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2017年12月23日

上つ巻 第42帖

初めの御用はこれで済みたから、早うお山開いてくれよ。
お山開いたら、次の世の仕組書かすぞ、ひと月の間に書いてくれた神示は、『上つ巻』として後の世に残してくれよ、これからひと月の間に書かす神示は、次の世のΘの世の仕組の神示ざから、それは『下つ巻』として後の世に残さすぞ、そのつもりで気をつけてくれよ。
御苦労なれども世界の臣民の為めざから、何事もΘの申すこと、素直に聞いて下されよ。
七月の九日、ひつくのか三、かく。


「後の世に残してくれよ」ということですから、「後の世に」何かがあることを暗示しているように思えます。

これで、『上つ巻』が終わりました。


posted by mydears at 19:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第41帖

人の知らん、行かれん所で何しているのぞ。
神にはようわかっておるから、いよいよという時が来たら助けようもないから、気をつけてあるのにまだ目さめぬか。
闇の後が夜明けばかりと限らんぞ。
闇が続くかも知れんぞ。
何もかも捨てる臣民、幸いぞ。
捨てるとつかめるぞ。
ひつきのか三。


「人の知らん、行かれん所」はどこでしょう。神も「助けようもない」所です。
岡本天明さんが「何かを捨て切れない」ことで、行かれた所なのでしょう。

弱い心を悪魔に利用されて、付け込まれるなということでしょうか。

posted by mydears at 19:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第40帖

北も南も東も西もみな敵ぞ、敵の中にも味方あり、味方の中にも敵のあるのぞ。
黄金(きん)の国へ皆が攻めて来るぞ。
Θの力をいよいよ現わして、どこまで強いか、Θの力を現して見せてやるから、攻めて来て見よ、臣民の洗濯第一と言っておること忘れるなよ。一二のか三。


まさに今の国際情勢ですね。
「敵の中にも味方あり」、「味方の中にも敵のある」
今はまだ、世界中から攻め込まれる情勢ではありませんが、少しずつ状況は悪化の一途を辿っているように思えます。

文化的、精神的には、既にここまでかと思えるくらい浸食されて、もはや風前の灯火といえる状況かもしれませんが。(笑)

posted by mydears at 19:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第39帖

地震、雷、火の雨降らして大洗濯するぞ。
よほどシッカリせねば生きて行けんぞ。
カミカカリ(神かかり)が沢山出来て、わけのわからんことになるから、早くこの道を開いてくれよ。
神界ではもう戦の見通しついているなれど、今はまだ臣民には申されんのぞ。
改心すればわかりて来るぞ、改心第一ぞ、早く改心第一ざ。
ひつくのか三。


「カミカカリ(神かかり)が沢山出来て、わけのわからんことになるから、早くこの道を開いてくれよ。」
これは、現代の新興宗教のことを言っているのでしょうか?

本物と偽物をよく見分けて改心しなさいということでしょうね。


posted by mydears at 18:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第38帖

残る者の身も一度は死ぬことあるぞ、死んでからまた生き返るぞ、三分の一の臣民になるぞ、これからがいよいよの時ざぞ。
日本の臣民同士が食い合いするぞ、かなわんと言って外国へ逃げて行く者も出来るぞ。
神にシッカリと縋(すが)りておらんと何もわからんことになるから、早く神に縋りておれよ、神ほど結構なものはないぞ。
神にも善い神と悪い神あるぞ。
雨の日は雨、風の日は風ということわからんか、それが天地の心ぞ、天地の心を早う悟りて下されよ。
嫌なら嫌で他に代わりの身魂があるから神は頼まんぞ、嫌ならやめてくれよ。
無理に頼まんぞ。
神のすること一つも間違いないのぞ、よく知らせを読んで下されよ。
ひつくのか三。


終戦時の1945年、日本の総人口は7,199万人で、開戦前と比べてもそれほどの減少とはなっていません。
総務省の予測によると2,100年頃には約4,000万人(低位予測)と明治時代後半の水準になるとしており、これはピーク時の三分の一となります。

しかし、日月神示で言っているのは、このような自然減の話ではないでしょう。

これは、来るべき「大峠」のこととしか考えられません。

三分の一の人口になった後、
「これからがいよいよの時ざぞ。日本の臣民同士が食い合いするぞ、かなわんと言って外国へ逃げて行く者も出来るぞ。」

修羅場ですね。

しかも、「悪い神」はまだ存在しています。

どうやら、「大峠」は長丁場のようです。

posted by mydears at 18:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第37帖

人の上の人、皆臭い飯食うこと出来るから、今から知らしておくから気をつけてくれよ。
お宮も一時は無くなるようになるから、その時は、磨けた人が神のお宮ぞ。
早う身魂磨いておけよ、お宮まで外国の悪に潰されるようになるぞ。
早くせねば間に合わんことぞ、ひつくのか三。


極東国際軍事裁判(東京裁判)は、終戦後の1946年(昭和21年)5月3日から1948年(昭和23年)11月12日にかけて行われました。被告人は、東條英機ほか28名で、7名に死刑判決が下りました。

予言の通りになっています。

お宮が無くなることはありませんでした。

しかし、この状態が予言されるということは、もともと、「立て替え」は、終戦前に予定されていなかったということでしょうか、それとも、本「上つ巻 第37帖」には日付が記載されていないことから、後から差し替えられたということでしょうか?


posted by mydears at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第36帖

元の神代に返すというのは、喩え(たとえ)でないぞ。
穴の中に住まなならんこと出来るぞ。
生(なま)の物食うて暮らさなならんし、臣民取り違いばかりしているぞ、何もかもいったんは天地へお引き上げぞ、我の欲ばかり言っていると大変が出来るぞ。
七月の九日、ひつくのか三。



元の神代に返すというのは、穴の中に住み、なま物を食べて暮らすような世界のことのようです。
縄文時代を思い浮かべると良いようです。

ただ、戦後の混乱期、似たような状況がありましたが、そこまでは酷くありませんでした。

少なくとも、文明社会とはおさらばする必要がありそうです。自然と共存する平和な社会に戻る必要があるのでしょう。


posted by mydears at 17:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第35帖

死んで生きる人と、生きながら死んだ人と出来るぞ。
ΘのまにまにΘの御用してくれよ、殺さなならん臣民、どこまで逃げても殺さなならんし、生かす臣民、どこにいても生かさなならんぞ。
まだまだ悪魔はえらい仕組しているぞ、Θの国千切りと申してあるが、喩え(たとえ)ではないぞ、いよいよとなりたらΘが神力出して、上下引っくり返してΘの世致すぞ、永久のΘ代に致すぞ。
細かく説いてやりたいなれど、細かく説かねばわからんようでは神国の民とは言われんぞ。
外国人には細かく説かねばわからんが、Θの臣民には説かいでもかる身魂授けてあるぞ、それで身魂磨いてくれと申してあるのぞ。
それとも外国人並にして欲しいのか、曇りたと申してもあまりぞ。
何も心配いらんから、お山開いてくれよ。
江戸が火となるぞ、Θ急(せ)けるぞ。
七月の七日、ひつくのか三。


東京は、1944年(昭和19年)11月14日以降、空襲を受けることになります。

「死んで生きる人」は「九死に一生を得る人」、「生きながら死んだ人」は「生きていても死んだようになってしまう人」のことでしょうか。さらに「殺さなならん臣民」と「生かす臣民」が出て来るようです。


posted by mydears at 16:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第34帖

