2018年03月30日
雨の巻 第14帖
一番尊いところ一番落してあるのぢゃ、このことわかりて来て天晴れ世界唸(うな)るのぢゃ、落とした上に落として、もう落とすところ無いようにして上下引っくり返るのぢゃ、引っくり返すのでないぞ、引っくり返るのぢゃぞ、このこと間違えるでないぞ。この道難しい道でないぞ、欲はなれて、命はなれて、なるようにしておりて下されたらそれでよいのぢゃ。今がΘ国の始めぞ、今までのことすっかり用いられんのにまだ今までのこと言うて今までのようなこと考えているが、それが盲聾(めくらつんぼ)ざぞ、今までのこと自慢すると鼻ポキンぞ、皆鼻ポキンばかりぢゃなあ。
まだまだ俘虜(とりこ)になる者たくさんあるなれど、今度の俘虜まだまだぞ、いずれ元に返って来るから、元に返ってまた盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ、次にまた捕えられる者出て来るのざぞ、次はひどいのざぞ、これも因縁ざぞ。Θの国は誰が見ても、どう考えても、二度と立ち上がられん、人民皆外国につくようになって、この方の申したこと、神示に書かしたこと、皆嘘(うそ)ざと申すところまで世が落ちてしもうてから初めて神力現われるのざぞ、人民臣民早合点して御座るが九分九分九厘と申してあろうな。
事務所作らいでもよいぞ、事務所作るのは表の仕組ぞ、裏の御用、事務所禁物ぞ、それぞれの役員殿の住むとこ皆それぞれの事務所でないか、よく相談してやりて下され、だんだんわかりて来るぞ。表と裏のあなないぞ、あなないの道と申してあろうが、引き寄せる身魂は、天で一度改めて引き寄せるのであるぞ、今お役に立たんように臣民の目から、役員の目から見えても袖にするでないぞ、地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、磨けば皆結構な身魂まわりぢゃぞ。
人民の肚さえたら天もさえるぞ、心鎮(しず)もれば天も鎮もるぞ、Θ勇むぞ。我(が)はじっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、我の無いようなことでは、我で失敗(しくじ)ったこの方の御用出来ないのざぞ、毒にも薬にもならん人民草木に変えてしまうぞ。この神示むやみに見せるでないぞ、神示は出ませんと申せと申してあること忘れるでないぞ。天の規則、地でやることになっているのざぞ、今度規則破りたら、暗い所へ落ち込んで末代浮かばれん、きついことになるのざから、Θくどう気つけておくぞ。
次に世に出る番頭殿、まだΘなきものにして御座るから、一寸先もわからんぞ、先わからずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理ぢゃぞ、三日天下でお出直しぞ、その次もその次もお出直しぢゃ、この神示よく見てこの先どうなる、その先どうなるということ、Θはどんなこと計画しておいでますということわからいで政治ないぞ、すればするほど悪うなるぞ、Θにはこうなることわかって呑んでいるのざから、どんなことあっても心配ないなれど、それでは臣民可哀想なから、この神示ウタにして印刷して世に良きようにして皆に知らしてやれよ、表の集いでよいぞ。
Θは天からも地からも日も夜もコトで知らしているのに、コト聞く身魂ないから、コト聞くミミ曇っているから、人民はわからんなれど、あまりわからんでは通らんぞ、早う洗濯掃除せよと申しているのぞ。人の十倍も今の仕事して、その上でΘの御用するのが洗濯ぞ、掃除ぞと申して知らしたこと忘れたか、地に足つけよと申したことわからんのか、百姓になれ、大工になれと申したことわからんのか、天の地もあるぞ、天の百姓、大工もあるのざぞ。善と悪と小さく臣民分けるからわからんのざぞ、大きく目ひらけよ。松食(お)せよ、松食せばわからん病治るのぢゃぞ、松心となれよ、いつも変わらん松の翠(みどり)の松心、松の御国の御民幸あれ。
十二月十八日、ひつ九のか三。
「一番尊いところ一番落してあるのぢゃ、このことわかりて来て天晴れ世界唸(うな)るのぢゃ、落とした上に落として、もう落とすところ無いようにして上下引っくり返るのぢゃ、引っくり返すのでないぞ、引っくり返るのぢゃぞ、このこと間違えるでないぞ。この道難しい道でないぞ、欲はなれて、命はなれて、なるようにしておりて下されたらそれでよいのぢゃ。今がΘ国の始めぞ、今までのことすっかり用いられんのにまだ今までのこと言うて今までのようなこと考えているが、それが盲聾(めくらつんぼ)ざぞ、今までのこと自慢すると鼻ポキンぞ、皆鼻ポキンばかりぢゃなあ。」
