前は、一人PCR検査で陽性者が出ると、一時間以上のヒアリングがあり、濃厚接触者を特定し、日々の健康チェックも保健所管理だった。
ところが最近変わった。
まず、ヒアリングがなくなった。
陽性者本人に直接電話があり、「10日間隔離」が伝えられるだけ。
それ以外の濃厚接触者に関しても、学校長裁量に変わった。
重要かリスクも低く、発熱も一時的な症状の若者が多いということ。
合わせて、保健所業務の限界ということだろう。
この二年間、行政のコロナ対応は混迷を極めている。
以前の常識は常識ではなくなり、次々と濃厚接触者の定義も変わっていく。
「昨日までの生徒は一週間の隔離だが、今日からの生徒は三日で終わり」、と言う具合に、なかなか納得しがたい状況になった。
誰かが決めた基準が一人歩きする。
水際対策としての入国制限も、どれだけ科学的根拠があるかどうか分からない。
留学生受け入れの緩和を叫んでいる公明党は、中国人を意識してのことだろう。
「2類」として新型コロナを扱っているから、なおさらその混乱ぶりが目立つ。
どの国もコロナで経済は低迷し、国民も疲弊し、国力も低下している。
いい加減、中国に賠償責任請求をしたらどうか。
恐らくは、そうした国には、徹底的に新しいコロナ株をまかれ、多くの人類が危機を迎えるのだろう。
最後に、あれほど高圧的だった保健所対応が、昨今穏やかになったことを銘記しておく。
2022年02月16日
スノームーン
このところずいぶん日が長くなった。
日没時間およそ夕方の5時半。日の出は6時半だが、春分に向けて、どんどん昼の長さが長くなっていく。
今日は、日没後東の空から、煌々と月が昇ってきた。
満月である。
聞くところによると、「スノームーン」というらしい。
昨今は、満月にいろいろな名前がついて、訳が分からなくなった。
月を見ても何も感じないよりは、何かしら思う方がいいので、古来より日本の伝統として、何らかのアクセントとしての命名は面白いのかも知れない。
こんな月夜の晩は、夜が明るい。
絵本の字くらいは月明かりで読める。
近くの山並みも、その雪が月明かりに照らされて、山が浮き出て見える。
お山も晴れているのだ。
久しぶりの穏やかな夜。
程なく月は雲に隠れたが、恐らくは夜半には晴れ、また天高く満月が輝いたに違いない。
いろいろな露出で満月を撮る。
試してみなくては、適正露出が分からないのが月の写真だ。
同じ満月でも、地球との距離が変わるから、明るさも変わる。
空気の澄み具合でも違うだろう。
300mmの望遠レンズで撮って、さらに拡大してみる。
僅かに右側か掛けている。
月齢15を過ぎた、ということだ。
事務室に公用車鍵を返したとき、「月が綺麗だよ」と声を掛けた。
果たしてどれだけの人が月を愛でる心をもっているのだろうか。
この月が新月になる頃、高校三年生は卒業し、在校生は学年末考査を迎える…。
日没時間およそ夕方の5時半。日の出は6時半だが、春分に向けて、どんどん昼の長さが長くなっていく。
今日は、日没後東の空から、煌々と月が昇ってきた。
満月である。
聞くところによると、「スノームーン」というらしい。
昨今は、満月にいろいろな名前がついて、訳が分からなくなった。
月を見ても何も感じないよりは、何かしら思う方がいいので、古来より日本の伝統として、何らかのアクセントとしての命名は面白いのかも知れない。
こんな月夜の晩は、夜が明るい。
絵本の字くらいは月明かりで読める。
近くの山並みも、その雪が月明かりに照らされて、山が浮き出て見える。
お山も晴れているのだ。
久しぶりの穏やかな夜。
程なく月は雲に隠れたが、恐らくは夜半には晴れ、また天高く満月が輝いたに違いない。
いろいろな露出で満月を撮る。
試してみなくては、適正露出が分からないのが月の写真だ。
同じ満月でも、地球との距離が変わるから、明るさも変わる。
空気の澄み具合でも違うだろう。
300mmの望遠レンズで撮って、さらに拡大してみる。
僅かに右側か掛けている。
月齢15を過ぎた、ということだ。
事務室に公用車鍵を返したとき、「月が綺麗だよ」と声を掛けた。
果たしてどれだけの人が月を愛でる心をもっているのだろうか。
この月が新月になる頃、高校三年生は卒業し、在校生は学年末考査を迎える…。
2022年02月15日
一行詩
少し前から、一日に一つは句を作ることにしている。
俳句というには稚拙すぎるので、一行詩といったところだろうか。
それでもできるだけ五七五七七に近づけている。
だが、その時の言葉選びが面白い。
思いつきを呟くのではなく、その時の思いを、一行詩に込めるのだ。
そのため、出来上がりまで少し時間がかかる。
さらには、私自身も状況を忘れてしまいそうで、ご丁寧に解説までつけてある。
一日の中で、何か印象的な出来事、その思いすらを見つけられないというのは、人生悲しいものだ。
その意味では、ただただ漫然と一日をすごすまいぞ、という私の決意でもある。
『はらはらと 心揺れて待つ君を 平静装い 置かれた本を読む』
これは放課後の講習を頼まれ、教室で待っていたが、誰も生徒が来なかった時のものである。
何だか恋の歌ようだが、私も心が少し揺れた。
あとから聞けば、私の講習を告知していなかったとのことで、「なーんだ」ということに到るのだが、その時は、教室に置かれた教養書をパラパラめくって、時を待った。
三十分くらい待ち、結局誰も来ないので帰宅した。
少し時が経ってから読み返したら、こんな詩でも面白いのかも知れない。
『昨晩の 雪が朝日に 消えていく 空気に戻り また雪になる』
朝日に、うっすら積もった雪が、じわじわと溶けていく。乾燥しているのか、溶けた水分はすぐに蒸発し、また空気に戻った。この空気が、しばらくするとまた雪になって降ってくるのだろうか。何だか転生輪廻みたいだ。
そう読んだ。
自然の描写は難しい…。