何事も天地に二度と無い事で、やり損いしてならん。
ただよえる地(くに)の固めの終わりの仕上げであるから、これが一番大切の役であるから、しくじられんから、Θがくどう申しているのざ、神々さま、臣民、皆聞いてくれよ。
一二三の御用出来たら三四五(みよいづ)の御用にかからなならんから、早う一二三の御用してくれよ。
何も心配ないからΘの仕事をしてくれよ、神の仕事しておれば、どこにいても、いざという時には、神がつまみ上げて助けてやるから、御用第一ぞ。
一日に十万人の人死ぬ時来たぞ、世界中のことざから、気を大きく持ちていてくれよ。
七月の三日、ひつくのか三。


「三四五(みよいづ)」とは、御代出づ=神の御代になることです。

その後、五六七(みろく)の世となります。

posted by mydears at 16:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第33帖

Θの用意は済んでいるのざから、民の用意早うしてくれよ、用意して早う祀りてくれよ。
富士は晴れたり日本晴れと申すこと、だんだんわかりて来るぞ。
神の名のついた石があるぞ、その石、役員に分けてそれぞれに守護のΘつけるぞ、Θの石はお山にあるから、お山開いてくれよ。
ヒツグの民、ミツグの民、早う用意してくれよ、神急(せ)けるぞ。
七月二日、ひつくのか三。



「富士は晴れたり日本晴れ」の原文は「二二八八れ十二ほん八れ」。
まだ分かりません。二+八は十。十が四つ。四=死闘?至当?冬至?使徒?
何か意味があるのでしょうか?

それとも、
不死は「晴ればれしい」、まことに雲(曇り)一つない「日本晴れ」のように
という意味でしょうか。

posted by mydears at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第32帖

世の元からヒツグとミツグとあるぞ、ヒツグはΘの系統ぞ。
ミツグは〇の系統ぞ。
ヒツグはマコトの神の臣民ぞ、ミツグは外国の民ぞ。
Θと〇と結びて一二三となるのざから、外国人も神の子ざから、外国人も助けなならんと申してあろがな。
一二三唱えて岩戸開くぞ。
神から見た世界の民と、人の見た世界の人とは、さっぱりアベコベであるから、間違わんようにしてくれよ。
ひみつの仕組とは一二三の仕組ざ、早う一二三唱えてくれよ、一二三唱えると岩戸開くぞ。
七月の二の日、ひつくのか三。


「ヒツグ」と「ミツグ」で「ヒミツ」なのでしょう。

「ひみつの仕組」は「一二三の仕組」、秘文の仕組。

「ヒツグ」は霊統、「ミツグ」は遺伝子上の血統のことでしょう。

だから、「神から見た世界の民と、人の見た世界の人とは、さっぱりアベコベ」となるのだと思います。
つまり、日本人は「身を継ぐ」者、霊統は「世界各国にちらばる神の霊を継ぐ」者なのかもしれません。
または、日本人は、世界に対して貢いでばかりなので、「ミツグ」なのかもしれませんけど。(笑)

おそらく、神から見て「日本人はミツグのくせに、ヒツグが少ないのは何事ぞ」という警告なのでしょう。


「一二三」は「ひふみ祝詞」のことです。
また、そのうち出て来るので、その時詳しくお話します。


posted by mydears at 14:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第31帖

今度の御用は結構な御用ぞ、いくら金積んでも、因縁ない臣民にはさせんぞ。
今に御用させてくれと金持って来るが、いちいちΘに聞いて始末せよ。
汚れた金御用にならんから、一厘も受け取ることならんぞ。
汚れた金邪魔になるから、マコトのもの集めるから、何も心配するなよ。
心配気の毒ぞよ。
何もΘがするから欲出すなよ、あと暫くぞよ、日々にわかりて来るから、素直な臣民、嬉し嬉しで暮さすから。
七月一日


日月神示には、「金で解決はできない」「神示で金儲けするな」という文章が出て来ます。
神様を「汚れた金」で汚すなよということでしょう。

posted by mydears at 14:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第30帖

富士を開いたらまだ開くところあるのざ、鳴戸へ行くことあるのざから、このこと役員だけ心得ておいてくれよ。
七月の一の日、ひつくか三。


富士は開けたようですね。

鳴門は、四国・徳島県の北東端に位置し、鳴門海峡の西側に位置する場所です。海峡の向かい側には淡路島があります。そして、鳴門といえば「渦潮(うずしお)」です。

淡路島は「国産み神話」で最初に生まれた島です。

淡路島の北西部・多賀には、「伊弉諾神宮」があります。伊弉諾大神の幽宮(かくりのみや)とも云われています。滋賀県多賀にも「多賀大社」がありますが、「近江=淡海(おうみ)」なのか「淡路」なのか、どちらが本家か不明です。

因みに、琵琶湖と淡路島は形が非常によく似ており、この二つの多賀神社のことも含め、自然の摂理とはいえ非常に謎深いものです。



posted by mydears at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第29帖

この世が元の神の世になるということは、どんな神にもわかっておれど、どうしたら元の世になるかということわからんぞ、神にもわからんこと人にはなおわからんのに、自分がなんでもするように思うているが、サッパリ取り違いぞ。
やって見よれ、あちへ外れこちへ外れ、いよいよどうもならんことになるぞ、最後のことはこのΘでないとわからんぞ。
いよいよとなりて教えてくれと申しても間に合わんぞ。
七月一日 ひつくのか三。


「神にもわからんこと人にはなおわからんのに、自分がなんでもするように思うているが、サッパリ取り違いぞ。」

「最後のことはこのΘでないとわからんぞ。」

と、言いつつ、
「いよいよとなりて教えてくれと申しても間に合わんぞ。」

と、あります。

何か矛盾しているような文章ですが、分からないなりに、「神こころ」を磨いておくことで、教えてくださいと言う必要がないくらいには準備しておけよということかと思います。


posted by mydears at 13:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第28帖

世界中まるめてΘの一つの王で治めるのぞ。
それがΘの世のやり方ぞ、百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度は永遠に定まるのぞ、身魂の因縁によりて今度はハッキリと決まって動かんΘの世とするのぞ、茄子の種には瓜はならんぞ、茄子の蔓(つる)に瓜をならすのは悪の仕組、今の世は皆それでないか。
これで世が治ったらΘはこの世に無いものざ。
Θと悪との力競べ(ちからくらべ)ぞ。
今度は悪の王もΘの力にはどうしても叶(かな)わんと心から申すところまで、とことんまで行くのざから、
悪も改心すれば助けて、善き方にまわしてやるぞ。
Θの国を千切りして膾(なます)にする悪の仕組は分わかりおる、悪の神も元のΘの神の仕組を九分九厘までは知っていて、天地引っくり返る大戦となるのざ。
残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、この仕組み、心で取りてくれよ、Θも大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。
臣民この世の神ぞ、と言うて鼻高になると、ポキン折れるぞ。
七月の一日 ひつ九のか三。


「一つの王」は、「天津日嗣皇尊大神」でしたね。

現代社会の「自由・平等・博愛」を真っ向から否定するような考え方です。
これらは、「悪の仕組」だそうです。
「自由・平等・博愛」をうたいながら蔭で私服を肥やす一握りの人たちのための仕組み、これが「悪の仕組」なのでしょう。

