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2023年06月21日
野球応援
私が卒業した学校は、甲子園の常連校だったので、全校生徒の野球応援は当たり前だった。実際は、決勝戦が全校応援で、準々決勝は高1全員、準決勝は高2全員という具合である。一学年14クラスのマンモス校だから、在校生の応援だけでも、壮観であり、相手チームへの威圧感があった。
我が校でも甲子園目指して野球部が日夜、汗を流しているが、今年は全校応援が三回戦からになった。例年なら一回戦から、皆で応援に行くのだが、今年は校長判断で中止になった。野球部内でトラブルがあったのだ。
昨今、強化選手という感じで、技術的に優れたメンバーを集めつつあるが、そうしたメンバーはどちらかというとヤンチャで、ちょっとしたことで問題を起こしやすい。そうしたちょっとしたいざこざが、結局は問題視されることになり、「これでは応援される立場ではない」という判断が下された訳だ。
現役最後となる高校3年生の選手にとっては、断腸の思いだろう。
それこそ「この日のために…」、という意識で練習を重ねてきたわけだ。
その晴れ舞台に、友人たちも後輩たちも来ない…。
今回、主としてトラブルを起こしたのは、後輩たちだ。もちろん、先輩である高3にも責任の一端はあり、それゆえに今回の判断になったのだろう。
折しも抽選が終わり、対戦カードも決まった。
ある高1の部員が、教室で、「最初から強いところあたらなくて良かった」、と叫んでいたという。
その姿を冷ややかな目で見ている同級生も多い、ということを、彼は未だに気づいていない。そんな風だから、トラブルが絶えないのだろう。
まだまだ幼い彼等を取りまとめるのは大変だが、チームがまとまらなければ、恐らくは一勝すらできないだろう。ようやく夏にも勝てるようになった矢先である。
彼等には、「自分たちは特別だ」、「応援に来てくれてあたりまえ」という思いが、まだ完全に払拭することができなのだろう。
すべては『日常生活』なのだが…。
我が校でも甲子園目指して野球部が日夜、汗を流しているが、今年は全校応援が三回戦からになった。例年なら一回戦から、皆で応援に行くのだが、今年は校長判断で中止になった。野球部内でトラブルがあったのだ。
昨今、強化選手という感じで、技術的に優れたメンバーを集めつつあるが、そうしたメンバーはどちらかというとヤンチャで、ちょっとしたことで問題を起こしやすい。そうしたちょっとしたいざこざが、結局は問題視されることになり、「これでは応援される立場ではない」という判断が下された訳だ。
現役最後となる高校3年生の選手にとっては、断腸の思いだろう。
それこそ「この日のために…」、という意識で練習を重ねてきたわけだ。
その晴れ舞台に、友人たちも後輩たちも来ない…。
今回、主としてトラブルを起こしたのは、後輩たちだ。もちろん、先輩である高3にも責任の一端はあり、それゆえに今回の判断になったのだろう。
折しも抽選が終わり、対戦カードも決まった。
ある高1の部員が、教室で、「最初から強いところあたらなくて良かった」、と叫んでいたという。
その姿を冷ややかな目で見ている同級生も多い、ということを、彼は未だに気づいていない。そんな風だから、トラブルが絶えないのだろう。
まだまだ幼い彼等を取りまとめるのは大変だが、チームがまとまらなければ、恐らくは一勝すらできないだろう。ようやく夏にも勝てるようになった矢先である。
彼等には、「自分たちは特別だ」、「応援に来てくれてあたりまえ」という思いが、まだ完全に払拭することができなのだろう。
すべては『日常生活』なのだが…。
2023年06月20日
朝の声出し
中学校で始まった朝のSHRの声出しが、いつしか高校にも浸透し、全校で行われるようになった。
朝のSHRでは、各クラス、クラスの目標などを大声で叫ぶ。
今は、コロナ禍のためマスクをしているが、その中でも声は大きい。
これが、校内全クラスで行われている。
なかなか壮観だ。
声を出すと元気が出る。
前進にパワーがみなぎってくる。
その意味では、まだ半ば寝ている状態の身体を起こし、シャキッとすることもできる。
と同時に、各担任はその声出ししている生徒を見ることで、彼等の健康状態をチェックすることもできる。
悩み事があって、元気がなかったならば、大声を出すには、なかなか優輝がいる。体調が悪かったときも同じだ。それ中で声を出したとしても、よく観察していれば、声を出し終わったときにふっと見せる表情−実際はマスクをしているので、なかなか厳しいものはあるが−が見えるはずだ。
