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2022年04月29日

昭和の日に思う

「昭和の日」である。昭和天皇の誕生日でもある。
かつては「みどりの日」であったこともある。
天皇誕生日など国民の祝日は、時の政府によって、いろいろ変えられる。

先日授業をしていたら、ある生徒が、「丹澤先生、天皇って誰ですか?」などと言った。
彼が珍しい存在なのだろうが、私はガクッと力が抜けた。

時に国家元首相応での立ち居振る舞いをされる天皇陛下である。
こうした子どもが増えれば、日本の天皇制も危機を迎えるだろう。
私は、その子にしてその親あり、という、ある種の危機も感じている。

世の中では、今日がゴールデンウィーク初日ということだが、私の学校では平常授業が行われた。今日29日の祭日を、5月2日に移動したのである。これで、5月1日から5日までを連続で休みになるようにしたのだ。ちなみに明日30日は土曜日なので、午前中は授業が行われる。

若干、部活の試合はあったものの、それほど混乱なく休日ながらの平日授業を行うことができた。

生徒たちにとっては、明日の午後からがゴールデンウィークのスタートである。
社会的には、三年ぶりの制限なしの連休ということで、家族で出掛ける生徒も多いのだろう。

そのため、学校では、休み明けから分散給食も再開する。
いわゆる警戒態勢に入るのである。
長期休み明けの学校は、コロナが流行りやすく、対応を怠ればクラスターになりかねない。そのための対策を講じるのだ。

聞けば、近隣でも昨今流行が再増加し、部活動が中止になっていると聞く。

世の中、自粛疲れと、オミクロンの軽症発症に、そろそろ疲れが来ている頃だ。

だが、集団生活の学校こそ、対応を怠るわけにはいかない。

マスクしての運動はつらい。
下手をすれば熱中症の危機さえある。マスクして運動後、そのまま倒れて死亡したという例も、多少はある。

ふと、私が教員になった頃の、今から三十数年前を思い出す。
「でもしか」先生が要らした頃だと思うが、当時は、学校生活に影響を与えるような大きな事件はなかった。ADHDもLGBTもほとんど認知されていなかった。

厳しい時代に入ったということだろう。
教員不足もうなずける…。

2022年04月28日

健康診断

生徒の健康診断が行われた。
以前の勤務校では、一日がかりで健康診断を行っていたが、今の私の学校では、授業をしながら平行して行っている。

つまり、すべての計測を業者にお任せしているわけだ。
先生たちが、視力や慎重、体重などを計測するなら、授業どころではないが、すべて業者がやってくれるのなら話は別だ。授業をしながらでも、十分健康診断ができる。

学年毎に一、二時間で終わるので、診断時間とかぶらなければ授業はつぶれない。
また、授業とは別に誘導要員として教員ははいるので、追加で健康診断の仕事に関わるが、それも30分程度で、大して負担にはならない。

授業を潰さないために、もしかしたら、かなりの費用を業者にお支払いしているのだろうが、それも一つの方法だろう。

五百人近い全校生徒全員の検査をする専門医も、なかなかハードだが、恐らくは一人健診するたびに報酬が発生するのだろうから、いい仕事なのかも知れない。

生徒たちは毎年の計測、特に慎重に一喜一憂する。

私は毎年中学生には必ず訴える。
「自分はまだ小さくて、身長を伸ばしたいのなら、早く寝なさい。夜中まで起きていると、身長は伸びないよ。」

成長ホルモン分泌の観点からの話だが、確かに、中学時代夜が遅かった生徒は、高校生になっても小さいままの生徒は多いように思う。

男子は、高校生になったらほとんど身長が伸びないのだ。
一部の例外はあろうが、統計的には、そう間違いでもあるまい。

さて、健康診断では当然、外部の方が学校に入る。
普段は服装がだらしのない生徒でも、このときばかりはと、少し正す必要もあるのだが、今回は、中学生にそうした指導はなされていなかったようだ。