確かに、近年の「グローバリゼーション」によって、世界中の富の均衡化を謳い文句に、実質は貧富の格差を拡大し、一部の支配者層に富が独占される状況を生み出しています。

世界の秩序は崩壊し、あらゆる場所でテロが起き、社会体制や民族間の軋轢を生みだし、あるいは同じ民族間でも格差という争いを招いています。

日本でも、企業に対する従業員の忠誠心は消滅し、どんな大会社でも明日はどうなるか分からないという不安定な状況に追い込まれています。

自由主義はとても大事な概念ですが、行き過ぎた自由主義はかえって自由を奪うものだと知ることが必要です。

平等主義も同じく大事な概念ですが、行き過ぎた平等主義はかえって平等を奪うものだと知ることが必要です。

社会主義も民衆のためと言いながら、実質は一部の支配者のための独裁主義になっていることを忘れてはいけません。

やはり、神か、または神心を持った聖人の下に世界国家をつくらないと物事何も解決しないのかもしれませんね。

「残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてある」
有名な「神一厘」です。

私は、だいたい分かっていますが、言うのはやめておきましょう。
日月神示最大の秘密です。

皆さんも「心で取って」ください。

「臣民この世の神ぞ、と言うて鼻高になると、ポキン折れるぞ。」
自分自身が神だと自称していると後悔するようなことがあるよということでしょう。


posted by mydears at 11:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

2017年12月22日

上つ巻 第27帖

何もかも世の元から仕組みてあるから、Θの申すところへ行けよ。
元の仕組は富士ぞ、次の仕組は丑寅(北東)三十里より、次の仕組の山に行きて開いてくれよ、今はわかるまいが、やがて結構なことになるのざから、行きてΘ祀りて開いてくれよ、細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、臣民は子ざから、子に手柄さしてΘから御礼申すぞ。
行けば何もかも良くなるように、昔からの仕組してあるから、何事も物差しで測ったように行くぞ。
天地がうなるぞ、上下引っくり返るぞ。
悪の仕組に皆の臣民だまされているが、もうすぐ目さめるぞ、目さめたら訪ねてござれ、このΘのもとへ来て聞けば、何でもわかるように神示で知らしておくぞ。
秋立ちたら淋しくなるぞ、淋しくなりたら訪ねてござれ、我を張っていると、いつまでもわからずに苦しむばかりぞ。
この神示も身魂により、どんなにでも取れるように書いておくから、取り違いせんようにしてくれ。
三柱と七柱揃うたら山に行けよ。
七月一日、ひつくのか三。


これが、「帯那山」のお話です。富士から北東三十里ということですから、大月方面のはずなのですが...

「天地がうなるぞ、上下引っくり返るぞ。」が実現しなかったのは、このせい?


「悪の仕組に皆の臣民だまされているが、もうすぐ目さめるぞ、目さめたら訪ねてござれ」
というのは、おそらく、敗戦続きの事実を大本営発表でごまかされてきたが、戦線の接近と玉砕という言葉の遊びに国民が気付き始めるということを指しているのでしょう。

「秋立ちたら淋しくなるぞ」ということは、仕組の山が夏までは人通りの多い場所であるということを意味していると思われます。そうでなければ、岡本天明氏の友人たちが疎開や用事で近くからいなくなってしまうという意味なのかもしれません。



posted by mydears at 16:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第26帖

「あ」の身魂とは天地のまことの一つのかけ替えない身魂ぞ、「や」とはその左の身魂、「わ」とは右の身魂ぞ、「や」には替え身魂㋳あるぞ、「わ」には替え身魂㋻あるぞ、「あ」も「や」も「わ」も㋳も㋻も一つのものぞ。(〇の中はひらがな)
身魂引いた神かかる臣民を集めるから急いでくれるなよ、今にわかるから、それまで見ていてくれよ。
「イ」と「ウ」はその介添えの身魂、その魂と組みて「エ」と「ヲ」、 「ヱ」と「オ」が生れるぞ、いずれはわかることざから、それまで待ちてくれよ。
言うてやりたいなれど、今言うては仕組成就せんから、邪魔入るから、身魂掃除すればわかるから、早う身魂洗濯してくれよ。
Θ祀るとはお祭りばかりでないぞ、Θにまつろうことぞ、Θにまつろうとは、Θにまつわりつくことぞ、まつわりつくとは、子が親にまつわることぞ、Θに従うことぞ、Θにまつらうには洗濯せなならんぞ、洗濯すればΘかかるぞ、神かかれば何もかも見通しぞ、それで洗濯洗濯と、臣民耳にたこ出来るほど申しているのざ。
七月の一日、ひつくの神の道ひらけあるぞ。


神様のお名前はもう良いですね。「今言うては仕組成就せんから、邪魔入るから」とありますから。もう遅いか。(笑)

替え身魂㋳㋻は、「神かかり」した人の身魂という意味でしょうね。

「Θにまつろうこと」も賢明な皆さまなら、既にお分かりですね。

珍しく、最後のお名前に「ひつくの神の道ひらけあるぞ」とあります。

「道ひらけつつあるぞ」という意味でしょうか。


posted by mydears at 16:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第25帖

一日に十万、人死に出したらΘの世がいよいよ近づいたのざから、よく世界のことを見て皆に知らしてくれよ。
このΘは世界中のみか天地のことを委(まか)されているΘの一柱ざから、小さい事言うのではないぞ、小さい事も何でもせなならんが、小さい事と臣民思うていると間違いが起こるから、臣民はそれぞれ小さい事もせなならんお役もあるが、よく気をつけてくれよ。
北から攻め寄せて来たらいよいよのことぞ。
南、東、西、みな大切なれど、北を守ってくれよ。
北から来るぞ。
Θは気(け)もない時から知らしておくから、よくこの神示、心にし(締)めておれよ。
一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜め(かいだめ)してもΘの許さん物一つも身には付かんぞ、着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼(がき)の世ざ。
早うΘ心(かみごころ)に還りてくれよ。
この岩戸開くのは難儀のわからん人には越せんぞ、踏みつけられ踏みつけられている臣民の力はお手柄さして、永遠に名の残るようになるぞ。
元の世に一度戻さなならんから、何もかも元の世に一度は戻すのざから、そのつもりでおれよ、欲張っていろいろ買溜めしている人、気の毒が出来るぞ、Θよく気をつけておくぞ。
この道に縁ある人には、神からそれぞれのΘを護りにつけるから、天地の元の天の大神、地(くに)の大神と共に、よく祀りてくれよ。
六月の三十日、ひつくのか三。


「一日に十万、人死に出したら」というのは、沖縄戦でさえ合計20万人なので、翌年3月の東京大空襲、8月の広島、長崎の原爆クラスでないとあり得ない数字です。神様は、前年の6月時点で既に分かっていて警告されていたということですね。

「北から攻め寄せて来たらいよいよのこと」については、「上つ巻 第12帖」でお話しました。
前回は樋口将軍以下のご活躍で乗り切ることが出来ました。

「北を守ってくれよ。北から来るぞ。」
次回は、北朝鮮でしょうか?それとも、やはりロシアでしょうか?

