2021年12月14日

卒業生

出掛ける用事があり、久しぶりに卒業生と出会った。
私もバタバタしており、ほんのひと言ふた言、言葉を交わすだけだったが、私が担任をして卒業させた生徒である。

懐かしかった。
時の流れを感じた。

すれ違い際のほんのひと事。

もっと、喜んで、笑顔を振りまいて、彼等を祝福してあげればよかった。

そう振り返ると、自分は何とつまらない男なのだろうと思った。

マスクをしていて一瞬誰だか分からない人もいた。
相手から、〇〇ですとも声を掛けられた。

私自身の印象は極めて悪く、暗く疲れたジジイに見えただろう。

何とも申し訳ない、という気持ちがよぎる。

その中でもA君とは、少し話しができた。
「俺、まだ大学生なんです。三年間プータローだったので…。」

その三年間で何をつかんだかどうかは分からないが、彼の人生にとって、必要なことなのだろう。

自分は何とつまらない男なのだろうと思った。
本来ならば、この春から就職している歳だが、まだ三年ほど学生をするのだろうか。

泣き虫だったので、私は彼をピーピーと読んでいたが、心の優しい生徒だった。

私がインフルエンザで倒れていたときに尽くしてくれたことは、今でも忘れない。

これまでたくさんの生徒を卒業させてきたが、結局、私はもらってばかり。

こちらが教育しているつもりで、私が愛を与えられていたのだと思う。

この先、彼等と会えるのは、おそらくはずっと先だ。

その時こそ、満面の笑顔で話ができたらいい…。

2021年12月13日

S君のこと

部活が始まって間もなく、中2のSが連行された。

外部のグランドに学年の先生がやってきて、学校に取れ戻したのだ。
聞けば、午後の授業をさぼり逃げ回っていたらしい。それでいて、部活に来たものだから要指導となったわけだ。

私は、午後休みをもらっていたので、全然知らなかったが、「授業に出ないで部活に参加する」のは許されない。

Sはまだまだ自分のことしか考えられないのだ。

嫌なことからは逃げる。
怒りを溜めて、あるとき爆発させる。
責められると、まず自分を正当化する。

精神状態は、小学校に上がる前の子どものようで、体だけが中学2年生になったような感じだ。
もちろん、発達の偏りはある。
公立校なら、普通学級に置いておけない生徒なのだろう。

それでも私は、他の生徒と同じように扱う。

いずれは、自分の性質を強く自覚して、それを矯正してゆく努力を重ねなければ、社会で困ることになるからだ。

そのためにも、集団生活内での社会性、人と人との関わり方については、徹底的に厳しく言う。

たとえ脳の機能的には厳しくても、心の部分には訴えかけたことが伝わることを信じていつからだ。

Sは困ったときにはヘラヘラ笑い、自分を誤魔化そうとする。
正確に言うならば、自分でどう対処してよいか分からないから笑うのだ。

だが、それが抑えきれなかった場合は、次の瞬間怒りが爆発し、暴れ出す。

結局、自らの心のコントロールがうまくいかないのだ。

基本的には、さぼらず毎日部活にやってくる。
一生懸命プレーもする。
大きな声も出す。

いいところ、成長している部分はあるのだ。

だから私も関わっている…。

2021年12月12日

エアベッド

エアベットに穴が空いた。
購入履歴を調べてみたら、購入してから二年ほど経っていた。

ちょっと乱暴に使ってしまったのが原因だ。
だが、この穴を塞ぐことは、今のところ成功していない。

穴がちょうど、凸凹の部分で、テープなどを貼ってもすぐに空気が漏れてしまうのだ。
気の利いた接着剤で穴を塞ぎ、さらに自転車パンク修理用要領で穴をふさげば、何とかなりそうだが、その間にもベッドは使わなくてはゆかず、そうのんびりもしていられない。

