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2022年11月07日
お子ちゃまたち
先週の事件以来、野球部の活動を停止していたが、今日ようやく限られたメンバーで練習を再開した。たった三人のスタートである。
部活動は教育活動の一環であるから、活動にあたってはそうした面も色濃くなければない。特に中学校の場合、技術面よりも教育面の方が大きくなって当然である。
だから私は、時折、部員たちに反省を促すために、いろいろな手を打つ。
だが、昨今、私の手法が効かなくなりつつあるように思う。
別に下手でもいい。たとえそれが先輩と言われる立場の選手であっても、一生懸命やって、必死でボールを追いかけ、明るく爽やかなプレーをしてくれれば、いつのか日の目を見ることもあるだろう。
だが、彼等は違う。
自己中心的で、気分屋、感情の上がり下がりが激しく、一生懸命さもない。
時折、元気になったかと思えば、思い通りにならないことや、気に入らないプレーが起こると、勝手に切れて、自暴自棄になり、あるいは暗くなって落ち込み、ブラックホール化する。
ひょっとすると、発達の偏りのあるようなそういう生徒ばかりなのかも知れないが、自分がやりたいことだけをやろうとして、注意をすれば、ふてくされ、そのあとは、落ち込んでしまって、さわやかさのかけらもなくなる。
そんな風だから、小学生が体験入部に来たときですら、互いにケンカを始めてしまう始末。
一生懸命さがあれば、私もかかわろうという気持ちになるが、彼等の姿を見ていても、そうした気持ちにならず、まるで無意味な時間だけが流れてしまう。そんな部活動にならやらない方がいい。
中学生だと思うからこそ、頭にくるのならば、相手を幼稚園生だと思えばいいということか…。
お子ちゃま相手は気が滅入る。自分自身がポジティブ状態でないと、なかなか対処が難しい…。
部活動は教育活動の一環であるから、活動にあたってはそうした面も色濃くなければない。特に中学校の場合、技術面よりも教育面の方が大きくなって当然である。
だから私は、時折、部員たちに反省を促すために、いろいろな手を打つ。
だが、昨今、私の手法が効かなくなりつつあるように思う。
別に下手でもいい。たとえそれが先輩と言われる立場の選手であっても、一生懸命やって、必死でボールを追いかけ、明るく爽やかなプレーをしてくれれば、いつのか日の目を見ることもあるだろう。
だが、彼等は違う。
自己中心的で、気分屋、感情の上がり下がりが激しく、一生懸命さもない。
時折、元気になったかと思えば、思い通りにならないことや、気に入らないプレーが起こると、勝手に切れて、自暴自棄になり、あるいは暗くなって落ち込み、ブラックホール化する。
ひょっとすると、発達の偏りのあるようなそういう生徒ばかりなのかも知れないが、自分がやりたいことだけをやろうとして、注意をすれば、ふてくされ、そのあとは、落ち込んでしまって、さわやかさのかけらもなくなる。
そんな風だから、小学生が体験入部に来たときですら、互いにケンカを始めてしまう始末。
一生懸命さがあれば、私もかかわろうという気持ちになるが、彼等の姿を見ていても、そうした気持ちにならず、まるで無意味な時間だけが流れてしまう。そんな部活動にならやらない方がいい。
中学生だと思うからこそ、頭にくるのならば、相手を幼稚園生だと思えばいいということか…。
お子ちゃま相手は気が滅入る。自分自身がポジティブ状態でないと、なかなか対処が難しい…。
2022年11月03日
地元の祭り
三年ぶりに地元の祭りが行われた。
コロナ禍でしばらく中止になっていたものだ。
「ご神事なのだから、開催すべきだろう…」と私はずっと感じていたので、「ようやく…」といった感じだ。
だが、今年の祭りは分裂開催。
本来、町内を二つに分けて、それぞれ山車が練り歩くのだが、一方が「中止」という判断をしてしまったので、片方だけの開催になり、何とも盛り上がらない、この先にも禍根を残しそうな、情けない祭りになってしまった。
祭りの継承は、文化の継承でもあり、細々ながらも信仰の継承でもある。
若い衆たちの活躍の倍でもあり、年寄りたちによる若衆への教育の場でもある。
一方で、飲み食いの場でもあり、年に一度の気分高揚、ストレス発散の場でもあるのだ。
コロナ禍で人と人とのつながりが断たれ、飲食の機会も断たれ、別の見方をすれば、文化や信仰の継承の機会も断たれてしまった感がある。
私は祭りのための飾り付けを行い、ご祝儀を準備した。
例年のように山車が我が家の庭に来ることもないので、山車を引く人たちにへの軽食を準備する必要もなかった。
天気は良かったが、日数も三分の一になり、なんとも淋しげな秋祭りになった。
今回、ボランティアで生徒が山車を引いたが、おそらくは、黙って歩くだけだったのだろう。
大声を出さない祭りって何だろう。
家の前に山車が来たときには、地元の人は声を掛ける。
屋外ではマスクをはずすことにはなっているが、学校では一日中生徒にマスク着用を強要している。
祭りだというのに、町は閑散としていた、
少子高齢化が激しく進み、祭りの運営も困難を極めているのかも知れない。
遠く微かにお囃子だけが聞こえてくる。
その音色は、いつもの高揚感ではなく、どこか陰のある、悲しげなものに聞こえた…。
