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2018年01月08日

天つ巻 第8帖

嵐の中の捨小舟と申してあるが、今その通りとなりておろうがな、どうすることも出来まいがな、船頭どの、 苦しい時のΘ頼みでもよいぞ、Θ祀りてくれよ、Θにまつわりてくれよ、Θはそれを待っているのざぞ、それでもせぬよりはましぞ、そこに光現れるぞ。
光現れると、道はハッキリとわかりて来るのぞ、この方にだまされたと思うて、言う通りにして見なされ、自分でもビックリするように結構が出来てるのにビックリするぞ。
富士の御山に腰かけて、この方世界中護るぞ。
辛酉(かのととり)結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ。
天から人が降る、人が天に昇ること、昇り降りで忙しくなるぞ。
てんし様御遷(おうつ)り願う時近づいて来たぞよ。
奥山に紅葉あるうちにと思えども、いつまでも紅葉ないぞ。
九月の二日、ひつ九Θ。


グアム島玉砕後、米軍ペリリュー島上陸1週間ほど前の状況です。

「 苦しい時のΘ頼みでもよいぞ、Θ祀りてくれよ、....そこに光現れるぞ。」
「光現れると、道はハッキリとわかりて来るのぞ」
「富士の御山に腰かけて、この方世界中護るぞ。」

「辛酉(かのととり)結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ。」
日と書いてありますが、年の場合もあります。直近の辛酉の年は1981年でした。次は前にも本命と申しましたが2041年です。

因みに、2018年の辛酉の日は1月29日(旧暦12月13日)、3月30日(旧暦2月14日)、5月29日(旧暦4月15日)、7月28日(旧暦5月25日)、9月26日(旧暦8月17日)、11月25日(旧暦10月18日)となります。

八、十八、五、九、十(特に九、十)は見当たらないようですね。
強いて言えば、11月25日(旧暦10月18日)でしょうか。八、十八、五の倍、九の倍、十が含まれています。
しかし、他の場所では、そのものズバリの日が来ているようですから、判定は△としておきましょう。(笑)

「天から人が降る、人が天に昇ること、昇り降りで忙しくなるぞ。」

「てんし様御遷(おうつ)り願う時近づいて来たぞよ。奥山に紅葉あるうちにと思えども、いつまでも紅葉ないぞ。」
これは、天皇陛下のことでしょうね。東京は危ないから、11月までには京都へ遷られよということでしょう。

11月24日が焼夷弾による東京大空襲の初日でした。


posted by mydears at 15:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 天つ巻

天つ巻 第7帖

富士(二二)は晴れたり日本(二本)晴れ、二本のお足であんよせよ、二本のお手々で働けよ、日本(二本)の神の御仕組、いつも二本となりてるぞ、一本足の案山子(かかし)さん、今更どうにもなるまいが、一本の手の臣民よ、それでは生きては行けまいが、一本足では立てないと、いうこと最早(もはや)わかったら、Θが与えた二本足、日本(二本)のお土に立ちて見よ、二本のお手々打ち打ちて、Θ拝(おろが)めよ天地(あめつち)に、響くまことの拍手(かしわで)に、日本(二本)の国は晴れるぞよ、富士(二二)は晴れたり日本(二本)晴れ、富士(二二)は晴れたり、岩戸開けたり。
九月一日、ひつ九か三。


二の重要性について述べられたものです。陰陽しかり、夫婦しかり、二が全ての基本だぞとおっしゃっています。多くの神社で拍手が二拍手であることもそれを表しています(伊勢神宮や出雲大社など格式の高い神社では一部八拍手、四拍手のところもあります)。

拍手は、魏志倭人伝にも記載があり古くから行われていたもので、持統天皇の時代に正式に形式化されたものと考えられています。

礼拝の仕方については、また後で出て来ますので、ここでは触れません。



posted by mydears at 12:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 天つ巻

天つ巻 第6帖

天は天のΘ、地は地のΘが治(し)らすのであるぞ、お手伝いはあるなれど。
秋の空のすがすがしさが、グレンと変わるぞ、地獄に棲むもの地獄がよいのぞ、天国ざぞ。
逆様はもう長ううは続かんぞ、無理通らぬ時世が来たぞ、いざとなりたら残らずの活神様、御総出ざぞ。
九月の一日、ひつ九のか三。


「秋の空のすがすがしさが、グレンと変わるぞ」
西暦1945年8月8日(旧暦7月1日)が立秋なので、本当に後少しのところで、「大峠」が延期されたようです。

「地獄に棲むもの地獄がよいのぞ、天国ざぞ。」
地獄の住人には「闇」が「光」に映るようです。

「逆様はもう長ううは続かんぞ、無理通らぬ時世が来たぞ、いざとなりたら残らずの活神様、御総出ざぞ」


posted by mydears at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 天つ巻

2018年01月07日

天つ巻 第5帖

牛の食べ物食べると牛のようになるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ。
臣民の食べ物は決まっているのだぞ、いよいよとなりて何でも食べねばならぬようになりたら虎は虎となるぞ、獣と神とが分かれると申してあろがな、縁ある臣民に知らせておけよ、日本中に知らせておけよ、世界の臣民に知らせてやれよ。
獣の食い物食う時には、一度神に捧げてからにせよ、神から頂けよ、そうすれば神の食べ物となって、何食べても大丈夫になるのざ、何もかも神に捧げてからと申してあることの道理、よくわかりたであろがな、Θに捧げきらぬと獣になるのぞ、Θがするのではないぞ、自分がなるのぞと申してあることも、よくわかったであろがな、くどう申すぞ。
八から九から十から百から千から万から何が出るかわからんから、Θに捧げな生きて行けんようになるのざが、
悪魔に魅入られている人間いよいよ気の毒出来るのざぞ。
八月の三十一日、ひつ九のか三。


「牛の食べ物食べると牛のようになるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ」
「獣と神とが分かれると申してあろがな」
「日本中に知らせておけよ、世界の臣民に知らせてやれよ。」
五六七(みろく)の仕組ですね。

「獣の食い物食う時には、一度神に捧げてからにせよ、神から頂けよ、そうすれば神の食べ物となって、何食べても大丈夫になるのざ」
良かったですね〜、現代人は肉が大好きですもんね。(笑)
日本人も江戸時代は、殆ど肉は食べなかったんですよ。「生類憐みの令」ってあったでしょう。悪名高い徳川綱吉公は、もしかしたら名君だったのかも。

「Θに捧げきらぬと獣になるのぞ、Θがするのではないぞ、自分がなるのぞ」

「八から九から十から百から千から万から何が出るかわからんから、Θに捧げな生きて行けんようになるのざ」
八が現代社会で、九の苦の後、十で足り、百、千、万となります。それぞれの段階で「悪魔に魅入られている人間」が獣に落とされていくような食べ物が出て来るから、そうならないように、まず神に捧げてから食べなさいということでしょうか。


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天つ巻 第4帖

この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ、あちこちに人身の肉体かりて予言するΘが沢山出てくるなれど、九分九厘はわかりておれども、とどめの最後はわからんから、この方に従いて御用せよと申しているのぞ。
砂糖にたかる蟻(あり)となるなよ。
百人千人の改心なれば、どんなにでも出来るなれど、今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチョロコイことではないのざぞ。
ぶち壊し出来ても立て直しわかるまいがな。
火と水で岩戸開くぞ、智恵や学でやると、グレンとひっくり返ると申しておいたが、そう言えば智恵や学は要らんと臣民早合点するが、智恵や学も要るのざぞ。
悪も御役であるぞ、この道理よく肚に入れて下されよ。
天のΘ様、地に御降りなされて、今度の大層な岩戸開きの指図なされるのざぞ、国々のΘΘ様、産土様、力あるΘΘ様にも御苦労になっているのざぞ。
天照皇太神宮様はじめ神々様、篤く祀りてくれと申してきかしてあろがな、Θも仏もキリストも元は一つぞよ。
八月三十一日、ひつ九のΘ。


「この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ」
つまり、「ひつ九のΘ」は人の形ではなく龍体なのでしょう。

「あちこちに人身の肉体かりて予言するΘが沢山出てくるなれど」
すでに沢山いらっしゃるようですね。神様は神様ということのようですが、日月神示の神様でない方もいらっしゃるようです。

「砂糖にたかる蟻(あり)となるなよ。」
美味しい話にのるなよということでしょう。

「百人千人の改心なれば、どんなにでも出来るなれど、今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチョロコイことではないのざぞ。」
59人では足りないようです。世界人類の三分の一としても20億人は必要ということでしょうか。

「ぶち壊し出来ても立て直しわかるまいがな。」

「火と水で岩戸開くぞ」
「智恵や学でやると、グレンとひっくり返る」
火山の噴火と津波のことでしょうが、もしかすると水素爆弾ということかもしれません。ブルブル

「そう言えば智恵や学は要らんと臣民早合点するが、智恵や学も要るのざぞ。」

「悪も御役であるぞ、この道理よく肚に入れて下されよ。」

「天のΘ様、地に御降りなされて、今度の大層な岩戸開きの指図なされるのざぞ」
「国々のΘΘ様、産土様、力あるΘΘ様にも御苦労になっているのざぞ。」

「天照皇太神宮様はじめ神々様、篤く祀りてくれと申してきかしてあろがな」
この天照皇太神宮様は、伊勢神宮の天照大御神だと思います。

「Θも仏もキリストも元は一つぞよ。」
天之御中主神=大日如来=ヤハウェということでしょう。


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天つ巻 第3帖

一日の日の間にも天地ひっくり返ると申してあろがな、ビックリ箱が近づいたぞ、九、十に気付けと、くどう申してあろがな、Θの申すこと一分一厘違わんぞ、違うことならこんなにくどうは申さんぞ、同じことばかり繰り返すと臣民申しているが、この方の申すことみな違っていることばかりぞ、同じこと申していると思うのは、身魂曇りている証拠ぞ。
改心第一ぞ。
八月三十一日、一二Θ。


「ビックリ箱が近づいたぞ、九、十に気付けと、くどう申してあろがな」
「この方の申すことみな違っていることばかりぞ、同じこと申していると思うのは、身魂曇りている証拠ぞ。」
10月9日東京大空襲のお話はしました。九と十で「卆」の字になるお話もしました。
それ以外に何かあるでしょうか?

九十は「草の心」という話も出て来ましたね。
九は「苦」、十は「足り」でもあります。

日本の第90代内閣総理大臣は安倍晋三さんですが、これが関係あるのでしょうか?

