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2023年02月20日

悩みごと

「丹澤先生、どうやったら、悩みや苦しみ、困難を乗り越えられますか?」
中1のKが野球部ノートにそんな風に書いてきた。

彼は、最近やたらと私にアドバイスを求める。
特に、悩みごとがあるようには見えないのだが、何からの参考にしたいのだと思う。

たいてい、悩みにや苦しみに打つひしがれている人は、自分のことしか考えられない。
私もかつて、大きな人生の岐路を求められたとき、必死でもがいていた時期がある。
その時の私は、必死で「相手のことを考えて行動する」ことに徹したと思う。
つまり、徹底的に「利他」に生きようとしたのだ。

もちろん、そうした行動の中で自分を見つめる。
少しでも自分の心に「認められたい」という邪な思いがあるならば、それを払拭しようとして、そしてまたもがく…。

そんなことを何ヶ月かすると、いつの間にか、「自分のことばかりを考えていた」自分から脱却して、なんだかすっきりしたことを思い出す。

基本的に、悩みの時には、「他の人のための行動をしつづける」のが良い、ことを学んだ。

このことは教育活動にも活かすことができる。

思春期という年齢期に、悩みを持たない人はいない。
その中で、大人として、経験者として、適切なアドバイスなり、解決の道を導くことができるならば、それは教師冥利に尽きる。

もちろん一筋縄ではいかない。

時に寄り添い、時に叱責して、それでもなお、見捨てない。
場合によっては、「時を待つ」ことも必要になるだろう。

あまりの自己中と我がままに諦めそうになったときには、自らを振り返り、何かよ老い方法がないか考えてみる…。

そんなことを繰り返しているうちに、結局、自らの悩みなど、いつしか吹き飛んでしまっている自分がいることに気づく…。




2023年02月10日

次年度の人事

私立学校では、この時期に次年度の人事が内示されることがしばしばある。
入学説明会など、新年度に向けた仕事が次々とやってくるからだ。

そんな折、校長の一言は、私たち教員たちを励まし、やる気を引き出させてくれた。

「今、私は来年度の配置を決めています。それを考えれば考えるほど、皆さん方、一人たりとも欠けてははならない存在だと思うに到りました。皆さんがいろいろな所、いろいろな場面で仕事をしているから、学校として成り立っているのです。誰一人と欠けてはならない皆さん方を、私の考える適材適所に配置させていただきますので、今少し待ってください。」

私はこの言葉を聞いて、「私もまだ必要とされる人間なんだ」と思うと共に、「この校長なら、もう少しご奉仕してもいいのではないかな…」と感じるに到った。

校長の一言で、多少のやる気が出るのだから、私自身単純といえば単純だ。

だが、組織ではこうした配慮も必要だろう。
「やる気を引き出す」ことも、上司にとって大切な仕事の一つなのだ。

歳をとっても、「まだ、何かできることはないかな…」、と奮起できることはありがたい。

幸い定年までは今少し余裕がある。
「仕事がある」ということは、この上なくありがたいことでもあるのだ。

生徒との年齢差は開くばかりではあるが、今少し、お役に立てることはあるようだ。

公立校のような60歳定年ではないのだか、生涯現役を目標にもう人分張りしてみよう。

口だけの老害にならないよう、心して務めようと思う。




2023年02月09日

クレームは宝の山

かつて、商売においては、「お客様は神さまである」とされた。
その後、激しくしつこく苦情を言う人を、クレーマーと名付け、ある意味ブラックリスト化した。

私の学校では、『クレームは宝の山である』と徹底されている。学校としては珍しい方かも知れない。

かつて、「モンスターペアレント」と言われるほど、保護者の叛乱(?)が続いた学校現場だが、このところ、少し落ち着いてきているように見える。

大昔のように、親たちが教師を尊敬する時代ではなくなり、親の高学歴化などにより、今や、対等もしくは、自分より教員を下に見る傾向があるようである。

一方で、教員の不祥事ばかりが報道され、ますます親たちの不振は増すばかりである。
あってはならないことではあるのだが、ごく一部の出来事を、大きく大きく報道する姿勢によって、学校現場および教員たちが、どれほど苦しい思いをしているかは、マスコミは知る余地もなく、またお構いなしだ。