欲はなれて、命はなれて、なるようにしておけばそれで良いとありますが、それでけではありません。裏の裏まであります。(笑)因縁の解消、身魂のお掃除です。
「まだまだ俘虜(とりこ)になる者たくさんあるなれど、今度の俘虜まだまだぞ、いずれ元に返って来るから、元に返ってまた盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ、次にまた捕えられる者出て来るのざぞ、次はひどいのざぞ、これも因縁ざぞ。Θの国は誰が見ても、どう考えても、二度と立ち上がられん、人民皆外国につくようになって、この方の申したこと、神示に書かしたこと、皆嘘(うそ)ざと申すところまで世が落ちてしもうてから初めて神力現われるのざぞ、人民臣民早合点して御座るが九分九分九厘と申してあろうな。」
ソ連によるシベリア抑留のことでしょうが、次があるそうです。北朝鮮による拉致のことのようにも思えますが「次はひどいのざぞ、これも因縁ざぞ。Θの国は誰が見ても、どう考えても、二度と立ち上がられん」ほどですから、これは未来のことでしょう。人々が日本をあきらめ他国の意のままになるところまで落ちに落ちて、初めて神力現われるそうです。
「引き寄せる身魂は、天で一度改めて引き寄せるのであるぞ、今お役に立たんように臣民の目から、役員の目から見えても袖にするでないぞ、地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、磨けば皆結構な身魂まわりぢゃぞ。」
引き寄せる身魂は、磨けば皆結構な身魂ばかりだそうです。
「人民の肚さえたら天もさえるぞ、心鎮(しず)もれば天も鎮もるぞ、Θ勇むぞ。我(が)はじっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、我の無いようなことでは、我で失敗(しくじ)ったこの方の御用出来ないのざぞ、毒にも薬にもならん人民草木に変えてしまうぞ。」
人々の心次第で世界も変わるそうです。我はあってはいけませんが、無くてもいけないということです。毒には毒の役目、薬には薬の役目があるのでしょう。
「天の規則、地でやることになっているのざぞ、今度規則破りたら、暗い所へ落ち込んで末代浮かばれん、きついことになるのざから、Θくどう気つけておくぞ。」
天の規則は、「キの巻 第8帖」の「借銭 負っている身魂は、この世にはおいてもらえんこと」でしょう。
「次に世に出る番頭殿、まだΘなきものにして御座るから、一寸先もわからんぞ、先わからずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理ぢゃぞ、三日天下でお出直しぞ、その次もその次もお出直しぢゃ」
戦後の番頭は現在も続いている自民党政権のことでしょう。短命政権が続いたのは「Θなきものにして」いるからでしょう。それでも続いているのは、間違ってはいてもまだ完全に「Θなきものにして」いるわけではないことが理由かもしれません。民主党政権の時には、大地震が起こるは、尖閣問題が悪化するはとんでもないことが立て続きに起こり、本当に「三日天下」で終わりました。
「この神示よく見てこの先どうなる、その先どうなるということ、Θはどんなこと計画しておいでますということわからいで政治ないぞ、すればするほど悪うなるぞ」
物欲を捨てて、他人のために尽くし助け合う優しい社会を作り、人々を教育することを最大目標にすれば良い政治となるでしょう。
「Θは天からも地からも日も夜もコトで知らしているのに、コト聞く身魂ないから、コト聞くミミ曇っているから、人民はわからんなれど、あまりわからんでは通らんぞ、早う洗濯掃除せよと申しているのぞ。人の十倍も今の仕事して、その上でΘの御用するのが洗濯ぞ、掃除ぞと申して知らしたこと忘れたか」
コトとは天の異変、地の異変、国際情勢、経済、医療福祉その他様々なことでしょう。冬にひまわりが咲いたり、桜が咲いたり、珍しい雲が湧いたりと最近は珍しいことが増えた気がします。