自衛隊の方々、国の守り、どうぞよろしくお願い申し上げます。


「一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ」
前回は、本当に大変だったようです。

次回も「神心に還って」乗り切るしかないようです。助け合いの精神で、協力し合うようにしましょう。赤ちゃんや老人、身体のご不自由な方を優先して、我先に奪い合うことのないよう、強い心で頑張るしかないようです。

「天地の元の天の大神」は、天之御中主神でしょう。

「地(くに)の大神」は、国之常立大神か須佐之男命だと思います。


posted by mydears at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第24帖

七の日はものの成る日ぞ。「あ」と「や」と「わ」は元の御用ぞ、「イ」「ウ」の身魂は介添えの御用ぞ。
あとはだんだんわかりて来るぞ。
六月二十八日は因縁の日ざ、一二のか三。


「あ」は、国之常立大神で、八尺瓊勾玉(魂)
「や」は、日の大神(須佐之男命)で、草薙の剣(火)
「わ」は、月の大神(天照大神)で、八咫鏡(水)

のことでしたね。「イ」「ウ」はよく分かりませんが、「伊藤」(イとウ)さんかもしれないと笑い話をしました。

六月二十八日は何の因縁でしょう?

これも、全く意味不明ですが、翌年昭和20年6月28日の「松の巻第12帖」に、「前にも立て替えはあったのざが、三千世界の立て替えでなかりたから、(中略) それで今度は元の生神が天晴れ現れて、悪は影さえ残らぬよう、根本からの大洗濯するのぞ」と、書いてあります。

もしかすると、この前回の失敗が因縁の六月二十八日の意味なのかもしれません。

posted by mydears at 14:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第23帖

Θなぞどうでもよいから、早く楽にしてくれと言う人沢山あるが、こんな人は、今度はみな灰にして、無くしてしまうから、その覚悟でおれよ。
六月の二十八日、ひつくのか三。


これも、たくさん出て来そうです。(笑)

苦しいのは、みんなイヤですもんね〜

今では普通ですが、戦時中もそうだったとは! そちらの方が驚きです。


posted by mydears at 14:02| Comment(32) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第22帖

いよいよとなれば、外国強いと見れば、外国へつく臣民沢山できるぞ。
そんな臣民一人もいらぬぞ、早うまことの者ばかりで神のΘ(国)を固めてくれよ。
六月二十の八日、一二のか三。


日本人は優しいから、外国(幽国)に付け込まれて、やりたい放題散々にやられていますが、本当にピンチになった時は、さらに付和雷同して外国へつく人々が沢山出て来るでしょうね。

さすが神様は、我々のことを良く分かっていらっしゃいます。(笑)

「勝ち馬に乗る」「皆で渡ればこわくない」が当たり前の日本人。

「流されやすい」のは、日本人最大の欠点でしょうね。

posted by mydears at 13:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第21帖

世の元の神の仕組というものは、神々にもわからん仕組みであるぞ、この仕組わかりてはならず、わからねばならず、なかなかに難しい仕組であるぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。
外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ギリギリになりたらΘの元のΘの神力出して、岩戸開いて一つの王で治めるΘの真の世に致すのであるから、Θは心配ないなれど、ついて来れる臣民少ないから、早う掃除してくれと申すのぞ、掃除すれば何事も、ハッキリと映りて楽なことになるから、早う神の申すようにしてくれよ。
今度は永遠に変らぬ世に致すのざから、世の元の神でないとわからん仕組ざ。
洗濯できた臣民から手柄立てさして嬉し嬉しの世に致すから、Θが臣民にお礼申すから、一切のゴモク(汚れ)捨てて、早う神の申すこと聞いてくれよ。
因縁の身魂はどうしても改心せねばならんのざから、早う改心せよ、遅い改心なかなか難しいぞ。
神は帳面につけるように何事も見通しざから、神の帳面間違いないから、Θの申す通りに、わからんこともΘの申す通りに従いてくれよ。
初めつらいなれど、だんだんわかりて来るから、よく言うこと聞いてくれよ、外国から攻めて来てΘの国丸つぶれというところで、元のΘの神力出して世を立てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のようになるぞ、神の身体から息出来ぬようにしているが、今に元のままにせなならんことになるぞ。
富士から三十里より離れた所へ祀りてくれよ、富士にも祀りてくれよ、富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れた所へ、仮に祀りておいてくれよ。
富士はΘの山ざ、いつΘ(火)を噴くかわからんぞ、Θは噴かんつりでも、いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へ祀りてくれよ、神は構わねど、臣民の肉体大切なから、肉体もなくてはならんから、そうして祀りてくれ。
まつりまつり結構ぞ。
六月の二十八日、ひつ九のか三。


世の元の神の仕組は、おぼろげながら見えて来たように思います。

「一つの王」とは、「天津日嗣皇尊大神」(アマツヒツグスメラミコトオオカミ)だと思います。

「神の身体から息出来ぬようにしている」は、コンクリートやアスファルトで塗り固めた近代都市のことを言うのでしょう。

「富士から三十里より離れた所」は、岡本天明氏が山梨県の「帯那山」(おびなやま)に行かれたことが記されております(神のご意思であれば問題ない)が、もしかすると、大月市の「お伊勢山・上真木大神社」あたりではないかと思っております。

富士山噴火の際に避難した方たちの集落が存在する場所で、山深い里でありながら、遠くに富士山が望める景勝地であります。

春は桜が満開の地で、近くに「木花咲耶姫」を思わせる花咲山があります。

ただ、昔は、花といえば「梅」だそうですが。(笑)

富士山・お伊勢山・岩殿山 2016年4月9日 024.JPG

posted by mydears at 12:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第20帖

Θがこの世にあるなれば、こんな乱れた世にはせぬはずざと申す者沢山あるが、Θには人の言う善も悪もないものぞ。
よく心に考えて見よ、何もかもわかりて来るぞ。
表の裏は裏、裏の表は表ぞと申してあろが、一枚の紙にも裏表、ちと誤まればわからんことになるぞ、Θ心になれば何もかもハッキリ映りて来るのざ、そこの道理わからずに理屈ばかり申しているが、理屈のない世に、Θの世にして見せるぞ。
言挙(ことあげ)せぬ国とはそのことぞ、理屈は外国のやり方、Θの臣民言挙げせずに、理屈なくして何もかもわかるぞ、それがΘの真の民ぞ。
足許から鳥(とり=酉年)が立つぞ、鳥(十理)立ちて慌てても何にもならんぞ、用意なされよ、上下にグレンと引っくり返るぞ。
上の者下に、落ちぶれた民上になるぞ、岩戸開けるぞ、夜明け近づいたから、早う身魂の洗濯してくれよ、Θの申すこと千に一つも違わんぞ。
六月二十七日、ひつくのか三。


神に「善悪の概念はない」というお話はしましたよね。

悪があるから善がある、善があるから悪もある。キレイかキレイでないか、それだけですと。
キレイであれば、「神かかり」して、神のやり方でこの世を動かせますが、キレイでなければ、それも出来ない。

神に文句がある者が大部分である状態は、その時点でキレイでないので、神は何にもできない。
神に何かして欲しければ、まずその前に、己自身のあり方をまず見直せということでしょう。

理屈でもって、相手をやっつけるという考え方は、外国(幽国)の考え方であり、神国の考え方は、相手を思いやり、親切にすることで仲良くなる(和合する)ことであるはずです。

皆さんも、当たり前のことのようにご存じだと思います。

2011年3月11日の東日本大震災の際にも、被害に遭われた皆さんの冷静で落ち着いた行動は世界中から賞賛され、我々日本人も誇らしく思ったものです。

先の大戦で敵だった米国軍も「トモダチ作戦」で真っ先に駆け付けてくれ救援作業を実施してくれるなど、今や、日本にとっての最も信愛なる友人であることを示してくれました。

自然の災害を甘んじて受け、誰も恨まず、喧嘩せず、助け合い、ただただ一生懸命に生き抜く、それが日本人の心でしょう。


今年、2017年は酉年です。もうすぐ、足許から酉が立って戌年となります。
日月神示には、「子の年真ん中、前後十年」という言葉があります。

本命は、2045年の子年(甲子)でしょうが(2041年が辛酉)、来年から大峠が始まっても何もおかしくない世界情勢になって来ております。

準備しておくに早過ぎることはないと思いますが如何でしょうか?




