新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2022年02月03日
撮り鉄
遅ればせながら『撮り鉄』デビューした。
山の写真や花の写真、時々撮る天体の写真は趣味。学校行事の写真は仕事である。
そこに鉄道写真が加わったということだ。
鉄道系ユーチューバーの影響もあるだろうが、鉄道好きの生徒のプッシュもある。
午後から子どもを連れて鉄道写真を撮りに行った。
近隣の駅や、撮り鉄できそうなスポットに車を走らせた。
ここは田舎なので、一時間に一本くらいしか列車が通過しない。
だから、時刻を調べて、「あと〇分!」とお互い緊張しながら列車を待つ。
「無人駅は入場券なしにホームに立ち入っていいのかな…」、などと思いつつも、ドキドキしながらホームに向かう。
ちょうど駅の手前がS字カーブになっていて、最高のロケーションだった。
少し大きめの駅に行ったときには、偶然にもJRの豪華列車『四季島』が停車していた。
運転手を交代していたようだ。
同然我らは興奮。
少し写真を撮らせていただいた。
発車するとホーンも鳴らしてくださったし、車掌さんは大きく手を振ってくださった。
前日青森にいたことはSNSで知っていたが、まさか偶然に出会えるとは思えなかった。
いつしか撮影にはまってしまう自分に驚く…。
都会に行けば、いろいろな列車が撮れそうだが、今はコロナで出掛けられそうもない。
近隣の駅でのんびりしようと思う。
次は新幹線にチャレンジ。
通過列車を狙ってみようと思う。
山の写真や花の写真、時々撮る天体の写真は趣味。学校行事の写真は仕事である。
そこに鉄道写真が加わったということだ。
鉄道系ユーチューバーの影響もあるだろうが、鉄道好きの生徒のプッシュもある。
午後から子どもを連れて鉄道写真を撮りに行った。
近隣の駅や、撮り鉄できそうなスポットに車を走らせた。
ここは田舎なので、一時間に一本くらいしか列車が通過しない。
だから、時刻を調べて、「あと〇分!」とお互い緊張しながら列車を待つ。
「無人駅は入場券なしにホームに立ち入っていいのかな…」、などと思いつつも、ドキドキしながらホームに向かう。
ちょうど駅の手前がS字カーブになっていて、最高のロケーションだった。
少し大きめの駅に行ったときには、偶然にもJRの豪華列車『四季島』が停車していた。
運転手を交代していたようだ。
同然我らは興奮。
少し写真を撮らせていただいた。
発車するとホーンも鳴らしてくださったし、車掌さんは大きく手を振ってくださった。
前日青森にいたことはSNSで知っていたが、まさか偶然に出会えるとは思えなかった。
いつしか撮影にはまってしまう自分に驚く…。
都会に行けば、いろいろな列車が撮れそうだが、今はコロナで出掛けられそうもない。
近隣の駅でのんびりしようと思う。
次は新幹線にチャレンジ。
通過列車を狙ってみようと思う。
2022年02月02日
高校入試
少し早いが、高校入試があった。
といっても、私は引きこもってPCとにらめっこ。
絶対にミスの許されない作用に、ずっと緊張感は高いままだ。
こんな仕事をもう十年以上やっている。
続けているということは、「信頼されているということ」なのか、はたまた「他にできる者がいないということ」なのか…。
いずれにせよ、この機密性の高い仕事を、あまり焦らず、慌てず、着実に、淡々とこなしていることには違いない。
いつかはどなたかにこの仕事を引き継ぐことになるのだろうが、そう簡単なものではあるまい。
高校入試は、多くの生徒が人生最初の試練である。
少子化で、かつてほど倍率は高くなかったが、「試験」という緊張感は、その当日が近づけば近づくほど、「試練」という名にふさわしい。
自分自身を振り返ってみても、やはりそれなりに緊張感はあった。だが、試験当日のことは、まったく覚えていない。
私立高校を受け、第一志望の専願で、事実上合格は決まっていたようだが、受験生である私自身は、試験の結果で合否が決まると、ずっと思っていた。
高校受験は、十五歳としての一つの関門。
倍率こそ低くなったが、自分の人生を考える格好の機会だ。
そんな中学生たちが、プレッシャーと不幸な環境で押しつぶされないように、大人たちは細心の注意を払うべきだろう。
ネット発表が主流の昨今、担任の先生に報告するために学校に戻り、「〇〇高校合格しました!」という報告は、今では少なくなってしまったかも知れない。
「ちゃんと対面で報告する」ことは、この先の人生の上では大切だと思う。
人と人とのつながりは、つねに強く、そして太くなければならない…。
その意味では、引きこもりでは面白くない。
といっても、私は引きこもってPCとにらめっこ。
絶対にミスの許されない作用に、ずっと緊張感は高いままだ。
こんな仕事をもう十年以上やっている。
続けているということは、「信頼されているということ」なのか、はたまた「他にできる者がいないということ」なのか…。
いずれにせよ、この機密性の高い仕事を、あまり焦らず、慌てず、着実に、淡々とこなしていることには違いない。
いつかはどなたかにこの仕事を引き継ぐことになるのだろうが、そう簡単なものではあるまい。
高校入試は、多くの生徒が人生最初の試練である。