身魂が曇っているので分かりません。(笑)



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天つ巻 第2帖

これまでの改造は膏薬(こうやく)貼りざから、すぐ元にかえるのぞ。
今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく、神界も引っくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらにござる守護神様にはわからんのぞ、九分九厘までは出来るなれど、ここというところで、オジャンになるであろうがな。
富や金(きん)を返したばかりでは、今度は役に立たんぞ、戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上も潰れるぞ、下も潰れるぞ、潰す役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、ΘΘ様にもわかりてはおらんのざぞ。
星の国、星の臣民、今はえらい気張りようで、世界構うように申しているが、星ではダメだぞ、Θの御力でないと何も出来はせんぞ、
八月三十一日、一二Θ。


第2次世界大戦後も、国際連合や様々な国際機関が出来て、一応平和を取り戻したようですが、すぐに東西冷戦、朝鮮戦争、中印戦争、ベトナム戦争が始まり、その後も中東戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、アフガン戦争などが起こり、今や、ISなどのテロが世界中いたるところで頻発しています。

国際連合や国際機関も、プロパガンダの走狗と化し、平和と安定に寄与するどころか、大国に擦り寄り、国家間の対立に便乗して私利私欲をむさぼるような情けない状況になっているようにも見えます。

そして、アジアの情勢も、ロシア、中国、朝鮮半島の緊迫度合いは高まり、日清戦争の前と同じような状況となっています。まさに、「これまでの改造は膏薬(こうやく)貼りざから、すぐ元にかえるのぞ。」の状況です。

「今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく、神界も引っくるめて改造するのざから」

「富や金(きん)を返したばかりでは、今度は役に立たんぞ、戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上も潰れるぞ、下も潰れるぞ」

「星の国、星の臣民、今はえらい気張りようで、世界構うように申しているが、星ではダメだぞ、Θの御力でないと何も出来はせんぞ」
戦後圧倒的な力を背景にアメリカが世界をコントロールして来ましたが、もはや、アメリカも「世界の警察官」の座を降りると宣言し、未だ力を残しつつも、以前のようなパワーは無くなって来ています。
それどころか、移民の増加によって、内部からの崩壊が始まっているようにも思えます。

「星ではダメだぞ、Θの御力でないと何も出来はせんぞ」という状況です。

因みに、星が国旗の国は、アメリカ合衆国、中国、北朝鮮、ベトナム、欧州連合などです。


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天つ巻 第1帖

富士は晴れたり日本晴れ、富士に御社(みやしろ)してこの世治めるぞ。
五大州ひっくり返っているのがΘには何より気に入らんぞ。
一の大神様祀れ、二の大神様祀れよ、三の大神様祀れよ、天の御三体の大神様、地の御三体の大神様祀れよ、天からΘΘ様御降りなされるぞ、地から御神々様お昇りなされるぞ、天の御神、地の御神、手を取りて、嬉し嬉しの御歌、うたわれるぞ。
Θの国はΘの国、Θの肉体ぞ、汚してならんとこぞ。
八月の三十一日、一二のか三。


「五大州ひっくり返っている」というのは、本来は中心にあるべき日本やアジアが下に置かれ、世界から見下されているという状況だったことでしょう。

「天の御三体の大神様」は、天之御中主大神、高御産巣日大神、神産巣日大神のことです。
「地の御三体の大神様」は、国之常立大神、須佐之男大神、天照大神です。

「天からΘΘ様御降りなされるぞ、地から御神々様お昇りなされるぞ」
天から神様が降りて来られるのは分かるとして、「地から神様が昇られる」というのはどういうことでしょう。それは、地の大神は地上にあって我々を常に見守ってくださっているということでしょうね。



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2018年01月06日

富士の巻 第2帖 原文 「この大掃除」以降

原文
九✓✓✓✓
一お八✓✓✓あん✓✓✓✓九
✓✓✓✓二七✓✓✓七九り
✓✓✓十て✓✓三✓✓✓
✓七九り✓✓✓三八四か
一四ん四て九れ四
八かつの十一にち ΘのひつくのΘ。

対訳
九✓✓✓✓一お八✓✓✓あん✓✓✓✓(この大掃除一応やんだと安堵する。)
九✓✓✓✓二七✓✓✓七九り✓✓✓十(この時、富士鳴門がひっくり返るぞ、)
て✓✓三✓✓✓✓(天の道、地の道ぞ、)
七九り✓✓✓三(ひっくり返るぞ、)
八四か一四ん四て九れ四(早う改心してくれよ。)
八かつの十一にち ΘのひつくのΘ。(八月の十一日、ΘのひつくのΘ。)


ひふみ
この大掃除一応やんだと安堵する。
この時、富士鳴門がひっくり返るぞ、天の道、地の道ぞ、ひっくり返るぞ、早う改心してくれよ。
八月の十一日、ΘのひつくのΘ。


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富士の巻 第1帖 原文

原文
三八一九✓百✓✓七✓十十✓三十✓百四一十百✓✓八✓九✓八✓✓✓三Θ✓三八一三一✓✓Θ✓四✓三✓八✓✓三✓✓✓八四一十百四✓一✓✓十七九十四✓百✓✓三✓✓✓八四一四二百四✓一✓✓三✓✓✓九✓二✓✓八✓✓一✓✓三Θ✓三八一✓三Θ✓七✓✓三Θ✓七✓✓✓七✓一✓八七✓✓✓✓Θ八四✓三九ノ九十✓✓✓九四✓三✓七一七✓十一✓二八✓✓✓九✓三三✓✓十二✓✓八九✓九十八✓✓✓三三✓✓三✓✓✓一一三八✓✓十✓Θノ一二Θ

対訳
三八一九✓百✓✓七✓十(道はいくらもあるなれど、)十✓三十✓百四一十百✓✓八(どの道通ってもよいと申すのは、)✓九✓八✓✓✓三(悪のやり方ぞ、)Θ✓三八一三(Θの道は一つぞ、)一✓✓Θ✓四✓三(始めからΘの世の道、)✓八✓✓三✓✓✓八四一十百四✓一✓✓(変わらぬ道があればよいと申しているが、)十七九十四✓百✓✓三✓✓✓八四一四二百四✓一✓✓三(どんなことしても我さえ立てばよいように申しているが、)✓✓✓九✓二✓✓八✓✓一✓✓三(それが悪の深き腹の一厘ぞ、)Θ✓三八一✓三(Θの道は始めの道、)Θ✓七✓✓三(Θの成れる道、)Θ✓七✓✓✓七✓一(Θの中の✓なる初め、)✓八七✓✓✓✓(✓は光の✓、)Θ八四✓三(Θは世の道、)九ノ九十✓✓✓九四✓三✓七一七✓十(このこと気のつく臣民ないなれど、)一✓二八✓✓✓九✓三(一が二わかる奥の道)三✓✓十二✓✓八九✓九十八✓✓✓三(身魂掃除すればこのことわかるのざ、)三✓✓三✓✓✓一一三(身魂磨き第一ぞ。)八✓✓十✓Θノ一二Θ(八月十日、Θの一二Θ。)

ひふみ
道はいくらもあるなれど、どの道通ってもよいと申すのは、悪のやり方ぞ、Θの道は一つぞ、始めからΘの世の道、変わらぬ道があればよいと申しているが、どんなことしても我さえ立てばよいように申しているが、それが悪の深き腹の一厘ぞ、Θの道は始めの道、Θの成れる道、Θの中の✓なる初め、✓は光の✓、Θは世の道、このこと気のつく臣民ないなれど、一が二わかる奥の道、身魂掃除すればこのことわかるのざ、身魂磨き第一ぞ。八月十日、Θの一二Θ。
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富士の巻 第27帖

Θの堪忍袋切れるぞよ、臣民の思うようにやれるなら、やりてみよれ、九分九厘でグレンと引っ繰り返ると申してあるが、これからはその場で引っ繰り返るようになるぞ、誰もよう行かん、臣民の知れんところに何しているのぞ、Θには何もかもわかりているのざと申してあろがな、早く兜脱いでΘにまつわりて来いよ、改心すれば助けてやるぞ、鬼の目にも涙ぞ、ましてΘの目にはどんな涙もあるのざぞ、どんな悪人も助けてやるぞ、どんな善人も助けてやるぞ、江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今のような都会みな穢土(えど=汚れた地)であるぞ。
エドはどうしても火の海ぞ。
それよりほかやり方ないとΘΘ様申しておられるぞよ。
秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、人民枯れて根の残らぬようなことになりても知らんぞよ、神のこのふみ、早う知らしてやってくれよ。
八と十八と五月と九月と十月に気つけてくれよ。
これでこの方の神示の終わりぞ。
この神示は『富士の巻』として一つにまとめておいて下されよ、今に宝となるのざぞ。
八月の三十日、Θのひつ九のか三。


「誰もよう行かん、臣民の知れんところに何しているのぞ、Θには何もかもわかりているのざと申してあろがな、早く兜脱いでΘにまつわりて来いよ」
また、出て来ましたね。どうやら岡本天明氏のことではないようです。昭和19年8月30日は米軍ペリリュー島上陸の2週間前です。ペリリュー島には、関東軍最強と呼ばれていた第14師団が、要塞化した洞窟陣地を利用しゲリラ戦法を用いた場所です。激戦は11月終わりまで続きました。

「改心すれば助けてやるぞ」「どんな悪人も助けてやるぞ、どんな善人も助けてやるぞ」

「江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今のような都会みな穢土(えど=汚れた地)であるぞ。」

「エドはどうしても火の海ぞ。」

「人民枯れて根の残らぬようなことになりても知らんぞよ、神のこのふみ、早う知らしてやってくれよ。」

「八と十八と五月と九月と十月に気つけてくれよ」
これで、富士の巻は終わりですが、最後に難問が出て来ました。

九と十に着目すれば、旧暦昭和19年10月9日が西暦11月24日で東京の初空襲の日だとお知らせしました。
また、九と十を縦に並べると「卆」の字となります。この字の意味は「終わり」ですから、初空襲は「終わりの始まり」ともいえます。

それ以外の一致は確認出来ませんでしたので、現代に目を移すと、

2008年(八)子年はリーマンショックとオバマ大統領の誕生でした。2018年(十八)戌年は何が起こるのでしょう。五月が子年だとすると、九月は辰年、十月は巳年ですが、通常であれば、五月は巳年、九月は酉年、十月は戌年となります。戌年が二つ重なりました(日月神示では月表示が年表示だったりします)。

また、2018年に着目すれば、6月14日〜7月12日(旧暦五月)、10月9日〜11月7日(旧暦九月)、11月8日〜12月6日(旧暦十月)となります。特に11月辺りが要注意でしょうか。


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富士の巻 第26帖

戦は一度おさまるように見えるが、その時が一番気つけねばならぬ時ぞ、向こうの悪神は、今度はΘの元のΘを根こそぎに無きものにしてしまう計画であるから、そのつもりでフンドシ締めてくれよ、誰も知れんように悪の仕組してあること、Θにはよくわかりているから心配無いなれど、臣民助けたいから、Θはじっと堪(こら)えに堪えているのざぞ、
八月の三十日、Θのひつ九のか三。


「戦は一度おさまるように見えるが、その時が一番気つけねばならぬ時ぞ、向こうの悪神は、今度はΘの元のΘを根こそぎに無きものにしてしまう計画であるから、そのつもりでフンドシ締めてくれよ」
翌年の終戦後のことを言っていますね。幸いにも、日本から神道が根こそぎ無くなることはありませんでした。

「誰も知れんように悪の仕組してあること、Θにはよくわかりているから心配無いなれど、臣民助けたいから、Θはじっと堪(こら)えに堪えているのざぞ、」
「悪の仕組」は、現在も進行中です。いざという時に備え、身魂磨きを行っておけよということでしょう。



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富士の巻 第25帖

世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、ことに可愛い子には旅させねばならぬから、どんなことあってもΘの子ざから、Θ疑わぬようになされよ、Θ疑うと気の毒出来るぞ。
いよいよとなりたら、どこの国の臣民ということないぞ、大Θ(大神)様の掟通りにせねばならんから、可愛い子ぢゃとて容赦出来んから、気つけているのざぞ、大難を小難にまつり変えたいと思えども、今のやり方はまるで逆様(さかさま)ざから、どうにもならなんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。
外国から早くわかりて、外国にこの方祀ると申す臣民、沢山出来るようになって来るぞ。
それではΘの国の臣民申し訳ないであろがな、山にも川にも海にもまつれと申してあるのは、Θの国の山川ばかりでないぞ、この方世界のΘぞと申してあろがな。
裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、裸にならねば、なるようにして見せるぞ、いよいよとなりたら苦しいから、今の内と申してあるのぞ。
すべてをてんし様に捧げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、世界中の臣民みなてんし様に捧げなならんのざぞ。
八月三十日、Θのひつ九のか三。