結局隠れ家から敷き布団を持ってきて寝ることにした。

以前はウォーターベットを使っていた。今でもそのフレームは使っている。

ウォーターベットは、就職仕立ての頃、先輩の先生から進められ20万くらいの金額で買ったものだ。

「一生使えるんだから、割ってみれば安い物だろ。」
と、数学の先生らしく説得された。
確かに、寝心地は良かったし、冬もヒーターで暖かい。

だが、そのウォーターベットもいよいよ駄目になり「消耗品の買い換えか」と思ったら、メーカが生産を中止してしまった。

三十年は使っただろうか。ざっと年間6000円くらいであろうか。

その後は、引っ越し時に自分で運べないのは面倒なので、エアベットにした。
さすがに寝心地は悪いが、これを二年使って、穴が空いた。

修繕して使えるものなら、捨てずに持っていようと思う。
エアベッドは一万弱。

「一生のうちに三分の一は寝ているんだ。せめてベッドくらいいいものを使うべきだろ。」
かつてそう説得されたことを思い出す。

果たしてその先生はまだご存命だろうか。

2021年12月11日

合唱コンクール

恒例の合唱コンクールが終わった。
午前に中学生の部、午後に高校生の部があり、今回、ようやく保護者の来校が認められた。

そうなると、文科省指定の感染症対策が必要になったため、合唱はマスク着用、間隔も1m以上あけるというスタイルになった。

こうなると舞台には入りきれないので、ホールのフロアに合唱台を置き、特設舞台を作った。

ここ数年、合唱のレベルは上がっている。
中3だからと言って優勝するとは限らない。
もちろん、中3にとっては三回目の合唱コンクールなので、そのノウハウや練習スタイル、クラスのまとめ方など、経験値があることは事実だが、理想通りにできるかどうかは、また別問題だ。

だが、どのクラスもなかなか良かった。

私はホールのキャットウォークで撮影をしていたが、けっこう動き回ったため、落ち着いて歌を聴くことはできなかった。

恐らく、そのために、彼等の歌に涙することができなかったのだろう。

「本当に心に染み入ると、歌を聴いているときに自然に涙が流れてくるんだよね…」、と生徒たちには伝えていたのだが、残念ながらその機会はなかった。

保護者たちは、久しぶりの我が子の雄姿に感動してもらえたようで、マスク着用ながらも満足してもらえたようである。

歌が終わると、さっと近づき、マスクを外して記念撮影。
ほんの何十秒かだが、マスクを取った状態での撮影をすることができた。

いつの間にか、マスクをしないことが許されない世の中になってしまった。
おそらくは、マスクがあろうがなかろうが、感染するときは感染するのだろう。
だが、いざ感染したときに、マスクをしていないと、徹底的に責められる。

世界は、そういう暗黙の監視社会になってしまったのだ

彼等の歌声には、心がこもっている。
歌詞に、メロディに、そして、保護者や、お世話になった人たちへの感謝の思いを込めて歌っている。

感動しないはずはないのだ。

泣けなかった私の心が枯れているということか…。

2021年12月10日

休み時間も静かに!

地元のテレビ局の新春番組の収録が行われた。

日中なので授業時間中の収録になるのだが、そうなると、休み時間の時の撮影が厳しくなる。

中学生たちに、「休み時間は静かにしなさい」、というのは無理がある。
授業と授業の間で、彼等なりに気分転換、ストレス発散をして、次の授業に臨む訳だが、ここで、「静かに!」なんていう指導は、およそ教員にはできないことだ。

少し前、やはり日中の時間に、校内で映画の撮影があった。
「授業や学校にはご迷惑をおかけしないようにします」という触れ込みだったが、そんなことできるわけがない。

案の定、「休み時間は静かにしてください」、などと狂った放送が入った。
受け入れ窓口の事務長の声だった。

「そんなことできるわけないじゃない!」
と、中2の学年主任が叫ぶ。

「授業にならないわよ。音楽の授業で音を立てないでどうやって授業するの?」
と、別の教員。

撮影に協力するのはよいが、本来、撮影が学校を借りれば、百万単位のはずだ。
それをタダで使わせていながら、なお、授業に差し障るようならば、本末転倒と言わざるを得ない。

教頭もお怒りのようだった。

「これがこれからの、何かしらの教訓になればいい」、とおおらかにしていたら、今度はTV収録。

ここは子どもたちを教育する学校なのだ。

何かが間違ってはいまいか…。

2021年12月09日

無駄遣い

「ICT推進のための補助金が出るので、何か取り組みをして欲しい」、という要請が来てから何ヶ月か経った。

審査が通り、国からの補助金が下りることになったのだが、これは備品購入はダメであるらしく、人件費だけだそうだ。

結局、総合的学習の時間、パソコンを利用する際のチューターの派遣費になった。

正直なところ、チューターの存在はあまり重要ではない。
以前から先生方で指導できていたし、取り立ててチューターがいないと困るという訳でもなかっただが、「予算を使え」ということらしく、実施した。