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上つ巻 第19帖

Θの国Θの山にΘ祀りてくれよ、まつるとはΘにまつろうことぞ、土にまつろうことぞ、人にまつろうことぞ、
祀り祀りて嬉し嬉しの世となるのぞ、まつるには、まず掃除せねばならんぞ、掃除すれば誰にでもΘかかるように、日本の臣民なりておるぞ、神州清潔の民とは、掃除してキレイになった臣民のことぞ。
六月二十七日、一二Θ。


神、土、人にまつろう(奉る、仲良くするの意か)ことで、「嬉し嬉しの世」が到来すると述べています。
日本国民は、身魂掃除するだけで「神かかり」になれるそうです。
もともと、神のご加護を受けているからということでしょう。

「神州清潔の民」は、安全、清潔、秩序を重んじて来た誇り高き民族であるということです。

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上つ巻 第18帖

岩戸開く役と岩戸閉める役とあるぞ。いったん世界は言うに言われん事が出来るぞ、しっかり身魂磨いておいてくれよ、身魂磨き第一ぞ。
この道開けて来ると、世の中の偉い人が出て来るから、どんな偉い人でもわからんΘの道ざから、よくこの神示読んでおいてどんなことでも教えてやれよ、何でもわからんこと無いように、この神示で知らしておくから、この神示よく読めと申すのぞ。
この道はスメラが道ざ、スメル御民の道ぞ。
禊せよ、祓せよ、臣民早くせねば間に合わんぞ。
岩戸開くまでにまだ一苦労あるぞ、この世はまだまだ悪くなるから、Θも卍(仏)もこの世には居らんのざというところまで、とことんまで落ちて行くぞ。
九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。
臣民の心の鏡くぼんでいるから、善きこと悪く映り、悪きこと善く映るぞ。
今の上に立つ人、一つも真の善いこと致してはおらん、これで世が治まると思うてか、あまりと申せばあまりぞ。
Θは今まで見て見んふりしていたが、これからは厳しくどしどしとΘの道に照らしてΘの世に致すぞ、そのつもりでいてくれよ。
Θの申すこと、ちっともちがわんぞ。
今の世に落ちている臣民、高い所へ土持ちばかり、それで苦しんでいるのざ。
早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。
六月二十六日、一二のか三。


岩戸は一度開いた後、開けっ放しではいけないようですね。岩戸閉める役あると書いてあります。
三千世界の大建て替えの後に悪魔を封印するということでしょうか。

岩戸が開けると「世の中の偉い人」が出て来るようですね。しかも、この方は日月神示の「Θの道」もご存じないようです。

太平洋戦争の後を考えるとこの「世の中の偉い人」は、マッカーサー元帥のようです。

「この道はスメラが道ざ、スメル御民の道ぞ。」は、万世一系の天皇家とそれを仰ぐ国民の道ということのようです。

「岩戸開くまでにまだ一苦労あるぞ、この世はまだまだ悪くなるから、Θも卍(仏)もこの世には居らんのざというところまで、とことんまで落ちて行くぞ。」
確かに、そうなりましたね。日本国民は絶望的な状況の中、戦い痛めつけられておりました。

「九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。臣民の心の鏡くぼんでいるから、善きこと悪く映り、悪きこと善く映るぞ。」
九月は、パラオのペリリュー島の戦いが始まった月で、11月まで激戦が続きますが、10月にはフィリピン・レイテ沖海戦で連合艦隊は壊滅し、敗戦が確定的になった時期でもあります。
「善きこと悪く映り、悪きこと善く映るぞ」の意味は「敗戦が悪く映り、部分的勝利が善く映る」ということでしょうか。または、大本営発表の欺瞞性を述べたものでしょうか。

「今の上に立つ人、一つも真の善いこと致してはおらん、これで世が治まると思うてか、あまりと申せばあまりぞ。」は、早く敗戦を認めて降伏し出直せという意味でしょうか。

「今の世に落ちている臣民、高い所へ土持ちばかり、それで苦しんでいるのざ。」
民衆の悲惨な状況や意向は為政者に届かず、無駄な努力ばかり強いられているという意味かと思います。

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2017年12月21日

上つ巻 第17帖

この世はみなΘのものざから、臣民のものというもの一つもないぞ、お土からとれた物、みなまずΘに供えよ、
それを頂いて身魂を養うようになっているのに、Θには献げずに臣民ばかり食べるから、いくら食べても身魂の太らぬのぞ、何でもΘに供えてから食べると身魂太るぞ。
今の半分で足りるぞ、それが臣民の頂き方ぞ。
六月の二十五日、ひつくのか三。


私は中学生の頃、「身魂」を見たことがあります。と、いっても、当時は何がなんだか分からず、UFOか何かかと思っていたのですが、日月神示に出会ってから、あれが「身魂」だと確信しました。

形状は、ゴルフボールのようなもの。たくさんの穴から火が吹き出していました。
遠くの山から別の山腹に向かっていたので、大きさは確かではありませんが、相当大きなものであったと思います。

その山には、古墳がありますので、古代人の「身魂」だったのではないかと思います。

本当の話しですよ。(笑)
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上つ巻 第16帖

ひふみの火水とは結ぞ、中心の神、表面に世に満つことぞ、ひらき睦(むつ)び、中心に火集い、ひらく水。
神の名二つ、カミと神世に出づ。
早く鳴り成り、世、新しき世と、国々の新しき世と栄え結び、成り展く秋来る。
弥栄に神、世にみちみち、中心にまつろい展き結ぶぞ。
月出でて月なり、月ひらき弥栄え成り、神世ことごと栄ゆ。
早く道ひらき、月と水のひらく大道、月の仕組、月神と日神二つ展き、地上弥栄みちみち、世の初め悉くの神も世と共に勇みに勇むぞ。
世はことごとに統一し神世の礎(いしずえ)極まる時代来る、神世の秘密と言う。
六月二十四日、一二Θ文。


また、難解な文章が出て来ました。

「神の名二つ」は、「日の神」と「月の神」でしょう。、「日の神」と「月の神」のお話は既にしました。
「月と水のひらく大道、月の仕組」は、おそらく「津波」と関係があるでしょう。

まず、大地震、津波が襲い、落雷、火山の噴火が起き、マグマが地表に溢れる。まぜまぜになった後、中心に火が集まり、水は外周部に押しやられ、Θの字のごとく地上は一つに統一される。