教育は国の礎を担うものなのだから、もっと気持ちよく、やりがいを感じられる環境になって欲しいと思うのは、私だけではないだろう。

もちろん、公務員としての身分に甘んじて、自らにも甘い生活をしている方も、一定数はいるものと推察される。

「熱意ある教員が、熱意ある指導」を行うことのできる環境を作ることも大切だろう。
そうした環境も、教育活動には重要なファクターになる。

一方で、教員そのものが、人格者であり、人徳者であることも、求められるべきことだ。
そうした漏れ来る光が、保護者や生徒たちの信頼を得るに到るはずだ。

親たちのクレームの中には、確かに度を超えたものもあるが、そこには納得できる部分もある。たとえ、それがほんの数パーセントであったとしても、その意見は、学校現場にとって貴重な改善項目になり得る。

その意味では、「クレームは宝の山」なのだ。

学校(教員)は、そう思えるような、広く、素直な心と、心の余裕も必要だろう。

「自分は悪くない」と思う心が自己保身を生み、健全なる進歩を妨げる…。





2023年02月08日

受験のプレッシャー その2

我が校では、系列大学に進学するにしても、原則外部の大学を受験し合格することが求められている。

高三年生にとっては、これもまたある種の「プレッシャー」であろうし、それを乗り越えてこその、高校修了ということになるのだろう。

久しぶりに高3のFに声を掛けた。

「どこの大学受験するんだ?」
すると彼は言う。
「いやぁ…、急に受験しなくなったんですよ。」
「あれま、どうして?」
「受験しに行って、コロナになるのはバカらしいので、『親が受けるな』って言うんで…。」

確かに、受験会場では多くの受験生が各地から参集するので、感染リスクは高くなるのだろう。その上、万一感染した場合は、2類であるうちは、さらに面倒なことになる。

私は、そういう考えもありなのか…、とビックリした。

彼の親は医療関係者。これまで難度も、学校にいろいろな提言をしてきた。
彼も、親の言うこことは絶対であるのだ。

彼はもう18歳。成人だ。
そろそろ親離れをしてもいい頃だと思うが、もしかしたら、「受験のプレッシャー」に耐えかねたのかも知れない…。

「まあ、決まったのは一週間前くらいなんですけどね…。」
彼は笑いながらそう言って去って行った。

受験のプレッシャーに解放された彼は、毎日、学校の周りを走っている…。
運動をして、免疫力を上げることもコロナ予防なのだから、またそれもよしとするか…。




2023年02月01日

受験のプレッシャー その1

入試は子どもたちにとっての一大イベントである。

たいていは15歳の高校受験が最初だが、私立学校の場合は、小6での12歳が中学入試に臨む。

ほぼ全員が受ける高校受験の場合だろうが、子どもたちに採っては、目に見えぬプレッシャーに潰されそうになっている人は多いだろう。ましてや中学受験ともなれば、その精神的圧力は、親子共々相当なものだ。

プレッシャーは、試験へのプレッシャーばかりではない。
家庭内での親子間、兄弟間のプレッシャーもあれば、親戚間でもそうしたプレッシャーは起こりうるだろう。

そんなプレッシャーを乗り越えて、多くの子どもたちが受験している。

私の学校でも、中学入試に引き続いて、高校入試も終わった。
合格発表も終わり、現在手続き期間中である。

受験生には、それぞれのドラマを経て、入学してくる。
そうしたドラマは、その生徒と深く関わらないと分からない。
しかし、どの生徒も、その大小はあるが、少なからず試練を乗り越えてきていることは事実だ。

「お前がその学校に入学するというなら、お母さんと離婚する。それでも良ければ勝手にしろ。」

以前そう言って、中3の子どもに入学を思いとどまらせようと擦らした父親がいた。
一方で、母親は、何としても息子を学校に入学させたいのだ。
もちろん当の本人も、小学5年の時から、ずっと希望していた。6年生での受験は、同じように父親から許可されなかったが、その後もずっと入学を夢見て、努力を続けてきたのだ。
「学校で成績が一番になれば…」、「生徒会長として皆のリーダーになれば…」などと次々と父親から難題を与えられたが、すべてそれをクリアしてきた。その上での、高校受験であった。

幸いなことに、彼は母親の一大決心により、無事入学を果たす。

父親はその後、気持ちが変わり、仲の良い家庭であるようだが…。





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