2018年01月06日
富士の巻 第25帖
世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、ことに可愛い子には旅させねばならぬから、どんなことあってもΘの子ざから、Θ疑わぬようになされよ、Θ疑うと気の毒出来るぞ。
いよいよとなりたら、どこの国の臣民ということないぞ、大Θ(大神)様の掟通りにせねばならんから、可愛い子ぢゃとて容赦出来んから、気つけているのざぞ、大難を小難にまつり変えたいと思えども、今のやり方はまるで逆様(さかさま)ざから、どうにもならなんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。
外国から早くわかりて、外国にこの方祀ると申す臣民、沢山出来るようになって来るぞ。
それではΘの国の臣民申し訳ないであろがな、山にも川にも海にもまつれと申してあるのは、Θの国の山川ばかりでないぞ、この方世界のΘぞと申してあろがな。
裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、裸にならねば、なるようにして見せるぞ、いよいよとなりたら苦しいから、今の内と申してあるのぞ。
すべてをてんし様に捧げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、世界中の臣民みなてんし様に捧げなならんのざぞ。
八月三十日、Θのひつ九のか三。
「世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、ことに可愛い子には旅させねばならぬから」
日月神示の神様は世界の人々の神であり、特に可愛い子には苦労をさせているということでしょう。
「いよいよとなりたら、どこの国の臣民ということないぞ」
「大Θ(大神)様の掟通りにせねばならんから」
「可愛い子ぢゃとて容赦出来んから、気つけているのざぞ」
「大難を小難にまつり変えたいと思えども、今のやり方はまるで逆様(さかさま)ざから、どうにもならなんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。」
戦争中の日本のやり方は、まるで真反対だということです。
戦争で亡くなった方を「軍神」として崇め奉ることにより、さらに犠牲を強いていくというやり方のことでしょう。戦争が終わると、急にきびすを返し、国のために戦った人やその家族に冷たくあたりました。
まったく、あべこべですね。まず、戦争をしないように努力し、それがかなわないなら、戦うしかないのですが、勝ち負けにかかわらず国のため家族のため犠牲になった人や家族たちを厚く敬い、慰霊し、助け合い続けるという基本的な認識が全く欠けているのは悲しいことです。
さらに、自虐史観のもとに、それに至った背景や心情も理解せず、そういった方たちを単純に戦犯として批判するという単細胞の人たちのあまりに多いことに唖然とする次第です。
誰かを悪者にするのは簡単ですが、この21世紀でも戦争の種はいたるところで生まれつつあります。
もっと本質を理解し、なぜ日本が戦争するに至ったか、なぜ戦争を回避できなかったのか、なぜ現代でも同じようなことが起こってしまうのか、それではどうすれば良いのかを真剣に考えるべきではないでしょうか。
日本は、その解決の方法として、近隣諸国との経済的な結びつきにより友好関係を築こうとしましたが、世界平和には全く効果がありませんでした。
欲望だけでは物事は何も解決しないのです。
「外国から早くわかりて、外国にこの方祀ると申す臣民、沢山出来るようになって来るぞ」
まさに、そうなって欲しいものです。やはり、精神的な結びつきこそが最も重要なことだからです。
価値観の相違は、さらなるギャップを生み出し、さらに価値観がかけ離れていく。
現代社会は、その繰り返しで分裂を加速して来ました。
日本人の「お花畑思想」で世界がまとまれば、それはそれで理想ですが、世界が「平和ボケ」になる日はいつ来るのでしょうか。(笑)
「裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、裸にならねば、なるようにして見せるぞ、いよいよとなりたら苦しいから、今の内と申してあるのぞ」
改心せよ、生まれ赤子の心になれ、という意味でしょう。
「すべてをてんし様に捧げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、世界中の臣民みなてんし様に捧げなならんのざぞ。」
いよいよとなりたら、どこの国の臣民ということないぞ、大Θ(大神)様の掟通りにせねばならんから、可愛い子ぢゃとて容赦出来んから、気つけているのざぞ、大難を小難にまつり変えたいと思えども、今のやり方はまるで逆様(さかさま)ざから、どうにもならなんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。
外国から早くわかりて、外国にこの方祀ると申す臣民、沢山出来るようになって来るぞ。
それではΘの国の臣民申し訳ないであろがな、山にも川にも海にもまつれと申してあるのは、Θの国の山川ばかりでないぞ、この方世界のΘぞと申してあろがな。
裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、裸にならねば、なるようにして見せるぞ、いよいよとなりたら苦しいから、今の内と申してあるのぞ。
すべてをてんし様に捧げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、世界中の臣民みなてんし様に捧げなならんのざぞ。
八月三十日、Θのひつ九のか三。
「世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、ことに可愛い子には旅させねばならぬから」
日月神示の神様は世界の人々の神であり、特に可愛い子には苦労をさせているということでしょう。
「いよいよとなりたら、どこの国の臣民ということないぞ」
「大Θ(大神)様の掟通りにせねばならんから」
「可愛い子ぢゃとて容赦出来んから、気つけているのざぞ」
「大難を小難にまつり変えたいと思えども、今のやり方はまるで逆様(さかさま)ざから、どうにもならなんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。」
戦争中の日本のやり方は、まるで真反対だということです。
戦争で亡くなった方を「軍神」として崇め奉ることにより、さらに犠牲を強いていくというやり方のことでしょう。戦争が終わると、急にきびすを返し、国のために戦った人やその家族に冷たくあたりました。
まったく、あべこべですね。まず、戦争をしないように努力し、それがかなわないなら、戦うしかないのですが、勝ち負けにかかわらず国のため家族のため犠牲になった人や家族たちを厚く敬い、慰霊し、助け合い続けるという基本的な認識が全く欠けているのは悲しいことです。
さらに、自虐史観のもとに、それに至った背景や心情も理解せず、そういった方たちを単純に戦犯として批判するという単細胞の人たちのあまりに多いことに唖然とする次第です。
誰かを悪者にするのは簡単ですが、この21世紀でも戦争の種はいたるところで生まれつつあります。
もっと本質を理解し、なぜ日本が戦争するに至ったか、なぜ戦争を回避できなかったのか、なぜ現代でも同じようなことが起こってしまうのか、それではどうすれば良いのかを真剣に考えるべきではないでしょうか。
日本は、その解決の方法として、近隣諸国との経済的な結びつきにより友好関係を築こうとしましたが、世界平和には全く効果がありませんでした。
欲望だけでは物事は何も解決しないのです。
「外国から早くわかりて、外国にこの方祀ると申す臣民、沢山出来るようになって来るぞ」
まさに、そうなって欲しいものです。やはり、精神的な結びつきこそが最も重要なことだからです。
価値観の相違は、さらなるギャップを生み出し、さらに価値観がかけ離れていく。
現代社会は、その繰り返しで分裂を加速して来ました。
日本人の「お花畑思想」で世界がまとまれば、それはそれで理想ですが、世界が「平和ボケ」になる日はいつ来るのでしょうか。(笑)
「裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、裸にならねば、なるようにして見せるぞ、いよいよとなりたら苦しいから、今の内と申してあるのぞ」
改心せよ、生まれ赤子の心になれ、という意味でしょう。
「すべてをてんし様に捧げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、世界中の臣民みなてんし様に捧げなならんのざぞ。」
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