ということでしょうか。

いずれにしても、「神世の秘密」は、地球レベルでの大変動を思わせるものです。


posted by mydears at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第15帖

今度は末代動かぬ世にするのざから、今までのような宗教や教えの集団にしてはならんぞ、人を集めるばかりが能ではないぞ、人も集めねばならず、難しい道ぞ。
縁ある人は早く集めてくれよ、縁なき人いくら集めても何にもならんぞ、縁ある人を見分けてくれよ。
顔はΘの臣民でも心は外国身魂ぞ、顔は外国人でも身魂はΘの臣民あるぞ。
やりかけた戦ぞ、とことんまで行かねば収まらん。
臣民一度は無くなるところまでになるぞ、今のうちにこの神示よく読んでいてくれよ。
九月になったら用意してくれよ。
六月の二十四日、ひつくのか三。


そうなんです。私も、本ブログは歴史と神様の解明までで止めようと思っていたのですが、やはり、皆さまにお伝えすべきことはお伝えした方が良いのではないかと思い、日月神示を継続することに決めました。

「第2帖」に、「人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんように、人のため国のため働けよ、 それがまことのΘの神民ぞ」とあるので、悩みましたが、お知らせできるぎりぎりまでお話しするつもりです。

「縁ある人」のご参考になればと思います。

日本人でも「外国身魂」、外国人でも「Θの臣民」があるそうです。

最近、段々はっきりして来たように思います。

いよいよでしょうか。



posted by mydears at 12:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第14帖

この神示よく読みてくれよ、読めば読むほど何もかもわかりて来るぞ、心とは神民の申す心でないぞ。
ミタマとは神民の申す身魂でないぞ、ミタマとは身と魂と一つになっているもの言うぞ、Θの臣民、身と魂の分け隔てないぞ、身は魂、魂は身ぞ。
外国は身ばかりの所あり、魂ばかりの所あり、Θは身魂の別ないぞ、このことわかりたらΘの仕組がぼつぼつわかるぞ。
身魂の洗濯と御心の洗濯とは、魂ばかりの洗濯でないぞ、よく気をつけてくれよ。
Θの申すこと違わんぞよ。
六月の二十二日、ひつくのか三。


「ミタマとは身と魂と一つになっているもの言うぞ」とは、「キレイな身体」に「キレイな心」を入れたものに、さらに「神」を入れ、一体となった「神かかり」の状態を言うのでしょう。

「御心の洗濯」と、わざわざ言うということは、「神かかり」の状態をさらに磨けということでしょうか。



posted by mydears at 10:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第13帖

元の人三人、その下に七人、その下に七七・四十九人、合わして五十九の身魂あれば、この仕組みは成就するのざ、この五十九の身魂は神が護っているから、世の元の神がかかりて大手柄をさすから、Θの申すよう何事も、身魂磨いてくれよ。
これが世の元の神の数ぞ、これだけの身魂が力合わして、善き世の礎(いしずえ)となるのざ。
この身魂はいずれも落ちぶれているから、訪ねて来ても分からんから、よく気をつけて、どんなに落ちぶれている臣民でも、訪ねて来た人は、親切にして帰せよ。
何事も時節が来たぞ。
六月の二十一日 ひつくのか三。


「元の人三人」は、造化三神。「その下に七人」は神世七代を言うのでしょう。つまり、この仕組みは、日本の「元の神様」総掛かりで実施されることを示していると思われます。

「この身魂はいずれも落ちぶれているから」の身魂は、神がかかりをした人間のことを指しているのでしょう。

落ちぶれているのは何故かというと、神様が事前に「苦労をさせて、弱者の気持ちを理解させる」ために、わざと落ちぶれさせているからです。

下が上になるのです。

今、苦労されていらっしゃる方はラッキーです。

もっと、もっと苦労しましょう。(笑)

苦労は「後になれば良くなる」、それが、神様のやり方だそうです。

「上つ巻 第1帖」に「嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る。」という文言がありましたが、「苦しくて喜ぶ者」になりましょう。

「嬉しくて苦しむ者」は、今を謳歌している人は、いずれ「苦しむ」ことになりますよという意味です。



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上つ巻 第12帖

大将を誰も行かれん所へ連れて行かれんように、上の人、気をつけてくれよ。
この道はちっとも心ゆるせん、マコトのΘの道ぞ。
油断するとΘは代わりの身魂使うぞ。
六月の二十一日の朝、ひつくのか三。


山本五十六元帥は、前年の4月18日に亡くなられているので、この「大将」は「昭和天皇」を指しているものだと思われます。

天皇陛下は、後に、マッカーサー元帥と直接面会の際、「自分の身はどうなっても良いから、国民をよろしくお願いします。」という趣旨のご発言をされ、元帥の信任を得たということです。

その頃、米、英、ソ、中(中華民国)の連合国で、日本を分割統治する案もありましたが、最終的に連合国軍最高司令官総司令部による日本政府を介した間接統治ということで落ち着きました。

まさに、「Θの国を八つに切って殺す悪の計画」が実施寸前で防がれたのです。

また、終戦間際、千島・占守島(しゅむしゅとう)にソビエト軍が侵攻して来た際にも、ポツダム宣言受諾に従い武装解除中であった日本軍守備隊が戦闘を行い、濃い霧の中、敵軍の弾丸が殆ど外れる状況で、何故か日本軍の弾だけがほぼ百発百中当たるという信じられないことが起きたやに聞いています。

この奮戦のお蔭で、ソ連軍の侵攻が北海道まで届かなかったと云われています。

ちょっと長いのですが、HiramekiTVさんの「戦後70周年 奇跡の将軍・樋口季一郎」をご覧になってみてください。

平和国家日本と偉そうに言えるのは、蔭でこのような人たちのご活躍があったからだと、改めて思い知らされます。




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2017年12月20日

上つ巻 第11帖

何処(いずこ)も土にかえると申してあろが、東京も元の土に一時はかえるから、そのつもりでいてくれよ。
Θの申したこと違わんぞ。
東京は元の土に一時はかえるぞ、そのつもりで用意してくれよ。
六月十九日、一二のか三。


東京は、昭和19年11月14日以降、全部で106回の空襲を受けましたが、特に昭和20年3月10日、4月13日、4月15日、5月24日未明、5月25日-26日の5回は大規模でした。
その中でも、3月10日の空襲(下町空襲)は「東京大空襲」呼ばれ、死者数が10万人以上(罹災者は100万人を超えた)を数えました。

まさに、「土にかえった」のです。

「一度」でなく「一時(ひととき)」と書いてあるので、2回目がないことを祈りたいものです。

因みに、東京以外に「江戸」とか「穢土」とか出て来ますが、これは、東京に限らず都会のことを指し、現代の汚れた魂の住む場所を意味しています。


posted by mydears at 15:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第10帖

Θに目を向ければΘがうつり、Θに耳向ければΘが聞こえ、Θに心向ければ心にうつる。
掃除の程度によりてΘのうつり方が違うぞ。
掃除出来た方からΘの姿うつるぞ、それだけにうつるぞ。
六月十九日、一二のか三。


私は、掃除がまだまだなので、目や耳や心にうつっているとはとても言えません。
ただ、日月神示の内容について、考えているうちにフッと気付くことがあります。

それが、単なる思い込みではなくて、神意であることを祈っています。

このブログに来て頂いた皆さんのためにも、単なる時間つぶしで終わらないよう、まじめに取り組んで行きたいと思っております。

これも、何かの「ご縁」でしょうから。

posted by mydears at 15:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第9帖

この世のやり方わからなくなったら、この神示を読ましてくれと言うて、この知らせを取り合うから、その時になりて慌てんようにしてくれよ。
日本の国は一度はつぶれたようになるのぞ。
一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。
その時にお蔭を落とさぬよう、しっかりと神の申すこと、肚に入れておいてくれよ。
六月の十七日、ひつくのか三。