何日間かの出来事だったが、卒業生がチューターとして来校し、授業補助をしてくれた。
その費用が補助金なのである。

なんだか無駄遣いではないだろうか。

「予算があるから使え」と言われているようで、何とも気持ち悪い。
文科省らは、「学校現場として、こういうニーズがあるから、こうした予算が必要なのだ」、ということを本気で考えているのだろうか。

学校現場に補助金をばらまいても、天下り先にはなりにくいが、教育委員会や私学協会系ならば、その可能性はある。

「予算配分は、彼等の就職活動か」、とも疑いたくなるような、お粗末さ施策である。

究極のエコカーと言われる水素自動車にも国は補助金を出している。
だいたい700万くらいの自動車に200万円の補助が出る。

水素自動車など、本当はエコカーでも何でもない。
脱炭素のためのカムフラージュなのだ。
本来、水素を取り出すために膨大なエネルギーが必要になるので、その分を計算すると全然エコではないのだ。水素精製過程で、膨大な炭素を出す。

18歳以下の子どもがいる世帯への10万円給付も含めて、日本政府は一体どうなっているのだろうかと思う。

弱者対策は必要だろうが、国民が補助金を頼る国は、絶対に発展しないと、私は思う。





2021年12月08日

授業評価

二学期の授業評価の結果が発表された。
昨今は、若手の先生たちが高評価になっている。
とてもいい傾向だ。

若い手の先生たちが、生徒から信頼され、高い評価になるのは、とても素晴らしいことだと思う。
こうなれば、学校はますます発展してゆくしかない。

一方で、いよいよ私たち年配の引退の時期が近づいているのだろう。

世の中はこうして代替わりをしていくのだ。

「〇〇先生の授業が楽しい」、というスタイルは、学校としては必要不可欠なことだ。
学びの楽しさを教え、学力をつけさせ、かつ、人間性を高めるべく人格教育も行う。

これが学校の大きな仕事だ。

生徒たちによる教員への評価も、昨今は珍しくなくなった。
教師が「お山の大将」であることが許されなくなったのだろう。
また、「尊敬される存在」であることも、とても薄らいでしまったのだろう。

一部の親たちから見れば、子どもは人質。
不安があっても、ストレートにはぶつけにくい。
一方で、理不尽な要求も、当たり前のように言える世相でもある。

生徒たちだって、好き勝手に教員を批判できる。

だが、本質はそこではない。
常に学び続け、最善を求め続ける教員のその努力を、生徒たちは感じることができる。
そこに、畏敬の念が生まれ、学ぶ側としての立場を改めて自覚し、教員に従う。
このサイクルが、師弟関係を築き、教育効果を高めるのだ。

だから単に「人気取り」の教員は、いつしかそのメッキがはがれ、信頼を失っていく。
信頼を失った教員は、生徒への指導はできなくなる。

やはり大切なことは、「努力に努力を重ねる」教員の真摯な姿勢だろう。

その意味では、こうした授業評価は、ある程度の精度で指標になる。
頑張れ! 若手の先生たち!

2021年12月07日

漬けものじじい

この歳になって初めて「柚子大根」を作ってみた。
一週間弱ほどの仕込みで、今日、二人の先生方に毒味してもらった。

「おいしいかった」とは言ってもらえたが、自分では納得できない。
だから私が何かを作ってお渡しするときは、たいてい、「不味いよ」と言う。

「ちょっと味、変だったよ…」、と言わせないための防衛策だ。

先日、白菜の本漬けも行ったが、数日経って、大分「いい匂い」がしてきた。
「こっちは自信作になるかな?」、と思いつつも、お渡しするときは、きっと「不味いよ」と言うのだろう。

人に物を渡すときに、「不味いよ」というのは失礼なことだろうが、それはそれで、私の卑屈な性格をご理解してのことなので、私は甘えている…。

漬けものを作ることが楽しくなったというのは、「私も歳をとった」、ということだろう。
「地元の野菜で、いろいろ作ってみたい」、という思いもあるが、「いろいろ実験してみたい」という気持ちもある。冬場のささやかな楽しみだ。