俳句というには稚拙すぎるので、一行詩といったところだろうか。
それでもできるだけ五七五七七に近づけている。
だが、その時の言葉選びが面白い。
思いつきを呟くのではなく、その時の思いを、一行詩に込めるのだ。
そのため、出来上がりまで少し時間がかかる。
さらには、私自身も状況を忘れてしまいそうで、ご丁寧に解説までつけてある。
一日の中で、何か印象的な出来事、その思いすらを見つけられないというのは、人生悲しいものだ。
その意味では、ただただ漫然と一日をすごすまいぞ、という私の決意でもある。
『はらはらと 心揺れて待つ君を 平静装い 置かれた本を読む』
これは放課後の講習を頼まれ、教室で待っていたが、誰も生徒が来なかった時のものである。
何だか恋の歌ようだが、私も心が少し揺れた。
あとから聞けば、私の講習を告知していなかったとのことで、「なーんだ」ということに到るのだが、その時は、教室に置かれた教養書をパラパラめくって、時を待った。
三十分くらい待ち、結局誰も来ないので帰宅した。
少し時が経ってから読み返したら、こんな詩でも面白いのかも知れない。
『昨晩の 雪が朝日に 消えていく 空気に戻り また雪になる』
朝日に、うっすら積もった雪が、じわじわと溶けていく。乾燥しているのか、溶けた水分はすぐに蒸発し、また空気に戻った。この空気が、しばらくするとまた雪になって降ってくるのだろうか。何だか転生輪廻みたいだ。
そう読んだ。
自然の描写は難しい…。

2022年02月14日
バレンタインデー
いつものように出勤し職員室の自分の机の上には、メッセージが書かれたチョコレートが置いてあった。
いつもメッセージは、励まし、褒め称えてくれるような、まさに私にとっては過分なお言葉で、いつも恐縮してしまう。
逆の見方をすれば、その言葉が「まったくの嘘」でないとするならば、褒めてくださるそのようなことが、「少しある」という訳だ。
その意味では、私も少しまだ役に立っている、組織として要らない存在ではない、ということなのだろう。
そう思わなければ、仕事を進めることなどできないし、モチベーションも上がらない。
だんだん朽ちてきて、使い物にならなくなったら、職場から去る、というは嫌だ。
若いときに迷惑をかけ、中年期にも迷惑をかけ、歳をとってからも迷惑をかけ、では情けない。
組織の中で、自分が必要とされる存在である限り、そこで働き続けることができるだろう。
だが、歳を取ることで、おのずとできないことも増えてくる。
理屈ばかりを言い、口だけの存在も嫌われる。
私の人生、「人目をあまり気にせず、わが道を行く」という感じで生きてきた。
親しい友人もいなければ、何でも話せる家族もいない。
教員として人生を捧げ、齢六十を前に、ふと、「これでよかったのか」と思う。
昨今は、その迷いによって、仕事のモチベーションも下がり気味だ。
素敵なメッセージを胸に秘め、チョコレート食べて、もっと元気になろう。
腰痛なんかに負けないぞ。
自分はもっとできるんだ!
自家発電するしかあるまい…。


いつもメッセージは、励まし、褒め称えてくれるような、まさに私にとっては過分なお言葉で、いつも恐縮してしまう。
逆の見方をすれば、その言葉が「まったくの嘘」でないとするならば、褒めてくださるそのようなことが、「少しある」という訳だ。
その意味では、私も少しまだ役に立っている、組織として要らない存在ではない、ということなのだろう。
そう思わなければ、仕事を進めることなどできないし、モチベーションも上がらない。
だんだん朽ちてきて、使い物にならなくなったら、職場から去る、というは嫌だ。
若いときに迷惑をかけ、中年期にも迷惑をかけ、歳をとってからも迷惑をかけ、では情けない。
組織の中で、自分が必要とされる存在である限り、そこで働き続けることができるだろう。
だが、歳を取ることで、おのずとできないことも増えてくる。
理屈ばかりを言い、口だけの存在も嫌われる。
私の人生、「人目をあまり気にせず、わが道を行く」という感じで生きてきた。
親しい友人もいなければ、何でも話せる家族もいない。
教員として人生を捧げ、齢六十を前に、ふと、「これでよかったのか」と思う。
昨今は、その迷いによって、仕事のモチベーションも下がり気味だ。
素敵なメッセージを胸に秘め、チョコレート食べて、もっと元気になろう。
腰痛なんかに負けないぞ。
自分はもっとできるんだ!
自家発電するしかあるまい…。