私が担任をしていた頃には、ほんの一握りのクラスだけのイベントだったが、今や声出しは、毎朝の恒例行事になっている。
クラスの一体感。
大声を出すことでの、心身の活性化。
そして何よりも、クラスの目標を毎日叫ぶことで、その理念はクラス全員に刻まれるだろう。
今朝も、各クラスから「おたけび」が聞こえてくる…。
みんな元気だ。
朝のSHRでは、各クラス、クラスの目標などを大声で叫ぶ。
今は、コロナ禍のためマスクをしているが、その中でも声は大きい。
これが、校内全クラスで行われている。
なかなか壮観だ。
声を出すと元気が出る。
前進にパワーがみなぎってくる。
その意味では、まだ半ば寝ている状態の身体を起こし、シャキッとすることもできる。
と同時に、各担任はその声出ししている生徒を見ることで、彼等の健康状態をチェックすることもできる。
悩み事があって、元気がなかったならば、大声を出すには、なかなか優輝がいる。体調が悪かったときも同じだ。それ中で声を出したとしても、よく観察していれば、声を出し終わったときにふっと見せる表情−実際はマスクをしているので、なかなか厳しいものはあるが−が見えるはずだ。
私が担任をしていた頃には、ほんの一握りのクラスだけのイベントだったが、今や声出しは、毎朝の恒例行事になっている。
クラスの一体感。
大声を出すことでの、心身の活性化。
そして何よりも、クラスの目標を毎日叫ぶことで、その理念はクラス全員に刻まれるだろう。
今朝も、各クラスから「おたけび」が聞こえてくる…。
みんな元気だ。
2023年06月16日
新人の先生
昔は、新人の先生がやってくると、「何とか育ててあげなきゃ」ということで、けっこう関わって、指導という名目でいろいろとやかましい指摘をしていたものだが、昨今は。ほとんど関わらなくなってしまった。歳が離れすぎたということもあるが、私のような年寄りより、もっと若手で経験を積んだ人の方が、「受け入れやすい」のではないかとも思う。
圧倒的に経験値の少ない新人あるいは若手の先生が、十年も二十年も教員生活をしているベテランの先生と同じようにできるわけがない。私もかつて、先輩の先生から、「若手がベテランに勝る可能性があるとすれば、それは『情熱』しかない」、と聞かされたことがある。
私の世代は、デモシカ先生ではない。
「絶対に教員になりたい」と熱意を持って夢見た教壇に立った方がほとんどだ。
私もその一人であったと思う。
だからこその、『情熱』なのだろう。
果たして今はどうだろう。
教員志望者が年々減少し、優秀な人材が集まりにくくなったと聞く。
いや、今でも、教員を志す者は、教師という職業にあこがれ、それぞれの夢を希望を持って食についていると信じたい。
恐らくは、私の身近にいる新人の先生だったそうだろう。
授業は下手くそなのはあたりまえ。
生徒指導はまだまだ稚拙なのもあたりまえ。
仕事の効率も悪いし、いろいろなところに気が利かないのもあたりまえ。
そんな風に見れば、先輩諸氏の先生方も、それほど腹を立てることもないだろう。
私は、まだまだ若かった頃、新人教員や教育実習生には、けっこう厳しくあたっていたと思う。教員として、生徒から「先生」と呼ばれる隊場である以上、ある程度のレベルでなければ、生徒たちがかわいそうだ、と思っていたのだ。
教師としての使命感に燃えていたことは事実だが、一方で、自分自身におごりがあったのだろうとも思う。
今は、けっこう静かにしている。
「いずれ、経験が増えれば、できるようになるさ…」
と遠目で、少し応援する気持ちで見ていることが多い。
s
「慣れないことばかりで、疲れるだろうな…」と思いつつも、さりげなくフォローもする。
私自身、老獪になったということか…。
圧倒的に経験値の少ない新人あるいは若手の先生が、十年も二十年も教員生活をしているベテランの先生と同じようにできるわけがない。私もかつて、先輩の先生から、「若手がベテランに勝る可能性があるとすれば、それは『情熱』しかない」、と聞かされたことがある。
私の世代は、デモシカ先生ではない。
「絶対に教員になりたい」と熱意を持って夢見た教壇に立った方がほとんどだ。
私もその一人であったと思う。
だからこその、『情熱』なのだろう。
果たして今はどうだろう。
教員志望者が年々減少し、優秀な人材が集まりにくくなったと聞く。
いや、今でも、教員を志す者は、教師という職業にあこがれ、それぞれの夢を希望を持って食についていると信じたい。
恐らくは、私の身近にいる新人の先生だったそうだろう。
授業は下手くそなのはあたりまえ。