「地に足つけよと申したことわからんのか、百姓になれ、大工になれと申したことわからんのか、天の地もあるぞ、天の百姓、大工もあるのざぞ。善と悪と小さく臣民分けるからわからんのざぞ、大きく目ひらけよ。」
「松食(お)せよ、松食せばわからん病治るのぢゃぞ、松心となれよ、いつも変わらん松の翠(みどり)の松心、松の御国の御民幸あれ。」
まだまだ俘虜(とりこ)になる者たくさんあるなれど、今度の俘虜まだまだぞ、いずれ元に返って来るから、元に返ってまた盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ、次にまた捕えられる者出て来るのざぞ、次はひどいのざぞ、これも因縁ざぞ。Θの国は誰が見ても、どう考えても、二度と立ち上がられん、人民皆外国につくようになって、この方の申したこと、神示に書かしたこと、皆嘘(うそ)ざと申すところまで世が落ちてしもうてから初めて神力現われるのざぞ、人民臣民早合点して御座るが九分九分九厘と申してあろうな。
事務所作らいでもよいぞ、事務所作るのは表の仕組ぞ、裏の御用、事務所禁物ぞ、それぞれの役員殿の住むとこ皆それぞれの事務所でないか、よく相談してやりて下され、だんだんわかりて来るぞ。表と裏のあなないぞ、あなないの道と申してあろうが、引き寄せる身魂は、天で一度改めて引き寄せるのであるぞ、今お役に立たんように臣民の目から、役員の目から見えても袖にするでないぞ、地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、磨けば皆結構な身魂まわりぢゃぞ。
人民の肚さえたら天もさえるぞ、心鎮(しず)もれば天も鎮もるぞ、Θ勇むぞ。我(が)はじっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、我の無いようなことでは、我で失敗(しくじ)ったこの方の御用出来ないのざぞ、毒にも薬にもならん人民草木に変えてしまうぞ。この神示むやみに見せるでないぞ、神示は出ませんと申せと申してあること忘れるでないぞ。天の規則、地でやることになっているのざぞ、今度規則破りたら、暗い所へ落ち込んで末代浮かばれん、きついことになるのざから、Θくどう気つけておくぞ。
次に世に出る番頭殿、まだΘなきものにして御座るから、一寸先もわからんぞ、先わからずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理ぢゃぞ、三日天下でお出直しぞ、その次もその次もお出直しぢゃ、この神示よく見てこの先どうなる、その先どうなるということ、Θはどんなこと計画しておいでますということわからいで政治ないぞ、すればするほど悪うなるぞ、Θにはこうなることわかって呑んでいるのざから、どんなことあっても心配ないなれど、それでは臣民可哀想なから、この神示ウタにして印刷して世に良きようにして皆に知らしてやれよ、表の集いでよいぞ。
Θは天からも地からも日も夜もコトで知らしているのに、コト聞く身魂ないから、コト聞くミミ曇っているから、人民はわからんなれど、あまりわからんでは通らんぞ、早う洗濯掃除せよと申しているのぞ。人の十倍も今の仕事して、その上でΘの御用するのが洗濯ぞ、掃除ぞと申して知らしたこと忘れたか、地に足つけよと申したことわからんのか、百姓になれ、大工になれと申したことわからんのか、天の地もあるぞ、天の百姓、大工もあるのざぞ。善と悪と小さく臣民分けるからわからんのざぞ、大きく目ひらけよ。松食(お)せよ、松食せばわからん病治るのぢゃぞ、松心となれよ、いつも変わらん松の翠(みどり)の松心、松の御国の御民幸あれ。
十二月十八日、ひつ九のか三。
「一番尊いところ一番落してあるのぢゃ、このことわかりて来て天晴れ世界唸(うな)るのぢゃ、落とした上に落として、もう落とすところ無いようにして上下引っくり返るのぢゃ、引っくり返すのでないぞ、引っくり返るのぢゃぞ、このこと間違えるでないぞ。この道難しい道でないぞ、欲はなれて、命はなれて、なるようにしておりて下されたらそれでよいのぢゃ。今がΘ国の始めぞ、今までのことすっかり用いられんのにまだ今までのこと言うて今までのようなこと考えているが、それが盲聾(めくらつんぼ)ざぞ、今までのこと自慢すると鼻ポキンぞ、皆鼻ポキンばかりぢゃなあ。」
欲はなれて、命はなれて、なるようにしておけばそれで良いとありますが、それでけではありません。裏の裏まであります。(笑)因縁の解消、身魂のお掃除です。