少子化で、かつてほど倍率は高くなかったが、「試験」という緊張感は、その当日が近づけば近づくほど、「試練」という名にふさわしい。
自分自身を振り返ってみても、やはりそれなりに緊張感はあった。だが、試験当日のことは、まったく覚えていない。
私立高校を受け、第一志望の専願で、事実上合格は決まっていたようだが、受験生である私自身は、試験の結果で合否が決まると、ずっと思っていた。
高校受験は、十五歳としての一つの関門。
倍率こそ低くなったが、自分の人生を考える格好の機会だ。
そんな中学生たちが、プレッシャーと不幸な環境で押しつぶされないように、大人たちは細心の注意を払うべきだろう。
ネット発表が主流の昨今、担任の先生に報告するために学校に戻り、「〇〇高校合格しました!」という報告は、今では少なくなってしまったかも知れない。
「ちゃんと対面で報告する」ことは、この先の人生の上では大切だと思う。
人と人とのつながりは、つねに強く、そして太くなければならない…。
その意味では、引きこもりでは面白くない。
2022年02月01日
心がぶれる
先日、教員としての『喜怒哀楽』について述べたが、思春期を迎えた子どもたちにも、心を揺さぶられない努力は必要だ。
野球部の練習中もすぐにキレてしまうA君と、すぐに萎えてしまうB君がいる。
A君はいままで元気に出していた声が、突然聞こえなくなるので、すぐにそれと分かる。
自分ができなかったことを他の人に指摘されると、たいてい激しく怒り出す。
だが、私はそれを認めない。
できないプレーで、いちいち怒っていたら、きりがない。その中で、どう自らの心を落ち着かせ、コントールできるか、が大切だからだ。
A君にはまだまだ難しいのかも知れないし、ひょっとしたら大人だってできないことなのかも知れないが、せっかく野球を通して縁ができているのだから、私はその部分では妥協しない。
すると、その日の日誌にはちゃんと反省している。
自らの行為が軽率で、自分の心を制御できなかったことを悔やみ、次の日に向けた希望の言葉を書き連ねているだ。
これは成長だ。
中2の三学期になり、ずいぶん進歩した。
プレーそのものも上手くなってきているので、とても良い。
一方B君は、まだ中1だが、こちらもなかなか自分の心をコントロールできずにいる。
基本のプレーはできるようになってきたが、少し状況が変わるとパニクってしまう。
そうなると、自分を責め、できない自分に怒りを覚え、はたまた声が消える。
私は、「あら、またB君、萎えたか…」と気づく。
それはちゃんとキャプテンも分かっていて、たいてい私が気づいた直後に、声を掛けている。
「萎えたか!」
だが、そう言われて簡単に吹っ切れるB君ではなく、たいてい練習の最後までそれを引きずっている。
そうそう、もう一人、中1のC君も難しい。
週に一度くらい気が向いた時に練習に来て、機嫌良くやっている時はいいが、なかなかプレーができないと、ぼやきだし、元気がなくなり、ただただ立っているだけになる。
同じく心のコントロールができないのだ。
「簡単に心がぶれてはいけない!」
と、私は叫ぶ。
元気よく返事ができるのはA君とB君だ。
C君は翌日からまたしばらく来なくなる。
まだまだ時間がかかりそうだ…。
野球部の練習中もすぐにキレてしまうA君と、すぐに萎えてしまうB君がいる。
A君はいままで元気に出していた声が、突然聞こえなくなるので、すぐにそれと分かる。
自分ができなかったことを他の人に指摘されると、たいてい激しく怒り出す。
だが、私はそれを認めない。
できないプレーで、いちいち怒っていたら、きりがない。その中で、どう自らの心を落ち着かせ、コントールできるか、が大切だからだ。
A君にはまだまだ難しいのかも知れないし、ひょっとしたら大人だってできないことなのかも知れないが、せっかく野球を通して縁ができているのだから、私はその部分では妥協しない。
すると、その日の日誌にはちゃんと反省している。
自らの行為が軽率で、自分の心を制御できなかったことを悔やみ、次の日に向けた希望の言葉を書き連ねているだ。
これは成長だ。
中2の三学期になり、ずいぶん進歩した。
プレーそのものも上手くなってきているので、とても良い。
一方B君は、まだ中1だが、こちらもなかなか自分の心をコントロールできずにいる。
基本のプレーはできるようになってきたが、少し状況が変わるとパニクってしまう。
そうなると、自分を責め、できない自分に怒りを覚え、はたまた声が消える。
私は、「あら、またB君、萎えたか…」と気づく。
それはちゃんとキャプテンも分かっていて、たいてい私が気づいた直後に、声を掛けている。
「萎えたか!」
だが、そう言われて簡単に吹っ切れるB君ではなく、たいてい練習の最後までそれを引きずっている。
そうそう、もう一人、中1のC君も難しい。
週に一度くらい気が向いた時に練習に来て、機嫌良くやっている時はいいが、なかなかプレーができないと、ぼやきだし、元気がなくなり、ただただ立っているだけになる。
同じく心のコントロールができないのだ。
「簡単に心がぶれてはいけない!」
と、私は叫ぶ。
元気よく返事ができるのはA君とB君だ。
C君は翌日からまたしばらく来なくなる。
まだまだ時間がかかりそうだ…。