生徒指導はまだまだ稚拙なのもあたりまえ。
仕事の効率も悪いし、いろいろなところに気が利かないのもあたりまえ。
そんな風に見れば、先輩諸氏の先生方も、それほど腹を立てることもないだろう。
私は、まだまだ若かった頃、新人教員や教育実習生には、けっこう厳しくあたっていたと思う。教員として、生徒から「先生」と呼ばれる隊場である以上、ある程度のレベルでなければ、生徒たちがかわいそうだ、と思っていたのだ。
教師としての使命感に燃えていたことは事実だが、一方で、自分自身におごりがあったのだろうとも思う。
今は、けっこう静かにしている。
「いずれ、経験が増えれば、できるようになるさ…」
と遠目で、少し応援する気持ちで見ていることが多い。
s
「慣れないことばかりで、疲れるだろうな…」と思いつつも、さりげなくフォローもする。
私自身、老獪になったということか…。
2023年06月14日
迷い犬
夕方愛犬の散歩のために家に戻ると、犬が一匹増えていた。
車庫の中に、ちょこんと犬が座っている。
初めは何かの置物かと思ったが、近づいてみると、ずぶ濡れになった犬だった。
どこからかやってきて、休息がてら雨宿りをしているのだろうか。
私の愛犬たちは、そ知らぬふりである。
近づけば、吠えたり威嚇したりするのだろうが、何ごともなかったかのように過ごしている。
奥の部落から逃げ出した犬なのかと思い、訪ねてみたが、どうやらその部落にも時折現れる野良犬らしい。
そうは言っても、助けを求めて来た犬を、むげに追い返すわけにもいかず、私はずぶ濡れになった身体を拭き、少しのおやつをあげた。
気に入られて居つかれても困るが、私の家で弱って死んでしまうのも、あまりに切ない。
と言って、保護して私が飼い主になるというのも、少しハードルが高い。
迷い犬は、私の飼っている柴犬よりも一回り大きい柴犬系の雑種と思われた。
その汚れ具合から、雨の中ずっと歩き続け、ヤブの中をも歩いてきたものと思われた。
「どうしたの? どっからきたの? 休んだらおうち帰りな…」と声を掛けて、私は愛犬たちの散歩に出掛けた。まだ本降りの雨だが、少しは雨あしが弱くなってきたようだ。
私はその後、犬小屋をあとにした。
幸いライブカメラで犬たちの様子が見える。
薄暗くなった夜7時頃、その迷い犬は尻尾を振りながら私の愛犬に近づいた。
臆病者の私の愛犬は、けたたましく吠え、近づいてくる迷い犬を追い払った。
あきらめた迷い犬は、裏庭の方に歩いて行ったようである。
その方向を、私のもう一匹の愛犬がじっと見つめている。
迷い犬の目は、何かをい訴えかけ、まるで「助けてくれ」とでも言いたげであった。
何とかしてあげたかったが、私ができること、やってもいいことは、せいぜいこのくらいが限界だろうと思った。
飼い主がいるなら、家に戻ったらいい。
居心地が悪くて、苦しくなったら、また休みに来てもいい。
私がお世話をしてあげられるかどうかはわからないけど。たまに来るくらいなら、かわいがってあげよう。
私はそんな思いで夜を迎えた。
迷い犬は元気にしているだろうか…。
車庫の中に、ちょこんと犬が座っている。
初めは何かの置物かと思ったが、近づいてみると、ずぶ濡れになった犬だった。
どこからかやってきて、休息がてら雨宿りをしているのだろうか。
私の愛犬たちは、そ知らぬふりである。
近づけば、吠えたり威嚇したりするのだろうが、何ごともなかったかのように過ごしている。
奥の部落から逃げ出した犬なのかと思い、訪ねてみたが、どうやらその部落にも時折現れる野良犬らしい。
そうは言っても、助けを求めて来た犬を、むげに追い返すわけにもいかず、私はずぶ濡れになった身体を拭き、少しのおやつをあげた。
気に入られて居つかれても困るが、私の家で弱って死んでしまうのも、あまりに切ない。
と言って、保護して私が飼い主になるというのも、少しハードルが高い。
迷い犬は、私の飼っている柴犬よりも一回り大きい柴犬系の雑種と思われた。
その汚れ具合から、雨の中ずっと歩き続け、ヤブの中をも歩いてきたものと思われた。
「どうしたの? どっからきたの? 休んだらおうち帰りな…」と声を掛けて、私は愛犬たちの散歩に出掛けた。まだ本降りの雨だが、少しは雨あしが弱くなってきたようだ。
私はその後、犬小屋をあとにした。
幸いライブカメラで犬たちの様子が見える。
薄暗くなった夜7時頃、その迷い犬は尻尾を振りながら私の愛犬に近づいた。
臆病者の私の愛犬は、けたたましく吠え、近づいてくる迷い犬を追い払った。
あきらめた迷い犬は、裏庭の方に歩いて行ったようである。