「まだまだ俘虜(とりこ)になる者たくさんあるなれど、今度の俘虜まだまだぞ、いずれ元に返って来るから、元に返ってまた盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ、次にまた捕えられる者出て来るのざぞ、次はひどいのざぞ、これも因縁ざぞ。Θの国は誰が見ても、どう考えても、二度と立ち上がられん、人民皆外国につくようになって、この方の申したこと、神示に書かしたこと、皆嘘(うそ)ざと申すところまで世が落ちてしもうてから初めて神力現われるのざぞ、人民臣民早合点して御座るが九分九分九厘と申してあろうな。」
ソ連によるシベリア抑留のことでしょうが、次があるそうです。北朝鮮による拉致のことのようにも思えますが「次はひどいのざぞ、これも因縁ざぞ。Θの国は誰が見ても、どう考えても、二度と立ち上がられん」ほどですから、これは未来のことでしょう。人々が日本をあきらめ他国の意のままになるところまで落ちに落ちて、初めて神力現われるそうです。
「引き寄せる身魂は、天で一度改めて引き寄せるのであるぞ、今お役に立たんように臣民の目から、役員の目から見えても袖にするでないぞ、地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、磨けば皆結構な身魂まわりぢゃぞ。」
引き寄せる身魂は、磨けば皆結構な身魂ばかりだそうです。
「人民の肚さえたら天もさえるぞ、心鎮(しず)もれば天も鎮もるぞ、Θ勇むぞ。我(が)はじっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、我の無いようなことでは、我で失敗(しくじ)ったこの方の御用出来ないのざぞ、毒にも薬にもならん人民草木に変えてしまうぞ。」
人々の心次第で世界も変わるそうです。我はあってはいけませんが、無くてもいけないということです。毒には毒の役目、薬には薬の役目があるのでしょう。
「天の規則、地でやることになっているのざぞ、今度規則破りたら、暗い所へ落ち込んで末代浮かばれん、きついことになるのざから、Θくどう気つけておくぞ。」
天の規則は、「キの巻 第8帖」の「借銭 負っている身魂は、この世にはおいてもらえんこと」でしょう。
「次に世に出る番頭殿、まだΘなきものにして御座るから、一寸先もわからんぞ、先わからずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理ぢゃぞ、三日天下でお出直しぞ、その次もその次もお出直しぢゃ」
戦後の番頭は現在も続いている自民党政権のことでしょう。短命政権が続いたのは「Θなきものにして」いるからでしょう。それでも続いているのは、間違ってはいてもまだ完全に「Θなきものにして」いるわけではないことが理由かもしれません。民主党政権の時には、大地震が起こるは、尖閣問題が悪化するはとんでもないことが立て続きに起こり、本当に「三日天下」で終わりました。
「この神示よく見てこの先どうなる、その先どうなるということ、Θはどんなこと計画しておいでますということわからいで政治ないぞ、すればするほど悪うなるぞ」
物欲を捨てて、他人のために尽くし助け合う優しい社会を作り、人々を教育することを最大目標にすれば良い政治となるでしょう。
「Θは天からも地からも日も夜もコトで知らしているのに、コト聞く身魂ないから、コト聞くミミ曇っているから、人民はわからんなれど、あまりわからんでは通らんぞ、早う洗濯掃除せよと申しているのぞ。人の十倍も今の仕事して、その上でΘの御用するのが洗濯ぞ、掃除ぞと申して知らしたこと忘れたか」
コトとは天の異変、地の異変、国際情勢、経済、医療福祉その他様々なことでしょう。冬にひまわりが咲いたり、桜が咲いたり、珍しい雲が湧いたりと最近は珍しいことが増えた気がします。
「地に足つけよと申したことわからんのか、百姓になれ、大工になれと申したことわからんのか、天の地もあるぞ、天の百姓、大工もあるのざぞ。善と悪と小さく臣民分けるからわからんのざぞ、大きく目ひらけよ。」
「松食(お)せよ、松食せばわからん病治るのぢゃぞ、松心となれよ、いつも変わらん松の翠(みどり)の松心、松の御国の御民幸あれ。」
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