同じ学校で、だらしない服装が当たり前になると、いつしかそのことには気づかなくなる。「そんなこと学校生活には関係ない」という意見もあろうが、私はそうは思わない。

中学生は型を学ぶ時期でもある。
「まあ、いいか」と大人が妥協しては、教育にならない。

健康診断を見て、ふと思った。

2022年04月24日

エネルギー源

「最近M先生、元気ないですよね。」
やはり生徒たちも気づいているようだ。
半月ぶりに職場復帰されたM先生だが、まだまだ本調子ではない。
忙しすぎる上に、精神的にも大きなダメージを負ったM先生は、3月まではきっちりを責任を果たされた。
一見、社会人として当然、と思われるかも知れないが、残念ながら私の職場は、けっこう教職員出入りがある。
過酷な職場なのだろう。

もちろん、どこの学校現場で同様なのかも知れないが、早朝から夜間まで、ずっと勤務というのは珍しくない。だから、各自上手に休息をとり、ストレスマネジメントができなければ、仕事が続けられない状態に陥るのである。

「ときどき、疲れたようなものすごい怖い顔になりますよ。」

供したるもの、本来は、そのようであってはいけないのだろう。
たとえどのような状況下であっても、努めて笑顔を作り、奮起しなくてはならないのだが、肉体的に、精神的にも疲れ果ててしまった時には、そうした余裕はもはやないだろう。

そこまで追い込まれないうちに、上手に休養しなくてはならないのだが、学校ではいろいろな突発的なことが起こり、思うようにはいかないものだ。

「復帰されただけもいいんじゃないかな…。今まで、何人もの先生たちが、学校を去っているから…。」

私は、かれにぼそっと言う。
本来は、黙っていなくてはいけないことなのかも知れないが、そろそろ大人の世界を垣間見てもいい頃だろう。

私だって、いつ同じようになるか分からない。

もしかしたら、私自身も疲れたとき、ものすごい形相で生徒の前に立っているのかも知れないな、などと少しばかりの恐怖心を感じる。

私の場合のエネルギー源は、生徒たちと関わっていること。休日だって、生徒たちと一緒にいると少し安心する。

「丹澤先生、今日も電車の撮影に連れて行ってくださって、ありがとうございました!」

笑顔の彼が元気に言う。

今日も、いい日曜日になった。

2022年04月23日

野球部の練習

久しぶりにメンバー揃った野球練習になった。普段は高校野球部と一緒に練習している硬式のメンバーが二人練習に参加したのである。大会に出られない彼等だが、今年は、彼等も大会には出場させようと思っているのだ。

二人が参加したお陰で、練習はとても充実したものになった。そこそこの野球技術のある者が入るだけで、チームはガラッと変わる。

キャプテンの指導力が今一つという部分もあるのだろうが、彼を支える中3もいないのも事実なので(メンバーいるのだが、いずれも自分のことばかりの生徒)、彼は孤独の中で格闘しているのだ。根が優しいので、めったに怒らない。それに部員たちが甘えているということだろう。

そういう訳で、今日は言い練習ができたな、と思う。
選手たちも充実感があったのではないかと思う。

まず、声が切れない。
野球部で声が出ないなんて最低だ。
あとは動きを機敏にして、練習と練習の間の無駄な時間も省く。

日々の目標も明確にして、毎日が進化の連続にする。

少し前の私は、いつもそんなことを考えていた。
だが、もしかしたら、最近は惰性で部活指導をしているのかも知れない。
確かにもう十年以上になる。

かつてのように熱くなることもない。

8年くらい前に、近県をキャプテンを連れて、飛び込み練習試合依頼をしていた時期が懐かしい…。

最近は、毎日が「言い練習」ができればそれでいいと思っている。
彼等が日々、何かしらの学びを得て、成長していればいい。

しゃかりきになって、熱くなりすぎて、いろいろトラブルを起こすよりも、上手にコントロールする智慧を得たということだろうか。

あるいはまた、若手に監督を譲り時期が近づいているのかも知れない。
その日がいつ来るのか分からないが、それまでは走り続けよう…。




2022年04月21日

監督会議

地区の野球部の監督会議があった。

私はずいぶん久しぶりに皆が集まったようにも思ったが、昨年の秋ぶりだそうだ。
ただ、途中、練習試合もなければ、一切の公的な試合がなかったので、こうした公立学校の先生たちとの接点は全くなく、そういう意味では、かなり久しぶりというイメージが私自身にあるというのはうなずける。

