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2023年09月01日

クラス担任

突然、二学期から中3の担任を行うことになった。

私にとって,担任は5年ぶりくらいで、今の教員生活では、二度とやらないだろうと思っていたところだったので、正直、担任を行うことを要請されても、二つ返事で承諾することはできなかった。

本来、学校も組織なので、「担任をやれ」と言われたらやらねばならぬものであろうが、年度途中で、文化祭一週間前、この先行事が目白押し、そして進学指導をも担わなくてはならない中で、私自身も逡巡したのだ。だが、結果的には、これまでお世話になったことへの「ご恩返し」で受けることにした。

一番の心配は、体力面だが、「こうなったら、途中で倒れてでもやり遂げなくてはならない」という気力を振り絞った。

実際、前任者からの引き継ぎも一切ない中、手探り状態で始まったのだが、幸い生徒たちは、中1からの学年持ち上がりで、見知らぬ生徒はいない。一方で、深くも知らないという感じ。

クラスのリーダーたちがとても気が利いていて、いわゆる「やりにくさ」はない。
だが、私のカラーとしてクラス運営するには、まだまだ時間がかかるだろう。

以前の担任はとても上手にクラスをまとめていたので、前任のやり方を大きく覆すことは難しい。そんな中でも、少しずつ少しずつ、私の方針が伝わりつつあるようにも思える。

以前ならば、「私のクラス、私の生徒」という思いが強かったが、今回は違う。隣のクラスの生徒であろうが、私には責任が生じるのだという思いがある。

学年全体として、育て上げ、立派になった状態で卒業させなくてはいけないという思いが、強く、強く湧いてきているからだ。

この先、「どんな出来事が待ち受けているか」、多少の心配はあるものの、一方でわくわく感もある。

リーダーたち、そしてクラスの生徒たちは私を受け入れてくれるだろうか。

たとえ、どんな状況であろうとも、私は彼等とかかわり、導いていかなくてはならないというミッションを負う。

責任の重さは限りなく大きい…。

2023年06月21日

野球応援

私が卒業した学校は、甲子園の常連校だったので、全校生徒の野球応援は当たり前だった。実際は、決勝戦が全校応援で、準々決勝は高1全員、準決勝は高2全員という具合である。一学年14クラスのマンモス校だから、在校生の応援だけでも、壮観であり、相手チームへの威圧感があった。

我が校でも甲子園目指して野球部が日夜、汗を流しているが、今年は全校応援が三回戦からになった。例年なら一回戦から、皆で応援に行くのだが、今年は校長判断で中止になった。野球部内でトラブルがあったのだ。

昨今、強化選手という感じで、技術的に優れたメンバーを集めつつあるが、そうしたメンバーはどちらかというとヤンチャで、ちょっとしたことで問題を起こしやすい。そうしたちょっとしたいざこざが、結局は問題視されることになり、「これでは応援される立場ではない」という判断が下された訳だ。

現役最後となる高校3年生の選手にとっては、断腸の思いだろう。
それこそ「この日のために…」、という意識で練習を重ねてきたわけだ。
その晴れ舞台に、友人たちも後輩たちも来ない…。

今回、主としてトラブルを起こしたのは、後輩たちだ。もちろん、先輩である高3にも責任の一端はあり、それゆえに今回の判断になったのだろう。

折しも抽選が終わり、対戦カードも決まった。
ある高1の部員が、教室で、「最初から強いところあたらなくて良かった」、と叫んでいたという。

その姿を冷ややかな目で見ている同級生も多い、ということを、彼は未だに気づいていない。そんな風だから、トラブルが絶えないのだろう。

まだまだ幼い彼等を取りまとめるのは大変だが、チームがまとまらなければ、恐らくは一勝すらできないだろう。ようやく夏にも勝てるようになった矢先である。

彼等には、「自分たちは特別だ」、「応援に来てくれてあたりまえ」という思いが、まだ完全に払拭することができなのだろう。

すべては『日常生活』なのだが…。





2023年06月20日

朝の声出し

中学校で始まった朝のSHRの声出しが、いつしか高校にも浸透し、全校で行われるようになった。

朝のSHRでは、各クラス、クラスの目標などを大声で叫ぶ。
今は、コロナ禍のためマスクをしているが、その中でも声は大きい。
これが、校内全クラスで行われている。
なかなか壮観だ。

声を出すと元気が出る。
前進にパワーがみなぎってくる。

その意味では、まだ半ば寝ている状態の身体を起こし、シャキッとすることもできる。
と同時に、各担任はその声出ししている生徒を見ることで、彼等の健康状態をチェックすることもできる。