コロナ禍でしばらく中止になっていたものだ。
「ご神事なのだから、開催すべきだろう…」と私はずっと感じていたので、「ようやく…」といった感じだ。
だが、今年の祭りは分裂開催。
本来、町内を二つに分けて、それぞれ山車が練り歩くのだが、一方が「中止」という判断をしてしまったので、片方だけの開催になり、何とも盛り上がらない、この先にも禍根を残しそうな、情けない祭りになってしまった。
祭りの継承は、文化の継承でもあり、細々ながらも信仰の継承でもある。
若い衆たちの活躍の倍でもあり、年寄りたちによる若衆への教育の場でもある。
一方で、飲み食いの場でもあり、年に一度の気分高揚、ストレス発散の場でもあるのだ。
コロナ禍で人と人とのつながりが断たれ、飲食の機会も断たれ、別の見方をすれば、文化や信仰の継承の機会も断たれてしまった感がある。
私は祭りのための飾り付けを行い、ご祝儀を準備した。
例年のように山車が我が家の庭に来ることもないので、山車を引く人たちにへの軽食を準備する必要もなかった。
天気は良かったが、日数も三分の一になり、なんとも淋しげな秋祭りになった。
今回、ボランティアで生徒が山車を引いたが、おそらくは、黙って歩くだけだったのだろう。
大声を出さない祭りって何だろう。
家の前に山車が来たときには、地元の人は声を掛ける。
屋外ではマスクをはずすことにはなっているが、学校では一日中生徒にマスク着用を強要している。
祭りだというのに、町は閑散としていた、
少子高齢化が激しく進み、祭りの運営も困難を極めているのかも知れない。
遠く微かにお囃子だけが聞こえてくる。
その音色は、いつもの高揚感ではなく、どこか陰のある、悲しげなものに聞こえた…。
2022年11月02日
愛犬のこと
先週、下痢が続いていた愛犬Rが急に弱ってしまった。
まだ三歳でもあるので、自然治癒力を期待していたのだが、ここにきて、餌も食べなくなり、さすがに動物病院に連れて行かざるを得なくなった。
聞けば重症であり、命の危険もあるという。
若干は病院独特の「脅し」も含まれているとは思うが、さすがに弱った愛犬を見ていると、心配になってくる。
早速、愛犬Rは点滴治療になった。
私は犬が点滴をする様子を始めて見た。
「そばにいてあげてください」と言われ、小一時間ほど付き添ったが、さらに時間がかかりそうなので、私は一時帰宅し、夕方再び迎えに行くことになった。
点滴のおかげで、愛犬Rは大分元気になった。
「お腹の中に寄生虫が二種類います。治療するには体力の回復が必要なので、まずは食べられるようになり、体重が増えないといけません。」
女医でもある獣医が熱く語る。
私は、「もし愛犬Rが清でしまったらどうしよう…」などという気持ちがよぎり、話しがうわの空になってしまった。
家族の一員である愛犬Rがいなくなると、相当のペットロスになってしまうだろう。
私の愛犬たちは、生徒たちからもかわいがられているし、慣れている生徒も少なからずいる。
何日かを経て二度の点滴後、愛犬Rは、これまでと同じような元気を取り戻しつつある。餌も以前と同じように食べるようになったし、体重も少しずつながら回復しつつある。
ここまで回復すれば、治療が始まるのだろうと思う。
愛犬Rは、蛇や蛙を食べてしまうので、そのあたりから寄生虫にやられたと思われた。
イベルメクチンも飲ませていたが、なぜだか効果がなかったようだ。
あまり犬たちとは遊んでやれないが、それでも、毎日彼等と出会うことは、私の楽しみであり、癒やしでもある。
元来私は寂しがり屋のようだ…。
まだ三歳でもあるので、自然治癒力を期待していたのだが、ここにきて、餌も食べなくなり、さすがに動物病院に連れて行かざるを得なくなった。
聞けば重症であり、命の危険もあるという。
若干は病院独特の「脅し」も含まれているとは思うが、さすがに弱った愛犬を見ていると、心配になってくる。
早速、愛犬Rは点滴治療になった。
私は犬が点滴をする様子を始めて見た。
「そばにいてあげてください」と言われ、小一時間ほど付き添ったが、さらに時間がかかりそうなので、私は一時帰宅し、夕方再び迎えに行くことになった。
点滴のおかげで、愛犬Rは大分元気になった。
「お腹の中に寄生虫が二種類います。治療するには体力の回復が必要なので、まずは食べられるようになり、体重が増えないといけません。」
女医でもある獣医が熱く語る。
私は、「もし愛犬Rが清でしまったらどうしよう…」などという気持ちがよぎり、話しがうわの空になってしまった。
家族の一員である愛犬Rがいなくなると、相当のペットロスになってしまうだろう。
私の愛犬たちは、生徒たちからもかわいがられているし、慣れている生徒も少なからずいる。
何日かを経て二度の点滴後、愛犬Rは、これまでと同じような元気を取り戻しつつある。餌も以前と同じように食べるようになったし、体重も少しずつながら回復しつつある。
ここまで回復すれば、治療が始まるのだろうと思う。
愛犬Rは、蛇や蛙を食べてしまうので、そのあたりから寄生虫にやられたと思われた。
イベルメクチンも飲ませていたが、なぜだか効果がなかったようだ。
あまり犬たちとは遊んでやれないが、それでも、毎日彼等と出会うことは、私の楽しみであり、癒やしでもある。
元来私は寂しがり屋のようだ…。