日本の敗戦をこの時点で既に予言されてます。
翌年8月には、本当にそうなりました。

もう、これで大丈夫、終わったんじゃないのと思われる方もいらっしゃると思います。

私は、別に信者ではありませんが、岡本天明さんのご出身であります「大本教」には、「型」(かた)という考え方があります。

つまり、「一度起きたことは、再び起こる」ということです。

従って、未だ「終わり」ではありません。

今、現在も、次の「型」が進行しているのかもしれないのです。

上つ巻 第6帖で述べた「大切な九十(こと)」は、「国之常立大神=魂」のことかもしれないと、フッと思いました。

で、あれば、秋が立っても「この道開く方」が出て来られなかったことも理解できます。

「大切な『国之常立大神』のことを忘れているのに気がつかんか。」となります。

九十は、現在の八の世の中から、九(苦)の花が咲いた後に十(足り=完成)するものですから、八から九、十へ移行するためのキーパーソンである、「国之常立大神」と「須佐之男命」のお力が出て来なかったということかもしれません。

次こそは、国之常立大神を忘れないように、胸(腹)に刻んでおきましょう。




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上つ巻 第8帖

秋が立ちたらこの道開く方出て来るから、それまでは神の仕組みを書かしておくから、よく読んで肚(腹)の中によく入れておいてくれよ。
その時になりて慌てて、何も知らんというようではならんぞ、それまでに何もかにも知らしておくから、縁ある方からこの知らせをよく読んで、肚の中に入れておいてくれよ。
六月の十七日、ひつくのか三。


秋が立ちたら「この道開く方出て来る」からとありますが、実際には出て来られませんでした。

「身魂磨き」が足りなかったのでしょうか。

10月に日本の連合艦隊は崩壊し、趨勢はほぼ決したのです。

「神風特別攻撃隊」は、10月21〜25日にかけて関行男大尉を指揮官とする22機がレイテ湾のアメリカ艦隊に突入したのが最初となりました。

神風特別攻撃隊が「この道開く方」ではないことは、後の文章で明らかですから、残念なことです。

この当時、当初優位を誇ったゼロ戦は、米軍の戦闘機の技術革新によって圧倒的に不利な状況となり、爆弾を抱いて敵艦船に突入する以外の道は残されていなかったのです(戦っても撃ち落されるだけだった)。

国のため、家族、兄弟(姉妹)、子孫のためにご自分の命を捧げられた方々に篤い敬意を表したいと思います。

これは、「スーサイド・アタック」(自殺攻撃)と外国から呼ばれていますが、厳密に言えば「自殺」ではないと思います。

「自分を殺して、他者を生かす」=「他生」だと思います。

自分の境遇を悲観して、自暴自棄となり自殺したわけではなく、やむを得ない環境の中で、他人を思い、他人のために命を捧げたのですから。


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上つ巻 第7帖

いくら金積んで神の御用さしてくれいと申しても、因縁のある臣民でないと御用出来んぞ。
御用する人は、どんなに苦しくても心は勇むぞ。
この神は小さい病治しや、按摩(あんま)の真似(まね)させんぞ、大き病を治すのぞ。
神が開くから、人の考えで人を引っ張ってくれるなよ。
六月の十七日、一二のか三。


大峠の前には、「善」の顔した「悪」や、「悪」の顔した「善」が出て来るようです。
自分こそが、神だとか、神の使いだと言う輩さえ出て来ますので、決して騙されないようにしてください。
正しい道を歩める方が、「因縁のある臣民」です。


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上つ巻 第6帖

外国の飛行機が来ると騒いでいるが、 まだまだ花道ぞ。
九十となりたらボツボツはっきりするぞ。
臣民は目の先ばかりより見えんから、可哀そうなから、気をつけているのに何しているのか。
大切な九十(こと)を忘れているのに気がつかんか。
この知らせをよく読みてくれよ。
十月まで待て。
それまでは、このままでおれよ。
六月の十七日、ひつくのか三。


6月16日に北九州に初空襲がありました。
8月には、サイパン、グァムが陥落し、9月・10月とフィリピン、南西太平洋も失います。
「大切な九十(こと)」は、もちろん「身魂磨き」ですよね。

昭和19年6月以降.png


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2017年12月19日

上つ巻 第5帖

富士とはΘの山のことぞ。
神の山はみな富士と言うのぞ。
みはらし台とは、身を張らすとこぞ、身を張らすとは、身の中を神にて張ることぞ。
臣民の身の中に一杯にΘの力を張らす事ぞ。
大庭の富士を探して見よ、Θの米が出て来るから、それを大切にし。
富士を開くとは心にΘを満たす事ぞ。
ヒムカとは神を迎えることぞ、ヒムカはその使いぞ。
ヒムカは神の使いざから、この道を早う開いてくれよ、早う伝えてくれよ、ヒムカのお役は人の病を治してΘの方へ向けさすお役ぞ、この道をよく心得て間違いないように伝えてくれよ。
六月の十四日、Θつくのか三。


さて、早くも難問に入りました。日月神示には、数多くの謎めいた文章がありますが、これもその一つです。

「ヒムカ」とは、何か?

カギになる言葉は、「神の使い」と「人の病を治してΘの方へ向けさすお役」です。

まず、可能性の一つとして、蘇我日向が挙げられます。「孝徳天皇の病気平癒のために般若寺を創建したと伝えられる」ということなので、少しは当てはまりますが、どうやら素行も悪く、違うようです。

次に、イエス・キリストです。ピッタリですね。ただ、外国の方なので保留とします。

最後に、「人の病」を「人の(心の)病」と読み替えてみましょう。

そうすると、「天皇家」がヒムカ=日向だとすると、まさにピッタリだということが分かります。
先の大戦では、天皇家は「生き神様」として君臨されており、軍や財閥に利用されて大敗北を喫してしまいましたが、その後、「人間宣言」をされ、神を敬う大祭司としての役割を存分に果たしていらっしゃいます。

国民は、天皇家を通して神を感じ、神の存在を忘れないで生きて来れました。
私は、「天皇家」をヒムカと考えます。


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上つ巻 第4帖

急ぐなれど、臣民なかなかに言うこと聞かぬから、言うこと聞かねば、聞くようにして聞かす。
神には何もかも出来ているが臣民まだ目覚めぬか、金のいらぬ楽の世になるのぞ。
早くΘ祀りてくれよ、神祀らねば何も出来ぬぞ。
表の裏は裏、裏の裏がある世ぞ、Θをダシにして、今の上の人がいるから、Θの力が出ないのぞ。
お上に大神を祀りて、政事をせねば治まらん。
この神を祀るのは、みはらし台ぞ、富士みはらし台ぞ、早く祀りて御告げを世に広めてくれよ。
早く知らせねば日本がつぶれるようなことになるから、早う祀りてΘの申すようにしてくれ。
Θ急(せ)けるよ。
上ばかりよくてもならぬ、下ばかりよくてもならぬ、上下揃うた善き世が神の世ぞ。
ドイツも一十(イタリー)もあてにならぬ、世界中一つになりてΘの国に寄せて来るぞ。
それなのに今のやり方でよいと思うているのか、わからねば神に尋ねて政事せねばならぬということまだわからぬか。
神と人とがまつり合わして この世のことがさしてあるのぞ。
人が聞かねば神ばかりで始めるぞ。
神ばかりで洗濯するのは早いなれど、それでは臣民が可哀そうなから、臣民みなやり直さねばならぬから、気をつけているのに何しているのざ、いつどんなことあっても知らんぞ、神祀り第一、神祀り結構。
扶桑の木ノ花咲耶姫の神様を祀りてくれよ。
コハナサクヤ姫様も祀りてくれよ。
六月の十三の日しるす。
ひつきのか三。