「世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、ことに可愛い子には旅させねばならぬから」
日月神示の神様は世界の人々の神であり、特に可愛い子には苦労をさせているということでしょう。

「いよいよとなりたら、どこの国の臣民ということないぞ」
「大Θ(大神)様の掟通りにせねばならんから」
「可愛い子ぢゃとて容赦出来んから、気つけているのざぞ」

「大難を小難にまつり変えたいと思えども、今のやり方はまるで逆様(さかさま)ざから、どうにもならなんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。」
戦争中の日本のやり方は、まるで真反対だということです。
戦争で亡くなった方を「軍神」として崇め奉ることにより、さらに犠牲を強いていくというやり方のことでしょう。戦争が終わると、急にきびすを返し、国のために戦った人やその家族に冷たくあたりました。

まったく、あべこべですね。まず、戦争をしないように努力し、それがかなわないなら、戦うしかないのですが、勝ち負けにかかわらず国のため家族のため犠牲になった人や家族たちを厚く敬い、慰霊し、助け合い続けるという基本的な認識が全く欠けているのは悲しいことです。

さらに、自虐史観のもとに、それに至った背景や心情も理解せず、そういった方たちを単純に戦犯として批判するという単細胞の人たちのあまりに多いことに唖然とする次第です。

誰かを悪者にするのは簡単ですが、この21世紀でも戦争の種はいたるところで生まれつつあります。
もっと本質を理解し、なぜ日本が戦争するに至ったか、なぜ戦争を回避できなかったのか、なぜ現代でも同じようなことが起こってしまうのか、それではどうすれば良いのかを真剣に考えるべきではないでしょうか。

日本は、その解決の方法として、近隣諸国との経済的な結びつきにより友好関係を築こうとしましたが、世界平和には全く効果がありませんでした。

欲望だけでは物事は何も解決しないのです。

「外国から早くわかりて、外国にこの方祀ると申す臣民、沢山出来るようになって来るぞ」
まさに、そうなって欲しいものです。やはり、精神的な結びつきこそが最も重要なことだからです。
価値観の相違は、さらなるギャップを生み出し、さらに価値観がかけ離れていく。
現代社会は、その繰り返しで分裂を加速して来ました。

日本人の「お花畑思想」で世界がまとまれば、それはそれで理想ですが、世界が「平和ボケ」になる日はいつ来るのでしょうか。(笑)

「裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、裸にならねば、なるようにして見せるぞ、いよいよとなりたら苦しいから、今の内と申してあるのぞ」
改心せよ、生まれ赤子の心になれ、という意味でしょう。

「すべてをてんし様に捧げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、世界中の臣民みなてんし様に捧げなならんのざぞ。」



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2018年01月05日

富士の巻 第24帖

富士を目ざして攻め寄する、大船小船、天(あめ)の船、赤鬼青鬼黒鬼や、大蛇(オロチ)、悪狐(あくこ)を先陣に、寄せ来る敵は空蔽(おお)い、海を埋めてたちまちに、天日暗くなりにけり、折しもあれや日の国に、一つの光現われぬ、これこそ救いの大神と、救い求むる人々の、目に映れるは何事ぞ、攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にドッと雨ふらす、火の雨何ぞたまるべき、まことのΘはなきものか、これはたまらぬともかくも、生命あっての物種と、兜をぬがんとするものの、次から次にあらわれぬ、折しもあれや時ならぬ、大風起こり雨来たり、大海原には竜巻や、やがて火の雨地震い(つちふるい)、山は火を吹きどよめきて、さしもの敵も悉く、この世の外にと失せにけり、風やみ雨も収まりて、山川鎮まり国土(くにつち)の、ところどころに白衣(しろぎぬ)の、Θの息吹に甦る、御民の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎΘを拝み、地に跪(ひざまず)き御民らの、目にすがすがし富士の山、富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり岩戸あけたり。
八月の三十日、Θの一二のΘ。


これも、日月神示の中の有名な一文です。

連合国軍が駿河灘を目指して押し寄せる状況でしょう。「天(あめ)の船」はアメリカの船のことでしょう。

「折しもあれや日の国に、一つの光現われぬ、これこそ救いの大神と、救い求むる人々の、目に映れるは何事ぞ、攻め来る敵の大将の、大き光と呼応して、一度にドッと雨ふらす、火の雨何ぞたまるべき」
これは、原爆投下の状況だと思われます。

「まことのΘはなきものか、これはたまらぬともかくも、生命あっての物種と、兜をぬがんとするものの、次から次にあらわれぬ」
日本は、広島、長崎の二つの原爆で兜を脱ぎました。

「折しもあれや時ならぬ、大風起こり雨来たり、大海原には竜巻や、やがて火の雨地震い(つちふるい)、山は火を吹きどよめきて、さしもの敵も悉く、この世の外にと失せにけり」
これは実現しませんでした。

「風やみ雨も収まりて、山川鎮まり国土(くにつち)の、ところどころに白衣(しろぎぬ)の、Θの息吹に甦る、御民の顔の白き色、岩戸ひらけぬしみじみと、大空仰ぎΘを拝み、地に跪(ひざまず)き御民らの、目にすがすがし富士の山、富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり岩戸あけたり」

この文章から約一年後、日本は敗戦し、平和な国家となりました。


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富士の巻 第23帖

世界は一つになったぞ、一つになってΘの国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。
人民にはまだわかるまいなれど、今にわかりて来るぞ、くどう気つけておいたことのいよいよが来たぞ、覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりておろがな。
学とΘの力との大戦ぞ、Θ国のΘの力あらわす時が近うなりたぞ。
今あらわすと、助かる臣民ほとんどないから、Θは待てるだけ待ちているのぞ、臣民もかわいいが、元を潰すことならんから、いよいよとなりたらどんなことありても、ここまで知らしてあるのざから、Θに手落ちあるまいがな。
いよいよとなれば、わかっていることなれば、なぜ知らし(さ)ぬのぞと申すが、今では何馬鹿なと申して取り上げぬことよくわかっているぞ。
因縁の身魂にはよくわかるぞ、この神示読めば身魂の因縁よくわかるぞ、Θの御用する身魂はΘが選りぬいて引っ張りておるぞ、遅し早しはあるなれど、いずれはどうしても、逃げてもイヤでも御用さすようになりておるのぞ。
北に気をつけよ、東も西も南もどうするつもりか、Θだけの力では臣民に気の毒出来るのぞ、Θと人との和のはたらきこそΘ喜ぶのぞ、早う身魂磨けと申すことも、悪い心洗濯せよと申すこともわかるであろう。
八月の三十日、Θの一二か三。


「世界は一つになったぞ、一つになってΘの国に攻め寄せて来ると申してあることが出て来たぞ。
人民にはまだわかるまいなれど、今にわかりて来るぞ、くどう気つけておいたことのいよいよが来たぞ、覚悟はよいか、臣民一人一人の心も同じになりておろがな。」
昭和20年4月には、イタリアもドイツも降伏し、日本だけが残ります。まだ、半年前ですがそのことをおっしゃっているのだと思います。

「Θ国のΘの力あらわす時が近うなりたぞ。」
「今あらわすと、助かる臣民ほとんどないから、Θは待てるだけ待ちているのぞ」

「いよいよとなれば、わかっていることなれば、なぜ知らし(さ)ぬのぞと申すが、今では何馬鹿なと申して取り上げぬことよくわかっているぞ。」
いや、本当にそうです。それが、愚かな人間の考え方です。

「因縁の身魂にはよくわかるぞ、この神示読めば身魂の因縁よくわかるぞ」
「Θの御用する身魂はΘが選りぬいて引っ張りておるぞ、遅し早しはあるなれど、いずれはどうしても、逃げてもイヤでも御用さすようになりておるのぞ」

「北に気をつけよ、東も西も南もどうするつもりか」
本当にそうなりました。ミッドウェー海戦からガダルカナル、レイテ、インパール、沖縄と次々に失敗し、最後に北方領土に攻め込まれました。

「Θと人との和のはたらきこそΘ喜ぶのぞ、早う身魂磨けと申すことも、悪い心洗濯せよと申すこともわかるであろう」
戦争では何も解決しないぞ。人の和を大切にせよ、心を磨けよということでしょう。


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富士の巻 第22帖

まつりまつりと、くどう申して知らしてあるが、まつり合わしさえすれば、何もかも、嬉し嬉しと栄える仕組ぞ、悪も善もないのぞ、まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ、この道理わかりたか、まつりと申して
Θばかり拝んでいるようでは何もわからんぞ。
そんな我れ善しではΘの臣民とは申せんぞ、早うまつりてくれと申すこと、よく聞き分けてくれよ。
我が我がと思うているのはまつりていぬ証拠ぞ、鼻高となればポキンと折れると申してある道理よくわかろうがな、この御道は鼻高と取り違いが一番邪魔になるのぞ、と申すのは、慢心と取りちがいはまつりの邪魔になるからぞ。
ここまで分けて申さばよくわかるであろう、何事もまつりが第一ぞ。
八月二十九日、Θに一二Θ。


「まつり合わしさえすれば、何もかも、嬉し嬉しと栄える仕組ぞ、悪も善もないのぞ、まつれば悪も善ぞ、まつらねば善もないのぞ」
お互いに尊敬と愛情をもって接すれば、善も悪もなく、嬉し嬉しと栄える仕組ということでしょう。
なかなか難しいことですけどね。まずはご家庭や、職場で実践してみてください。

「Θばかり拝んでいるようでは何もわからんぞ。」
「そんな我れ善しではΘの臣民とは申せんぞ」
「我が我がと思うているのはまつりていぬ証拠ぞ」

「慢心と取りちがいはまつりの邪魔になるからぞ。」
自分だけが良いと思い、その私利私欲のために神様を拝むという行為は「まつりの邪魔」になるということだと思います。


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富士の巻 第21帖

Θの申すこと何でも素直に聞くようになれば、Θは何でも知らしてやるぞ。
配給のことでも統制のことも、わけなく出来るのぞ、臣民みな喜ぶように出来るのぞ、何もかもΘに供えてからと申してあろがな、山にも川にも野にも里にも家にも、それぞれにΘ祀れと申してあろがな、ここの道理よくわからんか。
Θは知らしてやりたいなれど、今では猫に小判ぞ、臣民Θにすがれば、Θにまつわれば、その日からよくなると申してあろが、何も難しいことでないぞ、Θは無理言わんぞ、この神示読めばわかるようにしてあるのざから役員早う知らして、縁ある臣民から知らしてくれよ。
印刷出来んと申せば何もしないでおるが、印刷せんでも知らすこと出来るぞ、よく考えて見よ。
今の臣民、学に囚(とら)えられていると、まだまだ苦しいこと出来るぞ、理屈ではますますわからんようになるぞ、早う神まつれよ、上も下も、上下揃ってまつりくれよ、てんし様を拝めよ、てんし様にまつわれよ、その心が大和魂ぞ、益人(ますひと)の益心(ますこころ)ぞ、ますとは弥栄のことぞ、神の御心ぞ、臣民の御心もΘの御心と同じことになって来るぞ、世界中一度に唸(うな)る時が近づいて来たぞよ。
八月の二十八日、Θのひつ九のか三ふで。


「何もかもΘに供えてから」「山にも川にも野にも里にも家にも、それぞれにΘ祀れ」は前にも出て来ました。よほど、大事なことなのでしょう。

「Θは知らしてやりたいなれど、今では猫に小判ぞ」
この一文が、引っ掛かります。もしかして、「敵」をも祀れということでしょうか。
「今では猫に小判ぞ」ですから、開戦前にという意味でしょうが。

