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2022年03月03日

試験監督

学年末考査が始まった。

「試験監督は結構手持ち無沙汰である。」
こんなふうに言うと、真面目に試験監督をしていないように思われるが、確かに「すべきこと」はあまりない。

と言って、監督業務に意識を払わないと、それが油断になり、途端に不正行為が発生する。

私が最初に勤めた学校では、試験監督時に監督の先生が居眠りをしてしまったことがあり、教室から教員用の椅子が一斉に撤去された。

今の学校でも、教員が本を読んでしまうことがあり、「それでは試験監督にならない」と、今でも注意を喚起している。

私は、以前勤めた学校では、試験時間中、教室の磁場を整え、一人ひとりの幸福を祈ったことがある。

殺伐とした学校だったので、「彼等が気持ちよく試験を受け、力を発揮できるように」、ということと、「魔がさすことがないように」私自身も念を張ったのだ。

その頃から、もう十五年くらいになる。

「私も長く教員生活を送ってきたな」と思う。

試験中は、問題をさっと見て、あとはひたすら机間巡視。
ずっと前の黒板側にいると、後ろの席の生徒の視覚になる。
ずっと後ろにいると、質問生徒がいた場合、彼等が後ろを振り返りたくなる。

そんな風に50分間を過ごすのだが、やっぱり少し「暇」という気持ちは拭えない。

「何もあって当たり前」なので、そのための仕事なのだが、私はあまり監督は好きではない。

彼等生徒たちは、一生懸命に試験を受けているのだから、私もきちんとやらねばならぬはずなのだが…。



2022年03月01日

別れ

高校の卒業式が行われた。
いよいよ彼等、高校三年生ともお別れである。

毎年、卒業式が近づくと、私はなんとも言えない「淋しさ」に覆い尽くされ、悲しくなってくる。彼等との別れが苦しいのだ。

だから私は、極力高校三年生とは関わらないようにして、卒業式間際になると、私の方から先に、「さよなら」と行って、淡泊な別れの言葉を告げる。

卒業式当日に言葉をかけることなど、私にはできない。

彼等の新たな旅立ちを祝福してあげることもできない私は、何と冷たい人間なのだろう。

そんな折り、K君が、「丹澤先生、いろいろ教えてくださってありがとうございました」、と声を掛けてきた。

彼とは、三年生になってもいろいろと話をした生徒である。
受験直前はコロナ禍であったこともあり、話を控えたが、彼の将来に関わる話は、私もしたつもりだ。

彼が、受け入れるかどうか別として、言わねばならぬことは語ったつもりである。

そんな彼からの声かけだったが、私は、「さよなら」とだけ言った。

多くを語らずとも、もう自立して欲しいと思ったということもある。
彼の母親も、弟もいたということもある。

彼は、大学はすべて不合格であったと、聞いた。
恐らくは浪人することになろうが、この先も、さまざまな試練が訪れることだろう。

もう、直接助けてあげることはできない。

私ができることと言えば、彼等卒業生たちの幸福を祈り、天に、困難を乗り越える力を与え給えと祈るのみである。

今年も卒業式は写真撮影の係だった。

卒業生たちの勇姿は、記録にとどめたつもりである。




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