夏に漬けたキュウリの塩漬けも食べられるようになった。
塩の中にキュウリを入れただけのものだが、漬物石で押しつぶされ、ペラペラになったキュウリを一昼夜塩抜きして食べる。

田舎ならではの保存食だ。
地元の人に教えてもらった通り、私はマヨネーズをつけて食べる。
合わせて入れたミョウガも美味だ。

いずれも大きな樽で漬けているので、人に差し上げなければ食べきれない。

どうやら「食卓から漬けものを欠かさない」生活が訪れつつあるようだ。

いずれ「頼まれて作る」時代が来るのだろうか。

「おいしさのためには手間を掛けよ。」
そんな声が聞こえてくるようだ。


「稼ぐためには手間を掛けよ」と置き換えてみる。
商売でも同じなのだろう。

2021年12月06日

音楽のM先生

校内合唱コンクールが近づいてきた。

この時期、活躍するのが音楽のM先生である。
中1から高2までの全クラスの合唱指導をし、コンクールの運営のすべてを取り仕切る。

公立学校経験のベテランの先生なのだが、本来、能力の高い先生なのだろう。

その指導は非常に細かい。
歌の解釈から音楽性はもちろん、発声練習や練習方法に到るまで、すべてに関わっている。
実際は、それぞれのクラスのパードリーダーたちが、動くのだが、それを統括し、当日までのすべてを切り盛りするのだ。

こうなってくると、「私の言うとおりにやらないなら、知りませんよ」、という具合になりそうなものだが、M先生の場合、それほどギラギラしていないのだ。

中3でご自身のクラスを持ち、指揮者練習、伴奏者練習などなど、精力的に動き回っている。

昨今、合唱のレベルも上がってきた。
合唱コンクールを通して、クラスのまとまりが出てきて、歌に思いが乗り、更に音楽性もアップしてきたからだ。

これもM先生のなせる業である。

クラス担任の力量に関係なく、合唱曲を仕上げてゆく様は、まさに痛快とも言える。

以前、M先生が赴任されたばかりの頃は、不平不満ばかりで、なかなか協力してくれる先生方が少なかったのだが、今は違う。

「すべてをM先生に委ねたい」という思いが先生方の中でも高まっているようだ。

M先生、本当にお疲れ様です。今週末が本番ですから、もう一踏ん張りよろしくお願いします。

今回、合唱コンクールは保護者参観になった。

きっと大成功するだろう…。

2021年12月05日

強風のため…

「年内にもう一度穏やかな山に登り、少し雪景色になったところでリフレッシュしたいな」、と朝から山に出掛けて見た。

「やや下り坂傾向の天気なので、風は大丈夫かな」、とも思ったが、やはり強風だった。
とても登れるような状況ではなかった。

この時期、こういう日が多い。
そもそも12月になってなお、山に行こうというのが間違いなのだろうが、美しい山並みを見てしまうと、やはり心がうずく。

それほど温度は低くなかったが、それでも氷点下。
晴れてはいるが、吹き飛ばされそうなくらいの強風だった。

だから、少し走ってすぐに山を下りた。

雪道で汚れた車を洗いながら見る山並みは、とても穏やかそうで、何となく恨めしい。

さて、年内にもう一度出掛けられるだろうか。

これからの時期、冬型が強まると山は吹雪になる。
下界からは雪雲がかかり、その姿をみることはできない。

冬型が弱まると、山並みが見え出すが、未だ風が強いことが多く、遠くから見てもなかなかわからないのだ。

ライブカメラで見ても、風の様子は分からない。
たまに、ロープウェイ会社が、運行状況を知らせてくれることもあるが、いつでも、と言うわけはなく、結局行って見ないと分からないのである。

これから厳寒期になると、山には近づけなくなる。
道路も一部閉鎖される。

雪遊びに出掛けることはできても、登ることは難しい。
山は美しいが、反面、その厳しさは人の力で対抗しうるものではないのだ。

ちょっとがっかりな、山行きだった…。

追記)
「午後、その山に登って美しかった」、というSNSを見た。昼前から強風が収まり、穏やかな晴天になったのだろう。ちょっとうらやましくその写真を見た。
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