確かに前回の大戦は誤解に基づいた部分も大いにありました。朝鮮戦争の時、マッカーサー元帥は「戦う相手を間違えていた」と言ったと伝えられています。そして、今の状況は、まさに太平洋戦争前の状況そのものです(積極外交のお蔭で孤立はまぬがれてますが)。つまり、そのままなのです、何も変わっていません。二度と「宋美麗」(中華民国蒋介石の妻)を出してはなりません。アメリカ人はいい人が多いのですが、騙されやすいという欠点があります。常に、注意しておく必要があります。

「印刷せんでも知らすこと出来るぞ」
今は、インターネットがありますから、こうして皆さんにお伝えすることが出来ます。良い時代になったものです。

「今の臣民、学に囚(とら)えられていると、まだまだ苦しいこと出来るぞ、理屈ではますますわからんようになるぞ」
半面、「理屈ではますますわからんようになる」時代が到来するので、「神こころ」の必要性が説かれています。

「てんし様を拝めよ、てんし様にまつわれよ、その心が大和魂ぞ、益人(ますひと)の益心(ますこころ)ぞ」「ますとは弥栄のことぞ、神の御心ぞ」
「てんし様」は天皇陛下のことかもしれませんし、そうでないかもしれません。少なくとも言えるのは、「てんし様」は、「天津日嗣皇大神」ということです。


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富士の巻 第20帖

今のうちに草木の根や葉を日に干して貯えておけよ。
保食(うけもち)のΘ様御怒りざから、今年は五分くらいしか食べ物とれんから、そのつもりで用意しておいてくれよ。
神は気もない時から知らしておくから、この神示よく読んでおれよ。
ひと握りの米に泣くことあると知らしてあろがな、米ばかりでないぞ、何もかも、臣民もなくなるところまで行かねばならんのぞ、臣民ばかりでないぞ、ΘΘ(神々)様さえ今度は無くなる方あるぞ。
臣民というものは目の先ばかりより見えんから、呑気なものであるが、いざとなりての改心は間に合わんから、くどう気つけてあるのぞ。
日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな、ΘにすがりてΘの申す通りにするよりほかには道ないぞ、それでΘΘ様を祀りて、上の御方からも下々からも、朝に夕に言霊がこの国に満つようになりたら神の力現わすのぞ。
江戸にまずΘまつれと、くどう申してあることよくわかるであろがな。
八月の二十七日、Θのひつ九のか三。


戦争末期の食糧不足が激しくなって来るということでしょう。
事実、この後、日本各地に空襲が行われ、生産力は激減していきます。

「臣民ばかりでないぞ、ΘΘ(神々)様さえ今度は無くなる方あるぞ」
それほど、激しい戦いが待っているということでしょう。

「臣民というものは目の先ばかりより見えんから、呑気なものであるが、いざとなりての改心は間に合わんから、くどう気つけてあるのぞ。」
本当ですね。今でも「平和ぼけ」でのんきに過ごしておられる方が大半です。

「日本ばかりでないぞ、世界中はおろか三千世界の大洗濯と申してあろうがな」
「ΘにすがりてΘの申す通りにするよりほかには道ないぞ」

「それでΘΘ様を祀りて、上の御方からも下々からも、朝に夕に言霊がこの国に満つようになりたら神の力現わすのぞ。」
朝晩必ずコーランを流し礼拝を行うイスラム世界のように、日本人が信心するようになれば、神が力を現わすようになるということでしょうか。

「江戸にまずΘまつれと、くどう申してあることよくわかるであろがな。」
東京の空襲に気をつけろ、助けて欲しいなら東京に神を祀れ、ということでしょうね。

「江戸の仕組」は既に実行されているでしょうから。


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2018年01月04日

富士の巻 第19帖

神世のひみつと知らしてあるが、いよいよとなりたら地震、雷ばかりでないぞ、臣民アフンとして、これは何んとしたことぞと、口あいたままどうすることも出来んことになるのぞ、四ツン這(ば)いになりて着る物もなく、獣となりて這(は)い廻る人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ。
獣は獣の性来(しょうらい)いよいよ出すのぞ、火と水の災難がどんなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさねばならんことになりたぞ。
一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きてはおられんのざぞ、それが済んでから、身魂磨けた臣民ばかり、Θが拾い上げてミロクの世の臣民とするのぞ、どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな、高い所から水流れるように時に従いておれよ、いざという時には神が知らして、一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。
人間の戦や獣の喧嘩くらいでは何も出来んぞ、くどう気つけておくぞ、何よりも改心が第一ぞ。
八月の二十六日、Θのひつくのか三。


「臣民アフンとして、これは何んとしたことぞと、口あいたままどうすることも出来んことになるのぞ」
「四ツン這(ば)いになりて着る物もなく、獣となりて這(は)い廻る人と、空飛ぶような人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ。」「獣は獣の性来(しょうらい)いよいよ出すのぞ」
神あがりする人と獣になる人とはっきり分かれて来ます。

「火と水の災難がどんなに恐ろしいか」
「一時は天も地も一つにまぜまぜにするのざから、人一人も生きてはおられんのざぞ」
「どこへ逃げても逃げ所ないと申してあろがな」
「高い所から水流れるように時に従いておれよ」

「それが済んでから、身魂磨けた臣民ばかり、Θが拾い上げてミロクの世の臣民とするのぞ」

「いざという時には神が知らして、一時は天界へ釣り上げる臣民もあるのざぞ。」
これは、死ぬ前に天界へ釣り上げる臣民もあるということでしょう。

その後は、死んだ臣民も拾い上げて、合わせてミロクの世の臣民とするということだと思われます。

「人間の戦や獣の喧嘩くらいでは何も出来んぞ、くどう気つけておくぞ、何よりも改心が第一ぞ」
改心しなければ、戦争や争いでは何も解決出来ないぞということでしょう。


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富士の巻 第18帖

神々様みなお揃いなされて、雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒れの神、五柱七柱、八柱、十柱の神々様がチャンとお心合わしなされて、今度の仕組の御役決まりてそれぞれに働きなされることになりたよき日ぞ。
辛酉はよき日と知らしてあろがな。
これから一日一日烈しくなるぞ、臣民心得ておいてくれよ。
物持たぬ人、物持てる人より強くなるぞ、泥棒が多くなれば泥棒が正しいということになるぞ、理屈は悪魔と知らしてあろが、保持(うけもち)の神様ひどくお怒りぞ、臣民の食い物、足りるように作らしてあるに、足らぬと申しているが、足らぬことないぞ、足らぬのはやり方悪いのざぞ、食いて生くべきもので人殺すとは何事ぞ。
それぞれの神様にまつわれば、それぞれのこと、何でもかなうのぞ、Θにまつらわずに、臣民の学や智恵が何になるのか、底知れているでないか。
戦には戦の神あるぞ、お水に泣くことあるぞ、保持(うけもち)のΘ様御怒りなされているから、早う心入れ替えてよ、このΘ様お怒りになれば、臣民日干しになるぞ。
八月の辛酉の日、ひつくのか三さとすぞ。


「雨の神、風の神、地震の神、岩の神、荒れの神」は、後で出て来ます。
「五柱七柱、八柱、十柱の神々様」については、今は分かりません。

西暦1944年8月25日は旧暦7月7日辛酉の日です。七夕ですね。

「これから一日一日烈しくなるぞ」
「物持たぬ人、物持てる人より強くなるぞ」
これは、空襲が本格化して来ると「物持たぬ人」は「失うものがない」という強みが出て来るということでしょう。

「泥棒が多くなれば泥棒が正しいということになるぞ、理屈は悪魔と知らしてあろが」
泥棒が多くなるようになれば、泥棒するのが正しいということになります。生き延びることが最優先ですから。それが「理屈は悪魔と知らしてあろが」ということでしょう。

「保持(うけもち)の神様ひどくお怒りぞ」
「このΘ様お怒りになれば、臣民日干しになるぞ」
保持(うけもち)の神様がどなたかというのは、実は難問です。
一番有名なのは「豊受大神」ですが、それ以外にも「宇迦之御魂神」「保食神」「大宣都比売神」「若宇迦売神」「御饌津神」「稲荷神」などが挙げられます。

「足らぬことないぞ、足らぬのはやり方悪いのざぞ」
「食いて生くべきもので人殺すとは何事ぞ」
戦争用の軍需物資のことを言っているのでしょうか。

「それぞれの神様にまつわれば、それぞれのこと、何でもかなうのぞ」
「戦には戦の神あるぞ」武甕槌神、経津主神、大国主命、建御名方神、八幡神ほか
「お水に泣くことあるぞ」天之水分神、国之水分神、闇罔象神、闇龗神、龍神ほか


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富士の巻 第17帖

九十が大切ぞと知らしてあろがな、戦ばかりでないぞ、何もかも臣民では見当とれんことになりて来るから、
上の臣民九十に気つけてくれよ、お上にΘ祀りてくれよ、Θにまつろうてくれよ、Θくどう申しておくぞ、早う祀らねば間に合わんのざぞ、Θの国の山々にはみなΘ祀れ、川々にみなΘ祀れ、野にも祀れ、臣民の家々にも落つる隈(くま)なく神祀れ、まつりまつりてミロクの世となるのぞ。
臣民の身も神の宮となりて神まつれ、祀りの仕方知らしてあろう、Θは急けるぞ。
八月二十五日、Θのひつ九Θ。


九十が、旧暦昭和19年10月9日の初めての東京大空襲のことだとご紹介しました。

この日より、日本中が大混乱に陥ることを予告されていたのでしょう。

日本中くまなく神を祀ることで、ミロクの世が訪れるとのことだと思います。



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富士の巻 第16帖

一二三(ひふみ)はΘ食、三四五(みよいづ)は人食、五六七(みろく)は動物食、七八九(なやこ)は草食ぞ、九十は元に一二三食、神国弥栄ぞよ。
人、三四五食に病ないぞ。
八月二十四日、一二Θふみ。


また、意味不明の文章が出て来ました。
これは、神⇒人⇒動物⇒草ということで、「三四五食に病ないぞ」は、神が人を食べるのが三四五だと思います。つまり、「神が人に乗り移る」ということです。
同様に、五六七は「人が動物に乗り移る」、七八九は「動物が草に乗り移る」、九十は一二三に戻り「草が神に乗り移る」となります。

「草」の気持ちが「神こころ」ということでしょう。

踏まれても、食べられても「喜ぶ」気持ちを持てということでしょう。一時「草魂」という言葉が流行りましたね。それが、神髄なのでしょう。

従って、五六七で人は「草」となれば「神」となり、「人」のままでいようとすれば「動物」になるということでしょう。


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富士の巻 第15帖

嵐の中の捨小舟ぞ、どこへ行くやら行かすやら、船頭さんにもわかるまい、メリカ、キリスは花道で、味方と思うた国々も、一つになりて攻めて来る、梶(かじ=舵)も櫂(かい)さえ折れた舟、どうすることもなくなくに、苦しい時のΘ頼み、それでは神も手が出せぬ、腐りたものは腐らして、肥やしになりと思えども、肥やしにさえもならぬもの、沢山出来ておろうがな、北から攻めて来る時が、この世の終わり始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終わりと思えかし、この世の終わりはΘ国の、始めと思え臣民よ、ΘΘ(神々)様にも知らすぞよ、神はいつでもかかれるぞ、人の用意を急ぐぞよ。
八月二十四日、Θの一二か三。