その方向を、私のもう一匹の愛犬がじっと見つめている。
迷い犬の目は、何かをい訴えかけ、まるで「助けてくれ」とでも言いたげであった。
何とかしてあげたかったが、私ができること、やってもいいことは、せいぜいこのくらいが限界だろうと思った。
飼い主がいるなら、家に戻ったらいい。
居心地が悪くて、苦しくなったら、また休みに来てもいい。
私がお世話をしてあげられるかどうかはわからないけど。たまに来るくらいなら、かわいがってあげよう。
私はそんな思いで夜を迎えた。
迷い犬は元気にしているだろうか…。
2023年06月09日
中総体
この地域では、この大会を『中総体』と呼ぶ。
中体連(学体連)主催の、全国大会までつながる、中3にとっては最後の大会である。
ほとんどの部活は、この大会で中3が引退する。
かつては7月20日以降、夏休みに入ってから行われていた大会であるが、昨今の夏の暑さにより、日程がだんだんと前倒しになった。梅雨明け直後の酷暑がひどく、熱中症でバタバタ倒れる生徒や教員が激増したからだ。高校のスポーツ界で、もっとも屈強であろうと思われる高校野球の球児ですら、最近は開会式で倒れる生徒がいる…。
ここ数年、コロナ禍で不自由な大会を強いられたが、今年ようやく通常の体制に戻った。戻ったのだが、今年から私の県では、春の大会が廃止されたので、それに伴って、総体がぐーんと前倒しになって、今日6月9日になったのだ。
夏休みの初めに大会があった頃と比べると、大幅前倒しだ。
多くの生徒が涙を流し、悔しがっただろう。
上位大会に進出できるのはごく僅かだ。
そんな大会だったが、私はコロナ明けの生徒は大会には連れて行かなかった。
本人には申し訳ないが、幸い、7月にも出場出いる大会があり、他の部員へのさらなる感染を怖れ、大事を取ったのだ。彼が発症した際、部内で別の発症者が出てしまってのだ。
大会がどうなるか分からない中、同一のバスで出掛け、バス内で食事を取るなど、そうした環境で、彼を連れて行くことができなかったのだ。
教育現場では、一律にできないことが必ず起こりうる。
個別に対応しなくてはならないのだが、このことがクレームにつながってしまうこともある。
私は彼には最大限の配慮をしたつもりだが、どうだろう。
たくさんの生徒をお預かりしている以上、いろいろなことが起こる。
ものごとは杓子定規にはいかないのだ。
大会後、私の専門部では飲み会が行われる。
職務上、私は参加することはできないが、彼等の気持ちも分かる。
教員だって、リフレッシュしたいのだ。
だが、このところじわじわとコロナ発症者が増えている中、ちょっと複雑な心境にもなる。
中体連(学体連)主催の、全国大会までつながる、中3にとっては最後の大会である。
ほとんどの部活は、この大会で中3が引退する。
かつては7月20日以降、夏休みに入ってから行われていた大会であるが、昨今の夏の暑さにより、日程がだんだんと前倒しになった。梅雨明け直後の酷暑がひどく、熱中症でバタバタ倒れる生徒や教員が激増したからだ。高校のスポーツ界で、もっとも屈強であろうと思われる高校野球の球児ですら、最近は開会式で倒れる生徒がいる…。
ここ数年、コロナ禍で不自由な大会を強いられたが、今年ようやく通常の体制に戻った。戻ったのだが、今年から私の県では、春の大会が廃止されたので、それに伴って、総体がぐーんと前倒しになって、今日6月9日になったのだ。
夏休みの初めに大会があった頃と比べると、大幅前倒しだ。
多くの生徒が涙を流し、悔しがっただろう。
上位大会に進出できるのはごく僅かだ。
そんな大会だったが、私はコロナ明けの生徒は大会には連れて行かなかった。
本人には申し訳ないが、幸い、7月にも出場出いる大会があり、他の部員へのさらなる感染を怖れ、大事を取ったのだ。彼が発症した際、部内で別の発症者が出てしまってのだ。
大会がどうなるか分からない中、同一のバスで出掛け、バス内で食事を取るなど、そうした環境で、彼を連れて行くことができなかったのだ。
教育現場では、一律にできないことが必ず起こりうる。
個別に対応しなくてはならないのだが、このことがクレームにつながってしまうこともある。
私は彼には最大限の配慮をしたつもりだが、どうだろう。
たくさんの生徒をお預かりしている以上、いろいろなことが起こる。
ものごとは杓子定規にはいかないのだ。
大会後、私の専門部では飲み会が行われる。
職務上、私は参加することはできないが、彼等の気持ちも分かる。
教員だって、リフレッシュしたいのだ。
だが、このところじわじわとコロナ発症者が増えている中、ちょっと複雑な心境にもなる。