野球部の監督ということもあり、若手の先生方も多く、とにかく元気な先生が多い。
私はこうした機会に、彼等と会うと、元気をもらうことができるのだ。

こんな意欲的で、元気もりもりの先生が、果たして今の私の学校にいるだろうか、とすら思う。俗っぽい言えばそれまでだが、いろいろ話をしてみると、彼等から学ぶことも多いのだ。

同じ学校でも、私立と公立では違う。
同じ公立でも文化の違いがある。しかし、彼等との会話の中で、何かしら教育上のヒントを得ることができるのだ。

彼等と酒を酌み交わしながら、いろいろ話をしたらさぞかし楽しいだろうな、と思うが、ここ数年、コロナ禍で懇親会はすべて中止になり、そうした機会は無くなってしまった。

この場で久しぶりでもある春の大会の組合せ抽選が行われる。

ひと頃よりもずいぶん学校数が減ってしまったようだ。
この学校数に合わせ、近いうち、県でも地区ごとの県大会出場の代表枠の見直しをするそうである。

元気で活発な野球少年のために、先生たちは死力を尽くしている。
彼等の中から、高校野球で活躍する選手も生まれ、時にプロ野球選手も誕生するのだ。

昨今、どの学校も部員数が減っている。
そもそも学校の生徒数が激減しているので、当然ではあるのだが、東日本では野球人気よりもサッカー人気が勝っている。

十数名のチームで、トーナメント戦うことはかなりきつい。今回の大会から、ピッチャーの一日の投球が100球までになった。ダブルヘッダーとなる組合せでは、ピッチャー一人では二試合を戦えない。

メンバーの少ないチームにとっては、さらに厳しい状況になった。

少し私の部の選手たちもスイッチが入ってきたようなので、私ももうひと踏ん張りだ。

2022年04月18日

すいません!お名前…

中1のあるクラス。今日が私の初授業であった。

いつものように、私は自己紹介を兼ねて、いろいろな話をしながら、クラスを和ませ、話を進めて行く。思いついたことをただベラベラ話しているだけなので、脈絡はない。だが、時々、はっとすることも言う。

「授業は真剣に聞いて下さい。聞くのです。聞こえるでは駄目です。説明はしっかり見て下さい。見えるでは駄目です。見るのです。その姿勢があれば、私が説明した内容は、全員が必ず理解できます。分かるようになります。できるようになります。解けるようになります。試験でも点数が取れるでしょう。」

などと、私が自信を,持って話すと、一部の生徒はメモをしている。

このほかにも、「計算力と集中力はほとんど同じですよ。さっと集中して、ふっと集中を解くのです。計算はその繰り返しです」、などと力説する。

初回だけれども数学のないようにも触れる。

「正負の数の足し算、引き算は、全部で4パターンあります。そのうち2パターンは仲間です。同じやり方です。これが分かれば、正負の数の和と差を簡単に求めることができますよ。」


そんな説明をしていると、ある女子生徒がおもむろに手を挙げた。
「先生!」
「お、どうした!」
「先生のお名前は何というのですか?」

しまった。そうだった、私は名前を名乗っていなかったのだ。

さっそく、「丹澤です」と改めて答える。

授業の始めに、本来「〇〇先生お願いします!」というところを、「先生お願いします」と言っていたので、「なんか変だな」と思っていたのだが、そうか名前が分からなかったのか…、と納得。

私はいきなり好き勝手に話しすぎたようだ。

なんともほろ苦い初授業になった…。

2022年04月17日

日曜日の畑仕事

ようやくじゃがいもの植え付けを終えることができた。この先と、次々と畑を作り、いろいろな野菜を植える。だが、まとまって使える時間が、日曜日の午後だけなのが、けっこうつらい…。