アメリカもイギリスも、味方だと思っていた国々が攻め込んで来るそうです。どうすれば良いか分からず、神に頼るしかない状態になっても、神様は手出しができないのだそうです。腐り汚れ切った魂が一掃されるまで。

「北から攻めて来る時が、この世の終わり始めなり」

「天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終わりと思えかし」

「この世の終わりはΘ国の、始めと思え臣民よ」


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2018年01月03日

富士の巻 第14帖

臣民にわかるように言うなれば、身も心もΘのものざから、毎日毎日神から頂いたものと思えばよいのであるぞ、それでその身体をどんなにしたらよいかということわかるであろうが、夜になれば眠った時はΘにお返ししているのざと思え、それでよくわかるであろうが。
身魂磨くと申すことは、Θの入れものとしてΘからお預かりしている、Θの最も尊いとことしてお扱いすることぞ。
八月二三日、Θの一二のか三。


身も心も神のものだから、毎日毎日が神から頂いたものと思えばよく、その身体も神のものだから大事に扱い、暴飲暴食をせず、不必要な薬物を使用したり、勝手に傷つけたり、死んではならないということです。

夜眠っている時は、神様のもとに帰る貴重な時間です。しっかり睡眠を取って、健全な心が宿る健康な身体を取り戻してください。

「身魂磨くと申すことは、Θの入れものとしてΘからお預かりしている、Θの最も尊いとことしてお扱いすることぞ。」



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富士の巻 第13帖

何もかもてんし様のものではないか、それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのがΘの気に入らんぞ、一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ、一本の草でもΘのものぞ。
野から生れたもの、山から採るれたもの、海の幸も、みなΘに供えてから臣民戴けと申してあるわけもそれでわかるであろうがな。
この神示よく読みてさえおれば病気もなくなるぞ、そう言えば今の臣民、そんな馬鹿あるかと申すが、よく察して見よ、必ず病も治るぞ、それは病人の心が綺麗になるからぞ、洗濯せよ掃除せよと申せば臣民何もわからんから、あわてているが、この神示読むことが洗濯や掃除の始めで終わりであるぞ、Θは無理は言わんぞ、神の道は無理してないぞ、よくこの神示読んでくれよ。
読めば読むほど身魂磨かれるぞ、と申しても、仕事をよそにしてはならんぞ。
臣民と申すものは馬鹿正直ざから、神示読めと申せば、神示ばかり読んだならよいように思うているが、裏も表もあるのぞ、役員よく知らしてやれよ。
八月の二十二日、Θのひつ九のか三のお告げ。


「何もかもてんし様のものではないか、それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのがΘの気に入らんぞ」
「一本の草でもΘのものぞ」

「野から生れたもの、山から採るれたもの、海の幸も、みなΘに供えてから臣民戴け」

「この神示よく読みてさえおれば病気もなくなるぞ」
「それは病人の心が綺麗になるからぞ」
「この神示読むことが洗濯や掃除の始めで終わりであるぞ」
「読めば読むほど身魂磨かれるぞ」

「仕事をよそにしてはならんぞ」
「神示読めと申せば、神示ばかり読んだならよいように思うているが、裏も表もあるのぞ」


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富士の巻 第12帖

御土はΘの肉体ぞ。
臣民の肉体もお土から出来ているのぞ、このことわかりたら、お土の尊いことよくわかるであろうがな。
おヒナは女(おみな)ぞ。
甲斐の仕組ご苦労であったぞ。
これからいよいよ厳しくなるぞ、よく世の中の動き見ればわかるであろが、汚れた臣民上がれぬΘの国に上がっているではないか。
いよいよとなりたらΘが臣民にうつりて手柄さすなれど、今では軽石のような臣民ばかりで神かかれんぞ。
早う神の申すことよく聞いて、生まれ赤子の心になりて、Θの容れものになりてくれよ。
一人改心すれば千人助かるぞ、今度は千人力与えるぞ。
何もかも悪の仕組はわかりているぞ、いくらでも攻めて来てござれ、Θには世の元からのΘ仕組してあるぞ、学や知恵でまだΘにかなうと思うてか、Θにはかなわんぞ。
八月の二十一日、Θのひつ九のか三。タイチご苦労でありたぞよ。



「おヒナは女ぞ。」突然の謎ですね。(笑)
「甲斐の仕組ご苦労であったぞ。」とあるので、帯那山(おびなやま)のことでしょうか。
それとも、「陽菜」のことでしょうか。

「よく世の中の動き見ればわかるであろが、汚れた臣民上がれぬΘの国に上がっているではないか。」
「今では軽石のような臣民ばかりで神かかれんぞ。」
「一人改心すれば千人助かるぞ、今度は千人力与えるぞ。」
「何もかも悪の仕組はわかりているぞ、いくらでも攻めて来てござれ」



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富士の巻 第11帖

Θ土(かみつち)は白は「し」のつく、黄は「き」のつく、青赤は「あ」のつく、くろは「く」のつく山々里々から出て来るぞ、よく探して見よ、三尺下の土なれば良いぞ、いくらでも要るだけ一杯出て来るぞ。
八月二十日、Θのひつ九のか三。


土食の話はしましたよね。
珪藻土(藻類が堆積してできた土)が食べれるようです。産地は、北秋田、能登、岡山蒜山、大分、鹿児島にあるそうです。東京・五反田のフレンチ「ヌキテパ」でも食べれる(栃木県鹿沼市の黒土)そうです。
好奇心旺盛の方はチャレンジしてみてください。私は行きませんけど。(笑)

因みに「三尺」は、1m弱です。


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富士の巻 第10帖

いよいよ戦烈しくなりて、喰うものもなくなり、住むとこもなくなったら行く所なくなるぞ。
Θの組から除かれた臣民とΘの臣民とどちらがえらいか、その時になりたらハッキリするぞ、その時になりてどうしたらよいかと申すことはΘの臣民なら誰でもΘが教えて手引っ張ってやるから、今から心配せずにΘの御用なされよ。
Θの御用と申して自分の仕事をなまけてはならんぞ。
どんな所にいても、Θがスッカリと助けてやるから、Θの申すようにして、今は戦しておりてくれよ。
てんし様御心配なさらぬようにするのが臣民のつとめぞ、Θの臣民、九十に気つけよ、江戸に攻め来たぞ。
八月の十九日、Θのひつ九のΘ。


「Θの御用と申して自分の仕事をなまけてはならんぞ」

「Θの臣民、九十に気つけよ、江戸に攻め来たぞ」
昭和19年11月24日(旧暦10月9日)が初めての東京大空襲(焼夷弾を使用した、東京そのものの殲滅を目的とする無差別爆撃)です。
九十=10月9日ですね。一か月以上も前から、日付まで分かっていたということですね。驚きです。

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2018年01月02日

富士の巻 第9帖

神界は七つに分かれているぞ、天つ国三つ、地(つち)の国三つ、その間に一つ、天国が上中下の三段、地国(地獄)も上中下の三段、中界の七つぞ、その一つ一つがまた七つに分かれているのぞ、その一つがまた七つづつに分かれているぞ。
今の世は地獄の二段目ぞ、まだ一段下あるぞ、一度はそこまで下がるのぞ、今一苦労あるとくどう申してあることは、そこまで落ちることぞ、地獄の三段目まで落ちたら、もう人の住めん所ざから、悪魔と神ばかりの世にばかりなるのぞ。
この世は人間にまかしているのざから、人間の心次第ぞ、しかし今の臣民のような腐った臣民ではないぞ、いつも神の憑かっている臣民ぞ。
神憑かりとすぐわかる神憑かりではなく、肚の底にシックリと✓鎮まっている臣民ぞ、それが人間の真の姿ぞ。
いよいよ地獄の三段目に入るから、その覚悟でいてくれよ、地獄の三段目に入ることの表は一番の天国に出づることぞ、神のまことの姿と悪の見られんさまと、ハッキリ出て来るのぞ、Θと獣と分けると申してあるのはこのことぞ。
何事も洗濯第一。
八月の十八日、Θの一二Θ。


@天国 上  七つに分かれ  さらに七つに分かれる
A天国 中    〃         〃
B天国 下    〃         〃
C中界      〃         〃
D地獄 上    〃         〃
E地獄 中    〃         〃
F地獄 下    〃         〃

今の世は、E地獄 中
一度、F地獄 下(悪魔と神ばかりの世)に落ちる

@天国 上 に出づる道でもある。神と獣に分けられる。


「何事も洗濯第一」


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富士の巻 第8帖

山は神ぞ、川は神ぞ、海も神ぞ、雨も神、風も神ぞ、天地みな神ぞ、草木も神ぞ、神祀れと申すのは神にまつらうことと申してあろが、神々まつり合わすことぞ、皆何もかもまつりあった姿が神の姿、Θの心ぞ。
皆まつれば何も足らんことないぞ、余ることないぞ、これが神国の姿ぞ、物足らぬ足らぬと臣民泣いているが、足らぬのでないぞ、足らぬと思うているが、余っているではないか、上の役人どの、まずΘ祀れ、Θ祀りてΘ心となりてΘの政治せよ、戦などは何でもなくケリつくぞ。
八月十七日、Θの一二のか三。


山、川、海、雨、風、天地、草木すべてが神です。その全てが「まつり合った」姿が神の姿、神の心だそうです。神こころを持って全てに接すれば、争いも、不足もなくなるということです。

「感謝の気持ち」を大切にということでしょう。

また、政治を行うものが「神こころ」になれとおっしゃってます。


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富士の巻 第7帖

悪の世であるから悪の臣民世に出てござるぞ、善の世にグレンと引っ繰り返ると申すのは、善の臣民の世になることぞ、今は悪が栄えているのざが、この世では人間の世界が一番遅れているのざぞ、草木はそれぞれにΘのみことのまにまになっているぞ。
一本の大根でも一粒の米でも何でも尊くなったであろが、一筋の糸でも光出て来たであろがな、臣民が本当のつとめしたなら、どんなに尊いか、今の臣民には見当とれまいがな、神が御礼申すほどに尊い仕事出来る身魂ぞ、殊にΘの国の臣民みな、まことの光あらわしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいておれんことになるぞ。
結構な血筋に生まれていながら、今の姿は何事ぞ。
Θはいつまでも待てんから、いつ気の毒出来るか知れんぞ。
戦恐れているが、臣民の戦くらい何が恐いのざ、それより己の心に巣喰うてる悪のみたまが恐いぞ。
八月の十六日、Θのひつ九のか三。


「悪の臣民の世」から、「善の臣民の世」に。

「臣民が本当のつとめしたなら、どんなに尊いか、今の臣民には見当とれまいがな、神が御礼申すほどに尊い仕事出来る身魂ぞ」
「殊にΘの国の臣民みな、まことの光あらわしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいておれんことになるぞ」

「結構な血筋に生まれていながら、今の姿は何事ぞ」

被災地の方々の行動を見ても、自衛隊の皆様の行動を見ても、日本人の心は、まだまだ廃れてないぞと思います。日本人の優しさや思いやりの心はまだまだ健在です。間違っていることはすぐに認めて謝る。その代わり、正しいことは徹底して追及する、そういった気高さも持ち合わせております。

先の大戦では不幸にも敵を殺すことにその「崇高な魂」を使ってしまいましたが、今度は「悪と対峙すること」に使わなければなりません。

利害が対立する敵とはいえ、「悪」とは限りません。

「悪」を見極め、その「悪」のみを退治することに全力を傾けるべきです。
つまり、どんな極悪人でも「改心」させるべく頑張る、「罪を憎んで人を憎まず」です。

日本も、死刑制度は存続するとしても適用を厳格化し、終身刑を導入し、医療刑務所制度を拡充し、犯罪者の育った環境や精神疾患の状況も考慮した再教育制度を徹底的に行う、という抜本的な改革が必要とされる時期に来ているのではないでしょうか。また、今後も増加していくだろうと思われる外国人犯罪に対する対応も真剣に議論していって欲しいものです。