悩み事があって、元気がなかったならば、大声を出すには、なかなか優輝がいる。体調が悪かったときも同じだ。それ中で声を出したとしても、よく観察していれば、声を出し終わったときにふっと見せる表情−実際はマスクをしているので、なかなか厳しいものはあるが−が見えるはずだ。

私が担任をしていた頃には、ほんの一握りのクラスだけのイベントだったが、今や声出しは、毎朝の恒例行事になっている。

クラスの一体感。
大声を出すことでの、心身の活性化。

そして何よりも、クラスの目標を毎日叫ぶことで、その理念はクラス全員に刻まれるだろう。

今朝も、各クラスから「おたけび」が聞こえてくる…。
みんな元気だ。




2023年06月16日

新人の先生

昔は、新人の先生がやってくると、「何とか育ててあげなきゃ」ということで、けっこう関わって、指導という名目でいろいろとやかましい指摘をしていたものだが、昨今は。ほとんど関わらなくなってしまった。歳が離れすぎたということもあるが、私のような年寄りより、もっと若手で経験を積んだ人の方が、「受け入れやすい」のではないかとも思う。

圧倒的に経験値の少ない新人あるいは若手の先生が、十年も二十年も教員生活をしているベテランの先生と同じようにできるわけがない。私もかつて、先輩の先生から、「若手がベテランに勝る可能性があるとすれば、それは『情熱』しかない」、と聞かされたことがある。

私の世代は、デモシカ先生ではない。
「絶対に教員になりたい」と熱意を持って夢見た教壇に立った方がほとんどだ。
私もその一人であったと思う。
だからこその、『情熱』なのだろう。

果たして今はどうだろう。
教員志望者が年々減少し、優秀な人材が集まりにくくなったと聞く。
いや、今でも、教員を志す者は、教師という職業にあこがれ、それぞれの夢を希望を持って食についていると信じたい。

恐らくは、私の身近にいる新人の先生だったそうだろう。

授業は下手くそなのはあたりまえ。
生徒指導はまだまだ稚拙なのもあたりまえ。
仕事の効率も悪いし、いろいろなところに気が利かないのもあたりまえ。

そんな風に見れば、先輩諸氏の先生方も、それほど腹を立てることもないだろう。

私は、まだまだ若かった頃、新人教員や教育実習生には、けっこう厳しくあたっていたと思う。教員として、生徒から「先生」と呼ばれる隊場である以上、ある程度のレベルでなければ、生徒たちがかわいそうだ、と思っていたのだ。

教師としての使命感に燃えていたことは事実だが、一方で、自分自身におごりがあったのだろうとも思う。

今は、けっこう静かにしている。
「いずれ、経験が増えれば、できるようになるさ…」
と遠目で、少し応援する気持ちで見ていることが多い。

「慣れないことばかりで、疲れるだろうな…」と思いつつも、さりげなくフォローもする。

私自身、老獪になったということか…。




2023年06月09日

中総体

この地域では、この大会を『中総体』と呼ぶ。
中体連(学体連)主催の、全国大会までつながる、中3にとっては最後の大会である。
ほとんどの部活は、この大会で中3が引退する。

かつては7月20日以降、夏休みに入ってから行われていた大会であるが、昨今の夏の暑さにより、日程がだんだんと前倒しになった。梅雨明け直後の酷暑がひどく、熱中症でバタバタ倒れる生徒や教員が激増したからだ。高校のスポーツ界で、もっとも屈強であろうと思われる高校野球の球児ですら、最近は開会式で倒れる生徒がいる…。

ここ数年、コロナ禍で不自由な大会を強いられたが、今年ようやく通常の体制に戻った。戻ったのだが、今年から私の県では、春の大会が廃止されたので、それに伴って、総体がぐーんと前倒しになって、今日6月9日になったのだ。

夏休みの初めに大会があった頃と比べると、大幅前倒しだ。
多くの生徒が涙を流し、悔しがっただろう。

上位大会に進出できるのはごく僅かだ。

そんな大会だったが、私はコロナ明けの生徒は大会には連れて行かなかった。
本人には申し訳ないが、幸い、7月にも出場出いる大会があり、他の部員へのさらなる感染を怖れ、大事を取ったのだ。彼が発症した際、部内で別の発症者が出てしまってのだ。
大会がどうなるか分からない中、同一のバスで出掛け、バス内で食事を取るなど、そうした環境で、彼を連れて行くことができなかったのだ。

教育現場では、一律にできないことが必ず起こりうる。
個別に対応しなくてはならないのだが、このことがクレームにつながってしまうこともある。
私は彼には最大限の配慮をしたつもりだが、どうだろう。