「日本は世界で最も成功した社会主義国」だと言ったのは、ソ連のゴルバチョフ書記長らしいですが、本当に成功するためには、大神による統治が必要であると説いています。

実際に、「1億総中流社会」は、瞬く間に終わってしまいましたね。
非常に残念なことです。

これも「悪の計画」によるものでしょうか。

新しい世では、全ての人が「神上がり」して大神様の統治を受けるというなら、とても素晴らしいことだとは思いますが。


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上つ巻 第3帖

善言(よごと)は神、 何も上下、下ひっくり返っているから、わからんから、Θの心になれば何事もわかるから、それまでに身魂を掃除してくれよ。
今にこのおつげが一二三ばかりになるから、それまでに身魂をみがいておかんと、身魂の曇った人には何とも読めんから、早くΘこころに替えておりてくれ、何も一度に出て来る。
海が陸(おか)になり、陸が海になる。
六月の十一日の朝のお告げ、みよみよみよ。
ひつくの十。


この世の中、総て逆さまとなっていて、この世の常識では解けないから、神心で読み解いてくださいということですね。
他人を出し抜き、蹴落とし、あざ笑うような人が出世し、人の上に立つような現代の競争社会の対極が、神の世界ということでしょう。
実際に海が陸になったり、陸が海になったりするわけではないと思います。
今までの常識の概念が、180度変わりますよという警告だと思います。


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上つ巻 第2帖

親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるに、苦に負けて よくもここまでおちぶれてしもうたな。鼠でも三日先の事を知るのに、臣民は一寸先さえ分からぬほどに、 よく曇りなされたな、 それでもΘの国の臣民、天道人を殺さず、食べ物が無くなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。
木の根でも食うておれ。
闇のあとには夜明け来る。
神は見通しざから、心配するな。
手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんように、人のため国のため働けよ、それがまことのΘの神民ぞ。
酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民沢山ある。
早くΘの神の申す通りにせねば、世界を泥で海にせねばなぬから、早うΘ神心になりてくれよ、神頼むぞよ。
盲が盲を手を引いて、何処へ行くつもりやら、気のついた人から、まことの神の容れものになりてくれよ。
悪の楽しみは先に行くほど苦しくなるから、初めは辛いなれど、先を楽しみに辛抱してくれよ。
配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方はΘの光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光はΘの心ぞ。
いざ人の知恵で一つでも善きことしたか、何もかも出来そこないばかり、にっちもさっちもならんことにしていても、まだ気がつかん、盲には困る困る。
救わねばならず、助かる臣民はなく、泥の海にするは易いなれど、それではΘの神様に済まず、これだけにこと分けて知らしてあるに、聞かねばまだまだ痛い目を見せねばならん。
冬の先が春とは限らんぞ。
Θの国を八つに切って殺す悪の計画、Θの国にも外国の臣がおり、外国にもΘの子がいる。
岩戸が開けたら人にわかる。
六月の十日、書は、ひつくのか三。
てんめ御苦労ぞ。


「盲が盲を手を引いて、何処へ行くつもりやら」ということなので、皆さんご自身でお考えください。
私を含め、世の中は盲(めくら)だらけです。
決して騙されないでくださいね。(笑)

私も、酒と煙草は我慢出来ませんし、四つ足もたまに食べています。

それから、「善人」だと自信をお持ちの方、日月神示には、「善も改心する」必要があるという一文もあります。もう、これで良いということはないそうです。

「善」が改心することにより、より立体的になるのだそうで、ますますのご精進をお願いいたします。

「Θの国を八つに切って殺す悪の計画、Θの国にも外国の臣がおり、外国にもΘの子がいる。」
神の国を八つに分ける悪の計画、その後九(苦)の花が咲く。「善」の中にも「悪」があり、悪の中にも「善」があるが、それが全て明らかになるという意味でしょう。

単に、外国の侵略により(物理的に)分断されるという単純な意味ではないと思います。
現に、すでに日本の文化は「欧米化」により、3S(スポーツ、セックス、スクリーン)の氾濫で、侵略、分断されており、殆ど瀕死の状態です。これらを含んだ「悪の計画」だと思います。



追記:「Θの国を八つに切って殺す悪の計画、Θの国にも外国の臣がおり、外国にもΘの子がいる。」
文字通り読めば、日本国内にも「悪の手先」がおり、外国にも「神の子」がいるということです。


posted by mydears at 11:32| Comment(31) | TrackBack(0) | 上つ巻

上つ巻 第1帖

富士は晴れたり、日本晴れ。Θの国のまことのΘの力をあらわす代となれる、仏もキリストも何も彼もはっきり助けて、しち難しい御苦労のない代が来るから、身魂を不断に磨いて一筋の誠を通してくれよ。
いま一苦労あるが、 この苦労は身魂をみがいておらぬと越せぬ、 この世始まって二度とない苦労である。
このむすびはΘの力でないと何も出来ん、人間の算盤でははじけんことぞ。
日本はお土が上がる、外国はお土が下がる。都の大洗濯、鄙(ひな=田舎)の大洗濯、 人のお洗濯。
今度はどうもこらえてくれというところまで、後へ引かぬから、 その積りでかかって来い。
Θの国のΘの力を、はっきりと見せてやる時が来た。
嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る。
ΘはΘの国、神の力でないと、何にも成就せん。
人の力(ちから)で何が出来たか、 みな神がさしているのだ。
いつでもΘかかれるように、綺麗に洗濯しておりてくれよ。
戦は今年中と言っているが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまで
は、終わらぬ道理がわからぬか。
臣民同士のいくさではない、神と神、あかとあか、人と人、ニクとニク、タマとタマの戦ぞ。
己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うているとは、 あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ越えて時を待つ。
Θが世界の王になる、てんし様が神とわからん臣民ばかり。
口と心と行いと、三つ揃うたまことを命というぞ。
神の臣民みな命になる身魂、 掃除身魂結構。
六月の十日、ひつくのか三。

いや〜、名文ですね。いつもながら、感心します。

これは一二三神示(ひふみしんじ)ですが、数字と記号のみで書かれた原本を「日月神示」と云います。
日本語に解読され、記されたものが、一二三神示となります。「秘文」とも言います。

世界では、様々な宗教戦争が起こっていますが、全ての宗教は同根であり、ひとつにまとめて「御苦労のない世」が来ると書かれています。


先般、日ユ同祖論について述べましたが、

皆さん、「弥栄」(いやさか)という言葉をご存じでしょうか?

これを音読みすると「ヤハエ」となります。

ユダヤ教、キリスト教の最高神(イスラム教アラーの神もおそらく同じ)は「ヤハゥエイ」です。

これこそ、同根の証拠だと思いますが、皆さんはいかがお感じになられますか?



posted by mydears at 10:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 上つ巻
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