また、自分たちが悪の標的にならないよう、常に準備を怠らず、用意しておくということです。
これは、軍備だけではありません。外交や、政治、経済を始め、一人ひとりの心の持ち方まで、他人に頼らず、自分たちで出来ることを草の根で行っていくということです。

もちろん、自分の中の「悪」とも戦ってください。

言うは易く行うは難しというものばかりですが、一人でも多くの人が努力するだけでも、この世は変わると思います。

「まことの光あらわしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいておれんことになるぞ」になるまで、みんなで頑張りましょう。


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富士の巻 第6帖

今は善の神が善の力弱いから、善の臣民苦しんでいるが、今しばらくの辛抱ぞ、悪神総がかりで善の肉体に取りかかろうとしているから、よほどフンドシ締めておらんと負けるぞ。
親や子に悪の神かかりて苦しい立場にして、悪の思う通りにする仕組立てているから気をつけてくれよ。
Θの、もう一つ上のΘの世の、も一つ上のΘの世の、も一つ上のΘの世は戦済んでいるぞ、三四五(みよいづ)から五六七(みろく)の世になれば、天地光りて何もかも見えすくぞ。
八月のこと、八月の世界のこと、よく気つけておいてくれよ、いよいよ世が迫りて来ると、やり直し出来んと申してあろがな。
いつも剣の下にいる気持ちで心引き締めておりてくれよ、臣民口で食べる物ばかりで生きているのではないぞ。
八月の十五日、ひつくΘとΘひつ九のか三しるさすぞ。


神様初めての連名記載です。これはよほどの事が書いてあるに違いありません。

「今は善の神が善の力弱いから、善の臣民苦しんでいる」
「悪神総がかりで善の肉体に取りかかろうとしているから、よほどフンドシ締めておらんと負けるぞ」

「親や子に悪の神かかりて苦しい立場にして、悪の思う通りにする仕組立てているから気をつけてくれよ」

「Θの、もう一つ上のΘの世の、も一つ上のΘの世の、も一つ上のΘの世は戦済んでいるぞ」


これですね、次の文章。
「八月のこと、八月の世界のこと、よく気つけておいてくれよ」

一年後の八月の話です。
広島、長崎の原爆、そして敗戦。原爆は、この2つだけではなく、米軍は20個ほど用意していたようです。
もし、天皇陛下のご決断がなければ、「いよいよ世が迫りて来ると、やり直し出来んと申してあろがな。」
という状況になっていた可能性がありました。

つまり、日本人が死に絶えて、仕組みが永久に成就しない可能性がありました。

九分九厘追い込まれて「神の仕組」が発動するのですが、その時に、「身魂磨き」が完了していなければ、「やり直し出来ない」状況だったと思われます。

そういう意味では、今の世の中は、「執行猶予中」の状況であろうと思われます。
我々日本人がそうした自覚を持ち、来るべき「大峠」に備え、自分を子供を子孫を、神のお眼鏡にかなう人間になるよう鍛え、育てていくことが必要なのだということです。


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2018年01月01日

富士の巻 第5帖

食うものがないと申して臣民不足申しているが、まだまだ少なくなりて、一時は食う物も飲むものもなくなるのぞ、何事も行(ぎょう)であるから喜んで行して下されよ。
滝に打たれ、蕎麦粉喰うて行者、行しているが、断食する行者もいるが、今度の行は世界の臣民みな二度とない行であるから厳しいのぞ。
この行出来る人と、よう我慢出来ない人とあるぞ、この行出来ねば灰にするよりほかないのぞ、今度の御用に使う臣民はげしき行さして神うつるのぞ。
今のΘの力は何も出てはおらぬのぞ。
この世のことはΘと臣民と一つになりて出来ると申してあろがな、早く身魂磨いて下されよ。
外国は〇、Θの国は✓と申してあるが、✓はΘざ、〇は臣民ぞ、〇ばかりでも何も出来ぬ、✓ばかりでもこの世の事は何も成就せんのぞ、それでΘかかれるように早う大洗濯してくれと申しているのぞ、Θ急けるのぞ、この御用大切ぞ、Θかかれる肉体沢山要るのぞ。
今度の行は〇を綺麗にする行ぞ、掃除出来た臣民から楽になるのぞ。
どこにおりても掃除出来た臣民から、よき御用に使って、Θから御礼申して、末代名の残る手柄立てさすぞ。
Θの臣民、掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのぞ、今は一分もないぞ、一厘もないぞ、これでΘ国の民と申して威張っているが、足許からビックリ箱があいて、四ツん這(ば)いになっても助からぬことになるのぞ、穴掘って逃げても、土もぐっていても、灰になる身魂は灰ぞ、どこにいても助ける臣民、助けるぞ。
Θが助けるのでないぞ、Θ助かるのぞ、臣民もΘも一緒に助かるのぞ、この道理よく肚に入れてくれよ、この道理わかりたらΘの仕組はだんだんわかりて来て、何という有り難いことかと、心がいつも春になるぞ。
八月の十四日の朝、Θのひつ九のか三。


「一時は食う物も飲むものもなくなるのぞ」
「今度の行は世界の臣民みな二度とない行であるから厳しいのぞ。」

「この行出来ねば灰にするよりほかないのぞ」

「この世のことはΘと臣民と一つになりて出来ると申してあろがな、早く身魂磨いて下されよ。」

「〇は臣民ぞ」
「この御用大切ぞ、Θかかれる肉体沢山要るのぞ。」

「今度の行は〇を綺麗にする行ぞ、掃除出来た臣民から楽になるのぞ。」

「掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのぞ、今は一分もないぞ、一厘もないぞ」

「穴掘って逃げても、土もぐっていても、灰になる身魂は灰ぞ、どこにいても助ける臣民、助けるぞ。」

「Θが助けるのでないぞ、Θ助かるのぞ、臣民もΘも一緒に助かるのぞ、この道理よく肚に入れてくれよ」

この帖は、ご説明は一切必要ないですね。
「何という有り難いことかと、心がいつも春になるぞ。」となるよう、ご精進ください。



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富士の巻 第4帖

一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、世の元の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、五六七の仕組とはミロクの仕組のことぞ、獣と臣民とハッキリ分かりたら、それぞれの本性出すのぞ。
今度は万劫末代のことぞ、気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。
今度お役決まりたらそのままいつまでも続くのざから、臣民よくこの神示読みておいてくれよ。
八月十三日、Θのひつくのか三。


「五六七の仕組とはミロクの仕組のことぞ、獣と臣民とハッキリ分かりたら、それぞれの本性出すのぞ。」
ミロクとは弥勒菩薩の「弥勒」でもあり、「最後の審判」のことでもあります。

また、ミロクは「五六七」だけではなく、「六六六」「三六九」でもあります。「六六六」では「動き」がないという話も後で出て来ます。

興味深いのは、聖書ではこの「六六六」=「666」が獣の刻印として出て来ることです。
悪魔の印とよく誤解されますが、悪魔の数字は完全の「7」になりきれない「6」とされています。

神社でもよく見かける「三つ巴」のマークも「666」です(「999」かもしれませんが)。
「66(または69)」は陰陽☯のマークでもあります。

いずれにしても、「666」は「人間」の印です。
おそらく「最後の審判」の時、「神あがり」出来ない人は「666」人間=獣の刻印を押されるということでしょう。

「獣と臣民とハッキリ分かりたら、それぞれの本性出すのぞ。」


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富士の巻 第3帖

メリカもキリスは更なり、ドイツもイタリもオロシヤも外国はみな一つになりてΘの国に攻め寄せて来るから、
その覚悟で用意しておけよ。
神界ではその戦の最中ぞ。
学と神力との戦と申してあろがな、どこからどんなこと出来るか、臣民にはわかるまいがな、一寸先も見えぬほど曇りておりて、それでΘの臣民と思うているのか、畜生にも劣りているぞ。
まだまだ悪くなって来るから、まだまだ落ち沈まねば本当の改心出来ん臣民沢山あるぞ。
玉とは御魂(おんたま)ぞ、鏡とは内に動く御力ぞ、剣とは外に動く御力ぞ、これを三種の神宝と申すぞ。
今は玉がなくなっているのぞ、鏡と剣だけぞ、それで世が治まると思うているが、肝腎の真中ないのざ、それでちりちりばらばらぞ。
アとヤとワの世の元要るぞと申してあろがな、この道理分からんか、剣と鏡だけでは戦勝てんぞ、それで早う身魂磨いてくれと申してあるのぞ。
上下ないぞ、上下に引っ繰り返すぞ、もうΘ待たれんところまで来ているぞ、身魂磨けたらどんなところでどんなことしていても心配ないぞ、神界の都には悪が攻めて来ているのざぞ。
八月の十二日、ΘのひつくのΘ。


ドイツもイタリアも一緒になって攻めて来るのですから、太平洋戦争どころではないようです。
しかも、神界では既に戦いの最中だそうです。

「一寸先も見えぬほど曇りておりて、それでΘの臣民と思うているのか、畜生にも劣りているぞ。」
「まだまだ悪くなって来るから、まだまだ落ち沈まねば本当の改心出来ん」

三種の神宝(玉、鏡、剣)のお話は既にしましたね。
「今は玉(御魂)がなくなっているのぞ」
「鏡とは内に動く御力ぞ、剣とは外に動く御力ぞ」
「剣と鏡だけでは戦勝てんぞ、それで早う身魂磨いてくれと申してあるのぞ。」

「アとヤとワの世の元要るぞと申してあろがな」
鏡、剣は有るそうなので、
玉である国之常立大神の依り代になれる身魂がどうしても必要だぞということでしょう。


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富士の巻 第2帖

甲斐の山々に立ちて、ヒレ振りて祓いてくれよ、一二Θに仕えている臣民、代わる代わるこの御役つとめてくれよ。
今はわかるまいなれど結構な御役ぞ。
この神示腹の中に入れておいてくれと申すに、言うこと聞く臣民少ないが、今に後悔するのがよくわかりているから、Θはくどう気つけておくのぞ、読めば読むほど神徳あるぞ、どんなことでもわかるようにしてあるぞ、
言うこときかねば一度は種だけにして、根も葉も枯らしてしもうて、次の世の大掃除せねばならんから、種のあるうちに気つけておれど、気づかねば気の毒出来るぞ。
今度の祭典(まつり)御苦労でありたぞ、神界では神々様大変の御喜びぞ、雨の神、風の神殿、ことに御喜びになりたぞ。
この大掃除一応やんだと安堵する。
この時、富士鳴門がひっくり返るぞ、天の道、地の道ぞ、ひっくり返るぞ、早う改心してくれよ。
八月の十一日、ΘのひつくのΘ。


「ヒレ振りて祓いてくれよ」ヒレとは布のようなきれのことです。天女が纏っているようなあのヒレヒレを思い浮かべると良いでしょう。このヒレを振ることで、様々な穢れを祓うことができるようです。

十種神宝(とくさのかんだから)でも、古事記で須世理姫が大国主命に渡した「蜂のヒレ」「オロチのヒレ」に加えて「くさぐさのヒレ」が出て来ます。

「読めば読むほど神徳あるぞ、どんなことでもわかるようにしてあるぞ」
「一度は種だけにして、根も葉も枯らしてしもうて、次の世の大掃除せねばならん」
「種のあるうちに気つけておれど、気づかねば気の毒出来るぞ。」