今日も午前中は部活動。途中、狂犬病の予防接種のため二匹の犬を連れて行き、午後からの家の仕事だ。幸い、日没が遅いので、明るい時間は長いのがありがたい。

しばらくぎっくり腰からの腰痛が続いていたので、畑の土作りも遅れに遅れ、また耕運機もエンジンがかからなくなってしまったので、鍬を使うしかなく、結構な大仕事になってしまった。

それでも、何とか畝を作って、この先の野菜作りの準備をしなくてはなるまい。

今日は、中3のT君が手伝ってくれた。
黒マルチを張って、印をつけて、次々とじゃがいもの植え付けをしていく。

「そう言えば、昨年はじゃがいもは失敗だったなぁ…。」
と思い出した。

比較的簡単と言われるじゃがいもですら、失敗するのだから、私の野菜作りも完全な道楽だ。たまには美味しいものも捕れるが、実は近くの道の駅で買った方が、安くて美味しかったりする。

それでも、経験としてこの先も野菜作りをしてゆこうと思う。いずれどこかで役に立つこともあろうし、それなりに野菜作りのコツやら知識は増え続けている。

この先、暖かくなると、雑草や害虫との戦いになるが、限られた時間でなんとか世話をしようと思う。

さぼらず、当たり前のことを淡々とこなし続ける。

これが、農作業のコツなのだろうと思う。
今日のT君は、黙々とそして淡々と作業をしてくれた。

なんだか怠け者の私には、ハードルが高そうだなぁ。

2022年04月16日

分散給食解除

長らく続けられていた分散給食が一時的ながらも解除された。座席の間隔を開けるため、学年毎に時間をずらして食事をさせていたのだ。

給食会場の都合で、分散給食のために、全学年午前中は45分授業にせざるを得なかったが、ここでようやく50分授業に戻せたということだ。

実際は、GW明けからは再び分散給食を始めるそうだが、長らく続いているコロナ対応にも、やはりメリハリが必要なので、その意味ではよいと思う。

もうコロナ禍により学校が翻弄されて、もう二年になるが、この間、得たものよりも失ったものの方が大きいはずだ。

数多くの学校行事が中止もしくは、規模縮小になることはもちろん、黙食だの、密を避けろ、だのと、人と人とのつながりがどんどん希薄になってしまった。

ある意味、これは人類の危機なのだ。人類はこれまでの歴史でも、多くの人々の協力の中で智慧を得て、経験を積み、叡智を磨いてきたのだ。それが今、半ば壊れようとしている。

人との絆が薄くなれば、誤解も起こるし、争いも起こる。
プロパガンダ的なマスコミ報道に翻弄され、SNSには様々な情報が流れる。
だが、人は、SNSの情報だけで生きていけないのだ。

遠足で楽しくお昼ご飯を食べる際、一切会話をしてはいけない、という姿は異常なことなのだ。

卒業式で、もうこれで歌うことが最後になるであろう校歌を歌えないというのは、極めて異常なことなのだ。

そうしたことが異常と思えなくなることを私は怖れている。
「当たり前」とひとくくりにされ、強要されるのは、もはや全体主義になる。

今日の分散給食解除と共に、食事時の黙食表示も外された。
感染のリスクがないわけではないが、現在在校生に陽性者はいない。

一時期、束の間の解除にはなるが、ようやく本来の姿に戻った感じだ。

中国は、まだまだ新しいコロナ株を持ち、タイミングをはかって世界にばらまくつもりでいるらしい。

おそらくそうした新たな株が流行ることもあるのだろうが、今は、しばしの喜びをかみしめようと思う。

2022年04月15日

M先生のこと

療養のためしばらく休んでいたM先生が復帰した。
いつも元気だったM先生が、この春、コロナ禍と中3の担任として卒業まで駆け抜け、すべてのエネルギーを使い果たしてしまったのかも知れません。