たくさんの生徒をお預かりしている以上、いろいろなことが起こる。
ものごとは杓子定規にはいかないのだ。

大会後、私の専門部では飲み会が行われる。

職務上、私は参加することはできないが、彼等の気持ちも分かる。
教員だって、リフレッシュしたいのだ。

だが、このところじわじわとコロナ発症者が増えている中、ちょっと複雑な心境にもなる。

2023年05月11日

欠勤

GW後半、急に体調が悪くなった。
前半、小旅行に出掛けたり、山登りに出掛けたりと、充実感があったのだ、臨時で行われた職員会議では、座っているのがやっとの状態。その後私は、何日か欠勤した。

私は滅多に体調不良で欠勤しない。おそらくは、前回は七年前くらいだったのはないだろうか。このこころ、幸いなことに、コロナにも罹らず、インフルエンザにも罹らず、体調万全とまではいかないまでも、何とか勤務を続けてきたが、今回、完全に倒れた。

高熱は出なかったものの、吐き気が続き、寝ていることだけでもつらい状態になった。
眠ってしまえば、少しは楽になるのだが、目覚めると、また同じ症状になり、ただただ吐き続けた。

何か悪いものを食べたのだろうか。それとも、急性胃腸炎のようなものだろうか。

結局、病院にも行かず、ただただ寝ているだけの数日間だったが、改めて「健康」であることのありがたさを感じた。

と同時に、たくさんの周りの方が、優しい声をかけてくださり、いたわってくれた。

人は『病』の時には、他の人の優しさや愛を感じるものだ。

吐き気はほぼ一晩で収まったが、「何かを食べると、吐いてしまうのでは…」という恐怖は拭えず、通常の食事に戻すまで1週間あまりを要した。

横になって休んでいるとき、私はずっと「日本むかし話」の映像を見て過ごした。
かつての日本の人々の生活の営みが見えて、なかなか面白かった。人の生き方の教訓になるものもあり、そうでない話もあり、なかなか興味深かった。

学校を休んで一番ありがたいのは、生徒から優しい言葉を掛けてもらえたことだろう。

こうして私たちは、いつも支えられて生きている。




2023年04月13日

自己犠牲か自己満足か

もう十年近く前になるが、担任している中学生が生徒がインフルエンザに罹った、

隔離していた生徒を見舞ったが、なかなか苦しんでいたので、とても心が痛んだ。

そのとき、ふと、「彼が楽になるなら、私はどうなってもいい…」と考えてしまった。両親と離れて暮らしていたので、自分自身が親代わりのつもりでいたのである。

この思いは、果たして「愛」の思いなのか、それとも、単なる「自己満足」なのか…。

きっと純粋な「愛」でなく、おそらくは「愛」もどきであって、「爽やかな風のごとき愛」ではなく、細かな砂塵が混ざっていたようにも思う。風の中に砂つぶが混ざっていれば、爽やかさが消えてしまう。

その砂塵に相当する部分は、思うに、「私が救ってみせる」という慢心であり、「自分がこの生徒の担任である」という過ぎた自負心であったと思う。

やはり、その思いは、決して「自己犠牲」的なものではなく、単なる「自己満足」であったのだろう。

自信を持って教員としていき、担任の仕事を成し遂げることは大切なことだ。
だが、一方で、ときに「慢心」のような、転落を招く思いがわき上がってくる。

だから、時々そうした思いを矯めて、純粋な心を維持しなくてはいけないのだが、ついつい日々の仕事の忙しさに忙殺され、一番大切なことを忘れてしまう。

今の私は、だいぶコントロールできるようにはなってきたが、なかなか心を整えることは難しいことだ。

その翌日、私はインフルエンザに罹患した。
そのことが、すべてを物語っている。

私の思いは純粋ではなかったのだ。

今でも、この出来事を自戒している…。




2023年04月12日

インフルエンザ

「勇気を出してマスクを取ろう!」と校長が訴えて一週間も経たないうちに、発熱者が増えてきてしまった。

春休み明けの新学期で、免疫力が落ちているのかも知れないが、当初はそのうちほとんどが風邪だったが、ここにきて、インフルエンザも現れてきた。

コロナが一段落し、マスク着用も自由になった。
それでも、なかなかマスクを外せない生徒もいる。

コロナ対策として、どれだけマスクが有効であったかは疑問だが、その間、学校現場では、生徒も教員もお互いの表情がわからないまま、非常に困難な教育活動を強いられてきたのだ。