「この大掃除一応やんだと安堵する。」
「富士鳴門がひっくり返るぞ、天の道、地の道ぞ、ひっくり返るぞ」


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富士の巻 第1帖

道はいくらもあるなれど、どの道通ってもよいと申すのは、悪のやり方ぞ、Θの道は一つぞ、始めからΘの世の道、変わらぬ道があればよいと申しているが、どんなことしても我さえ立てばよいように申しているが、それが悪の深き腹の一厘ぞ、Θの道は始めの道、Θの成れる道、Θの中の✓なる初め、✓は光の✓、Θは世の道、このこと気のつく臣民ないなれど、一が二わかる奥の道、身魂掃除すればこのことわかるのざ、身魂磨き第一ぞ。
八月十日、Θの一二Θ。


「悪の一厘」、これはいくら言っても構わないでしょう。
「どんなことしても我さえ立てばよい」という考え方、これが「悪の一厘」です。
「我善し」です。自分さえ良ければよいというのが、悪への道です。
私にも有りますね、残念ながら。(笑)

最近は、「善のふりをした悪の仕組」もあるようです。
善のふりをして人々の共感を受けつつ、実際は、世の中を悪い方向に誘い込むという高度な技です。
騙されないよう、ご注意ください。善と悪は表裏一体ですから。

「Θの道は始めの道、Θの成れる道、Θの中の✓なる初め、✓は光の✓、Θは世の道」
Θの元の神(天之御中主、ヤハウェ...)は「光」です。つまり「ビッグバン」です。宇宙の始めです。光の進むように真っ直ぐに、しかも波の性質も合わせ持つ、それが「世の道」なのでしょう。

暗黒の中の光、暗黒と表裏一体。「一が二わかる奥の道」このことだと思います。
宇宙が拡大し続けるのか、それとも縮小に転じるのか、暗黒物質の質量にもよるのでしょうが、現在のところ宇宙は拡大し続けているようです。

時空とは何か。パラレルワールドは存在するのか。
分からないことだらけですね。(笑)


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2017年12月31日

下つ巻 第22帖の後半部原文

二三 三 二二✓〇Θ
二五五五二一二二六一
一二三二八一四五
三二三四四五二
二二九三二五四
五三五
一二Θ
七かつの二十八二ち


扶桑(ふそう) 仐(さん) 富士✓〇Θ(富士の仕組=ひふみ)
ヲ(双子=身魂)ここに一時に向き
一二三(ひふみ)に拝し後
讃じ見よ横に
富士草地濃し
五三五
(子年真中(三年)に前後十年ということでしょうか。)

または、 
(日の神五体、造化三神、月の神五体)=ヤアワ
かもしれません。

あるいは、
(五+三+五=十三なので、ひふみ「一二三四五六七八九十百千万」を唱えよということかもしれません。)



翻訳頑張ってみましたが、私には霊性がないので、間違っていると思います。
努力したことだけは分かってくださいね。(笑)


今年はこれで終わりです。
皆さま、良いお年をお迎えください。

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下つ巻 第38帖

富士は晴れたり日本晴れ、これで下つ巻の終わりざから、これまでに示したこと、よく肚(はら)に入れてくれよ。
Θが真中で取り次ぎ役員いくらでもいるぞ、役員はみな神柱ぞ。
国々、ところどころから訪ねて来るぞ、その神柱には御告(みつげ)の道知らしてやりてくれよ、日本の臣民みな取り次ぎぞ、役員ぞ。
この方は世界中丸めて大神様にお目にかける御役、Θの臣民は世界一つに丸めて、てんし様に献(ささ)げる御役ぞ。
この方とこの方のΘΘ(神々)と、Θの臣民一つとなりて世界丸める御役ぞ。
Θ祀りてくれたらいよいよ仕組知らせる神示書かすぞ、これからが正念場ざから、ふんどし締めてかかりてくれよ。
秋立ちたらΘ烈しくなるぞ、富士は晴れたり日本晴れ、てんし様の三四五(御代出づ)となるぞ。
八月三日、ひつくのか三。


「国々、ところどころから訪ねて来るぞ、その神柱には御告(みつげ)の道知らしてやりてくれよ、日本の臣民みな取り次ぎぞ、役員ぞ。」
「この方とこの方のΘΘ(神々)と、Θの臣民一つとなりて世界丸める御役ぞ。」

これで、上つ巻、下つ巻の2巻が終わりました


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下つ巻 第37帖

世が変わりたら天地光り人も光り草も光り、石も物ごころに歌うぞ、雨も欲しい時に降り、風も欲しい時に吹くと、雨の神、風の神様申しておられるぞ。
今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かんようになりているのがわからんか。
盲、聾の世の中ぞ。
神のいる場所塞いでおりてお蔭ないと不足申すが、わからんと申してもあまりであるぞ。
神ばかりでもならず、臣民ばかりではなおならず、臣民は神の容れものと申してあろが、天のひつくの民と申すのは、世界治める御魂の容れもののことぞ、民草とは一人を護る入れものぞ、ひつく臣民は神がとことん試めしに試すのざから、可哀そうなれど我慢してくれよ、その代わり御用つとめてくれたら、末代名を残して、神から御礼申すぞ。
何事も神は帳面につけとめているのざから間違いないぞ、この世ばかりでないぞ、生まれ代わり死に代わり鍛えているのぞ、ひつくの臣民落ちぶれていると申してあろがな、今に上、下になるぞ、逆立ちがおん返りて、元の善き楽の姿になるのが近づいたぞ、逆立ち苦しかろがな、改心した者から楽にしてやるぞ、御用に使うぞ。
八月三日、ひつ九のか三。


「今の世では雨風を臣民がワヤにしているぞ、降っても降れず、吹いても吹かんようになりているのがわからんか。」
現在は、世界中で異常気象が起こっており、台風も巨大化するなど、地球はまさにワヤの状態です。

「神のいる場所塞いでおりてお蔭ないと不足申す」
神のいる場所塞ぐというのは、神社ではなく、神が宿る人間の身魂の掃除が遅れている(改心していない)ので入れないということでしょう。

「何事も神は帳面につけとめているのざから間違いないぞ、この世ばかりでないぞ、生まれ代わり死に代わり鍛えているのぞ、ひつくの臣民落ちぶれていると申してあろがな」
ひつくの臣民は、庶民として、苦労することで鍛えられているそうです。
苦労している貴方こそが、ひつくの臣民かもしれませんよ。



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下つ巻 第36帖

Θをそちのけにしたら、何も出来上がらんようになりたぞ。
九分通り出来てグレンと引っ繰り返りておろがな、それへも気づかんか。
一にも神、二にも神、三にも神ぞ、一にもてんし様、二にもてんし様、三にもてんし様ぞ。
この道つらいようなれど貫きてくれよ、だんだんと良くなりて、こんな結構なお道かと申すようにしてあるのざから、何もかもお国にささげて自分の仕事を五倍も十倍も精出してくれよ。
戦ぐらい何でもなく終わるぞ。
今のやり方ではとことんに落ちてしまうぞ、Θくどう気つけておくぞ。
国々の神様、臣民さま、改心第一ぞ。
八月三日、ひつ九のか三。


これは、岡本天明氏への神様からの苦言でしょう。
戦争が厳しさを増してきて、なかなかご神業が難しくなっているのでしょう。
ご苦労さまでした。

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下つ巻 第35帖

何もかも持ちつ持たれつであるぞ、臣民喜べばΘも喜ぶぞ、金(きん)では世は治まらんと申してあるのに
まだ金追うている見苦しい臣民ばかり、金は世をつぶす本ぞ、臣民、世界の草木まで喜ぶやり方はΘの光のやり方ぞ。
臣民の生命も長うなるぞ、てんし様は生き通しになるぞ、御玉体(おからだ)のままに神界に入られ、またこの世に出られるようになるぞ、死のないてんし様になるのぞ、それには今のような臣民のやり方ではならんぞ、今のやり方はてんし様に罪ばかりお着せしているのざから、このくらい不忠なことないぞ、それでもてんし様はお赦(ゆる)しになり、位までつけて下さるのぞ、このことよく改心して、一時(ひととき)も早く忠義の臣民となってくれよ。
八月の三日、ひつ九のΘ。


「Θの光のやり方ぞ」
四つの「足り」でしたね。拝金主義ではなく、「与える」政治でないと世は収まらないということです。

「てんし様は生き通しになるぞ、御玉体(おからだ)のままに神界に入られ、またこの世に出られるようになるぞ、死のないてんし様になるのぞ」
これは、天皇陛下のことでしょうか。「天日嗣皇尊大神」(アマツヒツグスメラミコト)は天皇陛下のことかもしれません。

「今のやり方はてんし様に罪ばかりお着せしているのざから、このくらい不忠なことないぞ」
戦争中のことでしょうね。天皇陛下も危うく「戦犯」にされるところでした。

「このことよく改心して、一時(ひととき)も早く忠義の臣民となってくれよ。」
要するに、侵略戦争の片棒担ぎを早く止めて、本来の平和的な国民に戻るようにということでしょう。

日本も、もともとは「八紘一宇」の精神で、地球上から差別を無くし平等な世界を作るという崇高な理想を抱いていたのですが、いつの間にか、逆に差別意識を持って、侵略戦争の中に踏み込むという「悪の道」に入って行きました。

本来、守るべきはずのアジアの諸民族を攻めるという事態に陥ってしまったのです。

天皇陛下は、「戦線不拡大」の意思を示されたにもかかわらず、軍部や周りの意見に押し流されていきました。

結果的には、敗戦によって軍国主義の一掃がかなったわけですから、良かったのですが(負けた相手が、寛大なアメリカであったことも幸いしました)。

ただ、その後、自虐的歴史観の押し付けや欧米の文化の流入により、内部からの崩壊(心・精神の崩壊)の危機に瀕してしまうことになってしまいましたが。



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下つ巻 第34帖

臣民はすぐにも戦済みて善き世来るように思うているが、なかなかそうはならんぞ、臣民にΘうつりてせねばならんのざから、まことの世の元からの臣民、幾人もないぞ、みな曇りているから、これでは悪の神ばかりが憑(か)かりて、だんだん悪の世になるばかりぞ、それで戦済むと思うているのか、自分の心よく見てござれ、よくわかるであろがな、戦済んでもすぐに善き世とはならんぞ、それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ、富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな、戦は雲のかかっているところぞ、頂(いただき)までの正味のところはそれからぞ。
一、二、三年が正念場ぞ。
三四五(みよいづ)の仕組と申してあろがな。
八月の三日、ひつ九のか三。


「臣民はすぐにも戦済みて善き世来るように思うているが」
「だんだん悪の世になるばかりぞ」
「戦済んでもすぐに善き世とはならんぞ」
やはり、太平洋戦争の終結後も「悪の世」は続いているようです。

「それからが大切ぞ、胸突き八丁はそれからぞ」
「富士に登るのにも、雲の上からが苦しいであろがな」
「戦は雲のかかっているところぞ、頂きまでの正味のところはそれからぞ。」
これから、胸突き八丁がやって来ます。

「一、二、三年が正念場ぞ。三四五(みよいづ)の仕組と申してあろがな。」
一、二、三年というのは、子の年真ん中に前後十年ですから、「申」「酉」「戌」年だと思います。
三四五は、「戌」「亥」「子」年のことでしょう。