最高に信頼関係を築いていたクラスも、二学期後半、三学期あたりから壊れ始め、不登校者も現れ、担任不振も起こり、まさに精根尽きる状態に陥ってしまったのだろう。

私は、「このまま出勤できずに、学校をお辞めになったらやだな…」と畏怖していたが、今日、復活されたのだ。

まだまだ以前のような元気さはなく、まさに病み上がりのようで、すこしやつれたようにも見える。

私は、久々の対面に、ハイタッチをした。
M先生がこの先、元気を取り戻し、ふたたび活発に教員生活を過ごせることを願っている。

学校生活では、いろいろな事が起こる。
担任をしていれば、生徒とのトラブルも起これば、それが保護者とのトラブルにもなりがちだ。

親は、子どもを人質に取られているようにも思う人もいるので、あからさまな批難は少ないのだが、心の中に思うことが、思いとして伝わってくるわけで、それがボティーブローとなって、じわじわ心を痛めていく。

かつて私も、そのようになってしまい、何年もかかって今の状態まで復活した。
幸いというか、勇気がなかったこともあり、長期休暇こそしなかったが、それは、部活指導が続いていたからであろう。

人は、自信を持ってやってきたことが否定されると、大きくダメージを受ける。ある意味、自分の存在意義をも否定されたような気持ちになり、心が傷つくのだ。

M先生も、そうしたことが積み重なったと思われる。

とかく、「お山の大将だ」と揶揄され続けてきている教員の世界だが、たとえ演技でも、自信を持って指導しなくては、子どもたちを導くことは難しい。一方で行き過ぎれば、天狗的になり、他の意見を聞かなくなってしまう。

概して仕事というものは、様々な困難が伴うものだが、かつても、そしてこれからも人々はそれらに翻弄されながらも、時に乗り越えつつ、生きているものだ。

この経験が、後の指導に活かされることを願い、M先生の一刻も早い全快を祈りたい。

2022年04月14日

性衝動

思春期まっさかりの男女は時に発情する。
それを理性と自制心で抑えることができるかどうかは、当人次第でもある。

中高生は性的にも成熟期を迎えるので、人間の持っている動物的本能を抑えることが難しい時期でもあるわけだ。

しかし、世の中にはネットを中心にあまり多くの性情報や誘惑が溢れ、徐々にそうしたコンテンツに慣れ、当たり前のように感じ、感覚が麻痺してしまうのだろう。

そうした過ちを、家庭や学校ではなかなか上手く指導できない。
これは、今に始まったことではなく、以前からそのようであったと思う。

どちらかと言えば、「性について語るのはタブー」とされ、「自然に覚えるもの」的な楽観が親たちにもあるように思われる。実際親たちも、自分の親に教わったという人は、稀だろう。ましてや男性の場合はなおさらだろう。

生徒たちは、間違いの多い溢れるネットの性情報を鵜呑みにして、自ら背伸びをしようとする。当然、性行為に及べば、妊娠の可能性もあり、その後の人生計画は大きく変わってしまうだろう。

古来より、世界では婚前の交渉や、結婚後の姦淫は厳しく戒められてきた。しかし、戦後の日本では、婚前交渉が緩み、「何がいけないの?」などという状態になっている。

これは、人類の動物への退化であり、本来尊く純粋であるべき『愛』を貶めるものであろう。

本能のままに、衝動的な欲望を理性で抑えられず、若者が行為に及んでしまうのは、社会の影響もあるのだろう。

男女間に関しては、「もっと純粋で、相手の心の美しさを見る」という姿勢が大切だろう。

男女が惹かれ合うのは当然として、そのときに相手のどこを見ているか、何を素晴らしいと感じているか、という視点も持たせたい。

性衝動を抑えきれず、互いが、嫌われたくいないからと思い、行為をかさねてしまうのは、まさに血の池地獄であり、畜生道であろう。

そうした心は地獄に通じてしまっている。

精神面、心という観点から、生徒たちに性について語り、理解を求めるべきであろうと思う。





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