「入学当初のお互いのコミュニケーションを、マスクなしの状態ではかりたい…」、という校長の切なる願いであったのだが、ここにきてあっという間にインフルエンザが蔓延した。

もしかしたら、それなりにマスクの効果はあったのかもしれないが、どうやら感染源は教員らしい…。

数年前にも、この時期からGWにかけてインフルエンザが蔓延し、百人に達するかという状況になっているの、校長も、「慌てふためくと、どんどん広がるので、できる処置を淡々と行うよう」指示を出している。

たしかに、教員側が慌て、不安になれば、その思いは生徒に伝わり、状況はさらに悪化しそうだ。

何が起きても動じない様は格好よいが、生徒から見た教員は、そのようでなければならないだろうと思う。

新入生はまだオリエンテーションの真っ最中。
この先、歯抜けのメンバーでのオリエンテーション、最初の授業のスタートになりそうだ。

恐らくは他校でも、同じようにインフルエンザが流行ってきているのだろう…。




2023年04月07日

入学式

今年の入学式でも私は撮影係。
新たに入学してきた中学生、高校生の勇姿を私は記録に残す。

緊張した面持ちで、入場してくる彼等の姿は誇らしげだ。
新しい世界に一歩を踏み出し、希望溢れ、明るい未来を思い描く。

そんな中で、一人だけ明かす入れたような生徒がいた。
皆が緊張の中、どきどきしながら歩いている中、なんだかニヤニヤしている。
照れ笑いだろうか。
かつて、こうした緊張を経験しても、いつもそのプレッシャーから逃げてきたのだろうか。

そんな風に始まった入学式。何やら動き続けている中学の新入生がいた。
多動性の生徒だ。

あとから効いたのだが、新しい制服の生地がチクチクして、我慢がならなかったらしい。
だが、理由はそれだけではあるまい…。

いろいろな生徒が今年も入学してきた。
入学した空は、すべての生徒を責任を持って教え諭し、中学や高等学校の課程を修了させるべく、関わり続けなくてならない。

ましては、我が校は私立だ。保護者から授業料等を頂戴しているのだ

ふと、高校生を見ると、式開始後からずっと寝ている生徒がいた。
中学時代ずっと授業を担当してきたTである。

厳粛な式典内でずっと寝続けることができる大胆さがあるともいえるが、「きちんとすべき時にはちゃんとする」ことを中学時代に学びきれなかったことによる。
つまり、我々の始動が仕切れなかったことということだ。

私は、ふとファインダー越しに、彼の姿を残しておきたい衝動にかられた。
もう一歩のところで、思いとどまったが、私は少しだけ、怒りを感じてしまった。

式は恙なく終わり、新入生の彼等にも笑顔が戻った。

また新しい年度が始まる。

私たちの仕事はとてつもなく大きい…。

2023年03月01日

卒業式

卒業式が終わった。
私の中では、なんともあっさりとした卒業式になった。

私自身トラウマのある学年。
本当なら参列したくはなかったのだが、私にはいつものようにカメラマンとして、卒業式の様子を撮影しなくてはいけない仕事が与えられた。
だから、逃れるわけにはいかなかったのだ。

例年は涙、涙卒業式で、流れる涙をファインダーを覗きながら誤魔化したものだが、今年は涙が流れることはなかった。

恐らく私は、枯れてしまったのだろう。

もう何年もなるのだが、私が彼等を担任した時代、どうやら私は病んでいて、彼等と正面から向き合うことができなかったようだ。

その罪悪感、逃避により、私は彼等の学年に顔向けができないでここまできた。

そして卒業式を迎える…。

彼等が気分良く卒業式を迎え、幸せに卒業していくのならば、それでいい…。
だが、その姿を少し離れて、やや冷めた気持ちで見ている自分が、何ともやるせなく、許せないようにも思える。

生徒とのトラブルというよりも、保護者とのかかわりの中で、私は彼等の学年を見捨てる形で去ることになった。その傷は、未だに癒えていない。

式後の謝恩会にも招待され、参加こそしたものの、一時間あまりのその集いは、私にとってあまり居心地がよいものではなかった。

式後、二人の生徒から声をかけられ、感謝の言葉を述べられた。
私は何ごともなかったのように、笑顔で彼等を送り出す。

高校生にとって、中学時代の先生はかなた昔の遠い存在なのだろう。
しかし一方で、私は未だに、彼等の姿を見るたびに、罪の意識にさいなまれる。

恐らくは彼等が卒業したのちも、私の心は癒えることはないのだろう。
現実逃避として、彼等の姿を見ることがなくなることだけが、これまでと変わることだが、まだ、私の心のわだかまりが消えることは、しばらくない…。




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