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下つ巻 第33帖

親となり子となり夫婦となり、同胞(はらから)となりて、生き代わり死に代わりして御用に使っているのぞ、臣民同士、世界の民、みな同胞と申すのは喩(たと)えではないぞ、血がつながりているまことの同胞)ぞ、同胞喧嘩(けんか)も時によりけりぞ、あまりわからぬとΘも堪忍袋の緒(お)切れるぞ、どんなことあるか知れんぞ、この道の信者は神が引き寄せると申せば役員ふところ手でおるが、そんなことでこの道開けると思うか。
一人が七人の人に知らせ、その七人が済んだら、次の御用にかからすのぞ、一聞いたら十知る人でないと、この御用つとまらんぞ、裏表、よく気つけよ。
因縁の身魂はどんなに苦しくとも勇んで出来る世の元からのお道ぞ。
七人に知らしたら役員ぞ、神が命ずるのでない、自分から役員になるのぞと申してあろがな、役員はΘの直々の使いぞ、神柱ぞ。
肉体男なら魂は女ぞ、この道盗りに来る悪魔あるから気つけおくぞ。
八月三日、ひつくのか三。


「世界の民、みな同胞と申すのは喩(たと)えではないぞ」
世界中の人々がみな「ミツグ」であることが分かりました。「人類はみな兄妹」です。

「同胞喧嘩(けんか)も時によりけりぞ、あまりわからぬとΘも堪忍袋の緒(お)切れるぞ」
世界中で「兄弟同士の喧嘩」が起きています。兄弟喧嘩は終わりにしたいものです。

「生き代わり死に代わりして」
仏教の般若心経でも同じことが述べられています。輪廻転生を信じる宗教では多分共通認識だと思います。
科学者的見地から般若心経を解読された岩根和郎さんの「暗号は解読された般若心経」でも、日月神示の世界観と全く同じ見解が述べられています。

簡単に言うと、現界は天界と繋がっていて、天界「空」からぶら下がっている「受想行識」(じゅそうぎょうしき)であり、「生き代わり死に代わりして」現生で修業をしているというものです。

「肉体男なら魂は女ぞ、この道盗りに来る悪魔あるから気つけおくぞ。」
大本教のことは詳しく知りませんが、出口王仁三郎氏も「変性女子」とご自分のことをおっしゃっていたようですね。

陰陽の考え方から来ているのでしょう。現生と天界は裏表。

「この道盗りに来る悪魔」とは何を言っているのでしょうか。
おそらく、この「輪廻転生」の仕組を邪魔する「悪魔」。つまり、天界でも現界でもない「幽界」に導こうとする悪魔、または人間自身の悪い心を意味しているのだと思います。


posted by mydears at 09:38| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第32帖

この道ひろめて金儲けしようとする臣民沢山に出て来るから、役員気つけてくれよ、役員の中にも出て来るぞ、
金は要らぬのざぞ、金いるのは今しばらくぞ、生命は国にささげても金は自分のものと頑張っている臣民、気の毒出来るぞ、何もかも天地へ引き上げぞと知らしてあること近づいて来たぞ、金かたきの世来たぞ。
八月三日、一二Θ。


「この道ひろめて金儲けしようとする臣民沢山に出て来る」
今でも、ちらほら見かけられますね。出版するにも、セミナーを開催するにも、布教するにもお金がかかりますので仕方ない部分もあると思いますが、逆に考えれば、多額のお金を要求されれば、それは真実の「教え」が分かっていないということなので、信じるかどかの判断の基準にもなるといえますね。

私も、日本の歴史を紹介した時は広告を出していましたが、日月神示に入ってからは、一切の広告を出さないようにしています。

「生命は国にささげても金は自分のものと頑張っている臣民、気の毒出来るぞ」
太平洋戦争中のことですね。命よりも金が大事、人間の本性を表していて興味深い言葉です。

「金かたきの世来たぞ」
金(富と名誉)が人間性を奪い、平和な世の中の障害になっていることを言っているのだと思います。
資本主義の否定でもあります。
かと言って、共産主義が機能しないことは時代が証明しましたので、これからは、神を中心とする社会主義に移行するということなのでしょう。


posted by mydears at 08:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

2017年12月30日

下つ巻 第31帖

この神に供えられたものは何によらん、私することならんぞ、参りた臣民にそれぞれ分けて喜ばしてくれよ、
臣民喜べばΘも喜ぶぞ、神喜べば天地光りて来るぞ、天地光れば富士晴れるぞ、富士は晴れたり日本晴れとはこのことぞ。
このような仕組でこの道ひろめてくれよ、それが政治ぞ、経済ぞ、まつりぞ、わかりたか。
八月の三日、ひつ九のか三。


神に供えられたものを自分だけのもののにせず、人々に分け与えることにより、人が喜び、神も喜ぶ。
その結果、天地が光り、富士晴れる。
これが「富士は晴れたり日本晴れ」の意味だそうです。

二二八八れ十二ほん八れ

八は富士でしょう。山頂から裾野が広がる姿を、国の形にたとえているのだと思います。
二二八八十二八で十(足り)が四つということはお話しました。

四つの「足り」、これが「臣民」「神」「天地=世界」「富士=日本」ということでしょう。

臣民が喜べば神が喜ぶ、神が喜べば世界が光る、世界が光れば日本が晴れる
これが、「政治、経済のまつりごと」だそうです。

政治家、財界の皆様方、このことを胸に刻み、私欲を捨てて「まつりごと」を行ってくださいませ。


posted by mydears at 19:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第30帖

八のつく日に気つけてくれよ、だんだん近づいたから、辛酉(かのととり)はよき日、よき年ぞ。
冬に桜咲いたら気つけてくれよ。
八月二日、一二Θ。


短い文章ですが、日月神示では非常に重要な一節です。
2041年が辛酉の本命の年と申し上げました。
別の文章に「いくら伸ばしても100年も待てんぞ」という記述があります。
太平洋戦争の終結が1940年なので、2041年がタイムリミットとなります。

ただ、今年初めの冬に、桜はおろか、向日葵(ひまわり)も咲いたので、気になるところではありますが。


posted by mydears at 17:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第29帖

Θの土出ると申してありたが、土は五色の土ぞ、それぞれに、国々、ところどころから出るのぞ。
白、赤、黄、青、黒の五つ色ぞ、薬のお土もあれば食べられるお土もあるぞ、Θに供えてから頂くのぞ、何事もΘからぞ。
八月二日、一二Θ。



上記五色は、古代中国の「陰陽五行説」から来ている考え方です。
白=白虎、西(金)
赤=朱雀、南(火)
黄=中央  (土)
青=青龍、東(木)
黒=玄武、北(水)
となります。
七夕の「五色の短冊」もこの考え方を採用しています。

因みに、日月が加わると一週間です。

やはり、日月神示の神様は、古代中国がルーツであることは間違いないようです。
(古史古伝の「五色人」もありますが)

「薬のお土もあれば食べられるお土もあるぞ」
土食は、古代より世界各国で行われて来たものだそうです。
ミネラルや稀少物質を含んだものもあり、整腸剤やカルシウム補充など薬的な使用をされることもあるようです。

土といっても、粘土(クレイ)で、しかも、どこの土でも食べられるというわけではないので、食いしん坊の方はお気を付けください。(笑)


posted by mydears at 15:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第28帖

またたきの間に天地引っ繰り返るような大騒動が出来るから、くどう気つけているのざ、さあという時になりてからでは間に合わんぞ、用意なされよ。
戦の手伝いくらいなら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、我れ善しの神ではよう出来んぞ。
この方は元のままの身体持ちているのざから、いざとなればどんなことでもして見せるぞ。
仮名(かな)ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出てくるが、しまいにはその仮名に頭下げて来ねばならんぞ、カナとはΘの名ぞ、神の言葉ぞ。
今の上の臣民、自分で世の中のことやりているように思うているが、みなΘが化かして使っているのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心してくれよ。
年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、Θの国の人種(ひとだね)の無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見ておれんから、Θはいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂曇りているから、それでは虻蜂(あぶはち)取らずざから、早う改心せよと申しているのぞ、このことよく心得て下されよ、Θ急けるぞ。
八月二日、ひつくのか三。


「元のままの身体持ちている」というには、龍体か日本の国土そのもののことでしょう。

「カナとはΘの名ぞ、神の言葉ぞ。」カナは「カミのナ」。分かり易いですね。「カ」「ナ」という文字もそれぞれ神の名を表しています。言葉は言霊なので、神の名を呼ぶことが、神の言葉にもなります。

「今の上の臣民、....みなΘが化かして使っているのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心してくれよ。」
「悪のお役」ですか、気の毒なお役はその後たくさん出て来ます。

「年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、Θの国の人種(ひとだね)の無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見ておれんから」
まだ、8月2日ですから、サイパン島、テニアン島のことを言っているのでしょうね。
しかも、これ、日本軍の作戦方針のことを言っているようです。

悪の仕組は、日本の中にもあったことは間違いないようです。

「Θはいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂曇りているから、それでは虻蜂(あぶはち)取らずざから、早う改心せよと申しているのぞ」
日本人の身魂が曇っているため、神は手を出したくても出せない状況のようです。
改心が先に必要だということです。



posted by mydears at 12:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻

下つ巻 第27帖

この方は祓戸のΘとも現われるぞ。
この方祀るのは富士に三と所(みとところ)、渦(右回り)海(うずうみ)に三と所、江戸にも三と所ぞ。
奥山、中山、一の宮ぞ。
富士は、榛名に祀りてくれて御苦労でありたが、これは中山ぞ、一の宮と奥の山にまた祀らねばならんぞ、渦海の仕組も急ぐなれど、甲斐(カイ)の仕組、早うさせるぞ。
江戸にも三と所、天明(岡本天明)の住んでいるところ奥山ぞ。
あめのひつくの家、中山ぞ、富士が一の宮ざから気つけておくぞ。
この方祀るのは、真中に神の石鎮め、そのあとにひもろぎ、前の右左にひもろぎ、それが「あ」と「や」と「わ」ぞ、そのあとに三つ、七五三とひもろぎ立てさすぞ。
少しはなれて四隅にイウエオの言霊(ことだま)石置いてくれよ。
鳥居も注連(しめ)もいらぬと申してあろがな、このことぞ。
この方祀るのも、役員の仕事も、この世の組立も、みな七七七七と申して聞かしてあるのには気がまだつかんのか。
臣民の家に祀るのは神の石だけでよいぞ、天のひつくの家には、どこでも前に言うたようにして祀りてくれよ。
江戸の奥山には八日、秋立つ日に祀りてくれよ、中山九日、一の宮には十日に祀りてくれよ。
気つけてあるのにΘの神示読まぬからわからんのぞ、このことよく読めばわかるぞ。
今のようなことではΘの御用つとまらんぞ、正直だけではΘの御用つとまらんぞ。
裏と表とあると申して気つけてあろがな、シッカリ神示読んで、スキリと肚に入れてくれよ。
読むたびごとにΘが気つけるように声出して読めば、読むだけお蔭あるのぞ。
七月の三十一日、一二Θ。


「この方は祓戸のΘとも現われるぞ。」
祓戸(はらえど)四神のお話はしましたよね。日月神示の神様も罪穢れを払う神様としても現れるそうです。

富士と鳴門の仕組

       奥山    中山    一の宮
火 富士   帯那山   榛名    富士
水 渦海   印旛沼   諏訪湖   鳴門
地 穢土   天明    天日津久  天日津久
       8日    9日    10日

「あ」「や」「わ」、「イウエオ」は、もう良いですね。

「江戸の奥山には八日、秋立つ日に祀りてくれよ、中山九日、一の宮には十日に祀りてくれよ。」
秋立つ日は秋分の日でしょうから9月22・23日頃になるはずです。
因みに、昭和19年9月23日は旧暦8月7日になりますので、八日、九日、十日は旧暦でしょう。


posted by mydears at 10:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 下つ巻
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